▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『桜とノバラ 』
藤野 羽月1989)&リラ・サファト(1879)


 それはまだ春が来る前の事――。
「羽月さん、日本の春の花と言えばなんですか?」
 リラは彼が住んでいた場所の事が知りたくて、そう訊ねると羽月はそうだな、と懐かしげに目を細めた。
「色々あるけれど、やはり桜かな」
「さくら?」
リラは小さく首を傾げた。羽月がそれが大きな木に咲く小さな薄紅色の花である事を教えると彼女は目を丸くした。
「そんなに大きな木なのに、葉っぱは一枚もないんですか?」
「いや、花が散ってから葉が出る」
「……不思議ですね」
 リラの知る花々は青々とした葉が出てから咲くものばかりだ。大きな木に淡い色の花だけが咲くなんてちょっと想像が出来そうにない。もしかして薄紅色が木にまとわりついている感じなのかしら、と呟くリラの様子に羽月は口元を緩めた。
「そうかな。ああ、あと花が散る様がとても綺麗なんだ」
それも不思議に思う? そう問い掛けるとリラは深く頷いた。
「お花の散って行く様は少しかなしい気持ちになります」
「そうだね。……リラさんが好きな春の花は何?」
「たんぽぽ、シロツメクサにレンゲにスミレ。……それからそれから、えぇっと」
春の野に咲く花にリラは思いを馳せた。花壇で大切に育てられた花も勿論だが、野に咲く花が好きだ。初めて見た時からリラはその自由さや強さに惹かれている。勿論その可憐さにも。
胸元で手を握って嬉しそうに話すリラに羽月は目を細めた。幸せそうな声をもっと聞いていたいと思いながら、羽月は口を開く。
「春になったら野原に行こうか、そこでもう一度リラさんの好きな花の事を聞かせて欲しい」
勿論よかったらだけど。そう言われてリラは微笑んだ。幸せそうなその笑みに羽月は早く春が来れば良いのに、そう思った。


 羽月はぼんやりと外を眺めていた。春の日差しが暖かく彼を照らしている。
「覚えていてくれたんだな」
ぽつりと呟く。まだ春が来る前の約束を勿論羽月は覚えていたのだが、リラも覚えていてくれて、昨日誘ってくれたのだ。
 花がたくさん咲いたんです、だから。
 その言葉に約束を覚えていてくれたのだと、とても嬉しくなった。しかし、本当なら折を見て自分から誘おうと思っていたので、なんとなく先手を打たれたようで少し悔しい。
「お待たせしました」
 リラの声が背中から投げかけられた。手元には大きなバスケット。もしかして中身は全て食べ物なのだろうか。
「色々作ってる内に小さいバスケットじゃ入らなくなっちゃったんです」
「それは楽しみだな」
 照れ笑いを見せるリラに羽月は手を差し出した。
え、とリラは首を傾げて、しばし悩んだ後右手をそっと羽月の手に重ねた。少し俯いた顔を覗き込めば恥ずかしそうな笑顔を見る事が出来たかもしれない。が、羽月にその余裕はなく、小さな手を握り返すばかりだ。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
町の外へ向かって歩きながら、羽月は口元を手でおさえた。笑ってないよな、と確認する為だ。不意打ちだ。荷物を持つつもりで差し出したのに、触れたのは手で。驚いたけれど、彼女から触れてくれた事が嬉しかった。
ちらりと目を動かせばリラが隣を幸せそうに歩いている。視線に気が付いて、そっと微笑む少女に、羽月は僅かに笑みを浮かべた。
「荷物、持つよ」
「ありがとう」
 素直に頷いて差し出された荷物を持って羽月はリラの手を引いてゆっくりと歩く。リラは羽月に合わせて少し歩調を速める。
 楽しげな二人が街から出たのはそれからほどなくの事だ。


 ミモザのトンネルを抜けると水辺からの涼しい風が吹きぬけた。少し先に湖がある。ここが今日の目的地だ。
 一面の緑、そして色とりどりの花の色。空と湖の青。リラは知らず感嘆のため息を付いた。羽月もまた目の前の光景に目を奪われていた。
「……春、だね」
「ええ」
 草の青々とした緑のあちらこちらに咲く花々は決して強い色彩ではない。思いつく限りの優しい色がそれでも決して主張しすぎる事なく、踊っている。同じ黄色でも様々な色があるのだ、と羽月は思った。ミモザの明るい黄色を見慣れると足もとの花の黄色は少し柔らかい。その花の形は羽月も知っていた。
「これは、たんぽぽ?」
 リラは首を横に振って跪いた。そっとその葉を示すと羽月を見上げた。
「これは野ゲシです。よく似ているけど、葉っぱの形が違うんです」
成程、言われてみれば違う。リラの傍らにしゃがむと同じようにその葉を眺めた。よく見れば刺がある。羽月はそっとリラの手を引いた。
「痛くない?」
「大丈夫です、野ゲシの刺は柔らかいから。あ、ほら、あそこにスミレ」
「え?」
 にこにこと笑ってリラが示す方に確かに紫色の花がある。しかし、彼の連想するスミレとは少し違って、不思議に思って首を傾げるとリラが付け加える。
「ツボスミレって言うんです」
「スミレにも色々あるのか。スミレと言えば小さな濃い紫色の花を思い出すな……ああ、ほらあそこに」
 指し示すとリラはにこりと笑って記憶を辿る。
「あれはノジスミレですね。……あっちにはヒメジョオンがたくさん咲いているみたいです。ね、行きましょう」
そう言いながらもリラは立ち止まって、あれはヒナギクでこれはオウレンと花の名前を口にする。時には羽月からも名前を尋ねる事もあった。僅かな距離でいくつの花の名前を口にしたのだろうか。
「今日だけで随分花に詳しくなった気がするよ」
 お昼の準備をしていた彼女は羽月を振り返った。
「何気なく見ているつもりでも思ったよりたくさんのお花が咲いているんですよね。……さあ出来た、座ってください」
広げたシートに所狭しと並べられた料理に羽月は瞬いた。二人には多過ぎる。
 あぶった白と黒のパン。苺やすぐりのジャムにマーマレード。それからレバーペーストとマッシュポテト。ローストした肉に揚げた魚。ちぎったレタスにルッコラやクレソン。スライスしたパプリカとキュウリとトマト。季節の野菜のラタトゥユに採りたて果物。飲み物はハーブティと絞った果汁。
「すごいな」
「ジャムも手作りなんですよ」
「砂糖と塩は?」
 問い掛けにリラはとんと胸をこぶしで打った。
「大丈夫です! 自信作なんですよ」
「じゃあ、それから貰おうかな」
はい、と嬉しそうに返事をしてパンを手にとるリラを見ながら葉月は野原に目を向けた。


 外で食べると気分が変わるせいだろうか、4人分はありそうだと思った食事も綺麗に食べてしまった。
 幸せだな、と思う。久々に二人きりだ。いつも一緒の筈なのに、誰かしらそばにいるから余計にそう感じるのかもしれない。
 木の幹に背を預けて少年はリラを見つめる。微笑んで花を摘む少女に、もし声をかけたなら、彼女はどんな表情を浮かべるのだろう。
そんな事を考えているうちに段々目蓋が重くなってくる。もう少し見ていたいという気持ちと裏腹に少年は目を閉じた。
「……羽月さん?」
 動かない羽月が気になって近付くと彼は眠っていた。規則正しい寝息にリラは微笑む。
「疲れているのかしら?」
そぅっとリラは彼の隣に座って、摘んで来たレンゲを編み始めた。
 最初の一本はまっすぐに、それに絡めるように次々と花を絡めていくと少しづつ赤い花が連なった形が出来上がる。両手に抱える程に摘んで来た花がなくなる頃には首飾りにするにはちょっと寸足らずの長さになった。
「首飾りも素敵ですけど、花冠もいいかしら」
どう思いますかとまでは問わずに眠る少年をリラは見上げた。そうだ、とリラは笑みを浮かべる。
 花冠に仕上げて、起こさないようにそうっと羽月の頭に冠を被せる。
起きる様子のない少年の隣にリラは隣に座りなおした。少し首を傾ければ羽月の肩にもたれる事が出来るのだが、そう言う気分にはなれなかった――むしろ。
「……でも私の肩じゃ羽月さんには低すぎますね」
かえって疲れてしまいそうだとリラはため息を付く。負担のかかる姿勢はよくない――となるとやっぱり横になった方が良いかもしれません。ああでも、そこまで動かしたら絶対に目が覚めてしまいますから、ダメ。
 なんとなく自分のスカートの皺を調えながらリラは頬に手をあてる。膝枕をするには寝る前に言っておかなくては駄目だろう。
 かくん
 羽月の姿勢が崩れてリラにもたれかかる。レンゲの花冠がそれでもまだ律儀に彼の頭に留まっている事に気が付いてリラは小さく笑った。


 いつのまにか太陽が西へ傾いていた。空が茜色に染まるのも、もうすぐだろう。リラは肩を出来るだけ動かさないように注意しながらそぅっと姿勢を変えて羽月へと手を伸ばす。姿勢の変化に気が付いたのか、目を閉じたまま羽月が頭を木の方へずらした。
張り付いた髪をそっとどけてリラは羽月の頬に唇を寄せた。
「起きて下さい、そろそろ夕方ですよ」
控えめに囁く声に羽月が目を開ける。間近に見上げる瞳に微笑んで、リラの手を握る。
「もうそんな時間か、ごめん、せっかく二人なのに」
「いいえ。楽しかったです」
 笑顔になったリラの言葉に羽月は首を傾げたが、そろそろ夕方だと思い出して立ち上がる。
「そろそろ帰らないとね、行こう」
 立ち上がるリラの手を引くと荷物を持ってゆっくりと歩きはじめる。
 羽月がミモザの隣にある花に気が付いたのは林に入る手前だった。
「……桜に似てる」
「え? ノバラが? 桜ってこんな花なんですね」
「もっと小さいけどよく似ているよ」
羽月の説明にリラは嬉しくなった。想像がつかなかった花に似ているノバラをしっかりと記憶に刻む。
「こんな花が葉っぱもなく枝一杯に咲いているんですね。……きっととっても綺麗でしょうね」
「この野原と同じ位に綺麗だよ」
 二人は目を合わせて笑みを浮かべた。あの時話した桜と同じ物ではないけれど、いつか桜を話す時は同じ花を思い浮かべる事が出来るだろう。桜のように咲き乱れるノバラというのも多分悪くない。
「さあ、帰ろうか」
「ええ」
 お互いに確かめるように手を握り合って、二人はミモザのトンネルを抜けた。


fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年04月11日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.