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『ふる時に、まどろむ午後 』
四宮・灯火3041)&光月・羽澄(1282)

「こんにちは」
 可愛らしい声が来訪を告げた。
「あら、いらっしゃい」
 見れば、赤い振り袖の、小柄な少女が、店先にいるのだった。
「先日は……お世話になりました、と……わたくしの雇い主が」
 四宮灯火は、包みを差し出した。
「ああ、あの蝋燭の件ね。こちらこそ」
 光月羽澄は、にこりと微笑んで、ちいさな来客を迎えるのだった。

 行っておいで、と、雇い主が言ったのだ。
 流出したある呪物を手に入れるため、彼女はいつも使っている弟子を動かし、その仕事の過程で、同じ品物に対して別に動いていた『胡弓堂』とかかわることになった。
 彼女はそのお礼にと、和菓子をもたせて、今度は灯火を遣ったのである。
 当の弟子をよこさなかったのには、わけがある。
 あそこは面白い店だよ。一度、灯火を連れて行ってやらないと、と思っていたところなのさ――。雇い主はそう言って笑った。
 雇い主がなぜそんなことを思ったのか、灯火はわからない。けれども、命じられれば、彼女は従うだけである。言われたとおりに手土産を持って、人形の化身である少女は、新宿にあるその店へと向かったのだった。
 奥から、店番をしていた銀の髪の少女が顔をのぞかせた。羽澄とは、草間興信所やアトラス編集部の仕事でも顔を合わせたことがある。

「はい、どうぞ」
 羽澄が、灯火の持参してくれた和菓子――やさしい色あいのさくら餅だった――を茶請けに、日本茶を入れてくれた。いいお茶があるの、といったん奥に下がって、出てきたときには丸盆を持っていたのである。
「いえ、わたくしは……」
 灯火は恐縮したように手をあげた。人形である彼女に食物も飲物も必要ない。だが。
「まあ、気持ちってことでね」
 羽澄は笑った。
 なにかを飲食することはなくても、それを差し出される気持ち、もてなしの気持ちを、物はちゃんと受取るものだ。灯火と羽澄は、そのことをよく知っていた。
 椅子にちょこんと腰掛けた灯火(アンティークの、飴色の椅子であったが、坐ると、彼女の足は床につかなかった)は、店の中を見回す。
 一見、雑然としているようで、しかし、よく見れば、それぞれの物がそれなりの場所に収まっている。いかにも骨董品、古美術品といった感じの物から、中にはジャンク品としか見えぬものまで。調達できぬ物はない、とその道では知られる『胡弓堂』には、種々雑多な品々が集合しているのだった。
「大事にされて……いるのですね……」
 ふいに、灯火が言った。
「え?」
 灯火が聞き、感じ取っているのは、『胡弓堂』を埋め尽くす骨董たちの声なき声。
 いわくのあるものも少なくない。中には灯火のように、かりそめの命を持つ一歩手前の物もあった。そうした、物たちのこころがかわすささやきが、『胡弓堂』の静かな店内を、ひそやかに充たしているのである。
 じっと床にうずくまっている、壷の中から聞こえる呟き。
 棚の上のカップたちのおしゃべり。
 壁際にひっそりと立つ騎士の甲冑と、武者鎧の語らい。
 もう鳴らないオルゴールが歌う唄。
 そのどれもが、しかし、とてもやさしい。
 皆、ここにあることを満足し、安らいでいることが、その「声」からは伝わってくるのである。
「わたくしには……みなさまの……お声が」
「ああ……。そうね……ひとつひとつ、わけがあって、ここにやって来たものたちだものね」
 羽澄もまた、灯火が見回すその視線を追うように、店の中を見渡した。
 彼女にしてみれば、どこに何があるか、目をつぶってもわかるほどの店内である。灯火のように、その声そのものを聞くことはなくても、なんとなく、物の思いのようなものを感じることはあるような気がする。だから、灯火の言うこともよくわかるのだ。
 ――と、そこへ、電話のベルが鳴った。
「あ。ちょっとごめんね」
 羽澄は奥へとはずした。
「はい、『胡弓堂』です。ああ――、いつもお世話になってます。はい。そうなんですよ。ええ、店長は今ちょっと……」
 ひとり残された灯火は、椅子から降りると、ふらふらと店内を歩きはじめた。
 ところ狭しと置かれている――しかし上手に整理されていて、見た目よりもずっと数多くの物が陳列されている品々のあいだを巡ってゆく。
 灯火が、ちいさな指でそっとふれれば、どれもが彼女に挨拶を返してくれた。
(いらっしゃい、かわいらしいお客様)
(ようこそ『胡弓堂』へ)
(これは珍しい。日本人形だね)
(すてきな着物ね)
(この店は気に入ってくれたかい?)
 いちいちそれへ、はい、ありがとうございます、とか、おじゃましております、とか、ええ、とても、とかことばを返しているうちに、灯火は、彼女の雇い主がなぜ自分をここへ寄越したのかがわかるような気がしたのだった。
「…………」
 ふいに、灯火は長い睫の揃ったまぶたを、しばたく。
 店の片隅……物陰になってすぐには見通せない場所に、一体の人形の姿をみとめたからである。
 それは、西洋の、アンティークドールであった。幼子用の小さな木馬に腰掛けて、ガラスの瞳が宙をみつめている。ていねいに扱われているらしく、汚れてはいなかったが、それでも、その上に降り積もった《時間》そのものが、人形の衣服や肌を色あせさせているのは、どうしようもなかった。
「……あなた……さま、は……」
 灯火ははっと息を呑んだ。そして、おずおずと、その手を……まるで人間が人間にそうするように、そっと掴んだ。
(おぼえていてくれた?)
 アンティークドールは云った。
 かわることのないその表情が、かすかに微笑んだような気がした。だがそれは、どこか寂しげな顔だった。
「それでは……やはり……」
(わたしはよく憶えているわ。あなた、四宮家にいた娘でしょ。ああ、あれはいったい、どれくらいの昔なのかしら)
 灯火の中を、琥珀色の記憶の頁が過去へとめくれてゆく。
 かつて、彼女を、その本当の持ち主が抱いていてくれた頃。同じく、その西洋人形は、彼女のあるじに抱かれて、四宮家を訪れたことがあったのだ。
(あの娘はもういないわ。……あなたはどうなの。あなたの持ち主は)
 灯火はかぶりを振った。それをどうとってか、西洋人形はまた寂しげな笑みを見せながら、
(そう。でもわたしは……ここにいるわ。今だって、とってもきれい。あなたもよ。あのときと同じ……きれいだわ)
「…………」
(わたし、あのとき、あなたのことを古くさい人形だと思った。日本人形なんてはやらないわ、って。……でも、西洋人形のわたしも、やがて捨てられてしまった。あの安物の、ちょっと顔立ちと服装が今風だからっていうだけの、ビニールの連中のおかげでね。ああ、でも、そんなことを恨む気持ちはもうないの。昔はそれで、いろいろと悪さもしたけれど)
 ふふふ、と人形はあやしく笑った。
(でも今ではみんな、いい思い出。わたし、ここで、ゆっくりと木馬の背に揺られながら、柱時計が時を刻むのを聞きながら、昔のことを思い出すの。今ではわたし、捨てられたなんて思わないわ。ただ、時間が経っただけ。時が流れていっただけよ。ここにいる品物はみんなそうでしょ。長い長い、時の流れを生きてきたものたち。その中で得た、たくさんの想いを抱えて、まどろんでいるの)
「しあわせ……なのですね……」
(もちろんよ。あなたは違うの)
「いいえ」
 灯火の瞳にも、やさしい色が宿った。
「しあわせです。わたくしも」
「その娘ね」
 ふいに、後ろから声がかかった。
 電話を終えたらしい羽澄だった。
「人手に渡ったあと、新しい家で、祟ってね……。家の子どもが病気を患って……霊能者が見たら、その人形が原因だってことになって、騒動になったの」
 悪さをした、というのはそのことらしい。
「積もった思いが暴走した、っていう感じだったのかな。鎮めて、浄化して……たちは悪くなかったし、妖怪化、付喪神化まではいってなかったから、今では大人しいものよ。念のため、それなりの人でないと売らないことにはしてあるけれど、素敵だから表に出してあるの。可愛いでしょう?」
「ええ……とても……」
 灯火は応えた。それを聞いて、アンティークドールがにこりと微笑んで見えたのは錯覚か。
「時に、物に降り積もった思いが、よくない形になることもあるわ。でもそれも、人のよくない部分や、黒いところを、その物が引き受けてくれている、っていうことだと、私は思うようになったの。だから――」
 棚に並ぶ品物の位置をなおしながら、羽澄は語った。ほんのすこしの、そうした所作にも、彼女がこの店と、そこの品々をいつくしんでいることが知れた。
「だから、やさしい気持ちをこめて接すれば、物にも、時とともにやさしさが積もっていくのだと思うの」
「本当に……」
 灯火は言った。
「本当にそのとおりです……。羽澄さま」
「ん?」
「また……こちらへおうかがいしても……よろしいでしょうか……?」
「ええ、もちろん」
 羽澄は微笑んだ。
 『胡弓堂』の午後には、しんしんと音もなく、おだやかな時間が降り積もってゆく。
 その中を、歳を経たさまざまな想いが、たゆたっているのだった。

(了)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年04月14日

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