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『Sweet Day, Some Bitter Kiss 』
杜部・叉李2257)&高遠・紗弓(0187)

『さゆみです 明日御会い出来る時間有りますか?』
『OK! 6時以降なら平気。また駅前でいい? サイ』
『有難う 部屋まで生きます』



「へえ……?」
 返信を見た俺はちょっとビミョーな表情だったんじゃないかと思う。
 彼女が俺の部屋に来るのははじめてじゃない……どころか、はじめた会った日の夜に、彼女がここに泊ることになった(ホントに泊っていっただけだけど)のがそもそもの始まりなのだから。
 でもそれ以降は、どこかで待ち合わせして外で会うばかりだったから、これはいささか意外な展開と言えた。まして――
 「14日」の下に、小さく「St Valentine's Day」などと印刷してあるのを見て、お節介なカレンダーだと思っていたけれど。
 これは新たなステージへの到達を意味するフラグなんだろうか。
(ひとつき……)
 そう。
 “約束”のひと月は、いつのまにか過ぎていた。
 あ、そういえばもう1ヵ月過ぎてるじゃん、と気づいたのは、「ひと月め」から数えて5日後くらいのことで、その時点で2日後に会う約束をしていた。その前にあったのは「ひと月め」にあたる日の3日くらい前だったと思うけど、ふたりとも、いつもと変わることはなかったと思う。
 約束のひと月、といっても、人質はとっくに返してしまっていたのだし。
 彼女は約束通りデートの誘いを、物理的な都合以外で断ることはなかった。それはひと月が過ぎてからも、だ。
 忘れているんだろうか……? しかし、そうは思えなかった。
 そして、今日になって届いた、2月14日に会いたいというメール。いつまで経っても上達しないメールだったが(なんだよ、「生きます」って!)、そんなことはどうだっていい。
 あえて2月14日だ。
 いや、それとも……、それはただの偶然だろうか。それはそれで、ありえることのような気がする。彼女なら、しれっと。
「らしくねーな」
 ふっ、と笑みを漏らした。
 考えたってしょうがないじゃないか。
 簡単なことだ。
 約束のひと月は過ぎた。
 確かめるんだ。
 ダメだったら、すぐ次へと方向転換すればいいだけのこと。
 今まで俺は、ずっとそうしてきたハズだろ?


 
 なかなかいい出来だと思っていた。
(これなら――)
 と、考えて、私は自分の思考につまずく。
 これなら……何だというのだろう。私は何を――望んでいるの……?
 いつだって、私は、なにかをわかったような気になって、本当にはわかっていない。わかり合えたような、伝えられたような気になるけれど、実はそうでないことが多い。
 彼は、そんな私の、私自身でさえわかっていない、あいまいな部分を、さっとすくいとってくれる人だと思っていた。
 ほら、これだろ?って――、無造作に、彼が掴んでくれたものを見て、私はそう、そうだったの、と、笑うことができた。ああ、私はこんなことを考えていて、こんなことを言いたかったんだ、って、そのときわかる。
 それは、とても新鮮な経験だったし、心地よい時間だった。
 私はたぶん、同じことを写真にももとめていて、だからこれを仕事にできたのだと思う。
 言葉にならないこと、うまく指し示せないことも、ファインダーで切り取ることならできる。こうだ、ってはっきり伝えられなかったことを、写真に現像してしまえば、誰かに伝えることができたから。
(でも……)
 でも、もしかすると、それは、私の勘違いだったんだろうか。
 そう思うのは、とてもこわいことだった。
 よって立っていたものが崩れていくような、こわさ。
 私は今まで何を見て、何を聞いて、何を感じていたんだろう、って。
 チョコレートケーキはいい出来だったと思う。
 それはもう、一生懸命、つくったんだもの。
 レシピを集めるところからして、ずいぶん悩んだし、材料もこだわったつもり。
 ひとりでも食べ切れるように、15センチくらいのちいさめのホール。アクセントの、ヒイラギの実のかたちの砂糖菓子は、なんだかバレンタインというよりクリスマスっぽくなっちゃったけど、かわいいと思う。
 私は上機嫌で、当日のアポイントをとりつけて、彼の部屋へと出掛けた。
 この部屋に来るのは久しぶり。
 はじめてこの部屋に来たのはいつだったっけ。なんだか、とても遠い昔のような気もするし、つい昨日の出来事だったようにも思える。
 箱を開けて、見せたときの、彼の表情は……、一瞬、あっけにとられたような様子を見せて、すぐに破顔する。照れ笑いのようでいて、でもそれはどこか、苦笑いのような笑みだった。 
「驚いたよ。いや……たしかにバレンタインなんだけど、さ――」
 彼は言った。
「で――?」
 そして、こう訊ねてきたのだ。

「これは本命なの? それとも義理?」



 俺なりにストレートに向き直ったつもりだったわけだが、これが地雷だったらしい。
 紗弓さんの顔が一瞬で凍りついた。
「…………」
 沈黙。
 これって、マズイんじゃないの?
「帰ります」
 それだけ言うと、彼女はさっと立ち上がった。
「待てよ!」



 言葉ではうまく形にできないけれど、私が見たもの、感じたものを、あのとき確かに、シャッターに収めることができたと……
 そう思ったのは、私の思い込みだったんだろうか。
(俺と付き合ってみない?)
(怒ってない人は、ココがこんなに強ばったりしないよ)
(お願いきいて、ひとつだけ。そしたら、この右手が開く)
 不思議な人だと思ったけれど。
 最初は、信じられないようなコトから始まったけれど。
 でも私をわかってくれる、って――

■□

 叉李の手が、紗弓の細い手首を掴んだ。
 ほっそりした腕だ。箸づかいも不器用なのに、しかしプロ仕様のごついカメラを構えれば、ブレなくぴたりとピントを合わせることができる腕。そしてそこに巻かれた、“人質”だった腕時計――。
「待てってば」
「離してください」
「ごめん。謝るよ。いけないことを言ったなら」
「そんなこと……」
「そんなことある。そう言ってるだろ、紗弓サンの顔が」
「…………」
「とにかく坐って。ね?」
「…………どうして」
 赤い瞳の、視線が交錯する。
「どうして、そんなこと、訊くの」
 消え入るような声だった。
「え?」
「……ケーキ」
「あー……本命か、義理か、って?」
 無言で頷く。
「だって……」
 言いかけて、言葉につまる。叉李にしては珍しい挙動だ。がしがしと、頭を掻いた。
「だって言ってくれなきゃ――」
 ふてくされた子どものように、彼は言った。
「わかんないよ?」
「…………やっぱり帰ります」
「待った!」
 ぐい、と手を引く。
「あ――」
 バランスを崩した紗弓の身体が傾いだ。

□■

 まるで、ソファーに押し倒したような格好になる。
「ちょ、ちょっと――」
 紗弓の頬が見る間に紅潮する。
「紗弓サン」
「あ、あの……私っ」
「お願いだよ」
 その声にこもった力に、彼女はそらしかけた目を、はっと見開いて、引き戻した。
 叉李の真剣な顔があった。
「……聞きたいんだ。紗弓サンの言葉で」
「…………」

 そのまま、静止したような時間が流れた。
 だが、ふいに、紗弓の表情がふっとゆるむ。まるで緊張に耐え切れなくなったように、笑みさえ浮かべて。

「私も……最初はそう思ってました」
「え?」
「きちんと言葉にしてほしい、って」

 そして、紗弓は、ささやくように言うのだ。


「あらためて。私と……つきあってほしいです」


「ちゃんと言ってくれなきゃワカラナイよ」
 責めるように、あるいは愛撫するように、叉李は言った。
 紗弓は、目を閉じる。
 そして、叉李の唇が、紗弓のそれにふわりと重なった。

 チョコレートはいつだって甘く、すこしだけ苦いもの。
 ある年のバレンタインデイの、出来事である。

(了)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年04月25日

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