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『世界洗剤 』
犬神・ウェスカー・椿5037


 考えた事はとうにある。
 世界の為に洗剤があるのか、洗剤の為に世界があるのか、
 互いを、知らないか。

◇◆◇


(染みが、気になる)
 前に進もうとして、左右に半歩揺れる。
(染みが、気になる)
 アルコールは己をホルマリン漬けにするよう、中に渡っているから。
(染みが、気になる)
 ポケットが変形するのも構わずつっこんだ酒瓶は、胃で、脳で、喰らう為にある。けして、
(染みが、)
 清掃には、
(気になる)
 使わない。
 例え今の彼の職業が、ある院の清掃員であっても、アルコールは消毒に使わない。徹頭徹尾彼の中に入り、彼こそを酒の瓶にする為だ。即ち、その存在意義を満たす為に、自ら行動に出て呑んで呑み、
 アルコール中毒はとてつもなく恐ろしい。
 けれど彼には、残念な事に相応しい――
「染みが」
 、
「気になる……」
 とうとう口になって零れた、心の中で万回唱えた呪文。そして彼はついにその染みへふら付いた足で辿り着き、作業着、帽子、マスク、手袋、長靴、ゴーグル、エプロン、完全装備でその染みに手をかける。そして十秒経つ、染みは落ちているかのようにみえる。なのに、もう十秒経つ、更に十秒経つ、結局三分経っても彼は擦っている。
 そうか! 異常な程の潔癖症だから、アルコールで全身を滅菌しているアルコール中毒はとっても相応しいのね。そんな訳は無いよメアリー。それならスティーブンどういう事?
 悲しいくらい、悲しいおっさんなのだ、犬神・ウェスカー・椿。
 名からもギリギリ察せる事が出来る、彼の大叔父は英国人。マスクとゴーグルを外せば、四十二歳の面が現れる。それは一見とてもよい顔立ちだ、アルコールが抜ければ更にだろう。
 だが、彼の顔は、覚えられる事は無い。何故ならば、周囲1メートルが、微妙に、気づかないくらいに、深層心理に意識される程度に、――空間が歪んでいるから。
 とある軍事大国に、IQ200以上という下手な漫画にしか出てきさそうな、だが、それは紛う事なき現実としての、天才物理学者が居た。彼である。彼はその職務に、無理矢理に、強引に、ハムスターを無理矢理風車もどきに乗せられるみたいに、従事させられていた。そしてその結果彼は本当に偶然に得る、人類史を塗り替える大量殺戮破壊兵器を生む、全く新しい物理法則。
 逃げなければ、逃げなければ、逃げなければ、脅えながら、生気の無い瞳で、曲がった背で、逃げて、
 今は、鬼丸精神病院在住清掃員。
 元は、天才物理学者だ、あらゆる法則を貪欲に追求し、神の肉体すら寝床に横たわらせるようなその精神は、やがて一つの怪談を作り上げる。即ち、あらゆる存在にバカ狂いしてしまった所為で、釣り合いをあわすように、自分の存在自体が歪んでしまった、悲しいおっさん、だ。哀れな笑い話にしか聞こえないけど。話はなんとかできるけど、ビジョンが狂った所為で、顔を覚えてもらえない。
 さて、鬼丸精神病院、この病院についてはどういう所なのかは、また別の話。今は、染みを落とす話。
 結局その染みへの執着は、十分かかった。椿は、いや、その名前で呼ばれる事はとかく嫌う犬神は、ウェスカーは、ポケットに無理矢理突っ込んでいた酒瓶を抜き、マスクのはじから飲み口をつっこみ、ごくり、と呑む。
 その染みは、精神病院の患者が収容される、檻の染みであった。
 中には、患者が居る。彼等の内、とある症状の一つ。
 自分の世界に閉じこもる。そして、その世界は、他愛の無い会話として出てきたりする。
「お仕事、ご苦労様です」
 と言われ、犬神・ウェスカー・……名前を呼ばれるのは厭う彼は、声を返す。
 そしてとっくに彼は気づいている。悲しいおっさんは知っている。
「サンポールは、……無かったか?」
「ああ、サンポールですか、サンポール、あー」
 少なくとも、この常識外れの精神病院の、常識外れの患者である、彼らが閉じこもった世界は全て――常識外れとして、

「カステラの噴水に埋まっていました」
 異界として実在する事を。

 だから、
 彼は万年筆を取り出した。そう、彼は知っている、研究している、
 IQ200以上の異常が他ならぬ自分のように、量子学上、可能性が0パーセントじゃない事は、全て現実に起き得る事を。
 そして、この万年筆が、
「取りに、行く」
 たった一振りで、0パーセントじゃない現象を200パーセントまで高くあげて、
 描いた線の入り口を通って、悲しいおっさんは異界に旅をする。


◇◆◇


 桃色の空はどこまでも続き、魚が空を叱っています。そんな全てもスチロールだけど、ああ、カステラの雨が足元から。長靴で、良かった。
 完全防備の彼は歩く、カステラの噴水へ向かって、ああでも大変だ、発砲スチロールの人間だ。そんな彼の言う事にゃ、足元を見ろ。
 サンポールが有りました。
 けれど、発砲スチロールで出来ています。使えやしない。

 だから万年筆を振る。
 カーテンをくぐるように次。

 きなっせおうと、何処かの方言が響いた。
 きなっせおうと、どうもその言葉は、字みたいで、けれど鼓膜にも聞こえてきて、あああの患者の世界だ、となるとここはおさらばしなければ。けど、
 全てが溶け合う異界なら、
 サンポールも溶け合っているか、
 万年筆を振ってこの世界を持っていこうか考えたけど、長靴に、鳥の糞が、コーラと森羅万象と混ざって触れた。ひぃ、と喚く。嫌だ嫌だ、嫌だ、

 だから万年筆を振る。
 カーテンをくぐるように次。

 殺しあわない異界。

 だから万年筆を振る。
 カーテンをくぐるように次。

 頭をはたかれた、そうすると、ゼンマイの中に組み込まれた。ここで二年間回るのか、どうもそれは嫌そうだ、猫が、目の前に居る。
 ヒゲを引っ張ると猫はほどけ、中から洗剤が出てきた。
 サンポールじゃない。

 だから万年筆を振る。
 カーテンをくぐるように。

 だから、万年筆を、振る、
 カーテンをくぐって、嗚呼、
 長くなりそうだと思って、彼は息切れをした。アルコール中毒。


◇◆◇


 世界にとって存在とは、そして、世界にとって洗剤とは、そして、
 存在と洗剤とは、ああ、
 歪な存在はその二つですら無く、求めて、求めて、
 やがて、便器を清掃している。椿、悲しいくらい、悲しいおっさんの名前。四十二歳、
 顔に水がはねて、慟哭を起こし咳き込んだ。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エイひと クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月18日

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