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『鶴川の春眠 』
葛城・伊織1779)&光月・羽澄(1282)


 嗚呼こんなのどかな日にも、自衛隊さんはお国を護るための訓練に勤しむか。かすかにかすかに、ヘリが空を裂いていく音が聞こえる。ウグイスが鳴き、ヒバリが太陽に吼えているのだとしても、人々を生かすために誰かがそこら中で働いている。しかし葛城伊織の鍼灸院の出入口には、『本日休業日』の札がかかっていた。もとよりさほど大きな鍼灸院でもなく、常連客は予約を入れてから訪れるのが常。伊織は、たまたま予約が一件も入っていなかったこの日を、目覚めた朝に、休業日と定めた。嗚呼、それに、小春日和の日曜であるから。
 伊織は羽澄を誘った。彼にとって彼女とは、自衛隊の守護よりも日々が有り続けるために必要な存在。ヘリのプロペラが切り裂く空から、ときに気まぐれに――ときに優雅に――舞い落ちてくる羽根そのものだ。あの声もあの目も、彼女は伊織に捧げてくれる。何人も侵しがたい領域を持ち、無闇に隙も見せない、18歳よりもはるかに大人びた彼女。
 光月羽澄――彼女は、常にうつくしい。笑顔も涙も何もかも、彼女は春よりすばらしい。
 ――俺には過ぎた女かな。
 日本人らしく、謙虚な考えも浮かべてみれば、
 ――あいつをあんなに幸せそうに笑わせられるやつは、俺しかいない。
 と、若者らしく自負することも珍しくはない伊織だった。
 誘ったとき、羽澄は、「伊織がケータイからケータイにかけてくるなんて」と笑っていた。
 そんな些細なことでも、彼女は笑う。彼女は気高いカラスアゲハではない。あっと言う間に視界から消えてしまう、小さなモンシロチョウなのだ。

「今日は偶然、予定がなかったの。店でぼうっとしてようかなって思ってたんだ。すぐ行くね」
「そうこなくちゃな」
「それで……どこで何するの?」
「俺んちでぼうっとしないか?」
「へっ?」
「ふたりでぼうっとしようや。たまにはいいだろ。おまえさんはいつだってセカセカ働いてんだし。それに、ひとりでぼうっとするより楽しいぞ」
「……なに、それ……。ま、いいわ。じゃ、あとでね」
「あ、待て、はず――」
 なにも土産はいらない、伊織はそう言おうとしたのだが、せっかちな羽澄は早々に電話を切ってしまっていた。かけた側が先に切るまで切るなよ、失礼だろうが――という文句は、喉の奥に引っかかった。そんな無礼は、相手が伊織だったからこそはたらいたのだ。彼は、そう考え直した。


 彼女は、鶴川で列車を降りた。
 すで都会の喧騒は遠い。
 春の香りが、彼女を導く。
 武相荘の桜が見える頃、彼女は微笑んだ。


 伊織がとっておきの玉露を用意しているところに、羽澄は到着した。彼女はしっかり土産を抱えている。それを見て、伊織は頭を抱えた。
 しかしその包みは、伊織がひいきにしている和菓子屋のものなのだ。
「みたらし団子と、期間限定さくら串団子よ。桜餅じゃ普通すぎるかな、って思って」
「あの店のものなら何だって来いだ」
「伊織、好きだもんねえ」
「しっかし、手土産なんかいらんって言おうとしたのに。茶請けくらいならあるし、いちいち土産やりとりするようなかしこまった間柄でもないだろが。それに、あの店のスタンプカード、あと1000円分でいっぱいになるところだったんだぞ」
「あら、レシートならちゃんともらってあるから……」
「いっちゃん重要なのはそこぢゃあねエだろう!」
「間柄のこと? 私たちって、どんな間柄?」
 袋から団子を出す手を止めて、羽澄はにっと笑い、首をかしげて伊織を見つめる。
 うっ、と伊織は言葉に詰まった。羽澄は試しているのだ。そして、猫のように楽しんでもいる。
「こ、」
 伊織は思わずつっかえた。
「恋人?」
 羽澄の表情がくるりと一変した。彼女は子供のように頬をふくらませて、ふたつの皿に均等に盛っていた串団子の数を、ひとつの皿にどっさりと片寄らせた。彼女は団子の数が多くなったほうの皿を手に取り、
「なんで疑問系なのよ」
 ずんずんとひとり縁側に向かう。
 あちゃあ、と伊織はまたしても頭を抱えた。
 やっちまった。


 しかし羽澄の転落しかけた機嫌は、串団子と玉露ですぐに元通りになった。伊織が淹れる緑茶はいつもにもまして旨かったし、期間限定団子の味も素晴らしいものであったから。――それに、縁側から望める武相荘の桜は、心が洗われるほどに美しく、のどかだった。
「うむう」
 茶を飲み干した伊織は、初老の男のようにそう呻くと、ごろりと横になった。頭は羽澄の膝の上だ。
「ち、ちょっと、どうしたの?」
「耳の中がガサゴソゆーのだ。耳かきなぞしてくれんかのう」
「そんな悪代官みたいな頼み方……」
「たのむ、たーのーむー」
「……わかったよ、もう。ちょっと、頭どけて。耳かき棒取ってく点」
「あなたがお探しの耳かき棒とはこういったものかしら?」
「なんで持ってるのよ!」
 伊織が懐から取り出だしたる鍼入れの中に、綿毛のついた定番の耳かき棒が入っていたのだ。羽澄はその定番耳かきの横に、こけし付きの耳かきが入っていたのもしっかり見た。
 伊織から耳かき棒を受け取った羽澄は、春の陽射しを頼りに、伊織の耳の中を掃除し始めた。

「おっ、おおー。いいな、上手いな、羽澄」
「そう? 人の耳掃除なんてそんなに経験ないんだけど。初めてだったりしてね」
「……なんか一気に不安になったぞ」
「嘘だと思うよ」
「何じゃそりゃ、全然安心できねエぞ!」
「動かないで!」
「耳元で怒鳴るな!」
「きみもひとの膝に唾を飛ばさないように!」
「すいません」
「よろしい。大人しくするのよ……」
「……」
「……」
「……」
「……伊織」
「ん?」
「おとといね、同い年の男子に告白されたの」
「なに!」
「あっ、だから動かないでよ! あぶない!」
「いきなりそんな激白するからだろ、普通驚くぞ」
「大丈夫、ちゃんと丁重にお断りしたよ」
「そうか」
「お店の常連さんにも告られたよ、33歳の。それはホワイトデーのことなんだけど」
「お返しついでの告白か?」
「……今年のバレンタイン、義理チョコ配る余裕なかったこと、忘れた?」
「……あ……。そうだったな、それどころじゃなかったな。……でもおまえ、モテるからなあ。アイドルは、違うよなあ」
「アイドルって……Lirvaはアイドルじゃないし、それに……プロフもシークレットなんだよ?」
「いんや……おまえはアイドルだよ」
「ああ、動かないでったら」
「んー、うー、あああー、そこだっ! いまのところだっ! ああっ! あっ! もっと激しく! あぁー!」
「……やらしい……」

 羽澄は、ぴくりとかたちのいい眉を寄せた。伊織の鼓膜のすぐ近くに、固い耳垢があるようなのだ。まるで中耳炎になったときの耳だれがそのまま固まったもののようで、耳壁にしっかり張り付いている。
「もう……不潔なんだから……」
 とは言うものの、自分で耳掃除をするときは、こんな奥まで耳かき棒を突っ込めまい。無理に取ればきっと痛いだろう、と羽澄は銀髪をかき上げて、顔を出来るだけ現場に近づけた。
 バラバラと、かすかなかすかな音がする。それは、空を裂くヘリの音。鳥の声も風の音も、いまの伊織には聞こえない。
 指先の戦いはしばらく続いた。羽澄は時を忘れていたが、膝の上の温もりはついぞ忘れることがない。伊織は運良く、静かだった。ここでむやみに話しかけて、また体勢でも変えられたら厄介だ――羽澄はずっと黙って、たった一人で戦い続けた。
「……やった!」
 ようやく耳垢に勝利して、羽澄は思わず歓声を上げた。最後の一撃は思いきって力を入れてみたのだが、伊織は呻き声ひとつ上げなかった。取れた耳垢を懐紙に落として、羽澄は膝の上のひとに声をかける。
「伊織! こっちの耳はもうきれいに――」
 掃除が終わったことと、取りにくい耳垢があって困ったことを報告しようとした羽澄は、そこでむっと顔をしかめた。先ほどのように、ぷうと頬をふくらませもした。
 伊織は、夢の中だった。
「ひとがこんなに苦労したのに、もう!」
 ひゅう、と羽澄は怒りの鉄拳を振り上げたが――無邪気で呑気な伊織の寝顔に、刹那、心を奪われた。
「……」
 風と桜の音が、寝息すらかき消す。
 羽澄は言葉を失って、手をゆっくりと下ろした。
 ――まあ……いっか。
 彼女は伊織の髪を撫でて、目を閉じた。
 ――その寝顔で、勘弁するわ。
 目を閉じてみれば、彼女には見えるものがあった。それは、ああ、風と香りにつつまれた春の日だ。今日のすべてがゆっくりと流れていく。いつまでも昼下がりの陽射しがこの縁側に注げばいい。世界中で、この縁側だけに降り注いでしまえばいい。それが叶えば、目を閉じていても、夢の中に意識がさらわれてしまっても、ふたりは春を見ることが出来る。
 ――ねえ、こんな春が毎日毎日続いてみるのも素敵だと思わない? どきどきわくわくする冒険が恋しくなるまで、ずっとずっとここにいるの。たったふたりで。もし……もしもよ、春に飽きちゃったら、ふたりで夏を見に行くの。

 伊織は夢の中で、桜の海に沈みながら、手を差し伸べてくる羽澄を見た。羽澄はあの、試すような、楽しんでいるような、悪戯っぽい微笑で見つめてきているのだ。
 ――キスする前に目ェ覚ましてらア、うちのお姫さんは。
 不意に彼女は口を開いた。
 桜に濡れた歌姫の口から流れ出るのは、うつくしい春の声だった。
 ――ああ、いい声だ、これに勝るもんなんか何にもねエよ。ずっとずっと聴いていたい。飽きることなんて有り得ない。羽澄が歌う歌は、そのとき1回限りのもんだ。春の歌をすっとずっと歌い続けてたつもりでも、いつの間にかそいつは、夏の歌になってるんだよ。それが俺たちだ。だろ? お姫さん。


 ふとふたりは、目を開ける。
 遠くにあったはずの春の鳥の鳴き声が、すぐそばで上がった気がしたのである。
 しばし閉ざされていたまぶたを開ければ、さくら色の光がふたりの視界を蹂躙した。
 ウグイスが、鳴いた……。




<了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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2005年04月25日

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