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『早観梅 』
威吹・玲璽1973)&朱束・勾音(1993)

 桃の節句と言った所で、実際はまだ桃の花が咲くにはちと早いってんだ。ましてや、それからたかだか十日余りで、桜なんぞ咲く訳がねえっつうの。
 だからって、梅で花見はねえんじゃねぇの?
 「全く、風流って言葉の意味を知らない男だねぇ」
 そう言ってババアは、軽く声を立てて笑った。


 二月の中頃、俺はババアからバレンタインだからと言ってチョコレートを貰った。
 っつっても、アーモンドチョコを一粒、口ん中に捻じ込まれただけだったんだがな。まぁ、寧ろその方がババアらしいっつうか、あれで逆に、若いオンナノコみたいに、ピンクの包装紙に包まれたチョコを頬でも染めて手渡しされたりした日には、そりゃもう夢でうなされるっつうの。若い女と言えば、誰ぞかは、色気の欠片もねぇ板チョコ一枚寄越したっきりだったからな、それと比べりゃ、年の功でまだ許せるってもんだよな。
 それはともかく、例え相手に大した意図はないとは言え(あったらあったでその方が怖いって)貰ったものには返すのが道理。と言う訳で三月十四日の所謂ホワイトデーに、俺はババアにキャンディの包みを一つ、買って渡した。
 「へぇえ」
 ババアがそれを受け取り、手の平で転がしてライトに透かして見たりする。羽根突きの羽根みたいなそれは、半紙みたいな半透明の梳ける白い紙で中に何個かの飴が包まれている。んで、その捻った結び目に光沢のあるペールブルーのリボンがちょこんと結んであったりする、ババアとは比べ物にならない程の可愛らしいモンだから物珍しかったのかもしれないな。ババアは手の上に乗せたそれを、四方八方と視線の向きを変えて観察している。にやにや笑っているその顔が気に入らなくて、俺は眉を顰めて睨み付けた。
 「何だよ、言いたい事があるのならはっきり言えよ」
 「いや、別に?ただ、おまえがどんな顔をしてこれを買ったのだろうと想像すると、ねぇ」
 そう言ってババアはまたにやりと口端を歪めて笑う。うっ、と返答に詰まる俺に、してやったりと言わんばかりの表情で肩を揺らした。
 ああ、確かに、俺には縁のない場所だったよ!大体だな、ホワイトデーってのは、男が女にお返しをするんだろう?なのに何で、その特設会場っつうのは、あんな白やら青やら黄色やらで華やかに飾り立てられてんだよ!しかも、その売り場に、何で店員じゃねぇ女がうろうろしてんだよ!ついでに!幾ら女にやるもんだからって、何でこんなにファンシーな包装したやつばっかなんだよー!
 俺の心の叫びが聞こえたのか、ババアはやっぱり、無言で肩だけ揺らして笑っていやがった。
 「私がおまえにやったのがアーモンドチョコ一粒だったからね、きっと、おまえも飴を一つ、アーン♪と私の口の中に入れてくれるのかと期待していたんだけどねぇ」
 「は、ンな事したら、俺の指が食い千切られちまうってえの」
 「失礼だね、私にだって食の好みってもんはあるさね」
 すると何かい、好みの相手の指だったら、喜んで食ってるんかい。
 「ああ、お眼鏡に適わなくてそりゃ幸い。金も命も惜しいが、指一本でも俺は惜しいからな」
 「ケチ臭い事をお言いでないよ。…まぁいいさね。玲璽、この後何か用事があるのかい?」
 不意にババアがそんな事を聞く。俺は何も言わず、首を左右に振る事で何もないのだと伝えた。ババアがこう言う聞き方をするときは、意地でも暇を作れってのと同意語だから要注意だ。まぁ実際に、何の用事も約束もなかったのだからいいのだけど。
 「じゃあ、ちょっと私と付き合いな」
 「申し訳ねえ、俺は、年上の女も好きだが…」
 そんな軽口を叩く俺に、ババアは可笑しげに笑って俺の額をツンと突付いた。
 「だから言っているだろう?私にも好みがあるんだってね」


 そんなこんなでババアに連れて来られたのは、ここもまた如何にも俺には縁の無さそうな、どこぞの高級料亭だった。と言っても、正面から入った訳ではなく、ついでに言うと店もその夜は休業のようだった。裏口から中に入り、ババアは勝手知ったる何とやらで、迷いもせずに中庭へと向かう。ここはどこかの公園かい、と思いたくなる程、馬鹿に広い庭を歩く。辿り着いたそこには紅白の梅が一組、今が盛りと咲き誇っていた。綺麗に晴れ渡った夜空には、星と、爪の先みたいに細い月。吹く風はさすがにまだ肌寒いが、それに梅の香が混ざっただけで、その冷たさも許せてしまうから不思議なものだ。みっちりと植わった柔らかな苔の上に緋毛氈を敷き、塗の重箱に詰められたちょっとした酒の肴と熱燗。この寒さで、酒も早々に燗冷ましになりそうな勢いだが、それも梅の香りに紛れてしまえば、どうでもよくなってしまう。こう言う反応を示す辺り、ババアに文句を言っていても、結局は俺もこう言うのが嫌いじゃないんだって事がバレちまうな。
 「……何、ニヤニヤしてんだよ」
 「……別に?」
 そんな俺の腹を見透かしたみたいに、ババアがまたヤらしい顔で笑っていた。

 俺が差し出した杯に、ババアが酌をする。ふわり、湯気と一緒に、温められた酒特有の芳香が鼻の奥を突いた。オットットとお約束の声を漏らして口から杯を迎えに行くと、ババアが俺の後頭部を軽く叩くので、飲み損ねた酒の所為で思わず噎せてしまった。
 「ぶっ…あにすんだ、コラ」
 「全く、粋な酒の飲み方一つ知らないんだから、困った男だねぇ」
 「ンなの関係ないだろ。酒ってのは楽しんで飲むから旨いんじゃねえか。畏まって飲んだって消化に悪いだけだって」
 「そりゃまぁそうなんだけどね」
 ババアにしてはあっさりと俺の意見に同調する。少しだけ拍子抜けした俺は瞬き、隣で、正座を崩して両足を斜めに流して座っているババアの顔を見た。
 職場が同じなのだから、当然、人間関係も俺とババアでは重なっている訳で、そんな奴らを酒の肴に、俺達は他愛もない話を交わしながら、杯も一緒に交わしていた。
 俺がイヤガラセのようになみなみに注いでやった杯を、ババアは何でもない事のように、一滴も零さず、くいと一気に飲み干す。仰け反らせた顎と露わになった白い首筋が、僅かな光を弾いて生白く、夜の闇に浮かび上がる。こう言う姿を見る時、俺はいつも、勾音はやはり夜の住人なんだな、と再確認するのだった。
 「なんだい?」
 俺の視線に気付いたか、ババアが首を傾けて俺の方を見る。酒に酔ったように眦がほんのりと桃色に染まっているが、これしきの酒でこの女が酔う筈はねえ。…と言う事は…。
 「いやぁ、傍にあんまりイイ男が居るもんで、さすがのババアも酔っちまったのか?って思ってな?」
 ニヤリ、笑って俺がそう言うと、ババアの奴、片手で庇を作って眉の辺りに翳し、辺りをきょろきょろと見渡した。
 「イイ男?どこに居るんだい。暫く見てないから、是非ともお目に掛かりたいもんさねぇ」
 「………おい」
 俺が半目で裏手ツッコミをする真似をすると、珍しく声を立てて勾音が笑った。
 「ああ、梅の花ってのはいいねぇ…見栄えでは桜には敵わないが、この、ひっそりと漂う香りが良いのさ。夜だと、その香りが一層際立つものさね」
 「って事はあれだ、梅の香りに酔っちまったか」
 俺の言葉に、そうかもしれないね、とババアがまた素直に頷いた。

 杯を片手に持ったまま、ババアが、溜息のように細く息を吐いて空を仰ぐ。俺は手酌で酒を注ぐ、それを口許に運ぶ途中、隣から小さな声が聞こえた。
 「…玲璽は、あと何年生きるかねぇ」
 縁起でもねえ、と言い返そうとした俺だが、ババアの、妙に儚げな笑みに毒気を抜かれ、思わず言葉を飲み込んでしまった。
 俺は、勾音がどの位生きているかは知らねえ。ババアが何歳かなんてこれまで興味も持たなかったし、第一、本人にそんな事を聞いたら、笑顔のままで俺を八つ裂きにするに違いない。その顔と身体は、いつでも生命力と精神力が漲り若々しく感じるが、その赤い瞳に浮かぶのは明らかに老成した知識と感性だ。それだって、俺はそんなに沢山の年寄りを見てきた訳じゃねえから、その貫禄を得る為にどれだけの年数が必要かなんてのは想像もつかない。ただ、俺よりは長生きしてるんだ、ってのが知れるだけだ。誰に聞いたかは忘れたが、ババアはババアらしく、相当長く生きているらしい。多分、目の前の、年季の入った梅の木なんかよりも遥かに長く、そして俺なんぞの生なら、星の瞬きかと紛うほどに。
 ババアはこれまでに沢山の死を見てきた筈だ。その中には、当然親しいものの死もあっただろう。それを、何の感慨も無くババアは見送ってきたのだろうか。例え、そのひとつひとつにいちいち悲観していなかったとしても、今俺の足元を横切って行く蟻を見送るようにはいかなかっただろう。
 今夜のババアの雰囲気は、何故かいつになく穏やかな気がする。俺の気のせいかもしれないが、物言いも妙に優しいように思えるし。それが、俺に掛けられた梅の香の幻覚なのか、それとも逆に、勾音に魔法が掛かっているのか。勾音が着物の襟元をツイと整えるその仕種、その白い指先が妙に女めいていて、俺は驚く。ババアの色香にびっくりしたのではなく、普段、いろんな意味で化物染みているババアが、妙に人間めいて見えたからだ。いずれにしても、それらの変化は、陽が昇れば消えてしまう程度のものだ。勾音は勿論、俺もどちらかと言うと夜の住人だから、夜が明ければ塒に帰っていくより他ない。今夜の事を、特に秘密にする訳でもなく、また想い出にする訳でもなく。
 「ああ、そう言えば、玲璽」
 思い出したよう、と言うより思い付いたように、ババアが切り出す。最近のあいつはどうだとか、昨日は誰がどうしたとか、俺とババアの身の回りにいる連中の話を口にする。
 「で、おまえはどう思う?最近、あの男は妙に寡黙じゃないかい?」
 「あいつが静かで無愛想なのは前からじゃねえか。特別に煩い女…が居るから、釣り合いが連れて丁度いい」
 「おや、今、女『達』って言い掛けなかったかい?」
 鋭い突っ込みに、俺は無言で首を左右に振る。その反応では、その通りですと白状したようなものだが、ババアはただ楽しそうに肩を揺らして笑っただけだった。


 薄らと東の空が白み掛けた頃、ようやく酒宴はお開きになる。緋毛氈から降りて背伸びをしていると、ババアが俺を呼んだ。
 「玲璽」
 「んあ?」
 欠伸交じりの気の抜けた返事をする俺に、勾音は口許に笑みを湛えたままでこう言った。
 「こんな我儘に、嫌な顔ひとつせずに最後まで付き合ってくれるなんて、おまえもよくよくのお人好しだねぇ」
 喉で笑うババアに、俺もにやりと口端を持ち上げてみせる。
 「そりゃそうだろ。じゃなかったら、あの店でいつまでもこき使われていねえって」
 言うねぇ、とババアが笑いながら固めた拳で俺の胸板を突く。イテテテとわざとらしくフラついてみせながら、俺も同じように笑っていた。


おわり。


☆ライターより
 いつもいつもお世話になっております、そして毎度ありがとうございます!へっぽこライターの碧川桜です(礼)
 亀並みのお仕事受注ペースの所為で、ホワイトデーネタがこの四月に納品となってしまいました…すすすみません…(汗)、あ、でも、桜前線も遅れているみたいですし、丁度イイですかね(ンな訳ないだろ)
 と言う訳(どう言う)で、ホワイトデーのお話・その一をお送り致します。その二も近々納品させて頂きますので、もう暫くお待ちくださいませ。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月08日

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