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『赤い策略 』
リラ・サファト1879)&高遠 聖(1711)


 リラ・サファトはまっすぐに教会に向かっていた。手にはバスケットがしっかりと握られている。
「今日のは、会心の出来……」
 リラは小さく呟き、にこっと笑った。
 リラの手にしているバスケットには、お弁当が入っている。それを、教会にいる高遠・聖(たかとお ひじり)に届けるのが日課となっているのだ。
「しかも、デザート付き」
 ふとリラはバスケットの中身を思い返しながら、ふふ、と笑った。
(聖、放っておいたらずっと聖書ばかり読むから)
 前に、聖書を呼んでいたら一日が過ぎていたという話を思い返し、リラは苦笑する。
(それだけじゃなくて、放っておいたらずっとお祈りしてしまうから)
 じっと目を閉じ、祈っていると眠気ならばじわじわと押し寄せるのだという。だがしかし、もっと大事な欲求を聖は無視するのだ。
 それは、食欲。
 放っておいては何も食べないのかもしれない、と危惧したリラは、差し入れをするのを日課としたのだ。聖がせめて、一食は確実に食べるように。
「本当は、三食しっかり持っていけたら良いんだけど」
 ぽつり、とリラは呟く。自分が差し入れしていない他の二食を、ちゃんと食べているかが時々不安になるのだ。
(ううん、本当ならおやつだって食べてもいいのよ?それも、一日二回)
 計5回も教会に通うのは、流石にきついとリラは考える。本当ならば、それくらいしたっていいのだが。
(だって、聖は来てくれて助かるって言っていたし)
 リラの差し入れに、聖はいつもにこやかに出迎えてくれていた。
『リラがこうして差し入れをしてくれるから、僕はちゃんと食事をするんですよ』と。
 そう言っていた聖の言葉を思い返し、リラは再び「ふふ」と笑った。
「少しずつ、そうやって治していけばいい……」
 食事をせずに聖書を読んだり祈りを捧げたりしていた生活を、少しずつ改善していく。それは全く難しい事ではないのだ。現に、今は治ってきているのだから。
「あと少し」
 リラはぽつりと呟き、悪戯っぽく笑った。
「昨日はサラダに、一昨日はパエリアに、その前はデザートに……」
 指を折りながら、リラは思い返す。それを口にした途端「うっ」と言いながら、涙目になる聖を思い返す。
 だが、それでも聖は食べる。ちゃんと食べてくれるのだ。
「今日もきっと、食べてくれるよね?」
 リラは再び呟くと、じっとバスケットを見つめた。今日も聖が「うっ」と言いながら、涙目になるかもしれないと、想像しながら。


 聖は祈りを捧げていた。教会で祈りを捧げるのは聖の日課であり、また同じく聖書を読むことも日課であった。
(祈り、は……救いになります)
 何があったとしても、自分一人じゃないのだという認識ができるのだ。悪い事を下としても、良い事があったとしても。
 孤独感を感じさせぬとは、なんと素敵な事だろう。
 聖は食事をとることも忘れ、一心に祈っていた。全てに幸福を、小さな幸福を。こうして祈る事ができるというのも、素晴らしい事だ。
(許されていますから)
 何を、と問われると答えに詰まる。だが、確かに聖は感じるのだ。赦されているのだと。
 胸のうちから温かくなるような、そんな感情すら生まれてくる。
「……聖」
 ふと声がし、聖はゆっくりと瞳を開けた。祈っている自分には全く変わりは無かったが、教会の内部にいる存在に変わりがあった。
「リラ」
 聖が振り向いた先には、扉のところでにっこりと笑うリラの姿が合ったのだ。自然と、聖の顔に笑みが浮かぶ。
 祈りと聖書を読むことに夢中になる聖に毎日届けられる、リラの差し入れだ。
「今日は天気いいし、外で食べる?」
「いつも有難う御座います」
 ぺこり、と頭を下げる聖に、リラはにこっと笑いながら首を横に振った。
「空、真っ青よ」
 リラはそう言うと、そっと聖の腕を掴んで引っ張った。聖は「はい」と応えながら、それに抵抗する事も無く引き摺られた。
「……わあ」
 日の光が目に飛び込み、思わず聖は目を細めた。そんな聖を見て、リラは「ね?」と言いながら微笑む。
「世界はこんなにも、明るいよ?聖」
「本当ですね。……ああ、本当に今日は良い天気です」
「こういう日は、外で食べないともったいないよ」
 リラはそう言いながら、バスケットの中から布を取り出し、木漏れ日の差す木の下にぱさ、と広げた。布の下は柔らかな草で、布一枚でも充分気持ちよく座る事が出来た。
「今日は、何ですか?」
 聖の問いに、リラはにっこりと笑いながらバスケットの中から弁当箱を取り出す。
「今日はホットサンドと、サラダと、スープ」
 リラはそう言いながら、紙に包まれた三角のものを四つと、丸い入れ物と、水筒とカップを二つ取り出した。カップには水筒からスープが注がれた。どろどろとしていない、コンソメスープだ。
「ちょっと、冷めちゃったかも」
 リラはそう言いながら、聖にカップを手渡した。聖はそれにちょこっとだけ口をつける。途端に、口一杯にコンソメの心地よい香りと味が広がる。
「美味しいです」
「良かった」
 ほっとして笑うリラに、聖ははっとしたように「あ」と呟く。
「頂きますという前に、口をつけてしまいましたね」
「あ、本当」
 二人は顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。ひとしきり笑い合うと、聖は「では」と改めて言い直す。
「頂きます」
「はい、どうぞ」
 聖は早速三角の包みを手に取った。……そして気付く。
(ホットサンドは、例の物が入っている食べ物じゃなかったですっけ?)
「どうしたの?聖」
「……いいえ!頂きます」
 小首を傾げるリラに、聖はホットサンドにかぷっとかぶりついた。すると、口の中にジューシーな汁が飛び散った。
「うっ」
 思わず、聖の目に涙が浮かぶ。
「リ、リラ。これって……トマトが……」
「え?……あ、ああ。それは私の分なのよ。ほら、ここに書いてあるでしょう?」
 聖は指摘され、包んであった紙を見つめる。確かに、端の方に小さく『リ』と書いてある。
「どうする?聖。……それ」
 悪戯っぽくリラが尋ねる。聖は本気で悩んだ。
 どうしても、トマトという食べ物を好きになれないのだ。だが、だからといって口をつけたものをどうこうしていい訳は無い。何せ、リラが聖のために作ってくれたのだから。
「……頂きます」
「どうぞ」
 本日三度目の「頂きます」を言うと、聖は涙目のままホットサンドを食べた。途中、何度もコンソメスープを飲みながら。
 そうして、ようやく食べ終えた頃には何故だか妙に疲れていた。
「聖、トマトまだ駄目?」
「……どうも、苦手なんですよね」
 聖はそう言いながら、思い返す。リラの持ってくる差し入れに、必ずトマトが混入されている事を。
 昨日は、サラダのドレッシングに混入。
 一昨日は、パエリアの具として混入。
 その前は、デザートのゼリーに混入。
 しかし、どれだけトマトを混入されたとしても、トマトの事を好きに離れないのだ。リラが作ってくれているから、食べるのであって。本来ならば絶対に口にしたくない食べ物なのだ。
(でも……今日は、そういう意図はなかったようですね)
 最近の連続を思い起こし、聖は今日もわざとトマトを混入したのかと危惧していた。だが、リラはちゃんとホットサンドを分けて作ってきていたではないか。今日のは自分の失敗によるものなのだから、リラもわざとではないだろう。
 そうこうしているうちに、ホットサンドとサラダ、そしてスープがなくなった。二人は同時に「ふー」と息をつく。
「……リラ、疑っていました。リラは、毎日わざとトマトを入れているのでは、と」
 聖はふと口に出す。ほんの少し体をびくりとさせつつ、リラは「え?」と聞き返した。
「でも、今日は僕が間違えただけですからね。すいません、疑ったりして」
「……ううん」
 リラは何故だか聖の方は見ずに、首を横に振った。そして、バスケットの中から何かを取り出した。薄紅色の、シフォンケーキだ。
「聖、デザート」
 リラはにっこりと笑い、聖にケーキを手渡した。
「綺麗ですね」
 聖もにっこりと笑い、それを受け取った。そして一口大にフォークで切り分け、口に入れた。
「……うっ」
「やっぱり分かるんだ……」
 涙目で唸る聖を見て、リラは溜息をついた。
「……やはり、わざとですか?リラ」
「……おかわり、あるよ」
 涙目のまま問う聖に、リラはにっこりと笑ってそう答えた。言葉のキャッチボールが、微妙に出来ていない瞬間だった。
「リラ……」
「聖にこうして差し入れをしていて、思ったの。差し入れを食べている聖を見て、思ったの。どうせなら、苦手なものは克服したらいいなって」
 リラはそう言いながら、薄紅色のシフォンケーキをつついた。自分でも口にし、何故ばれてしまったのだろう、と不思議そうに首を捻っている。
(そういうのは、嫌いな人ほど分かるんですよ)
 聖は苦笑しながらそう考え、だが口には出さなかった。
 リラが自分を心配し、差し入れをしてくれているのを知っているから。母のように、姉のように、自分を心配してくれているのが分かるから。
 それは神に祈りを捧げている時に宿る、胸のうちの暖かな熱によく似ている。
「生クリームつけたら、多少違うかな?」
 リラはじっとシフォンケーキを見つめ、次に聖を見た。
(仕方ないですね)
 聖は思わず苦笑する。トマトのシフォンケーキはぐっと来るものがあるが、それは悪意からではなく善意からきているから。
 何より、リラは聖の為にと作ってくれたのだ。
 トマトは嫌いでも、リラが作ったものが嫌いなわけではない。それは、絶対に。
 聖は再びシフォンケーキを口にする。心配そうに見てくるリラに、苦笑を交えながら口を開く。
「生クリームは、ない方がいいですね」
「……うん」
 聖の言葉に、嬉しそうにリラは笑った。自分の作ったものを、苦手なトマトの味がするものを、食べている聖を見て。
「いつか、美味しいって思うようになるかもよ」
 リラはそう言い、にっこりと笑った。
(それは絶対にないです。……ないです、けど)
 口の中一杯に広がるトマトの味に唸りながら、聖は否定した。だが、だからといってこうしてリラの作った差し入れを食べる事に、何の支障もないはずだ。
「う……」
 再び聖は唸り、それでも微笑んだ。
 目の前で慈愛の笑みを浮かべているリラを見て、相変わらず変わらぬ口の中とは裏腹に胸の奥が暖かくなるのを、確かに感じたのだ。
「明日は何がいいかな?」
「トマト以外でお願いします」
 頭の中で明日の差し入れを考え始めたリラに、ぼそりと聖は呟くのであった。

<赤の実は明日も使用予定・了>
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2005年04月27日

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