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『 あちこちどーちゅーき  〜鳥居の影が伸びる頃 』
桐苑・敦己2611



 昼下がり、人家から少し離れた山のなか。
 石積みの長い階段を上りきると、鳥居があった。
 敦己はそこで立ち止まり、しばし佇む。
 「この鳥居をくぐっちゃならねえ」
 そう村のひとに言われていたから――だが。
 「ボク、どうしたの?」
 問いかけながら鳥居をくぐる。
 目の前に、石畳に、ひとりの少年がうずくまっていたのである。
 打ち捨てられた木造の社は朽ち果て、境内は周囲の林が鬱蒼としているために、全体的に薄暗い。社に導く石畳も、その敷かれた隙間から雑草が生え、石のおもても苔むして黒ずんでいる。砂利もまばらな土の地面も草が伸びるにまかせてあった。
 こんなところで、よく遊ぶなあ。そう思いながらも声をかける。
 「ねえ、ボク。何をしてるの?」
 しゃがみ、四つん這いにうずくまる少年の顔をのぞく。
 だが、顔を背けて視線を合わせてくれなかった。ねえ、ともう一度声をかけると、今度はすこし嬉しそうな声を出して答えてくれた。
 「ボク、影踏みしてたの」

 「影踏み? ひとりでしてたの?」
 言ってから、いけないことを訊いてしまった、そう気がついた。影踏みはひとりでやる遊びじゃあない。この子は――小学校中学年か、それ以下だろうが――一緒に遊ぶ友だちがいないのだろう。
 まいったな、と頭を掻いた。良心が胸の奥を締めつける。切なくなる。
 嫌われたのか、少年はさっきよりもさらに首をそっぽに回し、目を合わせようとしてくれなかった。
 沈黙にこらえ切れず、敦己はさらに声をかけた。
 「じゃあ、お兄ちゃんと遊ぼうか? 影踏み。俺も好きなんだ」
 にはっ、と笑顔で微笑みかけると、少年が振り向いた。
 「ほんと?」
 満面の笑顔を浮かべる男の子の顔はまあるい。だが見開いた目のあたりがが真っ黒だった。白目がない。まったくない。黒目がちの可愛らしい、とはまったく違う。まぶたの奥にあるはずの目玉がない。あるのは、ただ暗闇に誘う黒い穴だ。生き生きとした、生々しい少年の皮はそれでも紅潮する。眼窩の奥から言葉が漏れた。「ねえ、遊ぼうよ」
 ニタリと笑う。口にも歯がない、舌さえない。だが言葉を発する。それはきっと魂の渇望だ。頭蓋の声が言い切らぬうちに口からはもう、「影踏みしようよ」そう言っていた。

 「ねえ」
 そう言って手を伸ばす。腕に触れた。ぺたり。小さな手が手首をつかむ。冷たい両手ですがるように、抱くようにつかんでくる。こごえるほどに冷たいが、まるでこちらの腕が溶かされるような感覚。右腕がくるまれて、溶かされて、肉の汁ごと血も吸われ、肩からちぎって持っていかれる――
 悲鳴をあげた。振り払う。尻餅ついてあとずさる。だが動かない。腰が抜けたわけではない。動けないのだ。地面についた足が、尻が、左手が。くっついたように地面から動かない。「影踏みだから」
 少年がそう言った。嬉しそうにそう言った。立ち上がり、敦己の胸をドンと押した。仰向けに倒れてしまう。
 「今度は、お兄ちゃんが鬼だからね」
 少年はとてとてと境内を駆け回る。夕暮れの、影の伸びた木々たちや灯籠や狛犬たちの影を踏まぬように、その影に自分の影を入れないように立ち回る。ひとりで遊ぶ影踏みを敦己は知った。
 だが、自身はちっとも動けない。四肢と尻を地面につけて、上半身がすこしばかり身じろぎする。それだけだった。
 動けない。それがとても恐ろしい。悪夢から目が覚めないときに似ている。逃げられない。首根っこを掴まれて、後頭部、首の髄から脳にある魂を掴まれきっている感覚。叫ぼうとしても、なぜだか、つぶやくほどしか声が出ない。まるで喉の奥に舌が張り付いてしまったようだ。身体の部位を繋ぐ線が、どうしようもなく萎縮しきっているようだった。
 暮れなずむ夕陽。それを見てると気持ちがどんどん萎縮する。弱気になる。夜が近づく。夜は、物の怪たちの時間なのだ。

 やがて。
 「じゃあ。ボク、もう帰るね」
 向こうの山に日が沈もうという頃に、少年が鳥居に向かって駆け出した。
 「ありがとう。お兄ちゃん」
 あ、と声をあげる間もなく、少年は鳥居をくぐり、階段の下に姿を消した。その消え方が、まるで転落するかのような姿勢なので驚いた。
 「……あの子、なんだったんだろう? 遊びたいだけの幽霊、かな?」
 それなら、と眉をひそめる。
 「この金縛り、解いていってくれてもいいのに。せっかく遊んであげたのに。まあ、動けないから見ているだけしかできなかったけど」
 と、そのとき不意に気がついた。鳥居を見ていて気がついたのだ。
 「影が、伸びてる……!」
 鳥居の影が伸びている。その枠が敦己を取り囲むまで伸びきっている。そして鳥居の影を満たすような、のっぺりとした影が膨らんでいる。膨らみながら伸びていた。
 「向かいの山の? いや、向かい山の影が、ここまで届くはずがない!」
 だが、敦己はその大きな影のなかにいた。それに気づいた。薄暗い境内のなかにいたから気がつかなかった。大きな影に、鳥居のふところから伸びる影に、ずっと敦己は囚われていた。
 「鳥居は、神さまがくぐる門だと言われている」
 ふと少年の声が耳に響く。
 「今度は、お兄ちゃんが鬼だからね」
 「お兄ちゃんが、今度は鬼だよ」
 「鬼はお兄ちゃんだから」
 そうだ。
 俺が鬼だ。鬼は俺だ。
 そう思い始めると全身から汗が吹いた。
 「鬼だから、神さまに影を踏まれて捕まったんだ」
 そのとき、びううと風が吹いた。霊的な風である。
 霊的な何かがうごめき、大気の霊気が揺らいだのだ。
 「何が、動いた」
 浅い呼吸のなかでつぶやく。だが直感ではもう分かっていた。
 首筋をさする大きな指に分かっていた。腹を押す手のひらに気づいていた。
 目に見えぬ、巨大な手が鳥居の奥から伸びているのだ。それにつかまれようとしているのだ。夜になり、彼らの時間がやってきたのだ。影だけでなく、霊体も出てこれる夜だから。
 「鬼だから、俺は神さまにさらわれるのか。懲らしめられてしまうのか」

 そう観念してると、その手はそのまま去ってしまった。
 どうして? と疑問をもちつつ、安堵の息を長く吐いた。
 身体も動くようになっていた。背を丸めて頭をたれて、へたりこんだ。
 だがすぐに立ち、鳥居をくぐって階段を下り始める。脇目も振らず、一心不乱に下りて行く。途中であの少年に会ったりしたら嫌だから、階段の茂みにも、背後にも首を振らない。一目散に駆け下りた。
 はたして、敦己は一番近い民家まで辿り着く。
 そこに暮らす老夫婦に事の顛末を話すと、まずは翁が口を開いた。
 「昔、このあたりには人さらいの山賊どもがおってなあ。あすこの社は親無しの子供たちを引き取って育ててたんじゃが。山賊どもに襲われてな。坊さんたちはみな殺されて。子どもたちもみな殺されるか、さらわれてしもうたらしい。ぬしの見なさった子どもは、殺された子どもじゃろう」
 「人さらいにあわないように」と老婆が続ける。「坊さんは子どもたちに影踏み遊びを教えたそうじゃ。影を踏まれんように逃げるんだと。そうすれば逃げ切れると。じゃが、逃げられんかったんじゃろな。逃げようとして、階段から足を滑らし、死んじまったんじゃろうなあ。ぬしさんが見たんはきっと、山の神さんが遊び足りないその子の相手をしていたところじゃ」
 そうじゃない。と敦己は思った。
 「遊び相手が欲しいなら、どうして俺を動けなくするんでしょう。ひとりより、一緒に境内を駆け回って遊んだほうが楽しいに決まっています。あの子は、神さまじゃない、鬼に囚われていたのでないでしょうか」
 ふと脳裏に浮かぶ。
 「山賊は、あの子と一緒に転落した。子どもは影を踏まれて、逃げて、逃げて。賊は少年の影を追って、追って。追いかけて。それで二人、まろぶように影を重ねて階段からころげ落ちた。そしてあの世に行ってしまった」
 じゃから、と翁が言った。
 「神さんが、あの子を表に出してくれたんじゃろ? 遊び足らん子どもじゃて。神さんも出してやりたくなったんじゃ。鳥居の向こう、神鬼の国から出してやった」
 「けど、表に出ても山賊に影を踏まれたままだったんです。あの世でも、あの子はいまだ人さらいに、その幽鬼にさらわれたままなんです。表に出ても、あの子には自由がなかった」
 はたと気づいた。
 「だからあの子はうずくまったままだったんです。俺は、きっとあの子のかわりに影を踏まれてやったんです。影踏む鬼から自由になって、あの子はほんとうに楽しそうに走り回って。ほんとうにはしゃいでて」
 なんだか涙がにじんでしまう。だが目に浮かぶ。虚ろな闇の塊が、幼児の皮を被ってはしゃぐ。目と口の穴から覗ける、暗黒の奴の正体。首筋に、ぺたり。とても小さな冷たい手のひらを実感した。ビクリとした。老婆が背中をさすってくれただけだった。
 「ぬしは、ほんとによいことをなさったのう」
 だが思う。あれが地獄の餓鬼でないと、どうして言える?
 「でも」と思いなおして、こわばった顔をゆるめる。
 去りぎわに、『ありがとう』 そう告げた声はひどく嬉しそうだった。純粋な、無垢な魂の声に思えた。だから。
 「そうですね。良いことを、したんだと思います」
  あの声が子どものものか、餓鬼のものか。山賊のか、神さまのか。どうでも良くなってきてしまった。『ありがとう』  その声を思い出してしまったから。思いだしたら、身体ごと影を踏まれて動けなかった怖さも忘れた。あっさりと。さっぱりと嬉しい気持ちになってしまった。だから。にはっと笑う。明日は、どこへ行こうかな?

翌朝、敦己は老夫婦の家を後にする。一宿一飯の礼を言う、その声がすこしぶれた。ギョッとして口を押さえた。そこに、少年の声が乗ってしまっていたからだった。
「『ありがとう』……ございました……」


 了
PCシチュエーションノベル(シングル) -
秋月 淳 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月22日

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