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『□■□■ 享楽教室 ■□■□ 』
狩野・宴4648)&鴉女・麒麟(2667)


 この世でもっとも重宝されるべきものは何か。訊ねられた時には必ず迷う。数多の候補から絞ることが出来ないと言うわけではなく、連想される二つを、一つに絞れない所為だ――そんな事を考えながら狩野宴は、じぃっと食い入るように自分の隣にいる少女を観察している。そこには、鴉女麒麟が佇んでいた。信号待ちの時間を潰すように脚でお供のアルマジロを遊んでやっている、その様子を眺めながら、宴は軽く自身の口唇を撫でる。

 この世で最も重宝されるべきもの。
 美少女と、酒精。

「お姉さん?」
「ああ信号が変わっていたんだね、ちょっと気をやっていたものだから気付かなかったや。さてさて、麒麟ちゃんはどこに行くのが御所望かな? 苦手が無いんだったら、おねーさんこのまま朝まで連れまわしちゃうんだけれどね」
「ふむ。別段苦手な場所は無いね、騒々しい所も静かな所もそれなりに抵抗無く馴染める程度の器量はあるし、物騒な所なら暇潰しの意味では大歓迎。怖いおぢさんの沢山いる所なんて、血湧き肉踊る楽しさで思わず腕が鳴っちゃうな。骨折の勢いで鳴るよ」
「うーん、私としては男に囲まれても嬉しさは感じないな。ことオッサンとなると見目麗しくないからねぇ、やっぱり綺麗なものの方が愛でるには良いと思うのだけれど?」
「ふむ、確かに美醜の問題ではそうだろうね。僕としては視覚情報で愛でたいと思うようなものはあまり無いから、あまり考えないのだけれど――皮一つ剥げば人間なんて大した違いはないだろうからね。肉体も精神も。まあそれはそれとして、どこか宛てはあるのかな」

 白い顔に無表情を浮かべ、麒麟は宴を見上げる。白い顔が夕日に照らされてほんの少しだけ赤味を差しているような錯覚に笑えば、首が傾げられた。日本人形のように真っ直ぐで黒い髪が、さらりと流れる。

 麒麟の営む骨董商を訪れたのは全くの偶然だった、ように思う。いつもの道でいつもは無視する小径になんとなく脚を踏み入れて、その惰性の延長で入ってみた店。思えばあれは美少女レーダーが反応しての事だったのかもしれない、雑談を交わしながら脚を進める。無表情に淡々とした受け答えをする様子は、白い顔と相俟ってどこか石膏像のようなイメージだった。
 入ってみた店の中、美少女発見で即行お持ち帰り……もといデートに誘えたのは、ひとえに自分の普段の行いが良い所為だろう。退屈を疎い享楽を求めるとは随分とすれた言葉だが、それは宴にとっても専門分野に近い。伊達に長くを生きてはいないし、楽しみを求める気持ちは同じベクトルのものだろう。退屈は嫌いで、感覚の全てが愛しい。麻痺してしまわないように定期的な刺激を与えるのは欠かせない。

「麒麟ちゃんって趣味とかは何かないのかな? ゲームとかそういうものが好きなら、近くに面白い店があるけれど。筐体物からビリヤードなんかまで揃えてる会員制のクラブとか」
「あまり興味は無いかな。昨今の趣味は怪しげなショップや興信所の類に出入りして、怪奇珍奇楽しげかつ生臭そうな事件の蒐集に走ること。ともかく日常眼にしない耳にしないものなら、大概は興味を持てる」
「むう、夕飯のおかずに『何でも良い』と言われるぐらいに困った答えだねぇ。そうだな、それじゃちょっとついておいでよ、麒麟ちゃん。私のコレクションは中々にキワモノ……もとい、業物揃いだからね」

 ぱちん、と宴はウィンクをしてみせる。眼帯の所為で必然的に塞がれた視界の中、不意に腕を引かれた。
 目の前には電柱がある。そして、麒麟が彼女の上着を掴んでいた。
 コンクリの柱と熱い抱擁未遂。

「ふむ。お姉さん自体が中々に面白そうなキワモノでもある、かもしれないね」

 ニヤリと悪戯気に笑う麒麟の言葉に、宴は肩を竦めて苦笑した。

■□■□■

「講師室? ふうん、学校施設に立ち入るのは随分久し振りだな……私服でこういう場所に入ると何となく背徳感を憶えるね。いけないことをしている気分」
「はは、なんなら実際してみるのも良いんじゃないのかな、私は大歓迎だよ? 雪のように白くて炭のように黒く、血のように赤い白雪姫様がいるんだからね。口付けの一つぐらい」
「あげないのが世の世知辛さ」
「残念無念」

 鍵を開けた部屋の中には生徒もいない、殆どが下校してしまっている時間なのだからそれも当たり前だろう。たまに部外者がたむろすることもあるが、今日は運が良かったらしい。折角のデートに水を差されるのは御免被りたい――教務課には秘密で作っている教室の合鍵をキーホルダーから選んで、ドアを開く。それなりに片付けられているのは毎日生徒達が掃除をしてくれているためだ。雑多な資料も見目良く纏められている。明日になれば何処に何を挟んだかと、探しついでに散らかしそうではある、が。
 資料の収められた書架を眺める麒麟の背を見れば、俯いている所為か、白い項が見えていた。何か興味を引く本でもあったのかと肩越しに覗き込めば、戯れに買った宗教書が広げられている。エログロを綴る文字を無表情に眺め、麒麟は宴を見上げた。

「お姉さんはこういう趣味の人なのかな。だとしたらちょっと興味があるかもね、儀式殺人の類は中々に面白い方法がたくさんあるって聞いたから。動物をつかったり心臓を抉り出したり、ふむ……でもこの教室にはそういう機材が無いのかな」
「それはあくまで資料だよ、宗教ってのは一種の催眠だからね。知ってる、麒麟ちゃん。『催眠』っていう言葉は眠らせる暗示一辺倒なイメージだけれど、これって誤訳……と言うか、直訳の所為で生まれた言葉なんだよね。トランス状態に叩き込む話術施術場術一切をひっくるめてが『催眠』、私の研究分野なんだよ」
「へえ、初耳。それにしても中々良い趣味だね、写本らしいけれど、古代のものまで揃えられている。なるほどこれなら少しは楽しめそうかな」
「いやいやいや、そんな色気の無いものはあくまでついで、オマケみたいなものだよ。酢豚のパイナップル、ハンバーグの人参ソテー」

 宴が大袈裟に肩を竦め首を横に振れば、麒麟は無表情のままに首を傾げてみせる。鍵が束になっているキーホルダーを鳴らし、教室の一角、準備室へと繋がるドアへと鍵を差し込む。もったいぶるようにゆっくりと開錠してからノブを回せば、ふわりとアルコールのニオイが漏れた。

「わお」

 麒麟の声に宴はにやりと相好を崩す。
 狭い部屋いっぱいに、酒瓶とグラスのコレクションが並べられていた。

「学校には勿論秘密にしているんだけれどね、これが私にとってはとっておきの至高で嗜好なんだよ。講義が終わった後でちょろっと一杯、とかね。家に置ききれなくなったコレクションなんかも、別室保管状態にしてるんだ」
「これだけあると中々に圧巻だね。骨董商としてはこのグラス類、少々興味をそそられるな。これは聖杯だね。イスラム圏の影響が見られる装飾のものなんて結構な希少価値だよ、こっちも名の在る細工師のものだ。レプリカも随分混じっているけれど」
「色気の無い話だなぁ、こーゆーのは綺麗だから愛でる、ってだけの精神で良いのだと思うけれどね? 例えば私は麒麟ちゃんが可愛くて可愛くて今にも食べ……もとい、ぎゅーっと抱き締めたい衝動に駆られている。でもそれが、麒麟ちゃんのお肌がすべすべで髪がサラサラで手首とか細いからだ、なんて理由付けは、しない。可愛いものは可愛い、それだけで充分だよ」
「それもそうだけれど、少しは理屈で楽しむのも良い時間潰しになるものだよ。僕だってこれらに関しては、グラス以上の価値は感じない。珍しいから、理屈を捏ねてみたくなるだけさ」

 ニヤリ、浮かべられる笑みはどこか悪戯気が強く不敵な印象だが、それでも無表情よりはずっと魅力的に写る。少なくとも少しは興味を惹けたらしいのだから大成功と言ったところだろう。先ほど麒麟の骨董商で仕入れて来た酒盃を取り出し、並べようとした所で、手を止める。折角やって来た新参者なのだから、すぐに仕舞いこんでしまうのでは勿体無い。

「麒麟ちゃんはまだ未成年だから、流石にお酒はなー……ま、いっか。ドイツでは黒ビールを薬に出すんだし、酒は少量なら万能の薬だって言うからね。オーケーオーケー、無問題」
「酔わせて何をするつもりなのかなお姉さん。言っておくけれど、僕と遊ぶならここは止めて方が良いと思うよ。これだけアルコールが密集していると発火温度はかなり低いだろうからね、この部屋」
「いけずだなぁ、私だって無理強いをする趣味はないよ。恥らう乙女はそれなりに好物だけれどね。そう、麒麟ちゃんが頬を赤らめて涙眼で見上げて来てくれたりしたら、もうドッキンパラダイスだろうねぇ……っと、それは今のところ置いておいて」

 グラス二つとボトル一つを手にし、宴は笑ってみせる。

「お酒が入っていると無意味に何もかもが楽しく感じられるものだからね、麒麟ちゃんにも是非その感覚を教えてあげようと思ってさ。リンゴ酒ぐらいなら軽いから良いだろう? 子供だって飲めるし。なんなら即興カクテルだって出来るよ、レシピ忘れるから一杯限りだけれどね」
「いやん先生。麒麟ちゃんはいたいけな少女だから、取り敢えずウォッカを希望しておくよ」
「いや、それはとっても強いわけですが」
「何事も経験」

 ずい、と差し出されたグラスと微笑。ちゃっかりコレクションの中でも一番に高い杯ではあったが、道具など使われて幾ら、と言うのがこの少女のスタンスだし、在る意味でもっともだと思う。グラス集めも、その日その日の気分を変えるために始めたようなものなのだし、別に異論はない。苦笑と共に瓶のキャップを外せば、アルコール独特のツンとしたニオイが強く鼻腔を擽った。足元を見遣れば、麒麟のアルマジロがねだるように見上げてきている。べしべしと尻尾がスラックスの裾を叩くのを宥めながらボトルを傾け、アルマジロと自分の分を注いだら、乾杯を。
 くくくっと漏らされるのは、喉で笑う声。

「中々に日和るものだけれど、こう言うのも少しは良いかも知れない、かな」
「楽しんでもらえたなら何より――」
「こう、そう、この感覚は中々に覚えの無い物だし」
「……麒麟ちゃん?」
「頭の奥がくらくらして、ずきずきするんだけれど、それほど切羽詰ったものでもなく、なんと言うか内側がむずむず疼くような、それでいて腹の奥がぐるぐるみらくるまじかるに変な心地で、それでいてまったりとこってりとしつこくなく――」
「麒麟ちゃん、顔が! 顔が真っ赤かつ真っ青だから!」
「そんな事は無い僕の世界は白濁沈殿中だ、刻の涙が見えるほどに透き通って――」
「わわっと!」

 ふらりと傾いだ身体を慌てて受け止め、宴は肩を竦める。死にはしない、そういう身体らしいと言うのは聞いていたが、アルコールの耐性に関してはやはり人並みと言うことらしい。身体年齢や既存経験に依存する、当たり前のことだが、少し意外な気もした。なんとも自分勝手な感想だと自覚はしつつも、込み上げてくる笑いは止められない。部屋に声を響かせながら、宴はソファーに麒麟を下ろす。

 長い人生を持つと言っていた。多分、同じ時間の上で生きることになるだろう。その上で楽しいこと、暇を潰せる快楽の類を、殺伐の戦場にしか求められないのは悲しい。もっと気楽で、もっと底抜けに明るい何かが伝えられれば良い。宴にとってのそれは酒精の類だから、それに順ずるものが、見付けられれば。
 見付けることを少しぐらい手伝って、まだその時でないのならば、せめて楽しませることが出来れば。

「このままお酒を覚えてくれれば、私にもいい飲み友達が出来ることになるんだけれど――流石にこの調子じゃ、酒豪にはちょっと遠いかな?」

 身体を抱き上げ、こっそりと頬に落としたのは、軽い口付け。
 体温が上昇して赤味の差した顔、ふにふにと指先で肌を遊びながら、店へと送る。
 次の機会があったら、今度はもっと色々な所に連れ出すのも良いだろう。そのためにはデートプランを練った方が良い。忘れないようにどこかにメモでも作ろうかと思って、それもきっと無駄になるだろう、と諦める。メモをなくすか、その存在を忘れるかしてしまう。経験が強くそれを訴える、いつものパターンなのだからと。
 次があったら、それもまた、行き当たりばったりに。
 あわよくば、もう少し触れてみたり。
 楽しいことを、重ねて。

「あ、やばい。部屋にアルマジロちゃん忘れてきちゃったや、はっはっは」
「んーむ……」
「口実作って行く手間が省けるけどね」
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月14日

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