▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『緑のための季節 』
藤井・蘭2163

 ドアが開くと、朝日が玄関まで飛び込んできて、藤井・蘭(ふじい・らん)は思わず目を細めた。良い天気だ。
「じゃあ、蘭、いってくるよ」
 真っ直ぐで真っ黒な髪をキラキラと光らせながら、彼の「持ち主さん」が振り向く。玄関マットの上で、蘭は元気良く手を挙げた。
「はーい、なの! ドアのチェーンはきちんとかけて、知らない人が来ても開けないの。ピカピカ光る窓にお名前の出ないお電話は、取らずにガマンなの、留守番電話さんにお任せなの。それから、新聞やさんや訪問販売さんはきちんとお断りします、なの!」
「その通り。良くできました。お留守番、頼んだよ」
 にっこり笑って、持ち主さんは蘭の頭を撫でた。彼女は現在、大学院に通うために親元を離れている。一人暮らしをを心配して、父親がアパートに寄越したのが、この蘭だ。
 オリヅルランの化身として生まれて、はや一年。もう、一人でお留守番するもお手の物だった。
「いってらっしゃいなのー」
 持ち主さんをドアの向こうに見送って、蘭はいそいそと鍵とチェーンをかけた。
「これでよし、なの」
 しっかりかかっているかどうかを確認してから、満足げに頷くと、蘭はリビングに向かった。壁時計の針を見て、大慌てでテレビのリモコンを取る。
 電源を入れ、チャンネルを合わせると、画面一杯に鮮やかな色彩が炸裂した。クレイアニメだ。赤い汽車が、白い煙を吐きながら、青空にかかった虹のレールの上を走って行く。
「わーい、はじまったのー」
 蘭は目を輝かせて画面に見入った。
 汽車が駅に着いて、画面に現われたタイトルは『みんなで うたお!』。この番組が、目下、蘭のお気に入りである。そのタイトル通り、子供向けの歌番組なのだが、童謡をロックやポップ調に大胆にアレンジするところと、個性的なキャラクターたちが歌にあわせて織り成すアニメーションが、大人の世代にも人気だったりする。
『やあ、みんな! 今日もいい子にしてるかい?』
「はーい! いい子なの、お留守番してるのー!」
 クレイでできたピンク色の羊がクルクル踊るのにあわせて、蘭は自分もクルクル回った。
 画面の外から、水色のキツネと黄色いウサギが駆け寄ってくる。
『今日のお歌は、なーあに?』
「今日のお歌はなーぁに?なのー」
 蘭の言葉は、画面の中のキツネたちと全く同時だ。毎回この前振りは同じなのである。
 羊がバンザイの格好に前足の蹄を上げた。
『今日のお歌は、みんなも大好きな、春のお歌だー!』
「わーい、春のお歌なのー!」
 そう、折しも今は、日本全国に桜前線が席巻している。冬の名残の、コートやマフラーとも、そろそろ完全にさようならする時期だ。さっき出かけていった蘭の持ち主さんだって、風が気持ちよさそうなざっくりしたニットのカーディガンを羽織っていた。
『春といえば、きれいなちょうちょやお花だね! ちょうちょのお歌と、チューリップのお歌をメドレーでいくよー!』
 羊が言うと、キツネとウサギもバンザイて、そして三匹が声をそろえる。
『『『みーんなっでっ、うったっおっ!』』』
「歌うのー!」
 蘭もバンザイした。
 テレビ画面の中には黄色い菜の花畑が一杯に広がって、その中に飛び込んだ羊とキツネとウサギの頭上を、白い蝶々がひらひらと群れ飛ぶ。流れ始めた前奏は、少々アップテンポなポップ調だったが、よく聞けばお馴染みの童謡のものだと分かった。
 歌詞にあわせ、映像は菜の花畑から桜の並木へと移り変わり、次に真っ赤なチューリップ畑へと変わる。
 テレビの中で歌い踊る三匹の動物たちと一緒に、蘭も上機嫌で歌った。その頭の上では、新緑クマと冬色小鳥が、リズムにあわせて跳ねている。蘭がこの番組を見るようになってからは、これがいつも通りの光景だった。
「どの花みても、きれいなのー!」
 最後の歌詞を歌いきって、蘭はくるりと回る。いつもなら、360度綺麗に回転して、テレビに向き直ってフィニッシュ、なのだが。
「みゃん!?」
 回りきる直前、蘭はバランスを崩して転んだ。足許に何かまきついてきたような、ちょっと窮屈なような。そんなおかしな風に、脚がもつれたのだ。
 クッションの乗ったソファに倒れ込んだので、どこも痛くしなかったのは幸いだった。
「ごめんねなの!」
 柔らかいビーズクッションの上で、蘭は慌てて頭に手をやった。クマも小鳥も、蘭の髪の中にちゃんと座っている。
「落ちてなくて良かったの〜」
 蘭はほっと胸を撫で下ろした。立ち上がってみれば、脚はなんともない。
「……??」
 脹脛を撫でながら、蘭は首を傾げた。
『『『じゃあね! また明日〜!』』』
 テレビ画面の中では、三匹の動物たちが、蘭に向かって手を振っている。
「あっ。羊さんたち、また明日、なのー!」
 手を振り返してから、蘭は一息吐いた。
「お歌うたったから、次はお掃除しなくちゃなの」
 テレビの電源を切ると、蘭は靴下の足でトテトテと床を鳴らしながら、お風呂場へと向かった。
 やがて、お風呂場からシャワーの水音と楽しそうな鼻歌が聞こえてくる。
「スポンジさん、あわあわなのー。タイルさん、きれいきれいなのー」
 お風呂とフローリングの掃除を済ませておくのが、留守番中の彼の仕事なのだ。
 仕上げに、湿気がこもらないように換気扇をちゃんと回して、蘭はお風呂場から出てきた。次はリビングの窓を開けて、モップで床掃除だ。
 隅から隅まで几帳面に床をぬぐって回りながら、ふと、蘭は足を止めた。
 リビングとキッチンは繋がっていて、流しの隣には食器乾燥機が置いてある。蘭はそれを見上げた。朝食に使った食器を、持ち主さんは洗ってから乾燥機に入れて行った。乾燥はもう終わっていて、二人分のお皿が機械の中でピカピカ光っている。
 できれば、蘭はそれを食器棚に仕舞いたいのだけれど、持ち主さんに固く禁止されていた。
 乾燥機の乗った流し台も、食器棚も、蘭の身長からは高すぎて、お皿を出し入れするのは危ないから、と言って。
 蘭がお皿を見ていると、パーカーのフードの中に入って大人しくしていた新緑クマが、ダメだよーとでも言うように、蘭の後ろ髪を引っ張った。
「……残念なの」
 呟いて、蘭は掃除を再開した。彼の毎日の掃除により、リビングの床はいつもチリ一つ落ちていないのだった。
 そうこうする内に、あっという間に壁時計のベルが正午を告げた。
 お昼に、と持ち主さんが作っておいてくれたおにぎりで、蘭は上機嫌だ。
「おかかも、こんぶも、美味しいの。梅干さんは、ちょっと酸っぱいの」
 食べ終わると、蘭は早速テーブルの上に絵日記帳を開いている。その手が、今日のページを開く直前で止まった。
 数日前のページが、白いままになっているのだ。この日は出かけていたのだが、少し遅くなったので、帰ってすぐに寝てしまったのだ。
「そうだ、今書くの!」
 クレヨンを出して、蘭はそのページに絵を描き始めた。
 主に活躍する色は、ピンク。それも、できるだけ薄く塗る。桜の色だからだ。
 大きな桜の木の下に、たくさんの人。どの顔も一様に、楽しそうに笑っている。
「んーっと、この前、皆とお花見をしたのー。クッキー、美味しいって褒めてもらったの。おにぎり、辛かったのー」
 鉛筆でぐりぐりと書き込むのは、当日の思い出である。辛かったおにぎり、とは、恐らく桜の下に立つ女性が持っている、真っ赤な三角形のことであろう……。その、明太子とキムチが詰まったおにぎりは、子供には酷な辛さだった。間違えてそれを食べてしまったのが、よほど、印象に残ってしまったらしい。
 持ち主さんは、お花見から戻ってきた蘭が辛いおにぎりの話をしたら、「キムチも明太子も大人の味だから」と、ちょっと笑っていた。
「僕ももっと大きくなれば、からーいのも美味しいの?」
 それを思い出した蘭は、考え込む表情で首を傾げる。そう考えると、ちょっと損をしているような気もする。
「でも、今日のおにぎりは、とっても美味しかったの!」
 今日のページを開いて、蘭は次はちゃんと白いおにぎりをそこに描いた。添えられたたくあんの黄色と、海苔の黒、それに赤い梅干が美しい。
 絵を描き終えて、蘭は満足顔で日記帳を畳んだ。
 顔を上げると、開けた窓から吹き込んでくる風が頬を撫でる。蘭はレースのカーテンが出窓で揺れるのを眺めながら、欠伸を一つ。
 丁度、瞼が重くなってくる頃合だった。            
「ふみゃ……。お昼寝するの……」
 蘭は出窓によじ登ると、元の姿に戻った。元の姿、即ち、鉢植えのオリヅルランの姿に。
 出窓には、春の午後のうららかな陽射しが差し込んでいる。日光浴には絶好の場所だ。光合成がたっぷりできる。
(……とっても、気持ちがいいの……)
 ゆるやかな風が、蘭の葉をくすぐるように揺らした。暖かい風には、どこかで咲いた菜の花や、シロツメクサや、タンポポや桜の匂いが混じっていて、蘭をますます良い気持ちにさせる。
 だから、うっかり、蘭はそのまま眠り込んでしまった。窓を開けたまま。
 しばらくのまどろみの後、ゆらゆらと葉をゆすられる感触に、蘭は目を覚ました。
 暖かい風が吹き付けられている。これは、暖かすぎはしないだろうか? それに、なんだか魚くさいというか、生臭いというか。
 違和感に、ゆっくりと覚醒して、そして蘭は死ぬほど驚いた。人の姿で居たのなら、絶叫していたところだ。
(ね、ね、猫さんなのー!)
 蘭の鉢に鼻をよせ、フコフコと匂いを嗅いでいるのは、大きな黒猫だった。開け放しになっていた窓に、隣の屋根から飛び移ってきたのだろう。
 お昼に食べたおにぎりのおかかの匂いでもするのだろうか、黒猫は蘭に盛んに体を摺り寄せてくる。鉢がぐらついた。猫とはいえ、今の蘭からすればお相撲さんを相手にするのに等しい。このままでは、出窓から落ちてしまう。
(だ、ダメなのー!!)
 慌てて、蘭は人の姿に転じようとした。ところが、上手くいかない。
 足許に何かまきついているような、ちょっと窮屈なような――朝、転んだ時と同じ感覚に襲われて、蘭は混乱した。
 猫はその間にも、鼻先をすり寄せて鉢をゆする。気付いた新緑クマたちが応戦するも、猫は平気な顔だ。
 もうだめかと思った時、玄関のチャイムが鳴った。
 その音に驚いて、猫は逃げていった。間一髪だった。
「ただいま。……蘭? どうしたの」
「持ち主さーん! どうしよう、脚が変なのー!」
 どうにか人の姿になり、チェーンを上げた蘭は、ドアを開けた彼の持ち主さんに、泣きそうになりながら飛びついた。

               +++

 蘭の話を、持ち主さんは最初心配そうに聞いていたが、ややあって笑みを浮かべた。
「窮屈な感じ?」
「そうなのー。キュ、ってなるみたいなのー」
 彼女には、何か思い当たる節があるらしい。眉を寄せる蘭の前に、持ち主さんは手に下げていたビニール袋を差し出した。彼女の父親が経営するフラワーショップのロゴが入った袋だ。
 中身を覗きこんで、蘭は目を丸くする。
「植木鉢なの!」
「今の蘭の鉢より、一回り大きいやつだよ」
 言いながら、持ち主さんは鉢と鉢土と、移植篭手を袋から取り出した。
「そろそろ根っこが窮屈そうだったし、植え替え時なんじゃないかと思って」
「植え替え??」
 目を瞬く蘭に、持ち主さんはにっこり笑った。
「蘭が、去年よりも随分、大きくなったからね」
「大きくなった!?」
 持ち主さんの足許で、蘭は嬉しそうに飛び跳ねる。
「じゃあ、じゃあ、食器のお片付けもできるのー! それに、辛ーいのも美味しいかもしれないのー!」
「うーん……」
 まだまだ、腰に近い位置にある蘭の頭を撫でながら、持ち主さんは微苦笑した。
「それは、もっともっと大きくなってから、かな」


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ END








 いつもお世話になっております。
 依頼から少しネタを引く形でのご依頼、嬉しかったです。
 春爛漫の季節ですね。ちょうど、今は植物の成長の季節、観葉植物の植え替えの季節だなと、ふと思いまして……。
 イメージにそぐわなかったら申し訳ありません。
 お留守番、楽しく書かせて頂きました。ありがとうございました!
PCシチュエーションノベル(シングル) -
階アトリ クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月11日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.