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『新しく、手に入れるもの 』
リュイ・ユウ0487

 …そろそろ、馴染んでしまったように思える。
 殆ど成り行きで手に入れた――今のこの生活に。
 俺が勝手に医者として居座っているこの診療所で、様々な理由で来訪する様々な客人に相対する事に。俺の『腕』が望みか『耳』が望みか、ここに来訪する者は少なくない。そして――本当に『客』になるのならば、誰であってもきっちりと真摯に対応する日々。有態に言って、忙しい日々が続いている。
 そんな中。
 誰も人が来ない日――と言うのもあるものだと今更知った。する事が無い。珍しい。…たまにはのんびりしてもいいか。そう考え、じっくりと時間を掛けて珈琲を淹れてみる。淹れた珈琲にはたっぷりのミルクを。いつも作るその手順でカフェオレを作ると――静寂の中、ひとり、ささやかな贅沢を楽しんでみる。

 こうやってのんびり物思いに耽る事が出来るのは――どれくらいぶりになる?
 …考えるだけ不毛かもしれない。
 そのくらい、ここのところは忙しかった。
 否、ここのところは――でもないか。
 ここに来てから、ずっと――と言ってしまった方が正しかったかもしれない。
 前に居た爺さんが余程信用ある医者だったのかはたまた医者と呼べる者が近場に他に居ないだけか、ここに来て比較的すぐ客は来た。その時点ではここに居るのが俺だとは知らない客もまた多く。見慣れない顔が居るその事で不安げな顔をした奴もまた居たが――俺の腕を見て実際に知った時点でまた『客』は増えた。反面、叩き出す必要のある『招かれざる客』もまた新しく増えはしたが。まぁ、そんなこんなで――少なくとも今現在のこの診療所の方針は、ある程度周辺に知らしめる事が叶っている。
 ここに医者として――とは言え正式に免許を持った医者では無いが――生きるようになってからもう、短くはない時間が過ぎた。そろそろ一年になるか。はっきりとは確認していない。今はもう、こうしているのが当然のような顔をしている自分。考えてみれば不思議な巡り合わせだ。身体が憶えていたこの腕――技術と知識、強く残っている『緑』と言う色彩…それ以外の記憶を無くした状態で、主が遁走したぼろけた診療所、などと言うこんなお誂え向きの場所に収まった。周囲の治安も程よく悪い。…医者が食い扶持に困る事は無さそうな環境。
 記憶を喪っているから――過去の俺にあって今の俺に無いものは知らない。何を無くしてしまったのかはわからない。だが、今こうしてここに居る事で、この診療所を新しく手に入れた。そして新しく積み重ねた知識と経験――元々、医療技術を持っていたらしいとは言え薬やサイバー技術に関してはやや疎かったのだが、ここに来てから必然的にある程度は覚えた。これも新しく手に入れたもの。…有能な薬剤師を雇えるだけの伝手を持っている訳でもないからプロとして本気でその道を選ぶなら自分でどうにかしなければならない。そして、医療とサイバー技術は切っても切り離せない。今時、サイバー化している人間は少なくない。曲りなりとも開業するならこの技術も最低限は必要になってくる。…と、思ってはいたが――今の自分はどうやら闇サイバー博士と言っても通るくらいの知識は既に頭に叩き込んであるらしい。どうせやるなら極めた方がいい。そうでなければ患者に対し失礼だと思い勉強した結果なだけなのだが。時々驚かれもする。
 他は…幾らかの知り合いも、新しく手に入れたものと言えるか。…そんな連中に、今時、記憶を喪っている奴もそれ程珍しくないらしいと気付かせてもらいもした。
 記憶を喪う前から持ち越せた『物』は自分のこの身体と――眼鏡程度のもの。度の入っていない伊達眼鏡。視力矯正とは何も関係の無い代物。外した時に初めて気が付いた。何故こんなものを使っていたのか。記憶を喪う前の自分が何をしていたのか何故こんなものを必要としていたのかまったくもってわからない。
 が、この眼鏡を掛ける事は自分の手には指先にはひどく馴染んでいる。耳にも。記憶を喪う直前にでも何らかの理由で唐突に掛け始めたのだったら――ある程度の違和感はあって然るべき。となれば、俺は記憶を喪う以前からずっとこれを掛けてはいたのだろう。
 どうしてこんな伊達眼鏡を愛用していたのかはわからない。
 けれど、どうしたって――持っている事は、確かで。
 今の自分に訊いてみても――特に愛着がある訳でも無いが、わざわざ捨てる気にもなれない代物で。
 だから結局、今も持ち続けている。
 …今も、掛けている。

 と――そこで。
 物思いに耽っていた頭、そこに付いている耳に騒がしい音が飛び込んで来た。診療所の外。誰かが殴られるような重たい打撃音。…ついでに銃撃音がちらほら。…何でもいいが診療所内にまで持ち込まないで欲しいものだが。…やかましい。
 …そう思ったところで、静寂。
 程無く、扉を乱暴に開ける音と切羽詰まった声が飛んでくる。
 ノックはもっと静かにお願いしますよ、と、飛び込んで来た血塗れな客人の姿に静かに告げると、その客人は反応良く悪態を吐いてくる。…見た目よりも元気のようだ。続けて金の当てはあるのかもすかさず聞いてみる。客人からは、はぁ? と呆れるような声。目の前の怪我人より金の話かよ。こちらは腕を売っている。商売だ。慈善事業じゃない。その旨告げると客人は途端に嫌そうな顔になる。
 が、単純に、そこまでこちらの話が聞いていられて更にはこれ程普通の反応で話も出来るとなれば――怪我の方は殆ど問題は無いだろう。出血が派手なのは傷の部位と激しい運動の直後で興奮し血圧が上がっているせいに過ぎないか。実際は大した事は無い。今さっき聞こえたドンパチの音でこれは――軽傷な部類に入るだろう。
 …客当人は酷い怪我だと思い込んでいるようだが…ここはひとつ吹っ掛けてやろうか?

 ともあれ、こんな客が飛び込んでくるようでは――結局、今日も忙しくなりそうだ。
 …こうやってまた、俺の手には新しいものが転がり込んでくる。

【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
深海残月 クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2005年04月05日

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