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『▲油断大敵に枯れる涙▼ 』
宇奈月・慎一郎2322


「魔方陣……炎……2倍の効果……」
 その魔道書を見つけたのは偶然だった。民家のバスルームぐらいの敷地で営業している古本屋にふらりと立ち寄り、所狭しに本棚へ詰められたそれがたまたま目に入ったのだ。タイトルはすっかり擦り削れていて分からなかったが、中を見て魔方陣の図が頻繁に書かれていることから魔道書に間違いはなさそうだった。
 茶になったページを慎重にめくっていき、宇奈月・慎一郎はメガネの奥で目を細める。ところどころの文字も消えかかっていて読みにくい。しかし内容の見当はだいたいついた。非常に興味深い事柄に関して書かれているようだ。ある物と魔道書を手にして庭へ出る。念のため廊下を歩きつつページの隅々まで目を通す。小学校によく銅像の置いてある二宮金次郎には程遠い絵図。
 ある物とはガソリンだ。キャンプで使う缶に入った取り扱いに注意せねばならない液体を地面へ流していく。大きく円を描くようにした。本には魔方陣を炎で描くことにより2倍の効果を発揮すると書かれている。召喚機ではできない芸当だ、試す価値はあった。
 移動に便利な【バイアクヘー】召喚のための魔方陣を描き終わった。マッチを擦って火を点ける。夜の闇にほのかな明かりが灯った。気をつけて自由落下させ、音もなく着地した火種は瞬く間に円を形作っていく。静寂な夜に揺れる魔方陣の模様は神秘的だ。思わず感嘆の声を口にする。
 準備は整った、あとは召喚をするだけだ。
「いでよ、バイアクヘー!」
 手を掲げて静止する。どれほどの効果があるのか緊張と期待で鼓動が早まっていく。メガネをかけ直し、魔方陣の中央の辺りをジッと見つめた。
 沈黙。
 なにも出現しない。どこか失敗したのだろうか。普段は召喚機に頼っているためケアレスミスをしているのかもしれない。おかしいですねぇ、と魔道書を開いて炎の光に当てる。方法は間違っていないようだ。描いた魔方陣自体に問題がありそうだった。
 顔を上げる。
「おや?」
 毛が生えていた。否、魔方陣の一部から描いた覚えのない炎の線が伸びている。しかも驚くべき速さで屋敷内に向かって走りだしている。首を傾げてガソリンの入った缶を見てみた。
「ああっ!?」
 底の部分が錆びて消し粒並の穴が空いている。庭に持ってくる間中ずっとこぼれていたのだ、家の中へ炎が爆走しているのも道理。早く消火しなければ大変なことになる。
 全力疾走した慎一郎は玄関へ先回りした。間に合う。迫り来る火の先頭を踏みつけた。消えろ消えろと何度も足裏をこすりつける。消えた、と思っていると背後で響く火の息吹く音。既に長い廊下を滑走している。夜の運動会はまだ続くようだ。
 全力疾走。踏む。あと1歩のところで先頭に届かない。負けてたまるかとばかりに慎一郎選手は走る。炎に気を取られているから追いつかないのだ。先回りを念頭に置いて脇目は振らずに腕を振る。音速を超え、光速も超える勢いで走り抜ける。
 完全に抜き去った、勝利だ。ゴールテープを切ったあとの気分で駆けるスピードを落とし、振り返る。
 火は嘲笑うかのように1度大きく燃え盛って急カーブした。そこは書斎。そう、ガソリンは書斎と繋がる物置にあった物だった。行きすぎた廊下を逆戻りし、焦りで絡まる足をもどかしく思いながら室内へ入る。
 まだ本には引火していない。なにか消す物はないかと辺りを窺う。そして手に持っていた諸悪の根源である魔道書に気づいた。足で踏むよりは炎を抑える効果があるだろう。
 先頭を進む火を目がけてヘッドスライディングの要領で跳びこみ、魔道書をかぶせて塞き止める。
「き、消えました?」
 床にへたりこんでホッと一息つく。
 足元が焦げ臭かった。気のせいか、熱い。
 本が燃えていた。紙なのだから当然だ。
「消化器っ消化器っ!」
 訪問セールスで買った高級な物があるはずだった。物置へ走ってあれでもないこれでもないとあさり、やっとのことで発見する。ホース部分を外して成長しつつある炎へ向けた。
「勝負ありました!」
 消火器本体のレバーを引く。
 カシュッ、という気の抜けた音が虚しく響き渡った。白い消火液がホースの口からやる気なく垂れ流れるのみで想像するような噴射の勢いは見られない。何度引いても、カシュッカシュッ。
「騙されましたぁ〜!」
 「これでアナタの家も安心安心大安心、火事なんてやっちまいな」というキャッチコピーはデタラメであったことが証明された。数十万円が役立たずな消火液に溶けていく。
 悲しんでいるうちに書斎には地獄絵図が繰り広げられていた。炎の舌が肌を掠めてチリチリと焼いてくる。貴重な本の数々は実際に焼けていた。もはや止める術は残されていない。赤く燃える火の海をメガネに映したまま慎一郎は気絶したのだった。


 結局、騒ぎに気づいた近所の人々が消防車を呼んでくれて慎一郎は一命をとりとめた。代償は大きい。書斎にあった書籍が全焼してしまったのだ。茫然自失で水浸しになった書斎を外から眺めていると近所に住む57歳独身趣味は競馬とパチンコ好きな物は寝ても覚めても酒のオジサンはこう言った。
「兄ちゃん、この惨事で生きてんだから運がいいべよ。本なんかまた買えばいいでねぇか」
 一理ある。失ってしまった物に対していつまでもネガティブになっていてはなにも生まない。励まされ、素直に書籍を買い集め直そうと思った。オジサンの出身地がどこなのかは敢えて訊かないことにする。
 そのような経緯を辿り、慎一郎は中野の書店「まんだ○け」の棚を順に目で追っていた。手始めに魔道書【根暗な未婚】を探している。燃えてしまった大半は原書などのマニアにはたまらない書籍だ。一般の書店にあるはずもないが勇気づけてくれた酒臭いオジサンの気持ちは裏切れない。ネバーギブアップ、成せば成る、彼を信じて東へ西へ。根暗な未婚、根暗な未婚、根暗な未婚――整頓して並んだ本を見ていく。
「お」
 突如、後ろから腰を抱きかかえられた。花畑に来たような香りが鼻腔をくすぐる。いったい誰でしょうか、と振り向こうとした頭は重力に引き寄せられて地面へ真っ逆さま。反った体は相手の上に乗ったまま脳天が床へ激突し、必要以上に首が曲がった。見事までのジャーマンスープレックスだ。
 消灯した視界が徐々に戻っていく。頭にタンコブを作った慎一郎は寝そべっていた床から這い起きた。
「な、何事ですか〜っ!?」
「誰が根暗な未婚よ、失礼極まりないわ。言っておくけど、私は決まった相手がいないだけなの。結婚しようと思えばいつでもできる、ただそう思わせてくれる男がいないだけ! それに1人身だって気楽でいいところも沢山あるし、そりゃ怪奇関係の雑誌に携わっていたら敬遠する男もいるけど――」
 見上げると理知的な雰囲気を漂わせるメガネの女がブツブツと文句を言っている。心で呟いているつもりが声になっていたらしい。一目瞭然で彼女が誤解をしていると察した。自分が探しているのはそういうタイトルの魔道書だ、事情を説明した方が良さそうだった。
「いや、あの、僕は根暗な未婚を探してまして――」
「だから、誰が根暗な未婚よ!」
「へ? いや違っ、うぐ……っ!」
 引き続き抱えられたのは腰ではなく首だ。スリーパースープレックス、それが慎一郎のかけられた技の名前だった。天井が見え、次に逆さの景色が見え、呼吸の苦しさも相まって鈍い音と共に意識が途切れた。


「ごめんなさい、人生始まって以来の大失態だわ」
「いえ、いいんですよ、もう済んだことですし」
 3段重ねになったタンコブをさすりながら苦笑いする。復活後、勘違いを解こうと話している最中に再び派手で危険な技を食らったのち、なんとか事情説明に成功した。
 彼女――碇・麗香は怪奇関係雑誌の編集長をやっているらしく、魔道書、という単語に興味を持ったようで、お詫びついでとして昼ご飯をオゴってもらえることになった。通りは昼休みのサラリーマンやOLが多く目立っている。2人も人の流れに混ざって希望するおでん屋を目指していた。
 麗香が前方を指差す。
「あそこにもおでん屋があるみたいね。昼間に屋台なんて珍しいけど」
「えっ?」
 見覚えのある悪夢の屋台だった。思い出し、酸っぱいものが胸を込み上げてくる。トラウマだ、もはやトラウマだ。彼女の手を引いて慎一郎はおでん屋の前を疾駆した。
「行きましょう、ここを即座に離れましょう!」
「ちょっ、ちょっと、どうしたの? ああいうお店が案外美味しかったりするでしょ」
「あそこは例外なんですダメです危険です! こっちにちゃんとしたお店がありますから!」
 困惑する麗香を稀に見る積極的さでエスコートした。正式なおでん専門店に到達した時にはゼェハァと肩で息をしている。屋台が追ってくるわけがないものの前後左右を一応確認してようやく安堵した。
 引き戸を開けて年季の入ったのれんをくぐる。純和風の内装で座敷とカウンター席が用意されていた。窓枠にホコリ1粒としてない清潔なおでん屋だ。先客はほとんどいない。それもそのはず、知る人ぞ知る名店なのだ。余分な料理やツマミはなく、あるのは酒とおでんのみ。その代わり、誠心誠意を込めて煮こまれたおでんは天下一品の味だ。
 カウンター席へ座って適当に注文をする。
「日本酒ももらおうかしら」
「昼間から飲むんですか?」
「せっかくだもの、飲まなきゃ損だわ。さ、アナタもどうぞ、私のオゴりなんだから遠慮なくね」
 コップになみなみと注がれた。おっとっと、と溢れんばかりの酒を口へ運ぶ。アルコール独特の熱さが喉を通過していった。ぷはー、と一息しておでんを食べる。時間帯など気にならなくなる美味さだ。最高に幸せな一時を感じる。
 ――酒とおでんの相性がマッチし、2時間もするとすっかりできあがっていた。
 一升ビンが6本も空になっている。慎一郎はチビチビと飲んでいたのでほろ酔い気分に留まっていた。気にかかるのはハイペースに湯水の如く一気飲みをする麗香だ。スーツはややはだけ気味で肌が赤らみを帯びている。
「あの〜、お仕事は大丈夫なんですか?」
「いいのいいの、部下にずぇ〜んぶ任せちゃってるから。あ、部下っていうのはうちの編集員ね、そ〜いえばメガネの辺りがアナタと似てるわ〜」
 アハッアハハハッ、と手を叩いて笑いだす始末。日頃のストレスが溜まっているのかもしれない。そろそろ潮時のようだ、店主に勘定を頼んでお金を支払おうとする。
 麗香は急に直立になってサイフを出した。
「わらしがオゴるの〜、初めからそう言っられしょ〜?」
「でも――」
「わらしが払う!」
 舌の回らない口調と座った目で睨まれた。仕方なく、ごちそうさまです、と従っておく。彼女は満足げに肯いて微笑んだ。酔っ払ってもしっかりしている。職業病か性格かは分からなかった。
 肩を貸して店を出る。麗香1人で帰れるようには思えなかった。送るにも家の住所を知らない、訊いても盛大な笑い声が返ってくる。残された選択肢は1つしかない。


 酔った麗香に絡まれつつ苦労をしながら歩く。屋敷は近い。角を左に行けば見える距離だ。あっちへフラフラこっちへフラフラして慎一郎は足を踏ん張らせた。屋敷に着けば空いた部屋で介抱ができる。酔いさえ醒めればあとは手助けも必要ないだろう。誰かにこの努力を称えてもらいたくなった。
 その時だ、消防車が前を通り過ぎる。
 嫌な予感がしてあとを追うようにすると屋敷の周りに人集りができていた。煙がモクモクと昇っている。春も盛りの季節にヤキイモ大会をしているわけではないだろう。2人3脚をする感じで急ぎ足に駆け寄る。人の波を裂いて最前列へ出た。
 書斎を中心に火が上がっていた。消防車のホースから発射された水がふりかけられている。肩から麗香が落ちてアスファルトの地面にしゃがんだ。威勢のいい炎を眺めて彼女は言う。
「た〜まや〜! か〜ぎや〜!」
 無邪気に手を叩いてまた、アハッアハハハッ、と笑った。
 責める気にもなれない。
 誰かに背を叩かれた。近所のオジサンだ、彼はニッと笑む。
「2日連続で火事とは運が悪いべな、兄ちゃん。でも屋敷だって建て直しゃいいでねぇか、ドンマイだぞぉ」
「そ、そうですよね」
 アハッアハハハッ。
 麗香ほども酔っていないのに同じ笑いが漏れた。込められた意味は違えど、彼女のものと揃って慎一郎の声が夕暮れ前の空に木霊した。
 ――後日、原因を突き止めたところ、例の魔道書に問題があると判明した。消えかけた文字を分析した結果、炎で魔方陣を描くと2倍の効果を得られるのではなく「当魔道書に載っている魔方陣を炎で燃やすと通常の紙より2倍の火力で燃える。数時間後に効果が現れて再燃するため要注意」というような特殊な内容だったのだ。
 慎一郎は、書籍も屋敷も黒焦げになったいまや、どうでもいい気分になっていた。


<了>


■ライターより■
ウェブゲームに引き続きありがとうございます〜!

えーと、記述していただいた「ノベルの内容」から膨らませまして、

膨らませすぎた感じがしなくもありませんが、

碇・麗香の意外な一面と絡めながらこのような感じにできあがりました^^;

個人的には精一杯書きたいことは書けたと思います。

いかがでしたでしょうか。

少しでも楽しんでいただけたら幸いです☆

またの機会がありましたら、ぜひぜひよろしくお願い致します♪
PCシチュエーションノベル(シングル) -
tobiryu クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月19日

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