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『生(活)き急ぐ女 』
桐伏・イオナ5026

 ある所に女がひとり、おりました。

 一般的には、最初に『むかしむかし』と綴られるのであろうが、実はそれ程昔の話でもない。人に寄っては、数年から十数年経った今でも、色鮮やかに思い出されるかもしれず、また人に寄っては、遠い遠い昔の御伽噺のように感じられるかも知れず。
 当の本人にとっては、振り返ってみればほんの一瞬、星の瞬き程の年月であったが、その渦中に在った時には、その境遇が永遠に続くのかと感じていたものだ。

 それが地獄であったか、天国であったか、それは本人しか与り知らぬ事である。

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 女の名は、桐伏・イオナと言う。

 女の姿が新宿辺りで頻繁に見られるようになったのは、今から十五年程前の事である。
 その前後、女は高校の卒業を待たず、自ら制服に袖を通すのをやめた。家を出、住処を、その当時の男の元に勝手に決め、夜の街へと稼ぎに出る日々が始まっていた。この世のありとあらゆるオンナは、あらゆる意味で魔物だ。年齢など、あってないようなものだ。見た目の良さと度胸があり、そのうえ頭の回転が早ければ、幾つであろうが水商売をするのに障害などまるでない。大体、性別がオンナでありさえすれば、幾らでも勤め口はあるのが新宿と言う街である。
 そんな、有象無象の中にあっても、何もしなくても頭一つ浮き出す者もいれば、どれだけ努力しようがそう言う者に足蹴にされ沈む者もいる。女は、明らかに前者であった。
 新宿には、ホステスもキャバ嬢も風俗嬢も、それこそ星の数ほど居る。中には、女よりもずっと見栄えがし、オンナとして魅力的なオンナもいた。それでも、その筋の者が目をつけたのが女であったのは、それだけ女に、スジ者を惹き付ける何かがあったのだろう。

 女は、筋者の情婦となり、姐さんと呼ばれる身分になった。

 それは、女が望んだ道ではなかった。元々、女に何かしらの将来のビジョンがあった訳ではない。その時々、ただその時に出来る何かを次から次へとやっていたら、知らぬうちにここまで辿り着いただけの事だ。
 だから、唐突にそれが壊れた時も、女の人生がゼロに戻った訳ではなかった。
 今でも思い出す。目を閉じれば、瞼の裏に浮かび上がる。事実は小説より奇なり、と言うが、映画のような事実もあるものだと、その時、女は他人事のように思っていた。四方八方から鳴り響く銃声、怒号、激しい物音。床に流れる血と身体から飛び散る血は、同じ赤でも微妙に違うのだとその時初めて知った。女が、自ら手塩に掛けて大きくした銀座の店が、まさか組同士の抗争の舞台になるとは。確かに、数多の人間が利権を争って絡み合うその場所に店を構える段階で、当時のイロだった男の手を借りた事は確かだ。そう言う意味では、ここはその男の持ち物なのかもしれないが、資金自体は己の手で全て用意したのだから、この店は間違いなく女のものだった。
 だが女は、この抗争で店のみならず、己の左目と右足の自由までも失った。

 それから更に幾年かの年月をその街で過ごし、女には経験と人脈と言う財産が築かれた。
 もしかしたら、平凡なオンナとして平々凡々に過ごしていれば、当たり前に体験できる事は何一つ経験していないかもしれない。女が耳にし目にし、そして手にして来た事は、全て、経験したくともなかなか実際に遭遇する事は稀な出来事ばかりだったかもしれない。

 目の前で、人間がゆっくりと体温を失って石のようになっていく様を見た事もある。
 白い粉が女の、そして他人の心と身体と精神を蝕んでいくのを見た事もある。
 火薬の匂いを立ち込めさせる鉄臭い玩具や、それ以外の人を傷付ける為の道具、或いは道具として人を遣う事、そう言った人種を遣っての、様々な所謂『犯罪』と呼ばれる類の事々。

 それだけの事をして、且つ現在まで無事で生きていられれば、自然と女の周りに人は集まってくるものだ。勿論、元々、女にはその『才』もあったのだろう。集まる人々は、女に仕事を持ってくると同時に、信用や信頼などの財産も置いていってくれる。その財産は、また違う人々を呼び、その人がまた違う財産を…と言った具合に、いつしか女は、その周辺ではちょっとした顔役にまでのし上がっていた。

 それが、桐伏・イオナと言う女である。

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 「おやまァ、何だか妙に格好良く表現して貰っちゃったじゃないの。でも、ウチもね、好きでこうなった訳じゃァないんだよ。その辺、誤解して欲しくないね。
 ウチはただ、ただひたすらに生きてきただけさ。生きていく為に必要だったから、この身体も商売道具にしたし、必要とあらば身体だけじゃなく心も他人も売ってきただけさ。かと言って、ウチが生きる事に貪欲だったかと言うと、これはまたちょっと違うような気がするのさ。
 誰だってそうなんだろうけど、ウチにとっては、生きる事は本能なのさ。魚が産卵する為に川を遡るのと同じように、鳥が海を渡るのと同じように、ウチはこの街で生きてきた。それ以上でも、それ以下でもないね。

 ああ、でも、それでもやっぱりウチは生き汚いのかねぇと思った事があるね。あれは、ウチがこの左目と右足を失った辺りから起こり始めたンだけどね?
 こんな身分になってしまうと、イロイロと面倒臭い事もあるもんでねぇ。ウチの命なんぞを狙う輩なんてのも居る訳さ。その手段も多種多様に渡ってるんだけど、それが成功した試しは一度も無くてね。尤も、一度も成功していないからこそ、ウチはこうして生きていられるんだけどね。
 ウチ目掛けて飛んできた鉛玉は、何故かウチの目の前で潰れて落ちる。ウチの腹を狙ったナイフは、飴細工みたいにぐにゃりと曲がってしまったし、事故を装って突っ込んできたトラックは、まるで目に見えない壁に激突してしまったかのように、ウチの目の前で潰れて停止した。
 人は、それは、ウチが何かに護られているのだと揶揄するけれど、ウチはそんな上等な人間じゃァないからね。
 ただ単に、ウチの生命欲が並外れて強いだけだと自分では思ってるんだけど、さて、真相はどうだろう。

 ウチは、自ら手を下す事はしない。全てはウチの周りの人間が片付ける。それを、人を遣う事しか知らない他力本願の女と嘲笑う輩もいるけどね。
 でも、こうは考えられないかい?あんたは、人を殴る立派な拳を持っている。そしてウチは、人を殴る拳を持った、立派な兵隊を持っている。ただ、それだけの事なんじゃァないのかい?
 臆病者と、ウチを嗤うなら嗤うがいいさ。ただし、覚悟はしておく事だね。ウチを嗤って只で済んだ幸運な奴は居ないよ。…そう、たったひとつの例外も無く。

 それでも、ウチの話を酒の肴にしてみるかい?

 いいねぇ、その目。その怖いものは何も無いって言いたげな目。そう言う愚かで可愛い男、ウチは嫌いじゃァないよ。もう一杯、どうだい?ウチが奢るよ」

 …この酒が、あんたの末期の酒にならなきゃァいいけどねぇ。


おわり。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月07日

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