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『光ノミチ 』
千影・ー3689


 其処は音もなく 冷たい闇だった
 何もかもが不確かで

 己の存在すら消え入りそうで――

 取り巻く凡てのものに僅かの感慨も覚えず
 ただ流れる如く時が過ぎてゆく

 眸を開いてみても 眼前には漠々と昏い世界が
 遐(とお)く 果てなく続いているばかりで
 闇はいつだって同じ その姿を変える事はなかった


 だから
 何一つ変わる事なんてないと思ってた


 お日様が暖かいのも 雨の日が気怠いのも
 お昼寝が気持ちいいのも 人の手がとても温かいのも

 そんな世界がある事すら知らずにいたから

 あの日、光を見つけるまでは――

□■

「ここどこぉ?」
 千影(ちかげ)は小さな口を尖らせて視線を左右に振った。
 暗く静まり返った闇に少女の声が反響して、やがて吸い込まれるように無音に戻る。
 残響だけが漣のようにいつまでも耳に残って、故にかえって独りを感じざるを得ない。
 その一連のねっとりした感覚が、闇を更に不気味なものに感じさせている。
 
 コツコツコツ――

 お気に入りのブーツの音だけがぴったりと千影に寄り添って従う。
 響く靴音は速度を変えて、暫く周囲を彷徨っていた。
「ぇふ。まっくらだよぉ……」
 一体何処に迷い込んでしまったのだろう。足を止めた千影は逡巡して幾度か眸をしばたたかせた。
 一面の闇は顎門(あぎと)を開いた魔物のようだ。
 広がる黒い世界には人影はおろか植物や風の気配すらない。一縷の“生”も感じられない。
 肌に纏わりつくような凍える瘴気を背の両翼で払いのけ、千影は首を傾げた。

 
 ――ちりりん―……


 漆黒の羽片がひらひらと揺れ落ちる。
「……ちゃん」
 口の中で大切な名を呼ぶ――それが引き金になったのか、唇頭を噛んだ少女は大きな眸を凝らして気配を読んだ。
「チカ、こんなところにご用ないもん」

 とにかく此処から出なければ。

 人為らざる千影の眸は最大限に瞳孔を拡大させ周囲を窺う。猫のそれと酷似した翡翠の珠が小さな光を捉えた。
 視線の先、空漠な闇の中に朦朧(ぼんやり)と暮れ泥む禍時のような臙脂の天が遠く見えた。
「うにゃん? ……ゆうやけ?」
 ぱちぱちと瞬きをした千影は一人呟いて小首を傾げる。
 ツインテールの柔らかな髪がはらりと肩から滑り落ち、リボンの鈴がちりりんと鳴った。


 ――ちりりん―……


 ――ちりん―…


 ――ちりりん…


 駆け出した千影が跳ねる度に小さな鈴の音が辺りに木魂する。
 やがて、光球が終焉色に傾く時刻のような景色に近付いた。辺りは夕暮れの荒野のようだった。
 オレンヂに染まった大地は暗闇よりもずっと寂々としていて孤独を浮き彫りにする。
「にゅ? だれかいるっ。ここがどこか聞いちゃお♪」
 人影を認めた千影は人影に駆け寄った。

「ねぇねぇ、ここどこなの?」
 訊ねた千影の声に振り返った大人達は刺す様な眼で少女を見下ろした。
 その眼はどこまでも冷たくて攻撃的で……千影は小さな混乱を覚え眉を下げた。
 悪意に満ちた視線が千影を貫く。

「なんだ、出来損ないのガキじゃねぇか」
「異端児ってやつか」
「どっちにしろ役立たずだな」
「いらぬ存在だ」
「目障りだ、反吐が出る」

 大人達の口から次々に投げられる悪言罵倒を千影は返す言葉も見付からず、ただ聞いていた。
 返す言葉が無かったからではない。咄嗟に理解出来なかったというのが本当である。
 いつしか大人達はうんと高い位置にいて、彼等の背後から指し照らす光が逆光線となり、大人達は大きな黒い影の塊になっていた。
 巨大化した大人達を少女は真っ直ぐ見上げていた。
 千影はそう感じたのであるが、実際は千影の方が“縮んだ”のだ。

「いたんじってなぁに?」

 黒い子猫の姿になった千影はくりくりの眸を瞬いて首を傾げる。


 ――できそこないって悪いこと、なの?


 ――チカはただ、ここにいたいからいるんだよ


 ――だって、ここにはチカの大好きな光があるんだから


 ――チカは……光があるからここにいられるの


 ――大切なものも大好きなものも、たくさん見つけたけど、でもそれはぜんぶ光があるからなの


 ――だから光はチカのすべてなの


「おじさん達はチカと関係ないもんっ。あんまり煩いと食べちゃうんだから」
 上目遣いに睨みつけた千影がぷぅっと頬を膨らませる。


 唯一無二の大切な人。


 ――“いたんじ”とか“できそこない”とか……難しい事はわかんないけど


 彼が笑ってくれたらあたしも嬉しいから


「いじわる言っちゃダメなんだから。おじさん達お友達できないよ」
 イーッと舌を出した子猫はくるりを翻ると闇の方向へと駆け戻ってゆく。

 真っ暗な中を走って走って――

□■

 暖かな陽射しが丸められた背に注がれていて、ぽかぽかと春に包まれているようだった。
 

 ――あったかい……


 ――夢、だったんだぁ


 そこに大好きな人がいる。
 優しい気配に、夢から醒めた千影は眸を閉じたまま頬を緩めた。
 ゴロゴロと喉だけを鳴らして、大好きな大好きな手のぬくもりを、このまましばらく楽しむ事にして。


 ――チカの帰るばしょはたった一つ。ここだけなの




=了=





■■□□
 ライターより

 千影様、はじめまして。幸護です。

 この度はご指名頂きまして有難う御座います。
 私の体調管理が至らなかった所為で、
 大変お待たせしてしまいまして本当に申し訳御座いません。

 この度は夢の中の出来事という事で
 千影さんには闇の中を彷徨って頂きましたが如何でしたでしょうか?
 少しでもお気に召して頂けると幸いです。

 もしイメージが違う等御座いましたら、ご連絡下さいませ。
 以後、気をつけさせて頂くと共に、今後の参考にさせて頂きます。

 またお逢い出来る機会があればとても嬉しく思います。
 この度は本当に有難う御座いました。
 


 幸護。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
幸護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月08日

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