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『the First stage 』
尾神・七重2557



 気がつくと、そこは見た事もない場所だった。
石畳の大路には車の影もなく、行き交う人々は、どれもが現実とは異なるいでたちをしている。
見上げれば、ぐるりと取り囲むようにそびえたっている巨大な外壁が目に映る。
周りに建つ建築物は石壁で作られている。明らかに、日常生活している世界とは異なる光景だ。
 尾神七重はしばし思案顔で眉根を寄せていたが、ゆっくりと、少しづつ事の流れを頭の中で整理し始めた。
「そう、僕は、」

 七重がそのゲームの噂を知ったのは、実は割と前の事だった。
よくある都市伝説の類いだろう。そう思ってさほど気にかけてはいなかった彼が、そのゲームに関心をもつようになったのは、つい先日のこと。
 ウェブ上のオカルトサイト「ゴーストネットOFF」での、とある書きこみと、それに続くレスの数。それらを確かめ、彼は初めてそのゲームに心を惹かれたのだ。
 そのゲームは、とある天才的なプログラマーによって生み出されたのだという。
そしてその試作版を自身が運営するウェブサイトで公表し、未完成ながらも多大な評価を得ていたのだという。
しかしある日、プログラマーは不慮の事故で命を落としてしまう。もちろん結果的に、未完成のままだったゲームは完成の陽の目をみることもなくなってしまった。
そしてそのゲームは(そのサイトは)やがて忘却の彼方へと置き去りにされ、虚無をはらんだ年月ばかりが流れ過ぎていった。
――――一つの噂話が、ネット上でまことしやかに伝えられ広がるまで。

「僕はあのゲームを見つけて、入室ボタンを押して……」
 徐々に落ちつきを取り戻し始め、銀色の髪をかきあげようと片手を持ち上げた彼は、そこで自分の手の中にある一冊の書物に気がついた。
それは黒皮の装丁のなされた分厚い書であり、七重の本棚におさめられているものではなかった。
眉を寄せてその書を確かめる。表紙にはタイトルのようなものは記されていない。
頁をめくろうと指をかけたその時、七重は視界の端に映りこんだ男の顔に気がついた。
それはよく見知った顔のように思えるのだが――七重は男の目を逃れるように歩みを進め、傍近くにあった一軒の建物の影に身を寄せる。
 ものかげに身を潜めたためだろうか。その男は少しばかり立ち止まって首を掻いたりしていたが、やがて再びゆっくりと歩き出した。
「草間さん……に、よく似ているような気もするけれど……」
 一人ごちて目を細め、草間武彦によく似た男の様子を確かめる。
「でも、草間さんまでもがこちらに来ているなんて事は」
 呟きかけた言葉を飲みこむ。
 いや、ありえないとは言いきれない。草間武彦といえば、知る者ぞ知る、怪奇探偵なのだから。
 七重は小さくかぶりを振ってため息を一つつくと、不意に手にしていた書に目を向けた。
「そう、僕はこの本を見てみようと思っていたんだ」
 
 建物の壁はレンガで出来ている。七重はごつごつとしたその壁に背を押しやって、華奢な指で書の頁に指をかける。
分厚い書の内側におさまっている紙は、生成り色で触れた感触も滑らかなものである。
「羊皮紙だ……」
 滅多には触れることのない感触を楽しむように、七重の口許に薄い笑みが浮かぶ。
装丁の雰囲気や、羊皮紙の感触。もしかしたらこれは案外めずらしい古書なのかもしれない。
かすかに踊る心を抱いて、七重は一枚、また一枚と頁をめくる。
 何枚目かになる頁をめくったところで、七重は訝しそうな表情を浮かべて書を睨みすえた。
 頁は、めくれどめくれど、したためられているであろう文章の一行も見当たらない。つまりは、空白ばかりがそこにおさめられているのだ。
 七重は口をきゅっと結んで書を閉じると、改めて装丁を確かめた。しかしやはり、そこにはタイトルも筆名も記されていない。
「――――……」
 知らず、嘆息を洩らす。と、がっくりと落とした七重の肩を、いつのまにか横に立っていた男が軽く叩いた。
「さっきも見かけたが、やっぱり尾神だったか。おまえもこっちの世界に来ちまったのか」
 聞き慣れた声に、視線を投げる。そこにはまぎれもない、草間武彦の姿があった。
「草間さん……やはり、間違いなくあなただったんですか」
「間違いなく、だって?」
 七重の言葉に、草間は眉根をよせつつ煙草に火をつける。
その仕草を見やり、七重はふと安堵したように首を傾げた。
「草間さんのその服装が、周りの人達とはまるで異なっていたので、逆に怪しんでしまいました……すいません」
 萎縮してみせる七重に、草間はしばし無言のままでいたが、やがて煙を吐き出すのと同時に笑みをこぼした。
「ああ――――そうだな。周りの連中ときたら、誰も彼もが、まるでファンタジー映画のエキストラみたいな格好してやがるからな」
 わずかに目を落として笑うと、草間はその視線を七重の手元に向けて目を細ませる。
「尾神、それはおまえの物か?」
「この書ですか? ええ、これは、僕が」
 答えかけて、不意に言葉に詰まる。

 これは僕の本です。
 いいえ、僕はこの本を知りません。
 いや、違う。僕はこの本を知っている。正しくは、この本の使い方を知っている。

「……いえ、これは確かに僕の書です」
 わずかな躊躇の後にそう答えた七重を見据え、草間は小さく頷いて、視線を街の中央でそびえ立つ尖塔に向けた。
その視線に先導されたように七重も目を向ける。
「あの、塔のように見えるものは……?」
 訊ねると、草間は「あぁ、あれか」と唸るように返して、携帯灰皿に煙草を押しつけてため息を洩らした。
「あぁ――ッと。その前に、おまえはここがどんな場所なのか理解出来ているのか?」
「ええ、一応は。インターネット上で公開されていたゲームの中、ですよね」
「まぁ、そうだな。しかしおまえ、すぐにこの状況をのみこめたのか? 俺なんか頭が理解するまで時間かかっちまってなぁ」
 七重の答えに弱々しい笑みを浮かべつつ、草間は二本目の煙草を口に運ぶ。
「前もって心構えはしていましたから。……まさか噂が事実だとは思いませんでしたが……」
 草間を見据えていた目を、ゆっくりと大路へと向ける。
 道を往くのは、日本人とは思い難い顔立ちの人々。服装なども、現実世界で着込んでいたら、軽い職務質問くらい受けそうなものばかりだ。
「そうか。なら、この世界の”話”は知ってるんだろう?」
 七重の目線を追うように、草間もまた大路へと目を向けた。
「……”話”?」
 七重がそう訊ね返した時、大路を往く人々が、各々一斉にざわめきを起こした。
草間は気だるそうに煙を吐き出し、やれやれといった具合に首を傾げている。
「魔物の襲撃だ」
「――――魔物?」

 街を囲む大きな外壁の上で、銃砲の音が高く低く轟いている。
行き交う人々の中には、背負っている大剣や銃器などを構え持って忙しなく走っていく者もいる。

「モンスターといった方が正しいのか? ゲーム的にいえば。とにかく、時折魔物の襲撃があるらしい。それをああやって迎撃しているのさ」
 それで、と続けて、草間はついと塔の方を示してみせた。
「あそこにはこの世界を担う四人の女神がいる、らしい」
「女神?」
 銃砲の音が街に響き渡る。
 七重が問うと、草間は七重の手にある書に視線を落として、ため息のように言葉を告げた。
「おまえのように、現実世界からこっちへ来ているやつがごろごろいやがる。そいつらのほとんどは、おまえみたいに、何らかのアイテムを手にしているようだ。……そして、どの女神の主張を受け入れるか考えるのさ」
 七重は草間の視線に惹かれるように、黒皮の装丁に目を向けた。
 銃砲はいまだ鳴り響いている。どこからか、何かを叩きつけるような、ドォンという音もし始めた。
七重はふと目を細め、書の様相を確かめる。
 書が、薄く光っているように見えるのだ。
「……」
 不審に思いながらも、七重の指は迷うことなく頁をめくっていた。
羊皮紙が小さな音をたてながらこすれあう。
「ん? 尾神、その文字、血文字みたいに見えるな」
 草間が三本目の煙草に手を伸ばす。

 さっき見たときには、確かになんの記述もなかった羊皮紙に、今は数行の文字が浮かびあがっている。
赤茶けたその文字は、確かに血文字のように見えなくもない。
なにより、その文字は、現実の世界のそれとは異なるものだ。

「読めるのか、それ」
 草間が問う。
七重は静かにかぶりを振りかけて、しかし次の時にはゆっくりと頷いていた。
「僕はこの書の使い方を、知っています」
 継いで口を出た言葉は、自分でも思いがけないものではあったが。
しかし頭のどこかで、それはまぎれもない事実であると告げている。

 銃砲の音はいつのまにか止んでいた。
 七重は真っ直ぐに草間を見つめ、毅然とした口調で、
「四人の女神について教えてください」
 そう請いた。

 
 やがて七重は草間に別れを告げて、再び賑わいを取り戻した街の中へと足を進めた。
歩きながら思い起こす。
「僕は、皆にこのゲームの噂をメールで教えてしまった」
 眉根を寄せて雑踏を見据える。
――――彼らなら、きっと僕と同じく、このゲームの中へと足を踏み入れるだろう。
「……僕はなんて迂闊なことを……」
 立ち止まり、空を仰ぐ。

 この世界――アスガルドで目覚めつつあるのだという、邪竜。
 アスガルドの維持を目指しているという、女神アリアンロッド。
 世界の存亡には関心を向けず、己の享楽を求めているという、女神マッハ。
 邪竜にこそ世界の支配権を握らせるべきだと主張しているという、女神ネヴァン。
 邪竜を滅し、自分が世界を支配しようと考えているらしい、女神モリガン。

 草間が七重に話した内容とは、要約すればそのようなものだった。
しかし、そのどれもが、七重自身が調べ聞いたものではない。
決して草間の情報を疑っているわけではない。ただ、自分自身で事実を見聞したいという欲も確かにあるのだ。

「今は、この世界に来ているかもしれない皆を探してみよう。……どこかで出会うかもしれないし」
 空を見上げてそう呟くと、七重は再び歩みを進める。
 『ゲーム』は今始まったばかりなのだ。


―― It advances to the next? ―― 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月20日

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