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『暁はいらない 』
葛城・夜都3183


 父が囁いている。腹が減った、と囁いている。
 私は日頃の父の守護に、礼を尽くさねばならぬ。しかし、私が身をひそめるに足る闇は、都から――いまは、東京、と云うらしい――なくなりかけている。あの頃の静けさは、人間たちが忘れてしまったのだろう。
 人間たちは日ごと祭りに興じているのだ。彼らは闇を知らぬ――垣間見ることはあっても、決して、知らぬ。かのものたちは、光の中を生きている。私とは、定義そのものがちがうのだろう。
 ……嗚呼、父が急き立てる。喰わせろと……私を駆り立てる。
 私は『銀火』と云う名の符を懐にさし、『白眉』と云う名の刃をあらため、立ち上がった。私が居るのは、かろうじて残っている都の闇。……私は、ここから、出ることはかなわぬ。私は光には成れない。たとえこの身体に、光の血が五分ばかり流れているのだとしても。


 じわりと視界でにじむ赤は、狩るべきものの血。手負いの妖魔が近くに潜んでいるようだった。手負いの獣よりも厄介だが――まだ息があるのなら、尚のこと見過ごすわけにはいくまい。私は、しるべを辿り歩いた。黒装束が音をたてる――ビルヂングの合間をすり抜けていく風が、私の黒衣を撫ぜているのだ。
「もはやこれまでか」
「……これまでです」
 鬱々とした声に、私は応える。私の声もまた、負けず劣らず陰惨なものであろう。
 それは頭が猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇の、鵺と呼ばれしもの。まだ、日本の闇の中に息づいていたか。古き妖魔だ。老いた鵺は、前脚を引きずり、脇腹から血を垂れ流しながら、ゴミ集積所の陰から現れた。
 もう、その身体にはいくばくの力も残っていないのか――かれは、殺意も闘志も見せぬ。ともすれば、私の『白眉』の前に、すすんで首を差し出すやもしれぬ。――そう思えてしまうほどに、鵺は憔悴していた。しかし、私が近づくと、鵺は目を見張り、それから唐突に笑い出した。
「なんと、これは! おぬしは、あの狼の小倅か」
 私は虚を突かれて立ち止まった。問いかけもしていた。
「父をご存知でしたか」
「知っているとも、少なくとも、儂はな」
 鵺は口元から血を流しながら言う。
「あれは戦乱の世であったか、太平の頃か、まあ……どちらでもよい。魔狼とは、ともに人間の血をすすり、骨を舐め、肉を喰ろうたものだった。すこうし前に、戯れにひとの女を孕ませたと聞いた。この日の本は、まこと狭いもの――まこと、世のさだめは無常なるかな。伴の小倅に狩り殺されるか。長く生きるものではない」
「……」
「おう、――隙、有り」
 ぬかった!
 物語に気を取られた。私ともあろうものが。
 それとも、我が腕の技に自惚れていたか。いつもは隙など見せぬ私が、今宵に限って――白状しよう――思わず気を抜いていた。私に常に囁きかける父の、鵺は伴だというのだから。
 鵺は跳躍し、血の雨を私に浴びせかけ、……私を越えて、背をとろうとしていた。

 奔れ!

 私は振り向きざまに、懐から取り出だしたる『銀火』を放つ。符は焔を帯びた風と成った。鵺は虎の疾さを持つが、いまは傷を負っている。『銀火』は彼の後脚を滅し、鵺の絶叫は闇に響きわたった。
「おのれ!」
 彼は牙を剥く。闇の形相で私に迫る。尾の蛇はその牙にて毒をきらめかせていた。
 だが、遅いのだ。
 傷のためにちがいない。
 私は半ば悠々と『白眉』を振りかぶり、するどく、一薙ぎした。

 私は――ゆっくりと、倒れた鵺に歩み寄る。彼が死んでいないことは、わかっていた。『白眉』を下げ、私は鵺を見下ろす。
「……光と闇の、あいのこよ。何故ゆえ、はらからを滅ぼす」
「……」
「……答えられまい。おぬしの父も、答えられはしまい。妖魔を喰ろうて、何とする。それゆえ、儂と狼とは、袂を分かった。儂はいかに餓えようと、はらからを喰う気にはなれぬ」
「……」
「……」
「……どうでも、良いのだ」
「……なに?」
 私はぼんやりとネオンを見ていた。ずっと、ずっと先にある、赤と紫の有頂天な看板は、人間が酒盛りをする店のしるしだ。看板までもが、眠らぬか。人と云うのは、光が好きなのだな……。
「生きるも死ぬも、喰うも喰われるも、どうでも良い……」
「さても、難儀な若人よ」
 鵺は呟きながら笑い、首をもたげた。
「光も存外、悪いものでもないのだぞ。儂はここのところ20年、すこうし、ひとを真似てみたのだ。するとどうだ、ひとを喰えなくなってしもうた。光というのは、恐ろしい。闇をも包みこんでしまうのだ。……おぬしはあいのこ、選ぶことも出来た。闇の水は口に合わぬのではあるまいか?」
「……そうなのだとしても、最早、遅い」
「光は、悪いものではないぞ」
 鵺はもう一度繰り返した。その目からは――もう、『気』が感じられぬ。
 私はもうどうでも良くなってしまっていたがゆえに、ただ佇んでいたが、鵺はゆっくりと首を垂れた。
「討つが良い。かつての伴に喰われて終わるも、存外悪くはなかろう」


 父が舌なめずりをしている。満足げに、舌なめずりをしている。
 今夜の獲物は、舌に合ったようだ。ざりざりと、アスファルトに広がった血糊さえ舐めとっている。あっと言う間に父の夕餉は終わり、私は『白眉』をおさめ、修羅場を去ろうとした。
「おい!」
 闇の中から、はっきりとした声が沸く。刀を手にした若い男が闇を切って現れ、私を睨みつけてきた。彼からすると、私は同年代の和装の男に見えただろう。
「ここにバケモン逃げてこなかったか?」
 張りつめた声だが、少しばかり上ずっていた。興奮のためだ――刃には、闇から生まれ出たものの血と脂が浮いている。
 この男は、闇を垣間見ているもののひとり。手にしている刀は恐らく曰くつきのもの。男自身にも何かしらの力があるのだろう。
「ここで死にました」
 私は正直に答えた。
「てめぇが殺ったのか? おれの獲物だったのに」
「……そうせざるを得ませんでした」
「プラプラ歩いてるから危ねえ目に遭うんだよ。ま、ケガがないんなら何よりだ」
 そうは言いつつも、男は機嫌が悪いようだった。私は、嘘をつけばよかったのだろうか。化物なぞ見てはいないし、襲われもせず、殺しもしなかったと。
 だが今の私は、男に頭を下げ、それ以上は語らずに路地を去るだけだった。

 しかし、去る先にあるものも、闇なのだ。私の装束、髪、さだめに劣らぬ黒である。あの若い男に、再び私が出会うことはあるだろうか。これまでにも、私は多くの闇狩りと出会い、ただすれ違ってきた。私は恐らく、逃げているのだ。彼らを恐れ、死とその先の虚無を恐れている。闇夜でぼんやりと光る私の青銀の目は、光と呼ぶにはあまりにも小さい。私の黒に、喰いつぶされるが落ちだろう。
 私はその末路でさえも、どうでも良いと思っているはずだというのに、光そのものには背を向けた。
 私はあいのこでありながら、闇を選んだ。
 あの鵺は――選ぼうとしていたのだ。
 彼のたてがみから、写真が一枚あらわれたのだ。父が喰い散らかす血潮と臓腑の中、私はそれを拾い上げ、表面の血を拭い、焼き付けられた光を見たのである。その中には、光と緑に満ちあふれたどこかの峡谷と、笑顔の女性がひとり、封じ込められていた。
「まぶしい」
 私は呻き、写真を握りつぶした。
 握りつぶしたが、また広げた。
 つぶしても広げても、切り刻んでも、光は消えず、恐ろしいまばゆさを失わなかった。


 目をこらせば、はるか先のネオンが見える。ぼんやりと、見える。
 じっと見つめていたそのネオンが、ふと消えた。
 東の空を仰ぎ見れば、桃色と紫色が近づいてきていることに気づけた。
 私は、もう、行かねばならぬ。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月22日

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