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『あちこちどーちゅーき Oldmans Nature 』
桐苑・敦己2611


「……本当に山の中だな」
 桐苑は溜息混じりに呟いた。そして、内心で国道から逸れてこの道へ入ったのは間違いだったかも知れないと思い始めた。
 彼はこの道を知っているわけではない。ただ、そろそろ埼玉県の西端だろうと、何となく感じているだけだった。
空は晴れて、太陽が輝いている。少し強い初春らしい風が、微かに汗ばむ肌を撫でていく。
絶好の旅日和だ。桐苑がそう思った瞬間。静かな谷間に無機質な小さな唸りが聞こえた。
「工場でもあるのかな」
 桐苑は少しだけ眉を潜めた。山の中とは言っても鉱山や採掘場などが設置されている事は多い。
 唸りは更に大きくなっていた。それこそ、山を揺るがすほどに。
「……エンジン?」
 エンジンの咆哮。陳腐だがそんな表現がぴったりだろう。ピストンエンジンの咳き込むような唸りが山中に響いている。そして、桐苑は渓流の対岸に集落のようなものを見つけた。山の斜面に身を寄せ合うようにしていくつもの建物が並んでいる。
 やかましいエンジン音は、どうやらここから発せられているらしい。


 桐苑は簡素な橋を渡り、集落の中へと足を踏み入れた。そこは既に完全な廃墟だった。ここはどうやら鉱山だったようだ。
 人が離れてずいぶん経つようだが、大勢の人間が暮らした気配を色濃く残す廃墟は、どこか不気味な空気をあたりに漂わせていた。
 エンジン音は既に止んでいた。風が廃墟を吹きぬけ、低く唸る。まだ日も高く、空気は春の陽気で暖かいはずなのに、どこか寒々しく感じられた。
「……だれかいますかぁ?」
 桐苑は遠慮気味に声を出す。
 返事はない。
 返事のないことが更に言い知れない恐怖を募らせる。もちろん無人であるはずがない。
――もしかすると、暴走族とか地元のヤクザが屯しているのかも知れない――
 桐苑はふとそんなことを思った。旅をする上で廃墟や廃屋を宿にすることもあるが、人が近づかないのを良いことに、そういう、あまり関わり合いたくないような連中が屯している事もままある。
 一応、護身術に自信はあるが、進んで荒事に首を突っ込もうとは思わなかった。
――もう少し探ってみて、何も無いようなら引き返そう。もちろん、ヤバそうな人たちがいた時も……――
 桐苑はそう心に決めた。その瞬間だった。
「なんじゃ、お前さんは……」
 老人の声だ。桐苑は正直、しまった、と思った。危ない人たちではありませんように、そんな事を祈りながらゆっくりと振り返る。
 彼の背後に立っていたのは、薄汚れたツナギを着た。少し気難しそうに見える小柄な老人だった。老人の顔と言わず手と言わず、全身機械油で真っ黒に汚れていた。
 先のエンジン音は、この老人が原因だろう。
「……なんじゃね、お前さんは」
 老人は繰り返した。そして、ようやく思い出したように桐苑は軽く頭を下げた。
「えっと、桐苑敦己と言います……さっき、道を歩いてたら、凄い音がしたので……」
 桐苑の自己紹介に答えるでもなく、老人は軽く頷くとゆっくりと口を開いた。
「そうかい……まぁ、いいじゃろ」
 一人で納得したような老人に、桐苑は慌てて問い返す。
「あのっ、何がいいんですか? もしお邪魔でしたら、すぐにでも出て行きますけど……」
 桐苑の言葉に、老人は小さく笑って首を振るう。
「それには及ばんよ。ただ、お前さんには、証人になってもらいたいんじゃ……」
「証人、ですか?」
 問い返す桐苑に、老人はゆっくりと頷く。
「そうじゃ、わしの青春の証人になって欲しいんじゃ」
 老人はそう言うと、背を向けて歩き出す。そして、桐苑についてくるようにと背を向けたまま手招きをした。
 桐苑は老人の後についていく。廃墟を抜けて、採掘坑へと進む。申し訳程度の灯りが付いているとはいえ、廃坑の奥へ進むのはどうにも気分が悪かった。
 どこまで進むのか、と問いかけようとしたとき、老人は不意に脚を止めた。
「……ちょっと待っておくれ」
 そう言うと老人は弱々しい明かりの輪から出て行ってしまう。一応気配は残っているが、桐苑は闇の中に取り残された気分だった。
 老人が何かしているのだろうか、微かな音が幾重にも反響している。かなり広い空間らしい。どこかで微かなエンジン音が響き、不意に辺りが明るくなる。どうやら発電機を作動させたらしい。
 たいした光量ではなかったが、暗闇に慣れた目には堪えた。桐苑は顔を微かにしかめて明るさに慣れようとした。そして、目が慣れた時、今度は目を疑った。
 目の前にあったのは、巨大な翼だった。いや、翼と認識する事にも時間がかかった。ただ、酷く大きな鉄板とその先に巨大なプロペラが三つ並んでいるのが見えたから翼と思ったのだ。
「これはな、富嶽、と言うんじゃ……見つけたときは、部品だけで、ほとんどバラバラじゃった……」
 いつの間にか桐苑の傍に戻った老人が言う。
「フガク、ですか……」
「これはな、戦時中にわしが創った爆撃機じゃ……もう見ることもないと思ったんじゃが、この廃坑に隠してあったのをみつけてな……」
 桐苑は何の事だかさっぱりわからなかった。戦時中の爆撃機といえば教科書にあったB29ぐらいしか知らない。そんな桐苑をよそに老人は続ける。
「これはわしの青春じゃ……所詮人を殺す為の飛行機じゃが、わしが技術者としてはじめて関わった飛行機じゃ……結局完成させる事は出来んかったが、こいつのおかげで、わしは技術者としてやっていく自信ができたんじゃ……だから、せめてもの恩返しに、どうしてもこいつを飛ばしてやりたくなったんじゃ……」
 老人はまるで、初恋の女性に再会したように巨大な翼を見上げていた。そして、ゆっくりと桐苑へ振り向く。
「お前さんはなにもしなくて良い。ただ、外でわしと富嶽が飛ぶのを見てくれ……お前さんがさっき聞いたのは、こいつの試運転の音じゃ。わしももう長くはない……死にぞこないの、最期のわがまま、聞いてはくれんじゃろうか?」
 老人は縋りつくような目で桐苑を見ていた。相変わらず、よくわからなかったが、老人の視線に桐苑は屈した。
「はい……わかりました」


 あたりは先ほどから、爆音に包まれていた。鳥たちが何事かと、慌てたようにあちこちを飛び回っている。
 桐苑は廃鉱の外でその瞬間を待っていた。エンジン音がどんどん高まっていく。そして、それにつれて、あの老人にどうにか成功して欲しいとも思った。
 どんな経緯があったのか推し量る事はできないが、あの飛行機は老人にとって本当に大事なものなのだろう。それだけは理解する事が出来た。
廃坑から白い煙が立ち昇り、山全体を揺るがす大きな爆発音がした。
失敗した。桐苑が直感的に思った、その時。集落のある山から、銀色に輝く巨大な飛行機が姿を現した。
山に生える木々を吹き飛ばし、轟々と空気を震わせながら優雅にそして、堂々と桐苑の前に現れたのだ。
「…………」
 桐苑は言葉もなく自分の頭上を通り過ぎる機体を目で追った。飛行機の出てきた山肌はぽっかりと長方形の穴が開いている。感動する余裕はなかった。ただ、驚くばかりだった。エンジン音は遠ざかりつつある。
桐苑は遠ざかるエンジン音の中に、あの老人が歓喜の雄叫びを上げているのを聞いた気がした。やがてエンジン音は遠のき、山は普段の静けさを取り戻した。
だが、桐苑はまだあのエンジン音が響いているようで、あの老人の歓喜の声が聞こえるようでならなかった。

 了
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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東京怪談
2005年04月25日

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