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『The keyhole 』
東條・薫4686



Scene 1 : keyhole

「お疲れ様でしたー」
「お疲れー」
 稽古が終わった後の心地よい疲労感に包まれた身体を、緊張から解き放たれた程よいざわめきが通り過ぎていく。仲間達に声を返しながら、俺はTシャツの裾を引っ張り上げて肌に浮いた汗を拭った。
「やだ東條さん。お腹丸見えですよー」
「あははっ。相変わらず引き締まった身体してんなぁ」
 途端、後輩の女子と同期の男が通り過ぎざまに軽い声を投げていく。俺が冗談じみた会話にノらない事を承知の上で、彼らは絡んでくるのだ。機嫌を取るわけでも協調を強いる訳でもないその絡み方は、俺にとって決して不快なものではない。
 だからと言って、それを歓迎している訳でも、ない。
「お疲れさん」
 夕食をどうするだの何処かへ行くかだのとあちこちで会話の花が咲く中、着替えを済ませた俺はいつものように一人で帰路に着いた。
 日が暮れた街は、俺をすっぽりと抱きこんでしまう。通い慣れた道を特に急ぐでもない足取りで辿り、途中のコンビニで弁当を買った。今日は自炊する気分にならない。練習がきつかったとは思わないが、身体のどこかが疲れているようだ。
 体調を崩す前兆でなければいいが。
 今日は早めに寝た方がいいかも知れない。着実に迫ってきている公演日を頭の中のカレンダーで確かめ、俺は一人頷いた。
 アパートの階段を上がり、ブラックジーンズのポケットから鍵を取り出す。アパートの廊下はぼんやりと電灯に照らされて明るい。
 古びた鍵穴に差し込んで捻る。
 カチリ、と音がした。


Scene 2 : Child who lost his parents

憶えている限りで最も古い記憶は何だろう。そう考えた時、俺の思考は何故か叔父夫婦の家に初めて「ただいま」と言って帰った事を思い出す。
他にもあるはずの古い記憶はその日の叔父夫婦の笑顔の前に霞み、おぼろげな両親の思い出に溶け込んでいく。
色褪せた、だから郷愁を誘う、遠い遠い日の思い出に。

 カチリ、と音を立てて鍵が回る。
 俺は少しばかり緊張しながらドアを開けた。何も緊張する理由などないはずなのに、幼い俺はおずおずと『家』の中に入る。
 外では蝉が鳴いている。そう、夏だった。あれは。
 汚れのない白いTシャツと、半ズボンから伸びる足は季節と不似合いに白い。俺が選んだのは泥だらけになってはしゃぐ少年でなく、運動もするが図書館へも通うような、そんな優等生だった。
 庭先の木に止まって鳴いている蝉の声は、家の中までも届いている。確か今日は日曜日で、叔母は今頃夕食の支度をしているはずだ。叔父はその側で雑誌でもめくっているかも知れない。
遅すぎる夏旅行のパンフレットを、眺めているのかもしれなかった。
 しんとした廊下をキッチンへ向かって歩く。確かに家族はいるはずなのに、ひどく静かな空気が流れていた。
 たまらなくなって、ぱたぱたと足音を立ててキッチンの扉の前に立つ。一瞬だけ深く息を吸い込み、擦りガラスの嵌った扉を開けた。
 途端に、流しで水仕事をしていた叔母とテーブルで雑誌をめくっていたらしい叔父の視線が俺を射る。少しばかり気後れしながら、俺は口を開いた。
「ただいま」
 驚きに目を見開いた叔母は洗っていた野菜をシンクに取り落とした。
 叔父は雑誌が手をすり抜けていったのにも気づいていない。
 その数秒後、俺は二人の歓喜にもみくちゃにされた。


Scene 3 : in my room

 コンビニ弁当を食べてしまうと、取り立ててすることがなくなってしまった。矢張り風邪でも引くのか、頭がぼんやりしている。寒気がまだない事を思うと、今の内に治す方がいいのだろう。
 買い置きの薬がなかっただろうかと、俺は気だるさを押して立ち上がった。棚の中の雑多な物を掻き分けてそれらしい瓶を探す。
 程なくして、半分ほどに中身が減った白い錠剤の瓶が見つかった。使用期限のラベルなどはあえて見ずに、掌に転がした2錠を水道の水で流し込んだ。
 不思議なもので、薬自体の効き目が表れるのはまだ後だというのに身体が楽になった気がする。病は気から、とはよく言ったものだ。熱っぽいと思っても、忙しい時は測らずにいよう。
 風邪のせいかもしれない。
 昔の事を思い出してしまうのは。
 それとも、今取り掛かっている台本のせいか。どこかしら俺の過去に似通っている役のせいだろうか。
 どんなに上手く演技をして「いい子」になったって親父とお袋が帰ってくる訳じゃなかったのに。そんな事、すぐにでも分かったというのに。なのに俺は、叔父夫婦の前で優等生な東條薫を演じ続けた。
 本当の息子の様に思っている。
 そんな言葉を貰って、それが本当だと信じていた。
 あの日までは。


Scene 4 : “trace”

 その日、俺はいつもと変わらずに図書館へ通っていた。さして大きくない市立の図書館では児童書の数なんてたかが知れている。興味を持った本は大概読んでしまっていて、最近では大人向けの本を少しずつ読むようにもなっていた。
 一冊にかかる時間が伸びたから、退屈だけはせずにすんでいる。
 そうして夕方になると本を返し、叔父夫婦が見て安心する様な本を借りて家に帰るのだ。わざと目につく場所で本を広げる事も、最近では少なくなった。既に読んで憶えている内容を食事時にちらりと紹介するだけで良い。
 それでもわざわざ借りて帰るのは、掃除に入る叔母へのカムフラージュだ。
 いつ、何を見られてもいいように。そうやって、自室を飾るのも違和感がなくなった。
 今日もそうやって見せかけの自分を抱えて家に帰り、一家団欒を形作る。
 そのはずだった。
 だが俺は、その日に限って好奇心を発揮してしまい、いつもと一本違う道を選んだのだ。その道は普段前を通る公園の裏手に沿って続いている道だった。
 そこで、見てしまったのだ。


Scene 5 : silent

 目を開けると、薄暗い天井がまず視界に飛び込んできた。
 呼吸が荒い。
 電灯の消えた部屋はぼんやりとしか俺に安心感を与えてはくれない。ここは本当に俺の部屋だろうか。弾む鼓動を押さえつけながら、俺はベッドに半身を起こした。
 見慣れた部屋が闇の中に浮かび上がってくる。
 早めに、と床についたら程なく睡魔に襲われたのだ。尤も、誘われた先は心地よい夢の国などではなかったが。
 額に滲んでいた汗を拭って、俺は己の掌にじっと見入った。
 思うのは、自身の能力のことだ。
 他人の思考や行動パターンをあたかも本人であるかの如く読み取ってしまう力。
 今でさえ、その能力を生かして依頼をこなしたりもしている。だが、そうなるまでには決して短くない時間が必要だった。
 能力を制御し、上手く使いこなせるようになるまで。
 そしてその能力が、時には必要であると思えるまで。
 人が、行動とは裏腹な思いを抱いていることを知ってしまったその日から。
 俺はずっと、こんな力はない方がいいと思っていた。


Scene 6 : role play

 叔父が、実は俺の事を親父の不始末だと思っていたこと。
 叔母が、本当は俺の事を疎ましく思っていたこと。
 二人を《トレース》してしまって最初に知ったのは、俺は本当の息子として可愛がられていた訳では全くなかったという、その事実だった。
 実子ではないというそれだけで俺を愛せない叔母と、自分の兄弟が勝手に作って遺していった余計な物だという認識を捨てられなかった叔父。それでも二人は、精一杯行動の面では愛してくれていたと、俺は思う。
 しかしそれは、俺が二人の本心とも言うべき内面に気づいていなかったからの話だ。
 それを覗き見てしまい、更には二人に暴露してしまった以上、俺に二人の愛情を望む資格などなかった。
「ごめんね、薫くん」
「……お世話になりました」
 確かそれが、叔母と俺とが交わした最後の言葉だったように思う。
 叔父とは結局、最後まで無言だった。ただ、別れ際に肩を叩かれた、その力強さは今でも憶えている。
 それからはありったけの親戚を転々とした。《トレース》と自分で名づけた力がコントロールできるようになるにつれて、一つの家庭に留まる期間は徐々に長くなっていきはしたけれど、どこへ行ってもやがてはそこを出る羽目になった。
 『家』と呼べるものは、何も知らなかった頃にしか存在しないものになっていた。
 時間が経つにつれて、俺は自分を知ってもらうことよりも自分を隠す事に力を入れ始めた。どの道、《トレース》が気味の悪い力として認識される以上、他人を信じることはナンセンスだ。
 だったら、出来る限り相手が望むような東條薫になってやればいい。そうして、《トレース》が発覚するのを可能な限り遅らせれば、俺にも安定した生活が訪れるのだ。
 《トレース》を上手く使えるようになるのに比例して、俺の心は冷めていくようだった。


Scene 7 : moaning

 目覚まし時計が鳴っている。
 どうやら、あの後にも熟睡したらしい。早めに薬を飲んだのが功を奏したか、思いの外体は軽く感じる。
 裏腹に、気持ちは重苦しかった。
 立て続けに昔の出来事を夢という形で思い出したせいだろう。思い出して楽しい過去ではない。むしろ憂鬱になるような、そんな出来事も数多かったのだ。
 寝返りを打つついでに目覚まし時計を黙らせた。
 シーツにくるまって欠伸をする。
 どこか、呻き声に似た声が漏れた。
 今日はもう、もう少しゆっくり寝る事にしよう。そうしておいて、のんびり過ごそう。
 珍しくそんな事を考える程、胸に乗った重しはゴトゴトと憂鬱な音を立てていた。


Scene 8 : stray cat

 東京に出よう、と思ったのはいつの事だっただろうか。
 中学を半分を過ぎたあたりで、既にそう考えていた気はする。それが実行可能な範囲に見えてくるには、更に一年ぐらいの時間が必要だった。
 特に物欲もなく、一応はと体面の為にくれる小遣いや年玉はほとんどが手付かずで貯金されていた。実行に必要な資金を概算して数えてみたら、すぐにでもやれそうなぐらい、かなりの額が貯まっていた。
 それでも中学を出るまでは我慢したのは、最低限義務教育ぐらいは、と心のどこかで思っていたからだろうか。
 もしかしたら、中学最後の年を過ごした学校が、俺にとっては居心地の良い場所だったからかもしれない。《トレース》が発覚する事もなく、それほど躍起になって《トレース》して回らなくても俺はクラスに受け入れられたし、俺も彼らを嫌いにはならなかった。
 俺の一時的な宿になった遠縁の夫婦も、必要以上に俺に構うことはなく、嘘の愛情を見せびらかすこともなかった。そういう義務があるから、もしくはそういう縁があるから俺を養っている、そういうスタンスを隠さない人達だったのだ。
 ある意味でそれが、俺にとっても良かったのだろう。
 卒業式を待つばかりになった頃「上京する」と告げた時にも、彼らは「そうか」と頷いただけだった。
 資金はあると言った俺に、当日渡されたのは餞別と弁当。出来るだけ節約した方がいいだろうから、とそれだけで。
 碌に別れの挨拶もなかったような気がする。
 何をして生きていくと、明確に決めていた訳ではない。東京に向かう電車の中、漠然と役者になってもいいかもな、と考えていた。
 まるで野良猫だ。
 最初に東京に着いた俺は、自分をそう形容するしかない状態だった。
 宿もない。金もそんなにない。どこへ行くアテもない。おまけに中学を出たばかりの未成年。
 とりあえずの急務は、警察の補導を受けない事。その為には出来るだけ、土地に慣れている振りをしなくてはならない。
 俺は土地勘もないままに、顔を上げて歩き出した。


Scene 9 : God's recipe

 休養を取ったおかげでその後特に体調を崩す事もなく、無事に公演初日を迎える事ができた。
 最初の幕が上がる前は、いつも皆の顔が緊張している。
 俺は多分、普段と変わらない顔をしているんだろう。
「東條さん、準備オッケーですか?」
「あぁ」
 それぞれ配置についた役者達と、目で確認しあう。
 それが済んでしまえば、後は開幕を待つばかりだ。客席のざわめきも、今は遠い。
 『神のレシピ』という名を掲げたこの劇団に出会ったのは、僥倖という他はない。名前に惹かれ、それだけでオーディションを受けて合格した。そろそろ持ち金が危うかった俺にとってみれば、バイトをする為の保証人を引き受けてくれる人間が出来ただけでも十分だったのだ。
 のみならず、俺は劇団員として異例の抜擢を受けて舞台に立ち、今や他からの声もかかる程に育ててもらった。
 脇役は勿論、主役級の役がもらえることも稀ではなくなりつつある。
全てが運だとは思わないが、見えない神の手が俺をそっと導いてくれたのではないかと、そう考える瞬間も確かにある。
「それじゃ、行きますよー」
 漣の様にGoサインが裏方と役者の間を駆け抜ける。
 俺は瞼を閉じ、深呼吸をした。
 上げた目の先に、上がっていく幕が見える。
 そして舞台は、始まった。


END



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ライターの神月です。
大変遅くなり申し訳ございません。
PCシチュエーションノベルをお届けいたします。
キャラクタを掴むのに時間がかかってしまいましたが、
普段は見えないPCさまの過去が垣間見れて楽しく作業
させていただきました。
少しでもイメージに近いものが仕上がっていれば幸いです。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
神月叶 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月08日

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