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『ツキミテハネル 』
深山・香乃花4862

 趣味は散歩と日向ぼっこ。特に月夜の散歩ときたら、ほかのどんな事よりも楽しい。
 深山香乃花は煌々と光を放つ満月の下、白く低いブロック塀に腰を下ろして両足を投げ出していた。
 裾にレースをあしらったスカート型の着物から見える丸い膝を両手で擦って、香乃花は底の厚いぽっくりを履いた足をぶらぶらと揺らす。その度に、アスファルトに映る影がちらちら躍った。
 春分を過ぎた満月。春といってもまだ少し寒い。さっきからずっと冷気を含む乾いた風が肌を冷やしている。
 こんな夜には、飼い主のいる仲間達は暖かいねぐらで夢を見ているだろうし、飼い主のいない仲間達はそれぞれ見つけた安全な場所で丸くなって身を守っているだろう。
「帰ろうかな。どうしようかな」
 呟いて、香乃花は耳を澄ます。
 人間の足音だ。
 投げ出した足に力を込めて、足音の方に目を向ける。無関心な人間には無関心を、危害を加える人間からは何時でも逃げ出せるように。
「こんばんは」
 男は言って、香乃花を見る。危害を加える気はなさそうだ。
「いい夜だね。満月がとても綺麗だ」
「うん」
 まだ若い男は香乃花に笑顔を向けて手を差し出した。
 その手の上には白い卵が乗っている。
 受け取ると、石膏で出来ているようで、表面は独特の肌触り。ひんやりとしていて、少し重い。
「これなぁに?」
 暫く両手で転がしてから尋ねると、目の前にいたはずの男が消えていた。
「あれ?お兄さん?」
 辺りを見回して、その姿が見えないことを不思議に思いつつ、香乃花はぴょんと塀から飛び降りる。
「どうしよう、この卵……」
 さっきの人間は一体何のつもりでこの卵を自分に渡したのだろう。
 イースター・エッグだよ、と答える声があった。とても小さな囁き。
 声の主を探すと、足元に月光が小さな塊になって落ちてきたのかと思うような純白の仔兎がちょこんと座っていた。抱き上げると、香乃花の小さな両手にすっぽり収まってしまう小ささ。ちらちらと光を放つようなふわふわの毛がくすぐったい。
「この街のどこかに隠された三つの模様を探して。卵を孵してあげよう!」
 この石膏の卵を覆う三つの模様を探し出せば、卵は孵ることが出来るのだと仔兎は言う。
「でも、模様の在処なんて香乃花知らないよ」
 そう言うと、「大丈夫」と赤い目をきらきらさせて仔兎は香乃花の手を飛び出した。
 月光に照らされた歩道をぴょんぴょんと跳ねて行く仔兎。香乃花が少し躊躇っていると、仔兎は振り返って言った。
「早く早く。お月様が消えてしまわないうちに」
 見上げると、青い光を放つ満月に黒い雲が迫りつつあった。


 三つの模様は街の所々に落ちているけれど、普通の人の目には見えないのだと仔兎は言った。模様の在処を知るのは仔兎。だけど、見つけ出し、卵を運ぶことが出来るのは香乃花なのだそうだ。
 早く早くと急かされて、香乃花は跳ねる仔兎を追い駆ける。ぽっくりがアスファルトを蹴る音と、首の鈴の音が静かな夜道に響く。
 最初の模様の在処は香乃花が時折散歩に出掛ける公園だった。
「公園に模様があるの?」
 尋ねると、仔兎は頷くように耳を倒して砂場めがけて跳ねていった。慌てて香乃花も追い掛ける。
 長方形の砂場はぽっくりでは歩き難く、香乃花は隅に揃えて脱いだ。仔兎は白い小さな足が砂にまみれるのも構わず、跳ね回っている。
「本当にこんなところにあるの?」
 いくら人の目には見えないと言っても、公園の砂場などに落ちていたのでは昼間、子供達に踏みつけられて割れてしまう。そんな香乃花の心配をよそに、仔兎は確かにここに模様があるのだと主張する。
「ふぅん……」
 そこで香乃花は砂場を見回した。白い砂の小さな山、僅かに掘られた穴、誰かが忘れていったスコップとバケツ。
 香乃花は大きな緑色の目を煌かせ、広い砂場の真実の姿を探す。
 何の変哲もない砂場に、一つだけ違う輝きがあった。
「あ」
 と声を上げて走り寄り、半ば砂に埋もれた奇妙な薄い殻を指差す。
「これだね?」
 仔兎が再び頷くように耳を倒し、卵を近付けるようにと言った。
 香乃花が取り出した卵を殻に近付けると、砂に埋もれていた殻はすっと浮き上がり、吸い込まれるように卵に張り付いた。その瞬間、卵と仔兎が小さく煌いた。
「あれ?何だか少し大きくなった?」
 香乃花の問いには答えず、仔兎は大きく跳ねて砂場を出る。次の模様の在処に向かうらしい。
「待って」
 香乃花は慌ててぽっくりを履き、仔兎を追い掛けた。


 二つ目の模様はビル街の中央に設けられた高い時計台の上にあった。
 跳ねるばかりで高い場所には登れない仔兎に代わり、再びぽっくりを脱いで香乃花が冷たい鉄の柱を登る。
 月光と周囲の街頭で手元も足元もよく見えた。
 少女の姿をしていても本性は猫。高い場所にも恐怖を感じない。昼間であれば止める大人もいただろうが、幸いにして深夜。香乃花は躊躇いもせずするするとてっぺんまで登り、鳥の彫刻に引っかかっていた模様に卵を近付ける。
 一つ目の模様と同じ薄い殻は卵に吸い込まれ、ぴったりとくっ付いた。再び卵と仔兎が煌く。
「ほら、やっぱり大きくなってる」
 時計台から降りてぽっくりを履いた香乃花は、足元の仔兎を見て言った。
 香乃花の両手に収まる小ささだった仔兎は、今は普通の兎と同じ大きさになっている。
「どうして?」
 尋ねると、仔兎は笑うように白いひげを動かし、空を見上げる。
「駄目駄目。今は兎に角、急がなくちゃ。もうすぐお月様が隠れてしまうよ」
 三つの模様を探して卵を孵すことと、この綺麗な満月と、何の関係があるのだろう。卵の中身も何も、仔兎は教えてくれない。
 自分の能力を使えば勿論中を知ることは容易い。けれどそれでは詰まらない気がして、香乃花は黙って仔兎を追い掛ける。
「ほんっとぉ〜に、この中なの?」
 三つ目の模様があると言う小川の前に立って、香乃花は疑いの眼差しを向けた。
 砂場も時計台も、香乃花にとって何の問題もなかった。けれど、水の中となれば話は変わる。
 このまだ冷える夜に、水の中。濡れることなど大の苦手。
「一緒に入る?」
 と、ちょっと意地悪も言ってみたくなる。
 けれど仔兎は答えずに佇んでいるばかり。
「冷たいの、いやだな。濡れるのも、いやだな……」
 香乃花は少し唇を尖らせる。しかしこれが最後の模様。見れば月には更に暗雲が迫っている。
 大きく溜息を付いて香乃花はまたぽっくりを脱ぐ。膝丈の、ふんわりスカート型に広がった着物も少したくし上げ、意を決して小川の中へ。
「つっめたぁ〜いっ!!」
 脹脛まで水に浸かって、香乃花は悲鳴を上げる。しかし、ここで諦める訳にはいかない。
 きょろきょろと目を動かして、香乃花は最後の模様を探した。
「あ、あった!」
 藻草と錆びた空き缶の間に、薄い殻。香乃花は卵が濡れないように注意深くそっと近付けた。
 音もなくぴたりと吸い付く最後の模様。
 香乃花の手の中で薄い殻に覆われた卵は強く光り、月へ届くかと思うほどの閃光を放った。
 眩しさに思わず目を閉じた香乃花は身を竦め、ひたすら卵を落とさないように震える両手を宙に差し出していた。


 不意に体が宙に浮き、冷たかった両足が温かくなるのを感じて香乃花は恐る恐る目を開いた。
「あれぇ?」
 香乃花は声を上げる。
 両手に完成した卵を持ったまま、香乃花は自分に石膏の卵を渡した人間の男に抱かれていた。
「お兄さん、どこに行ってたの?兎は?」
 男は香乃花を立たせるとにこりと笑って両手で卵を包み込んだ。
 香乃花と男の両手から光が漏れる。
「この卵、孵るの?」
 尋ねると、光が収まり、男が手を開く。
 最初すべすべの石膏だった卵は香乃花と仔兎が見つけ出した模様で覆われ、ざらりとした感触になっている。白と茶色が入り混じった色合い。僅かな凹凸。
 見ててご覧。と男が言うと、香乃花の手の中で卵に小さな亀裂が入り始めた。
 凹凸を裂いてぱりぱりと音を立て、卵が3つに割れる。
「あ……」
 3つに割れた殻が更に小さく割れ、星屑のような小さな輝きを放ちながらぱらぱらと地面に落ち、手の中に真新しい銀の鍵が残った。
「鍵?何の鍵?」
 香乃花が首を傾げると、男はその鍵を受け取って答える。
「月への」
「月?月って、あのお月様?」
 香乃花が空を指差すと男は笑って言った。
「月が隠れてしまう前に卵が孵って良かった。これで月へ帰れるよ」
 満月の日でなければ、月への扉が開かない。満月であっても、雲に隠れてしまうと駄目なのだと男は言った。
 香乃花は男の言う意味がよく分からなかった。しかし男は構わず香乃花の頭を撫でて礼を言うと、月へ向かって高く高く飛び上がった。
 アスファルトに伸びやかな影が映る。しかしそれは人間の影ではなく、ピンと伸ばした長い耳とふんわり丸い、短い尻尾。
「イースター・エッグだって言ったのに……」
 イースター・エッグを見つけたら賞品が貰えると言うゲームもあるのに、何にも貰えない。
「つまーんなーいっ」
 呟いて、地面に落ちた、まだきらきらと光る殻の残骸に小さな指先で触れる。
「そろそろ帰ろうかな……」
 濡れた足は乾いたけれど、冷えた体は温まらない。帰って暖かい寝床で丸まろうか。そんな事を思いながら空を見上げる。
「あ」
 もう少しで雲がかかろうかと言う満月に、くっきりと兎の姿が見えた。
 月には兎が住んでいて、ぺったんぺったん餅をついていると言う。
「うーさぎうさぎっ何見て跳ねる〜っ♪」
 軽やかに歌って、香乃花は兎のようにぴょんと跳ねて家路を歩き始めた。


End

 

PCシチュエーションノベル(シングル) -
佳楽季生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月31日

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