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『『ショウ・ウィンドウの前で』 』
藤井・葛1312


< 1 >

 恋とは、種の繁殖本能が起こす精神の錯覚、又は錯乱である。

 この街は、この国は、錯覚と錯乱で満ちている。錯乱していなければ常人で無いような、そんな強迫観念さえも植えつけて。
 恋を知らない22歳の娘は、ため息をついてグラスを握っている。 
 大勢の中で自分が異種だと感じる時、一人で居るより孤独感は強いかもしれない。2杯ほど付き合ったビールは殆ど酔いの効果は無く、喧騒と紫煙の中で藤井・葛(ふじい・かずら)はかえって意識が覚醒していくのだった。
「藤井さんは、卒業後も変わっていないなあ。院に残ったのだっけ」
 ネクタイもすっかり板についた大学時代のクラスメートにビールをつがれ、葛は「まあね」と、化粧っ気のない頬をぽりぽりと掻いた。動くと、肩にかかる真っ直ぐの髪がさらりと揺れた。ヘア・カラーもパーマも無いその髪は、手を加えられる事を拒み、ぬばたまの黒に艶やかに輝く。
 流行りのJポップの大音量が、会話を聞き取り難くするような居酒屋だった。みんなが、大声でがなり立てるか、聞こえなくても聞こえた振りをして頷く。その程度のコミュニケーション。
 座敷の畳には煙草の焼け焦げが残り、壁にはいたるところに『おすすめ品』の料理が張り出されている。手持ち無沙汰だった葛は、メニューに書かれた料理と、『おすすめ品』の短冊を見比べていった。壁にずらりと貼られた紙を全部チェックする。紙に無いのは二品だけ。たこ焼きと和風サラダだけはお勧めしていないらしい。

 クラス会と言うには小規模の、かつての仲の良かった級友たち十人ほどの飲み会だった。友人の中には故郷に帰って就職した者もいるので、都内や近郊在住で気軽に集まれるのはこれくらいの人数だ。たぶん、一年二年たてば、どんどん人数も減って行くのだろう。
 OLとなった友人達は、マスカラで縁取られた瞳を大袈裟に見開き、「葛はまだ恋人ができないの?」と、笑う。職場の彼氏に貰ったという貴金属が首や耳元で揺れている。
「葛は、色々考え過ぎるんじゃない?理想が高過ぎるのかな?」
 どちらも違うと思った。でも、「さあ?どうだろう」と曖昧に答えておく。こんなところで、喉を枯らして議論するつもりもなかった。
 
 トイレに立ったら、扉横の壁に『たこ焼き』と『和風サラダ』の名を書いた紙が貼られていた。結局全部お勧めだったわけか。
「ねえ、××クン、葛にその気だと思うよ?」
 連れが、トイレの狭い鏡の前で口紅を直しながら、面白がっている口調で告げた。
「入った会社に、これといったコがいなかったらしいし。今、フリーなんだって」
 恋人というのは常に居なくてはいけないものなのか。
「俺は・・・別にいいよ。まだ学生だし、色々忙しいから」
「いやあねえ、あんたまだ、自分のこと『俺』なんて言ってるの?」
 非難の口調で言われ、葛は曖昧に笑ってみせる。洗面所の水は冷たくて、指が凍えた。

 ほぼ全員が二次会へ流れたが、葛は「用事があるから」と言って、集団から離れた。課題や調べ物があったわけでは無い。早く帰宅してPCのスイッチをオンにして、ネットゲームに繋ぎたかった。


< 2 >

 キャンパスから最寄り駅へ向かう途中・・・大学院の帰りに通る道に、ブライダルのドレス・ショップがある。前夜の飲み会からは早く帰宅したせいもあり、体調には響いていない。
 湾曲したドーム型のウィンドウは、眩しい夕陽を跳ね返す。
 コンサートホール敷地の噴水前を横切り、足早にゆるい坂を下った。信号を駈け足で抜けると、白いドレスが目に飛び込んで来た。葛は、目に刺さった光の痛みに、思わず立ち止まる。
『ブライダル・フェア』。
 今日から、マネキンも衣替えしたらしい。昨日までは、披露宴用のピンクやブルーのドレスだったような気がする。
 レースもリボンも無いシンプルなウェディング・ドレスは、ドレープが光を反射して荘厳な美しさをたたえていた。
『こういうのなら、いいな』
 葛はごてごてフリフリのものは苦手だ。だが、お洒落やドレスが嫌いなわけでは無い。時々化粧もするし、アクセサリーだって自分の好みの物なら身につけたいと思う。
 ただ、それは、すべて自分の為。自分の好きな服装、好きな格好をしたいからだ。異性の為に装うことは無かった。

 葛は、恋をしたことがない。
 恋愛経験が無いという意味でさえ無い。異性を愛しいと思う気持ち自体がよくわからなかった。片思い、あこがれ。そんな想いさえ経験が無い。
 小学生の時から、クラスの何クンがかっこいいとか、誰にバレンタインのチョコをあげるとか、そんな話題に頬を紅潮させていた女友達。幼児が、何ちゃんのお嫁さんになる〜などとたどたどしい口調で叫ぶと、大人は嬉しそうに笑い声をたてる。
 みんなが進んで恋に生き、みんなが恋を奨励する。
 車。外食。ファッション。映画。音楽。旅行。ダイエット食品。スポーツ観戦。すべてが恋愛と関与し、恋愛が売上を左右する。
 資本主義国日本の、主要産業である『恋愛』。
 
 みんな、普通に、人を好きになる。
 葛は、なぜ自分だけが・・・と思う時があった。
『葛は、アタマよすぎるからねぇ』
 女友達の苦笑する声が聞こえるようだ。
 ・・・違うよ、そんなことないよ。
『男嫌いなの?男性不信?』
 ううん、そんな・・・。男性の友人もいる。信頼に値する友人だと思っている。父のことも弟のことも好きだ。
『理性的すぎて、自分を投げ出せないんじゃない?』
 投げ出す?自分を投げ出すってどういうこと?
 恋をしたことがない葛には、その感覚はわからない。
『マンガでもアニメでも・・・葛ちゃんの好きなゲームキャラでもさあ。カッコイイ〜って萌えたキャラっていないの?』
 え。・・・無いよ、そんなの。
 ちなみに、葛が最近ネットゲームで動かしている騎士は、女王に密かで熱烈な恋をしていて、彼女を護る為に命を捨てることも辞さないという設定である・・・。葛にとってシマッタな設定であった。

 ウェディング・ドレスの隣には、『アン王女モデル』と書かれた披露宴用のドレスも飾られていた。ビデオ・パッケージなどの写真でヘップバーンが着用する肩が抜けたドレスを模している。
『アン王女は、なんで、たった一日・・・それも数時間で恋をすることができたのかな』
 あの映画の新聞記者は確かに感じのいい男だが、一緒にジェラードを食べてベスパ125に乗ってローマ観光をしただけで、恋に落ちるのが葛には不思議だった。
「よろしくお願いしま〜す」
 少し長くウェディング・ドレスの前に立ち過ぎていたかもしれない。店員が、キャンペーン・チラシを持ってわざわざ店から出て来て、葛に手渡して行った。
 それは光沢のある上質の紙に、フルカラーで印刷された、綺麗な写真のチラシだった。何着かのドレスと、アップで写された白い薔薇のブーケ。銀のリボンが踊る。
 結婚を考えている娘は、このドレスの前で立ち止まるだろうか。彼氏のできた高校生も、将来の自分を重ねて、あこがれを込めた瞳で見つめるかもしれない。片恋の少女も、ため息と共に目を細めるかもしれない。
 美しいから。ただそのドレスが美しいから。そんな理由で眺めているのは、変なのだろうか。
 陽の射す方向が変わっていた。光がガラスに反射して、ドレスの輪郭がぼやけた。

 例えば。今、店内では、店長が笑顔で、結婚の決まった若い女性の注文を聞きながら、用紙に必要事項を書き込んでいる。店長は二年前に離婚し、7歳と5歳の子供を抱えていた。離婚しても、営業上の理由で結婚指輪は外していない。
 例えば。今、チラシを手渡した店員は、恋人が、女子大生と自分を二股かけていることに悩んでいる。彼に別に恋人がいることは知っている。だが、別れを切り出すどころか、彼に事実を突きつけることさえできず、見ない振りをしていた。
 恋をしていない人間は孤独だが、恋をしている人間はさらに孤独である。

『やっぱ、キアイかなあ』
 アン王女が恋に落ちた理由を葛なりに分析し、チラシをショルダー・バッグに入れて、駅へと歩き出す。綺麗なチラシだったので、丁寧に二つに折ってからバッグに納めた。
 もし、その日の朝8時から9時にしか、部屋の掃除をする暇が無いとする。葛は、きちんと起きて、朝食もろくに取らず、怒濤の勢いで掃除をすると思う。アン王女の恋は、きっと、そういう事なのだ(と、葛は解釈した)。

 世の中には、恋をする以外にも、楽しい事はたくさんある。
 ネットゲームは徹夜するほど熱中できるし、大学院の勉強は興味深く、幼い弟の言動は見ていて飽きない。料理を作るのは楽しい。ご飯はおいしい。
 夕焼けは、美しい。

 葛は、通りをゆっくりと下りながら、ビルの谷間からのぞく橙の空に見とれた。

 まだ、葛に、その時は訪れない。


< END >

PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年04月04日

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