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『『雪月歌 〜四月の雪景色の向こう側〜』 』
友峨谷・涼香3014)&彩峰・みどり(3057)


 やだ…なんで…みんな壊したいなんて、思って…。お兄ちゃん…私…自分が怖いよ…!
 ―――心は死んでいく、冷たい声に


 怖がる事なんてないじゃない。私は私。
 雪女の私も、
 人間のふりをしている私も、
 私は私。同じ私でしょう?
 素直になればいい。
 怖がる事なんてない。
 ただあるがままの私たちになればいいじゃない。
 そう、ただあるがままの妖の本能に忠実に生きて、人間を殺せばいい。
 すぐに慣れる。
 そうすれば快感を覚えるよ。
 ぞくりとこの私たちの柔肌が粟立つようなぞくりとした感触を味わえる。


 それは妖の喜び。


 人間の世界を滅ぼすの。
 忘れて。
 忘れてしまいなさい。
 人の世で生きた記憶なんか、忘れてしまいなさい。
 そうして雪女としての性を受け入れてしまえば、そうすればまるで野に咲く花を手折るように、簡単に人間なんか、殺せる。
 ね、みどり。もうひとりの私。
 一緒に世界を凍てつかせて、その喜びに打ち震えましょう。
 ―――凍てつく世界の中で力無く座り込む彩峰・みどり。その彼女に見えぬ雪女のみどりがだけど囁き続けている。後ろから淫らに両腕を絡ませて、唇を耳に寄せて、妖艶に微笑みかけながら。



「………嫌だよ。お兄ちゃん、助けてぇ」
 右手首にはめた兄の形見のバンダナをぎゅっと握り締めて涙を流すみどり。
 氷に閉ざされた世界の中でみどりが流したその涙だけが、温かな温度を持っていた。
 しかし心を蝕む冷たい声に、心は弱っていく。
 そしてやがて弱った心は蜘蛛の巣に引っかかった虫のように、ただ喰われてしまう、無慈悲な死に。
 ただその日を夢見て、嘲笑うように雪女のみどりはみどりに囁き続ける事でその無垢なる純真の心を蝕んでいく。
 吹雪く雪は激しく激しく、世界を包み込む。
 一条の日の光も届かぬ氷に閉ざされた世界の中で動くものなどありはしない。
 だけどその氷の世界の一角が、しかし何者かに斬り裂かれる。
 ―――知っている。この感覚はかつて自分を封じたあの女。
 雪女のみどりは響き渡った声に応えるように嘲笑を浮かべてみせた、その女、友峨谷・涼香に。





「………言われんでも、助けたいんや! ボケえっ!!」
 叫ぶ。
 心の奥底から。
 みどりは大切な妹だ。妹当然の子だ。
 初めて会った時、みどりは己の雪女としての性と大切な人を失った悲しみとに暴走していた。
 今も耳に残っているあの渦巻く冷気の中で聞いた悲鳴のような声を。
 ―――『よくも―――よくも―――奪ったな! 私の―――私の、かけがいないものをッ!!!』
 そして覚えている、紅蓮の切っ先でみどりを貫かんとしたその瞬間に見たみどりのあの悲しみに満ちた目を………
 大事な、とても大切で愛おしい人を失った空虚で痛すぎる喪失感は痛いほどにわかる。涼香自身もそうだった。彼女の運命に大好きだった人を巻き込んで、死なせてしまった。母親を殺された。だからこそ、みどりの気持ちがわかって。
 だからうちはぁ!!!
「うぁ――――――ァッ」
 涼香は右足を中心に一回転して、剣撃を放つ。紅蓮の切っ先でアスファルトを覆う分厚い氷を削りながら円を描いて一回転して、その勢いを利用した右斜め上へと剣を切り上げる一撃を肉食獣さながらの勢いで襲い掛かってくる妖魔に叩き込む。涼香の何倍もの重量感を持つ妖魔もその剣撃の威力に腰から上が吹っ飛んだ。
 飛び散ったどす黒い血が涼香の顔を濡らす。ほんの一瞬感じた熱さ。だがそれはその転瞬後には周りの冷気によって温度を奪われて、凍りつく。
 視界を覆うホワイトアウト。
 さらにその勢いは激しさを増す。まるで前進する涼香を遠ざけようとするように。
「そこに居るんやね? なあ、みどり。あんた、そうやって自分の殻に閉じこもってうちを遠ざけるんは、何で? それは本当はあんた自身がわかってるからやろう? うち、言うたよな? うちのようにあんたはなってはいかんよ、って。せやからうちが今あんたの所に行ったる。あんたの所にうちが行って、それであんたをもういっぺん人の側に連れていってやるさかいな。せやから待っとりぃよ。すぐや。すぐに行ったるさかいな」
 涼香は紅蓮を一閃させて、その剣風で視界の先にある冷気の壁を斬り裂いて、そして見えた視線の先にある光景に声を心の奥底から迸らせた。
「みどりぃーーーー」
 まるで唸りをあげるような吹雪く音を切り裂くようにして響き渡った、声。
 銀髪に縁取られた美貌に体感する冷気よりも凍えるような冷たい嘲笑を浮かべてみせるみどり。
 唇が囁くようにして動く。
 吹雪く雪の帳の向こうにその唇の動きを読み取った涼香は両目を大きく見開いた。
 そして紅蓮の一閃で切り裂かれた空間をまるで戻さんとするかのように激しさを増した吹雪の向こうでみどりは一条の光も無い氷に閉ざされた世界に溶け込むようにして、すぅーっと消え去った。
 それが去年の夏の事だった。



 ――――――――――――――――――
【桜、咲きて、抱く願いそこに見て、もう心迷わず】


 深夜の夜闇に濃密に混じるのは血の香りだった。
 今にも紅い雫を垂らしそうなほどに空気は飽和しきれぬほどにそれを孕んでいる。
 生暖かい夜だった。
 春、夜桜が妖艶に咲き乱れる桜の園に彼女は居る。
 まるで周りの空気の孕む香りが結晶化したかのような紅い刀身を持つ一振りの剣を持って。
「どうしたん、自分? うちを抱きしめてくれるんちゃうの? せやったら早よしてくれな。うちもな、暇やないんよ。大事な大事な人を待たせてるからねー」
 ざわりと夜気が震えた。
 今までそっと息を押し殺していた夜が、爆発した。
 一気に騒々しく、まるでそこに居る者すらも落ち着かずに挙動不審になるぐらいに狂おしいほどに夜が騒々しく、恐慌する。
 そうだ。まるで夜の一部をもぎ取って、粘土などでそうするかのようにそれを捏ねて作ったかのような一つの暗い濃密な闇が、剣を持つ彼女の背後から両手を大きく広げて、襲い掛かる。常識的には考えられぬほどの長い舌でべろりと自分の病的に真っ白な顔を舐めて。
 桜の花びらはまるで彼女を守らんとするかのように吹いた一陣の強い風に舞って、包み込む。激しく激しく激しく。
 だがそれが何になろうか?
 この桜の園では何人もの女がこの怪人に殺されていた。死因は圧迫死だ。物凄い力で何者かに抱きしめられて、彼女らは殺されていた。その彼女らの顔はどれも惨かったという。顔はうっ血した血でぱんぱんに膨らんで、両目は眼球が眼窩から飛び出すのではなかろうか?というぐらいまで見開かれていた。歪んだ口が死んでもなお悲鳴をあげているようだった、と警察関係者は言っていた。
 そうだ。ここの桜たちはこれまでそれをいくつも見てきたのだ。もう、そんな哀れな女の死体は作らせない、見たくない!!! そう語るかのように激しく女を守るように包み込む桜の花びらの嵐を、しかし怪人はいともあっさりと突き破って、彼女に向けて開いた両腕を伸ばす――――
 だが女はそんな桜の感情を、または今宵の哀れな女を抱き殺す快感を夢想して顔を崩しながら襲い掛かってくる怪人の接近を知ってか知らずか、薄く形のいい色気の漂う唇の片端を吊り上げて笑みを形作ったかと想えば、身を素早く翻らせた。まるで虚空を激しく舞う桜の花びらと共に剣舞を踊るかのように、手に握り締めた剣を旋回させて。
 ―――まさしく怪人の両手の先が彼女の柔肌に触れんとしたその時に。
 半回転の勢いを乗せた一閃は怪人の両腕を肘の部分で斬り飛ばす。
 怪人の両目が忙しなく闇夜に飛んだ両腕を追った。
 迸る赤い血に濡れた唇を今度は彼女が舌で舐めた。
 さらさらの青い前髪の下で茶色の瞳が笑った。妖しく妖艶に、そして一切の温度も無く冷たく。
「悪いなー。すまんけど、時間切れや。女心ってなー、知っとる? 変わりやすいんよ。自分があんまりにも焦らすさかい、なんや興ざめしてしもうたわ。せやから攻守交替。うちがあんたを弄って、殺したる」
 冷たく笑う彼女に怪人は悲鳴をあげようとしたが、声は喉の奥でひっくり返って、上手くは発せられなかった。
 彼女の目が鋭く細められる。
「ほんまにあんたは興ざめやわ」
 無感情の声。
 そして彼女は剣を鞘に収めた。
 身を翻し、歩き始める。
 追う、桜の花びら。
 怪人は恐怖に歪んでいた顔に気色の悪い笑みを浮かべて、そして犬歯と呼ぶには鋭すぎる八重歯を剥き出しにして、またもや彼女を背後から襲わんとす。
 だけど彼女は溜息を吐いた。足を止めて、今度はもう剣に手をかける事も、振り返る事もせずに、言う。
「悪いけど自分、もう死んでるで?」
 夜の公園を風が渡る。
 まるでそこに咲き乱れる桜の花すべてを散らせようとするかのような勢いで。
 激しく激しく激しく虚空を舞い飛ぶ桜の花びらははっとするほどに美しい淡い薄紅の花霞みを作り出して。
 数の概念を越える無数の桜の花びら舞う…花霞み、その美しい光景は果たして再び歩き出した彼女の背後で微塵に斬り裂かれた怪人が塵となって消える哀れな光景を隠すために生み出されたのだろうか?
 もしくは………
 ―――彼女の犯した罪を憂いているのであろうか? だから必死になってそれを花びらで塗り潰す。もしくは声をあげて泣きたいであろう彼女の心を代弁するかのように狂おしく乱れ飛ぶ。
 そう、桜は知っているのかもしれない。本当の彼女を。
「あんたらうちを憐れんでくれとるの?」
 ふと足を止めて、彼女は呟いた。
 空間を舞う桜の花びらたちがさわぁ、と静かに震えたように身を揺らす。
 彼女はそれにどのような桜の想いを見たのか、まぶたを硬く閉じて虚空を振り仰いだ。
「………せんといて。うちに、同情なんかせんといて。これはな、罰なんや。自分への罰として、こんなごっつう胸くその悪い戦い方をしてるんや。だってみどりも苦しんどるもん。ほんまのあの娘は優しい娘で、虫一匹すら殺せへん娘やもん。そんな娘が、今もどこかで泣いとる。雪女の性に必死で抵抗して、だけどそれでもそれを何ともできんで泣いとるんよ。せやからうちかて、苦しまんと。だってうちが、うちがもっとしっかりとあの娘の中にあった雪女を封印しとったら、そしたらこないな事にはなっとらへんかったんやから」
 つぅーっと瞼が閉じられた目の端から一滴の涙が溢れて、頬を伝い落ちた。
「お願いや。するんやったらみどりに同情してやって。うちには同情せんどいて。かわいそうなんはみどりなんや。うちは………うちは……」
 夜闇に流れる擦れた涙声。
 夜の帳を色濃く飾る花びらはそんな彼女を包み込む。
 どれだけ彼女がそれを拒絶しようが桜の花びらは必死に声を押し殺して泣いている彼女を包み込んだ。自分の犯した罪に震える孤独な娘を慈母が無条件にその温かな両腕でぎゅっと抱きしめるように。
 淡き薄紅、狂乱乱舞するその中で、幼い少女のように彼女は泣き崩れる姿は本当にとても小さかった。
 それでも現実はやはり無慈悲で、時は止まる事無く刻一刻進んで、そして彼女を次なるステージへと追いやる。
 桜の花びら夜のしじまに舞うその光景の中で、同時にいくつかの気配が突然泡のように浮かび上がった。
「友峨谷・涼香、組織からの伝令をあなたに伝えにきました」
 温度の無い、若いのかそれとも年老いているのかさえわからない声が響く。
「【葉隠れ】。組織の暗部がうちに伝令を持ってきた?」
 涼香は立ち上がり、周りの闇を見回す。しかし涼香といえども【葉隠れ】の者がここに何人居るのか確認する事はできなかった。それほどまでの実力者集団なのだ、【葉隠れ】とは。そしてその主な活動目的は裏切り者などの抹殺。そう、本来は組織とその末端である退魔師との連絡役などとは程遠い者たち。その【葉隠れ】が何故?
 ―――決まっている。想定内だ。
 涼香は体から力を抜く。諦めたのではない。その逆だ。どのような事態になろうとも対応できるように、体の力を抜き、そして周りに神経を集中させる。
「あなたが申請していた件の雪女、その情報が取れました」
「ほんまに?」
 桜の花びらが場を埋め尽くすほどに舞い散って、空間を揺れ動く。だけどそれはどこか悲壮めいていた。何故?
「ええ。諜報部が飼っている遣い魔が己の命と引き換えに送ってきた映像もちゃんと確認済みです。組織上部はその雪女の危険性などを考慮した結果、これを可及的速やかに抹殺せねばならぬ目的対象とし、その抹殺役にあなたが選ばれました、友峨谷・涼香」
 続けて声は詳細な任務内容を語る。
 もしもそこに映画監督が居れば、間違いなく涼香をスカウトしただろう。先ほどまではみどりの事を想って涙を流していた彼女が、その感情は見せずに頷いて見せたのだから。そして彼女はしれっと言う。
「了解したわ。これからうちはその任務を遂行するために動くさかい、そう組織に連絡してくれへん?」
「わかりました。それではその旨、連絡役に伝えさせましょう」
「あんたらが連絡役ちゃうの?」
 ―――わかってて、そう言ってやる。
「いいえ。我ら【葉隠れ】は友峨谷・涼香、あなたの監視役です。本当にあなたが抹殺対象の雪女を抹殺するかどうかを監視し、その任務遂行の意志が無い場合は、代わって我らがあなたもろともその雪女を抹殺する、それが我ら【葉隠れ】の役目」
 まるで空間が爆発したかのように巻き起こった花の嵐。
 夜の桜の園を渡った強き風が生み出した光景だった。
 その舞い狂う花の嵐の陰に隠れて、涼香は唇の片端をかすかに上げて自嘲の笑みを浮かべた。
 ―――組織の情報網を使ってみどりを見つけるべく、涼香はみどりを人間に大きな被害を被らせる危険な妖として組織に訴えた。涼香が持つ独自の情報ルートだけではみどりを見つけるのは困難だったのだ。危険な賭けではあったが組織にみどりを報告する事で組織もまたその巨大な情報網を使ってみどりを探すことになる。そうなれば確実にみどりを見つける事はできるに違いないと涼香は確信していた。
 そして有能な情報網であるからこそ組織はまた涼香とみどりの関係も調べ上げるであろう事も想定内だった。もちろん、みどりが強力な妖だからこそ、それを倒すために涼香を利用するであろう事も。
 ひらひらと降るように舞い落ちてくる薄紅の花びらの雨に打たれながら肩を竦めて、涼香は言う。
「いつも【葉隠れ】の頭領は何歳なのか疑問やったのだけど、案外あんた、うちよりも若いみたいやね?」
 声は何も言わず、そして涼香も構わずに歩き出す。桜、舞い狂う夜の深い闇の中を。
 裏でどのように他の意志が動こうがかまわない。ただ自分はみどりを救うために動くだけだ。例えそれで組織を敵に回すことになろうが。
「みどり、あんたはうちが命を賭けて、助けてやるさかいな」
 桜の花は人の想いを養分にして咲き乱れる。ならばその桜の園の花全てが凛と咲き誇るのは、おそらくは涼香の心を吸い込んだからか。
 もう彼女に迷いは無い。
 桜、咲きて、抱く願いそこに見て、もう心迷わず。
 夜のしんと冷え切った空気を胸いっぱいに吸い込んで、涼香は凛と顔をあげて、前を歩いていくのだった。



 ――――――――――――――――――
【雪葬送】



 山は春の装いに染まっているはずだった。
 この地方には滅多に雪は降らない。
 この季節は夜になればもう虫も鳴いているほどだ。
 なのにその虫の鳴き声ひとつ聞こえてはこない。
 当たり前だ。山は深い深い雪に覆われていた。白銀の世界に山の風景は変わっている。この地方では滅多に見られない光景。それも四月初旬に。
 昼間までは綺麗に咲き誇っていた菜の花が降り続ける雪の冷たさに負けて、雪の上に横たわっていた。
 そしてその上にただただ無慈悲に無慈悲に降り続ける雪に埋もれていく。
 埋葬されていく。冷たい雪で。



 雪が降り続ける山中で、だけど彼女は夏服だった。
 寒くはないであろうか?
 間の抜けた疑問だ。
 彼女は多分そんな事など気にはしていない。
 深い雪を掻き分けて進む彼女の茶色の髪は揺れている。その揺れる髪に縁取られる彼女の顔は心の奥底から滲み出るような恐怖に染まっていた。
 足を止めればたちまち追いかけてきているそれに捕らえられて、自分は必ず殺される。そんな悲壮感が痛いほどに彼女の表情から窺い知れた。
 しかし彼女は何から逃げているのであろうか?
 その背後から彼女を追いかけてくる気配など何一つない。
 降り積もった、降り続ける雪の冷たさにしんと凍え渡った世界で動いているのは彼女だけだ。
 呼吸をしているのは彼女だけ。
 彼女が吐き出す息だけが氷の結晶になったかのように白くなる。
 それを見ているのは鬼だった。
 とある組織の術者に飼われている鬼だ。主な任務は情報を調達する事。惨たらしい事件があった場所とか、不思議な気配がする場所へと赴き、見えないはずの風景を見、それを事細やかに術者に伝える。
 その鬼が派遣されたのは春のはずの山に雪が降るからだ。いや、時には四月にも雪が降る事はある。
 だけどそこで起こっている事は非常識すぎた。
 そしてその非常識というのは人間がつけた物差しで、他の存在の物差しで見ればそれも説明がつく場合もある。
 そうだ。去年の夏にはこんな事があった。連日の猛暑にもかかわらずに、街に雪が降った事もあったのだ。そしてその雪を降らせたのが、雪を眷属とする雪女であった。
 ならばここで起きている事もひょっとしたら………
 件の雪女はまだ逃げ延びているという。
 鬼は少女を見た。
 揺れる髪に縁取られる表情、それは恐怖、絶望、悲しみ………そして悦。
 茶色だった髪がああ、急激に変わっていく。まるで習字紙を墨汁に垂らした時かのように美しかった亜麻色の髪が、周りの雪よりも冷たい光を発するような銀髪へと変わり、そこに浮かべられている表情は………
 少女の体が砕け散り、その中から現れた氷の狼の牙と爪によって鬼はずたずたに引き裂かれて、殺された。それでも鬼は氷の狼の餌食となる前に、自らの右目を抉り出して、自分を使役する術者の下へとそれを飛ばしている。
 降り積もった雪の白に広がったどす黒い染みは、ただ延々と降る白が塗り潰した。



 ――――――――――――――――――
【私を惑わす者】



 ねぇ、みどり、あなたはあの家族をどう想う?
 ―――や、やめて。


 幸せそうだよね。私たちはとても大切な人を奪われて、悲しみに苦しんでいるのに、なのにあの家族はそんな私たちの事なんて何も知らないで、本当に楽しそう。だから壊してやりたくなる。絶望と苦痛をどれほどにも感じさせてやって、それからなぶり殺してやるの。生きているのが嫌になるぐらいに。家族ひとりひとりを別々に殺してやるから。そう、別々に。一番最後に殺すのは、一番幸せそうな、あの女ぁ。
 ―――嫌だ。想わない。助けてあげて。お願いだから、そんな事はやめて。私はもう見たくないよ。聞きたくないよ。お願いだからやめてぇーーーーー!!!



「ダメ」
 声は自分の心の中で冷たく響き渡ったのか、
 それとも自分の口からそう体の芯から凍りつくような冷たい響きを持って紡がれたのかはわからない。



 次にあがったのは楽しげに笑っていた女の子の断末魔の叫び声。



 +++


 無骨な片刃のナイフ。迫ってくる凶刃。
 その時に私は目覚めた。
 殺された男。重なった『あの時』の光景。弾けた、想い。
 ―――この瞬間に私は決定的に人間に冷めてしまった。
 私は好き。
 お兄ちゃんが、スキ。
 それは人の側に在り続けようとするみどりだけの感情ではない。
 私も、お兄ちゃんが、好き。
 その私からお兄ちゃんを奪った人間。
 憎い。
 憎い。
 憎い。
 人間が憎い。
 奪われた想い。
 冷めてしまった想い。
 人間は人間を簡単に殺す。
 ならば人間はきっと私をも殺す。
 殺すだろう、人間は、私をさ。
 だから私は人間を殺すのだ。
 それが雪女の性。人間とは違う存在である私は人間を殺す。違うから、こそ。
 そしてそれは人間が化け物と呼ぶ私から見ても正常な思考だと想った。
 人間だって動物を殺す。魚を殺す。鳥を殺す。花を手折る。木々を切る。空気を、空を、海を、大地を汚す。人間は有り得ぬ事に同種である人間を殺す。人間は人間を殺さぬことで、人間でありえるのに。
 そんな愚かな生き物、殺して何が悪い? 何がおかしい?
 同種族で殺しあう愚かな生き物、生かしておいても百害あって一利無し。
 人間は殺すぞ、私を。
 雪女である私を。
 だから私はァ!!!



 そうだ。私は正しい。
 雪女としての本能の赴くままに人を殺す事も、
 同種族さえ殺す愚かな人間から身を守るために人間を殺す事も、
 そして私からお兄ちゃんを奪った憎い人間を殺す事も、
 皆すべて正しいのだ。
 あなただってそう想うでしょう? ねぇ、みどり。もうひとりの私。



 なのに彼女は泣き続ける。
 世界を凍てつかせる私の中で、彼女は泣き叫び、私に訴える。
 ―――いやだ、やめて。
 ―――助けてあげて。
 ―――ダメ、殺してはダメ。
 奮う力を嘆き、私のやる事を否定する。
 逆に問おう。人の側に在り続けようとするもうひとりの私、あなたこそどうしてそんなにも人の側に在り続けようとする?
 人間は私を殺すよ?
 人間は人間を殺す、人間は私のお兄ちゃんを殺した、そんな愚かで憎い人間の側に何故にあなたは在り続ける? 在り続ける意味があろうか、この雪女の私が。私は雪女。あんな愚かで罪深い人間などとは違う存在。高位の存在。
 何を哀しむ必要があろうか?



 そう言う私に彼女は訴える。
 ―――私はお兄ちゃんが好き、人間が好きなんだ、と。



 愚かな。私はそれに失笑する。
 人間と雪女の私は所詮は相容れぬ存在。
 お兄ちゃんの事は私も好き。
 だけどお兄ちゃんはもう居ない。どこにも居ない。人間のお兄ちゃんと同じ人間が、お兄ちゃんを殺した。
 そんな憎い人間がそれでもまだ好きなのか、あなたは、みどり?



 ずきりと痛む胸。
 ―――果たしてその痛みは何なのだろうか?
 私にはわからない。
 みどりは言う。
 ―――そんな事は無い。人間はそれほどまでに愚かな生き物じゃない、と。



 私は顔を振る。
 激しく横に振る。
 そして力を無尽蔵に解放して、世界を雪で閉じ込める。
 誰も入ってこないように。
 私に触れないように。
 私を傷つけさせないように。
 私は拒絶する。私に触れようとするモノを拒絶する。
 いらない。もう何もいらない。
 私以外のすべては滅べばいい。
 憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。
 ワタシカラ、オニイチャンヲ、ウバッタ、ニンゲンガ、ニクイ。



 そしたらもうひとりの私が突然泣きやんだ。
 そしてずっと私を拒絶していた彼女が私を抱きしめた。



 ごめんね。あなたもずっと悲しくって、怖かったんだね、お兄ちゃんが居ない事が。お兄ちゃんの居ない世界が。
 だけど大丈夫。
 大切な人がもうひとりできたでしょう?
 お姉ちゃん、涼香ちゃん。
 彼女が私を抱きしめてくれる。
 私に優しさをくれる。
 だから嬉しい。
 だから安心できる。
 だから私はまだ人間を好きでいられる。
 私たちからお兄ちゃんを奪った人間を。
 人間は信じられるでしょう?
 涼香ちゃんがそれを見せてくれるでしょう?



 違う。違う。違う。
 私は否定する。
 もうひとりの私を否定する。
 悲しい。悲しい。悲しい。私は悲しい。
 この世でたったひとつのお兄ちゃんというヌクモリを失った私は悲しい。
 私はどうしようもなく独りなのだ。
 だから私は拒絶する。
 だから私は人間を拒絶する。
 人間を滅ぼそうとするのだ、私は。
 それが雪女としての私の本能。
 私は望む。私がある事を。
 私は悲しむ、お兄ちゃんが居ない世界を。
 だから私は人間を滅ぼす。私から、お兄ちゃんを奪って、私をただ独りお兄ちゃんの居ない世界に追いやった人間を。



 私はだから世界を滅ぼす。



 私はだから人間をまだ信じられる。



 私たちは否定し合う。
 私の言葉を。
 私の考えを。



 そして深い雪の中で人間への憎悪を叫び続ける私の前に、過去二度同じように現れたように、あの女、前に私を封印した友峨谷・涼香が現れた。
 この女が私を惑わす。だから私はこの女を殺さねばならない。絶対に。



「友峨谷・涼香、おまえはまた私を惑わす。だから私はぁー」



 ――――――――――――――――――
【みどり】


 四月だというのにその山は深い雪によって閉ざされていた。まるでこの世の全てを拒絶するように。
「みどり、あんた、ここに居るん?」
 答えは明白だ。
 あの時のように退魔刀『紅蓮』が打ち震えている。強力な妖気を放つ敵を前にして喜んでいるのだ。
 涼香はぎゅっと紅蓮を握り締めた。そして言い聞かせる。
「紅蓮、間違えんどき。みどりは敵や無い。うちが守りたい子なんや。うちの大切な子。そのみどりをあんたは斬るつもりなん? お願い。あんたの力、みどりを救うために貸してくれへん?」
 退魔刀『紅蓮』の震えが収まる。しんと静まり返った刃は鋭い闘気をその身に宿して、息を潜めているようだった。来るべき、己が鞘から抜刀されるその瞬間まで。果たしてその瞬間とはどういう時なのかはわからないが、それでも涼香は紅蓮を信じたいと想った。
 そして相棒である退魔刀を携えて彼女はその雪と氷に閉ざされた山に入った。
 だが敵はまるで自閉したコンピューターを相手にするようにはいかない。
 確かにみどりはこの山のどこかに居る。
 そのみどりを守るようにある深い雪と氷。
 しかしそれだけではないのだ。
 脅威は至る所にあった。
 氷の牙を剥き出しにして唸る氷狼。
 氷柱の剣を持つ雪人形。
 それらが一斉に向ってくる、涼香に。
 そしてそれに合わせて身を震わせる退魔刀『紅蓮』。
 涼香は笑う。
「あんたはうちが求めた力やった。母が死んで、盲目なまでにうちは力を求めて、あんたはうちに強くなれ、と言うた。なあ、紅蓮。うちはあん時よりも強うなった? 今度こそ自分の大切なモノを守れるぐらいに強うなった? あんたとちゃんと一緒に共にあれるぐらいに」
 左手に紅蓮を携えて、雪の上で両足を踏みしめて右手を紅蓮にかける。
 きつく両の双眸を細めて素早く周りの状況を確認する。目で見るのではなく、気配で悟る。敵の数と位置を。
 どうやらみどりも涼香の存在を無意識に悟ったらしい。冷気が増していく。
 周りの木が凍りついて、そして粉砕する。それを合図に雪女の眷属が一斉に涼香に襲い掛かった。
「タァァッ―――――ッ」
 気合い一閃。
 抜刀術で正面から襲い掛かって来た氷狼は紅蓮で斬った。そのまま紅蓮を両手で握り締めて、返す刀で横から打ち込まれた雪人形の剣撃を打ち払って、半身を素早く下げると同時に鋭い突きを放って、雪人形の首を飛ばす。
 振り返ると同時に放った横薙ぎの一撃は氷の矢を弾き返し、そして涼香は雪を蹴って、弓矢を構える雪人形に踊りかかる。
 白銀の舞台で舞姫が踊るは剣舞。華麗かつ繊細なその剣裁きはあらゆる攻撃を叩き落し、そして刃は敵を打ち滅ぼさん。
 強大な氷人形が自分の体を貫いた紅蓮の刀身を両手で握り締めた。一瞬のうちで紅蓮が凍りつく。もしも涼香が紅蓮から手を離すのが遅ければ今頃は彼女の両腕は凍傷を通り越して肩から落ちていただろう。
 氷人形は勝ち誇ったように右手を大きく振り上げて、涼香の頭目掛けてそれを打ち下ろす。もしもそれがそのまま涼香の頭に直撃すれば彼女の頭部はスイカを叩き割るように潰れるはずだ。
 だがしかし涼香は笑っている。
「必死やねー、自分。みどりのために。せやけどそれ、うちも一緒やから」
 言うが早いか、懐から取り出した呪符を氷人形に叩き込む。瞬間、呪符が発光して、氷人形のボディーは頭上から落ちてきた雷によって砕け散った。
 だがその砕け散った氷人形の背後から数匹の氷狼が涼香に襲いかかる。互いにどれが涼香の手足を食い千切り、胸や腹などの柔らかい部分をかじるのか、首は誰がへし折るのか、もう既に決まっているかのようだ。おそらくは集団で意識を共有しあっているのだろう。
 だが涼香は狼狽しなかった。恐慌もしない。ただ無造作に手を前に差し出して、そしてその手にまるで図ったかのように紅蓮が落ちてきて、それを握り締めると同時に、艶やかに振るう。
 数匹の氷狼を斬り倒し、それで疲れた体を休める事も無くすぐに涼香は深い雪を掻き分けて、進んでいく。
 向う先は紅蓮が教えてくれた。それがみどりの放つ妖気に共振する方へと向えばいい。進めば進む分だけ吹雪く雪が激しくなる。
 襲い掛かってくる氷狼や雪人形どもの数が多くなる。
 氷点下までに下がった外気は無慈悲に体力を削るし、連戦に次ぐ連戦に疲労も蓄積していく。しかしそれでも涼香は歩みを止めなかった。ただ直向に紅蓮が反応する方へと足を運ぶ。
 そしてまるでそうやって涼香が来るであろう事を察知していたかのようにそれはそこにあるのだ。激しく渦巻く冷気の壁。まさしくそれは何者をも寄せ付けない絶対なる防壁であった。
 その向こうにみどりがいる。
 閉ざされた雪と氷の世界で、また独りで泣いとるん、みどり?
 ―――涼香の真っ青な唇が動いて、そう囁いた。
 どくん、と紅蓮が脈打つ。そして今までで一番の気を紅蓮が発する。涼香の想いに呼応するかのように。
 その事に涼香は目を見開き、その後に柔らかに細める。
「おおきに、紅蓮。あんたはやっぱりうちの最高の相棒や」
 白い息を吐きながら紅蓮を両手で握り締めて、真っ直ぐにみどりの心の殻を睨みつけて、剣を振るわん。
 退魔刀『紅蓮』。例えそれでもその渦巻く冷気が生み出した壁に敵わなかったろう。そう、普通なら。しかしその一閃には想いが込められていた。涼香の、そして紅蓮の。
 故に起きた奇跡。
 斬り裂かれた冷気と冷気の裂け目から覗く向こう側に、居た。みどりが。


 剣撃一閃。
 その一撃に冷気と冷気が割れる。


 それを嫌うかのように目の前にある全てを拒絶するように何者をも受け付けない冷気の壁を、しかし紅蓮が斬り裂く。
 割れた冷気と冷気の裂け目から垣間見えた向こう側にひとりの少女がいる。
「みどりぃ――――」
 冷気の壁の向こうでまるで悲鳴のような声で泣き叫んでいたみどりの名を呼んだ。
 そしてそれに対して発せられたのは、
「友峨谷・涼香、おまえはまた私を惑わす。だから私はぁー」
 雪女、みどりのどす黒い殺意だった。
 みどりの前に競り上がる霜柱。それは凄まじいスピードで出現し、3メートルぐらいまで伸びると、一気に砕け散って、その破片は涼香を襲った。
「殺らせへん、あんたにうちをぉー」
 呼気を口から発しながら涼香は印を結んだ。
 そして空中に投げた呪符を紅蓮の切っ先で貫く。
 瞬間、頭上から走り落ちた落雷がすべての氷の破片を打ち落とした。
 雪煙があがる。涼香は両手で握り締めた紅蓮の切っ先で雪を削りながら真っ直ぐにみどりに向って走っていく。
「うぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーッ、ありゃぁー」
 そしてみどりの数歩手前で足を滑らせるようにして立ち止まって、その勢いのままに雪を切っ先で削っていた紅蓮を弧を下から描くようにして振り上げた。
 舞い上がる雪煙。
 その雪煙を斬り裂く紅蓮。
 振り上げられた紅蓮は袈裟斬りに振り下ろされた。みどり目掛けて。
 みどりの方も氷の防御壁を張るが、それが紅蓮を打ち止める事が出来る事も無く、刀身はあっさりと氷の防御壁を打ち破って、みどりの体に吸い込まれた。
 ただしそれは峰打ちだ。それでも叩き込まれた紅い刀身の衝撃は多大なモノで、みどりの体は虚空を舞って、雪の上に落ちた。
 その瞬間にぴたりと雪が止んだ。
「みどりぃー」
 紅蓮を投げ捨てて涼香は悲鳴のような声をあげて、みどりに駆け寄った。
 雪の上に倒れたみどりを両腕で抱き上げて、抱きしめる。
「ごめん。ごめんな、みどり。許しといてな。あんたを今日の今日まで助けられへんかった。あんたが泣いてるの、うちが誰よりもよう知っておったのに、来るのが遅うなってごめんな。せやけどもういいんよ。もう、うちが来たから。せやからあんたはもう泣けへんでもいいんやよ」
 必死に訴えた、自分の想いを。本心だ。もう泣かせたくない、みどりを。だから涼香は抱きしめた、みどりを。
 逆手に持っていた氷柱を振り上げて、それで涼香の頚動脈を刺し貫かんとしたみどりの手が、だけどそれに止まる。



 惑わせる、この人間が。雪女である私を。
 ―――違う。わかっているでしょう?



 何が?
 ―――初めて出会ったあの日、涼香ちゃんが見た眼は私の、眼じゃない。あなたの眼なんだよ。
 涼香ちゃんはわかってくれたんだよ?
 くれるんだよ、涼香ちゃんは。だから信じようよ、人間を。
 もう一回信じようよ。
 お兄ちゃんを信じて、好きになった時みたいに。
 ねぇ、もうひとりの私。
 悲しみや憎しみだけで生きられないのは人も妖も同じ。居るよ、私たちの隣に。ちゃんと涼香ちゃんが居るよ。



 お兄ちゃんが私に優しくしてくれたように、この人間も私を、受け入れてくれるの?
 ―――うん、そうだよ。




「今、もう一度、封印したるから、あんたの力を」



 その涼香の言葉に雪女のみどりの双眸が大きく見開かれた。
 零れる涙は、だけど温度を持ってはいなかった。
 ――――ほらね。だから言ったんだ。人間は所詮は相容れぬ存在だって。



 再び振り上げられる氷柱。
 頚動脈目がけて………



 しかしその手を捕らえる数珠。


 みどりは自分を抱きしめる涼香を妖気でふっ飛ばし、
 そして自分の体を八方向から数珠でそれぞれ捕らえて、印を結び始めた術者たちを睨みつけた。
 止んでいた雪が降り始めた。
 激しく激しく激しく。
 荒々しく風に踊る銀髪に縁取られるみどりの美貌にしかし感情は浮かんではいない。だが、だからこそみどりの美貌に恐怖を感じた。それだからこそみどりの顔からは冷酷無比な彼女の雪女としての性を充分すぎるほどに感じられたのだから。
 そしてみどりは笑う。
 瞬間、彼女の体は氷柱によって覆われた。そしてその氷柱の中でみどりは両目を見開き、同時に【葉隠れ】の数珠がすべて弾け飛ぶのだ。
 それに連動して弾け飛んだ数珠の全てを串刺しにして伸びる霜柱。その終点にあった【葉隠れ】の者の骸。みどりを中心にして八方向に伸びた霜柱の列の終点には、無残にも霜柱によって全身をずたずたに串刺しにされた【葉隠れ】の者の最後の姿があった。しかしその彼らのどれもがきっとその痛みは感じずに死んだだろう。何故なら霜柱によって刺し貫かれる前に彼らは数珠を伝わって襲われたみどりの冷気によって心停止に追い込まれていたのだから。そう、既に絶命していたのだ、彼らは霜柱に串刺しにされるまでもなく。
 砕け散る、【葉隠れ】の者の骸。
 涼香は見た。彼女の視線の先にあったまだ14、5の少年が目を大きく見開いて絶命するのを。一瞬にして凍りつくのを。霜柱に串刺しにされるのを。そしてその骸が砕け散るのを。
 それからみどりは涼香を見て、笑う。
 ―――だけどそれは見間違いだろうか? まるでその表情が泣き笑いのように見えるのは?
 思わず退魔師の本能で涼香は紅蓮を手に取り、構えてしまっていた。呪符までもその手に取って。
 口は早口に術発動のための言葉を唱えていて、それに自分自身で涼香は気付いて、はっとする。
 間違いなく今自分は、本能によってみどりを滅さんとしていた。強力で残忍な妖として。
 激しく雪が吹雪く中でも、それでも涼香の双眸から溢れ出した涙が凍りつく事は無かった。
「うるぅあぁーーーーーーー」
 涼香は両手に持っていた紅蓮と呪符を捨てて、両手を握り締めて、大きく開け広げた口から声を迸らせた。心の奥底からあげる声にならぬ声を。それは悔しげでもあり、悲しみでもあり、その他にも色んなモノが織り交ざった感情だった。
 雪女、みどりは両手に握り締めた氷柱の剣を振りかざして、涼香に肉薄して、銀髪を荒れ狂う雪風に好きなように暴れさせながらその髪の隙間から泣き叫ぶ涼香の顔を睨みつけて、振り上げた氷柱の剣を振り下ろさんと。
 だけどその刃の切っ先が今まさに涼香の額に触れんとしたその場所で止められた。
 果たして見えたであろうか、涼香にも。
 雪女、みどりの右手に必死で両手を絡ませて、その一撃を止めたみどりの姿のビジョンが。それは想いの力であった。想いが姿を形成して、そして止めたのだ。
「………みどり」
 涼香は擦れた声で呟く、みどりの名前を。本当に心の奥底から助けたいと望んだ者の名前を。
 みどりは涼香を見、そして必死な表情で訴えた。そのビジョンのみどりの唇の動きに合わせて、銀髪に縁取られた顔にある唇もまた動いた。
「………助けてぇ」
 そして凄まじい叩きつけるような風が吹いて、涼香の前からみどりは消え去った。



【ラスト】


 雪は消え去っていた。
 しかし雪は消え去っても、雪の重みに折れた花の茎が戻るとは思えなかった。
 その折れた花を涼香は呆然と見つめていた。
 自分はみどりを助けたいと想っていた。
 そしてまた、自分にはみどりを助けられると想っていた。
 だけどその自分がその手でみどりを殺さんとしたその事実に愕然とした。
 しかしそんな自分に救いの手を求めたみどり。
 みどりは確かに涼香に助けを求めた。
 耳にはこびりついていた、みどりの声が。
 紅蓮を手に取り、そして涼香はそれに言う。
「足りへん。うちにはまだ自分の守りたいモノを守られるだけの力が足りへん。もうあんな想いは二度としたくなくって、せやからあれからぎょうさん修行して強うなったつもりでおったのに、それでもまだうちには力が足りへんかった。悔しい。うちは悔しい」
 ―――我と共にありたくば、己を磨け涼香。
 あの日、紅蓮に伝えられた言葉。しかし紅蓮が今再びそれを涼香に言う事は無かった。
 だがそれは紅蓮が涼香を見捨てたからではない。
 己が無力さを知っても尚、そこから立ち上がれる強さをあれからの経験で彼女が有している事を知っているから。そして自分の無力さに泣いた彼女がこれまで必死に力を追い求めてきた事を知っているから、だから紅蓮はもう涼香に何も語り掛けない。
 折れた花に添え木をして、そして涼香はそこを立ち去った。
 確かにみどりは助けを涼香に求めているのだから。


 ― To be continued ―




 ++ライターより++
 


 こんにちは、友峨谷・涼香さま。
 いつもありがとうございます。
 こんにちは、彩峰・みどりさま。
 はじめまして。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼ありがとうございます。
 タイトルの方は前回のお話の続きということであのようにさせていただきました。
 涼香さんの方は過酷なまでのみどりさんを取り戻すための戦いを。そして様々な想いの葛藤を。
 みどりさんの方は人間の側に在り続けたいという想いと、雪女としての想い、悲しみ、そういった想いのぶつかり合いを描写してみました。


 涼香さんの方は過酷なまでのたった独りでの戦いを演出する事で彼女が置かれている身を描写しようと想ったのですが、それが本当に書いていて楽しかったです。
 前半でのみどりさんの痛みを思い知るためにわざと嫌な戦い方をしたり、みどりさんを思わず退魔師としての本能で滅さんとしてしまうシーン。そしてラストで花に添え木をして立ち去るシーンはお気に入りです。おそらくはこれからの戦いは雪女のみどりさんや組織との競り合いよりも本能でみどりさんを滅さんとした自身との戦いが重要となると想われますし、だからこそ雪女のみどりさんの想いに涼香さんが何かを感じられるのだと!


 みどりさんはですね、みどりさんを描くよりも、雪女のみどりさんを描く事でみどりさんを描きたいと思いました。
 今回のお話の雪女のみどりさんは初めてのみどりさんと涼香さんの出会いを読んだ時に感じられたイメージで書かせていただきました。ただ残忍で冷酷無比に見える雪女のみどりさん。でもそこにあるのは実は憎悪ではなく、ただただ哀しみがあるのではないのか、と。
 PLさまの中にある雪女のみどりさんはどのような言葉で語りかけてきますか? その言葉と、今回のノベルで書かせていただいた雪女のみどりさんの想いが重なるのでしたら、本当に嬉しい限りでございます。^^
 救われるべきなのは本当にみどりさんも雪女のみどりさんも一緒なのでしょうね。



 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月11日

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