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『花詠−素娥、詠ヒシ日ハ小夜嵐− 』
高台寺・孔志2936)&槻島・綾(2226)


 ―身をわけて 見ぬこずゑなく 尽くさばや よろづの山の 花の盛りを
                              (西行法師)


□■


 素娥、詠ヒシ日ハ小夜嵐――鍔鳴リ其ノ花ヲ揺ラサヌ。
 ユラ、ユラ、ユラ。
 惑ヒ散ルハ誰(タレ)ゾ。嗤フハ誰ゾ。白刃ノ煌キ、露ノ御魂。
 素娥、詠ヒシ日ハ小夜嵐――泡沫ノ命散リ落サンヤ。
 ユラ、ユラ、ユラ。
 誘ハルルハ誰ゾ。願フハ誰ゾ。陽炎(カギロヒ)遐ク立チ、ハバキ血塗レヌ。


 素娥、詠ヒシ日ハ小夜嵐――名モ無キ命消ユル也。 
 素娥、詠ヒシ日ハ小夜嵐――ポツリ、ポツリト人ガ死ヌ。


 一(ひと)二(ふた)三(み)四(よ)
 五(いつ)六(むゆ)七(なな)八(やは)
 九(ここの)十(とを)なりけりや
 布瑠部(ふるべ)由良由良(ゆらゆら)止(と)布瑠部
 斯く為さば死人(まかれるひと)還らん
 布留部 由良由良止 布留部――


 疾風迸ル人世ノ、果敢ナキ薄紅ノ祈リ。
 汝ガ影、花惜月ニ散ルラン。
 イザ吾モ血途辿ラマジ修羅ノ道スヂ。覚悟ノ花手折リ、逝キテ還ラヌ。
 ソガ姿、清(サヤ)ケキ月に刻マレリ――。
 

□■


 一つとせ、一夜を望むには なほ短し 鞘ほどの時に 想ひ抱へて
 二つとせ、故里忘りよか 文は書けど 繰る言の葉無く 宛てなき風よ
 三つとせ、水面さざめく心胆の うつろゐて 小路に残りし 骸(むくろ)越へ往け
 四つとせ、寄る年月の麗 一枝の花 顰めし聲(こゑ)留め 吾慟哭せんや
 五つとせ、命預けし道行き 何処(いづく)にか 袂別ちや 儔(ともがら)絶へたり
 六つとせ、向かふ天紅(あまくれなゐ) 咲き染めし 鰾膠つ述べし宵の まことの先駆け
 七つとせ、泪橋ひとすぢ 別ちつつ 丁字(沈丁花)乱るるも 思ひ川匂ひけり
 八つとせ、闇に映ゑし月 送り火に 染まりてあはれなる 吾は菰角(こもづの)
 九つとせ、此の六合(くに)八百万 魂還し 地に降る綺(あや)よ しづかに果てよ
 十つとせ、とほく影も差さず ゆるやかに 相構へて省みぬ 辿り来し勾の吾途





“私は鬼になりたかった”


 何一つ選べなかった。否、屹度途(みち)は幾つもあったのだ――。

 刹那、はばきの音と同時に血飛沫が上がった。黒い霧となり霧散する。
 地を黝く這ふ血塊は主の疾うに絶へた今もなほ、触手を闇に伸ばしてゐる。
 その冷へた指に私はとらまった。
 ねつとりと絡みつく己の紅掌をじっと視る。
 血は私に滲み込んで、いつか私に成り変はるのだらうか。
 否、もう私は雑ざってゐるのか。

 月夜には桜。
 さくら、さくら、咲くや咲良。散るや咲良。
 音なく降りて寂し――羞ぢらふ をとめのやうで清し。


 素娥、詠ヒシ日ハ小夜嵐――名モ無キ命消ユル也。 
 素娥、詠ヒシ日ハ小夜嵐――ポツリ、ポツリト人ガ死ヌ。


『寒いのか。』
『いいえ、さうではありません。』
『震えてゐるが――。』
『是は血震いと云ふさうです。』
『然らば何ゆゑ涙を流す。』
『涙……左様ですか。ならば散り逝きし者の形見でせう。私のものではありませぬ。』
『あはれと思ふなら何ゆゑ斬るか。』
『判りません。』
『そなた剣に魅入られたか。』
『魅入られしは、持つる身か、逝く者か、私には判りませぬ。素娥……月だけが知るのでせう。』
『そなたは剣を捨てたいのではないか。』
『……剣に意思などないのです。剣はたゞ斬るのみ。考へたりはしません。』
『そなたは武士か、人斬りか。』
『……其れは――……』

 答へる事は難儀ではない。けれど、如何(どう)しても憚れた。
 思想だ志だと云ってはみても、人斬りは人斬りだとこんな月の夜は身に沁みるのだ。
 大切なものの為に、私が斬った肉は、骨は、矢張り多くの大切なものを抱へてゐたのだらうか。
 穢れなき魂は天へと、血濡れし魄は愛しき者の胸へと還っただらうか。
 月を凝視(み)てゐるこの眼玉が最期に視たものは何だらう。たゞそんな事ばかり考へてしまふのだ。
 
『そなた死にたいのか。』
『死にたい訳ではありませんが死を恐るる事もありません。』
『そなたは何ゆゑ生きるのだ。』
『私の剣が必要とされてゐる、其れだけの事です。誰(たれ)にも恨みはありません。』

 死にたい訳ではない。殺したい訳でもない。
 為すべき事が有るゆゑに人は生きるのだ。

 人は只、生き永らへる事が幸せなのではない――漠然とさう思ってゐた。

 桜よ、問ふてくれるな。剣に意思などないのだ。考へてしまっては息も出来ぬ。
 幾つもの紅に雑じって、いつか私も逝くのだらう。
 臨終に送り花。はかなひ夢よ、お還りなさい。来世は屹度幸あらんことを。
 嗚呼、小夜嵐が桜を散らす。


“私は鬼になってしまいたかった”





“風神でも自在天でも、修羅でも好いさ。俺は俺だ”


『誰(たれ)か。』
『俺だ。おまへ独りか? 話し聲が聞こへたが。』
『貴方でしたか。私の他には誰もゐません。桜がゐるばかりです――貴方こそ独りですか? 今日は非番でせう。悪所落ちではないのですか。』
『否、何。こんな月の晩に女でもあるまい。花見酒と思ってな。』
『異な事を。花を捨て、花見ですか。』
『花の盛りは短くて――だ。さァ、おまへも付き合へ。』
 まことに人生、刹那の夢。落つる花弁の美しさ哉。
 散るは花。散るは命。逝き過ぎぬあわやの幻影。
 月が照らせばしらじらと浮かぶ紅ゐ骨の尖(さき)。過ぎた少年の日を憶ふ。
『嵐のやうにしづかだ。』
『不思議ですね。同じ花弁に再び会ふ事はないのに、春になれば復、花は咲くのですから。』
『人は、忘れる事も忘れない事も出来る。けどな、もし忘れちまっても必ず思ひ出す。其れが本當に大切な思ひ出なら。』
『ならば……ならば私は、遠くいつの日にか今日といふ日を思ひ出すでせう。』

 言葉は要らなかった。
 其れは何よりも奇跡に思へた。

 嵐のやうにしづかに、私の胸に沸き起こる幾多の思ひを貴方は見ぬ振りをして、眸を閉ぢる。
 そんな貴方に気付かぬ振りをして、私も復、酔ひもせぬ酒に酔ふてやはらかに添ふ。
『何時か、私を「水のやうだ」と貴方は云ひました。今も……変はらずさう思ふでせうか。』
 水底には澱が溜まってゐる。少しづつ、少しづつ、其れは数を増していつか赤黒く濁るのではないか。
 浴びたいくつもの血煙が私の中にどろどろと溜まってゐる。
『人はどんなに姿が違っても変はったりはしないものさ。清らかなものは汚れが目立つ、其れだけの事だらう。』

 ――貴方は火のやうな人だから、凍へる事はないのだらうか。


 一(ひと)二(ふた)三(み)四(よ)
 五(いつ)六(むゆ)七(なな)八(やは)
 九(ここの)十(とを)なりけりや
 布瑠部(ふるべ)由良由良(ゆらゆら)止(と)布瑠部
 斯く為さば死人(まかれるひと)還らん
 布留部 由良由良止 布留部――

 
 さくら、さくら、咲く咲良。散る咲良。
 嵐のやうにしづかに、焔のやうに冷たく。
 花がふってくると思ふ。薄紅の。
 花がふってくると思ふ。胸を浸して。


“風神でも自在天でも修羅でも好いさ。俺は俺。おまへがおまへであるやうに”


□■


「へぇ、こりゃ見事なもんだ」
 春の陽気に、徒歩の疲労で汗ばんだ額を拭って高台寺・孔志(こうだいじ・たかし)は一人、感嘆の声を上げた。
 京都を訪れるのは今日が初めてではない。
 仕事を終え、慣れた足取りで京洛をゆく。
 とある神社――見事に咲き誇る桜の老木の前で足を止め、目を細めた。
「本日のお仕事は終〜了ぉ♪ こっからはアフターファイブっと」

 ぷしゅっ。

 途中寄ったコンビニで購入した缶ビールのプルタブを引くとグイと喉に流し込む。
 一人酒は侘しいものだが、悪いものでもない。
 ひらひらと舞う花弁に鼻歌を交じらせ、逝く春を惜しむ。
 のどかな春の時はゆるやかに過ぎていた。

 カシャ。

「ん?」
 突然の機械音に缶を咥えたままの孔志が顔を上げれば、果たしてそこに人影があった。
「驚かせてしまいましたか? 失礼しました」
 柔和な笑顔をたたえた槻島・綾(つきしま・あや)が不器用そうに頭を掻いて詫びる。
「桜の写真ですか。お気になさらず」
 風に踊る花弁を目で追った孔志は再び酒を煽った。
「桜吹雪……まるで嵐のように静かだ」
「不思議ですね。散ってしまった花弁に再び会う事はないのに、春になればまた、花は咲くのですから」
 独り言だっただろうか、綾の言葉に孔志は手を翳し空を仰いだ。
「飲む?」
「はい。頂戴します」
 それは桜が齎した邂逅だったろうか。
「数年前、宛ても無くふらりと旅に出てこの桜に出会いました。それ以来、こうして毎年訪れているのです」
 綾は愛しむように桜を見上げ、春の再会を味わっているようだ。
 どちらともなく、ふいにぽつりと口を開き、ただ静かに相槌をうつ。

 言葉は要らなかった。
 それは何よりも奇跡に思えた。

 互いに存在を意識せず、けれどそこに確かに在る事を知って微かに安堵を覚える。
 交わした言葉は数えきれる程だったろう。互いに名乗る事すら忘れていた。
 だが、何故かとても心地よかった。
 

 さくら、さくら、咲く咲良。散る咲良。
 嵐のように静かに、焔のように冷たく。
 花がふってくると思う。薄紅の。
 花がふってくると思う。胸を浸して。


 いつしか月が東に白く滲み、交々の時を緩める。
「じゃあ、な」
「ええ」
 たったそれだけの言葉を交わし、孔志と綾は別れた。
 まるで桜の見せたひと時の幻のように――





 数日後、『花工房Nouvelle Vague』――
「すみません、こちらの白い花を……」
「いらっしゃいませ。この白の花ですね……っと」
 立ち寄った花屋で顔を見合わせた二人は瞳を瞬いた。
「――また会えましたね」
「会えると思っていた」
 静かに笑った綾に孔志は悪戯っ子のように、にししと口端を上げた。


『人は、忘れる事も忘れない事も出来る。けどな、もし忘れちまっても必ず思ひ出す。其れが本當に大切な思ひ出なら。』
『ならば……ならば私は、遠くいつの日にか今日といふ日を思ひ出すでせう。』


 花が繰り返し咲くやうに、人も復、何度でも咲くのでせう――


【終】
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2005年04月26日

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