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『恋のごとく甘きもの 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)

 一陣の春風が、花びらを運んできた。
 紅いひとひらと白いひとひらが、くるりと同心円を描いて頬を撫で、行儀よく並んで地に落ちる。
 中庭のテラスを彩る、紅梅と白梅が散っているのだ。
 花吹雪とはとても呼べない、あまりにもささやかな一幕。爛熟した桜の季節を迎える前の、清涼な情景である。
 これもまた、リンスター財閥所有の庭園すべてを取りしきる、設計者の計算の結実であった。
 花影に鬼を隠しているかのような満開の桜も、モーリス・ラジアルは好ましいと思う。しかし、それに先んじての静謐な散華もまた、蒼い月にも似た美しいあるじには相応しい。
 そんな庭師のこだわりを、雨上がりの空に架かる虹のごとく自然に受け止め、銀髪のあるじセレスティ・カーニンガムは、中庭に置かれた大理石のテーブルにて午後のお茶会中であった。
 常ならば、来客のもてなしを兼ねた席である。しかし今日は珍しくも、午前中のみで辞した客人が多かった。
 したがって今、セレスティを囲んでさんざめいているのは、屋敷勤めのメイドたちだった。
 皆、容姿も心ばえも選りすぐりの娘たちで、いつもは梅のつぼみのように固く慎ましい。だが、控えめな彼女たちも思わぬ機会に高揚し、今ばかりは桜がほころぶように華やかである。頬を染めて口々にあるじに話しかけ、セレスティもひとりひとりに穏やかな相づちを打っている。

 中庭をめぐる回廊で、モーリスは立ち止まった。テーブルを遠巻きに見る位置である。
 梅花の芳香に添うように漂ってくるのは、ラム酒とバニラビーンズとキャラメルと、甘酸っぱい果物のにおい。
 ……近づかずともわかる。思うに、料理長渾身の本日のスイーツは、苺を使用したモンブランと、香ばしいキャメルクリーム入りのシュークリームであろう。
 たしか昨日のお茶会でふるまわれたのは、シャンパントリュフとブルーベリーのロールケーキだった。その前は、ホワイトティラミスとタルト・オ・ポワール。
(セレスティ様は甘いものに目がなくていらっしゃるから……)
 屋敷を訪れる客人たちを歓迎し、あるじがお茶の席を設けるのはほぼ日課になっている。客人がいないときは今日のように、屋敷にいるものたちを席に招く。
 そして、選りすぐった紅茶と、料理長が腕によりをかけたスイーツが並べられるのだ。
 それはむろん、結構なことである。
(ええ。いっこうに構いませんとも。毎日毎日毎日毎日、めくるめく甘味を堪能なさるのは。……ただ)
 私も是非その席につくようにと、いつもいつも仰るのは、なんとかしていただけないものでしょうか。
 小さく、ため息をひとつ。モーリスは、甘いものがあまり得意ではない。
 お茶会に同席することもむろんあるけれども、大抵は、甘みを楽しむあるじや客人の様子を、微笑んで見ているのみである。
 スイーツの相伴をすすめられても、皆さまの幸せそうなお顔を拝見するだけで十分ですからと、辞退するのが常だ。
 したがってこの時間帯には、理由を設けては外出するようにしている。
 あるじへの非礼にならぬよう、客人や料理長をがっかりさせぬよう、細心の注意を払って、さりげなく。
 しかし、モーリスがその場を逃れようとするのをいち早く察するのもまた、勘の良いあるじなのだった。
「おや、モーリス。ちょうどよかった。今、呼びに行かせようと思ったところです」
 モーリスが回廊にいることに気づくやいなや、セレスティは紅茶のカップをいったん置いた。こちらへ、と、白い指先で自分の隣の椅子を指し示す。
「いえ……。せっかくですが、少々、所用がありまして」
「お茶の時間になると、忙しくなるようですね。今日はどこに? アンティークショップ・レン?」
「草間興信所のほうです」
「そう。気をつけて。興味深い案件であれば、あとで私にも聞かせてくださいね」
「かしこまりました」
 それではと、モーリスは一礼する。何とか今日も、切り抜けられたようだった。

 モーリスが遠ざかっていく気配に、セレスティは嘆く。
「……こんなに美味しいのに。一緒に食べてくれないとは、つれないですねえ」
 苺たっぷりのクリームを銀のスプーンですくいあげ、残念そうにおもてを伏せたとき。
「ご歓談中、失礼いたします」
 影のように執事が現れ、セレスティのそばに立った。
「先ほど、都立図書館と国立国会図書館より御本が届きました。お言いつけどおりに、書斎に運んであります。たいそう貴重な書籍とのことですので、丁重に」
「そうですか。――かなり集まりましたね。追って江東区の東書文庫からも本が送られてきますので、同様に受け取ってください」
「心得ました」
 ありがとうと頷くセレスティに、優美な笑みが戻る。スターサファイアのような双眸が、悪戯っぽく輝いた。
「ではモーリスが帰ってきたら、私の書斎に来るようにと伝えていただけますか。明日の午前中でいいですからと」

 〜**〜**〜

 翌朝。
 呼び出しを受けたモーリスは、あるじの書斎に向かった。
 ――そして、滅多なことでは動揺しない調和者も、いささかたじろぐことになった。
 セレスティの書斎には大きな長机が運び込まれていて、その上には――
 一体どの図書館をどう探したら見つかるのか不思議なほどの希少本が、山のように積まれていたのである。
 しかも、どれもこれも、経年劣化により崩壊寸前だったり、紙魚が派手に広がっている代物だったりする。
「これを全部、ですか?」
「はい。修復をお願いします」
 セレスティは平然と、何でもないことのように言う。積まれた本のタイトルを2、3冊確かめて、モーリスはますます狼狽えた。
「ですがこれらの文献は、見たところ学術的にも貴重で、1冊1冊に国家プロジェクトレベルの修復チームが結成されてもおかしくないほどの」
「だからこそ、私宛に依頼が来たのですよ。何しろここには、公文書局職員も顔負けの古文書修復技術を有している人材がいますから」
 銀髪をしなやかに揺らしてにっこりと笑い、セレスティは手にした本を差し出した。
「そうそう、教科書図書館の『東書文庫』より、追加依頼です。葛飾北斎が挿絵を描いた教科書だそうですよ」
 とん、と積み上げられて、いっそう山が高くなる。
「時間はどれだけかかっても構わないということです。頼みましたよ」

 茫然としたモーリスを閉じこめるように書斎に残し、セレスティは安堵して微笑んだ。
(さぁ。お出かけしましょうか)
 いかなモーリスといえど、あの量の希少本を修復するにはかなりの時間と労力を有するだろう。当分は足止めできるというものだ。
 外出着に着替え、愛用のステッキを握る。
 あるじの呼び鈴に飛んできた執事に、買い物に行くむねを伝えれば、間髪を置かずに車が用意された。
「本日は、どちらに?」
 問うてくる運転手に、目的の場所を伝える。
 それは、厳選したカカオを使った素晴らしいチョコレート商品を揃えている店だった。
 ことに絶品なのは、パティシエが一番力を入れているフォンダン・ショコラである。
 予約限定で、中南米産クリオロ種のカカオ豆が手に入らない限り作らないと言われるほどの、凝った品だ。

 セレスティは、そのフォンダン・ショコラをお土産にするつもりだった。
 もちろん、モーリスに食べさせるために、である。
(予約はしておりませんが、何とかなるでしょう)

 〜**〜**〜

「モーリス。お茶が入りましたよ。休憩しませんか?」
 修復作業に没頭していたモーリスは、自分に声を掛けてきたのが、執事でもメイドでもなく、あるじそのひとであることに度肝を抜かれた。取り扱い注意の希少本を、あやうく落としてしまいそうになったほどに。
「……セレスティ様」
「素晴らしいお菓子を買うことができたので、今日のお茶会も慰労会を兼ねようと思うのですよ。いつも美味しいお料理やデザートを作ってくださる料理長や、常々お世話になっている執事にも席に座っていただいてます。モーリスも是非一緒に」
「それはそれは。ですが私はまだ修復、そう修復途中の書籍が未だ山積みで、一瞬たりとも気を抜けず」
「そう根を詰めずに、休憩を挟んだほうが良い結果も生まれましょう。それに……」
 なおもあるじは、じわじわと外堀を埋めていく。
「焼きたてのあたたかなお菓子ですから、冷めないうちに食べるのがパティシエへの礼儀だと思います」
 さあ、早く。
 柔らかであまやかで穏やかで、しかし絶対に逆らえない口調に、とうとうモーリスは観念した。
「……わかりました。すぐにまいります」

 〜**〜**〜

 甘い香りとほのかな湯気を放つフォンダン・ショコラが、モーリスの前に置かれた。
(これは……たしか)
 スイーツの有名店にさして詳しくないモーリスであるが、それが最近のセレスティのお気に入りであり、それを作っている店のパティシエは、産地によって風味の違うカカオを使いこなす達人であることは聞いていた。
(特にこのフォンダン・ショコラは、限定品のうえに1週間前からの予約が必要だったはず……)
 リンスター財閥系列店というわけではないその店に、ふらりと買い物に出向いて手に入るものでは――いや。

 あるじならば、不可能を可能にしてしまうかも知れない。

 アポイントなしで優雅に現れたセレスティ・カーニンガムの要望に応えるため、厨房でどのような攻防が行われたか、モーリスは想像してみた。

(どうしましょう。中南米産のカカオが切れてます!)
(グラナダ産に変更しますか? 品種の同じものがあります)
(何を言う! あのかたはセレスティ様だぞ? ひとくち食べただけでカカオの産地や品種はおろか土壌の特定まで出来てしまうかたに、そんなごまかしが通用するか!)
(大変です、パティシエ。なぜか急遽、中南米産クリオロ種のカカオ豆がひと袋、リンスター物産から送られてきました)
(何だって? よくわからないがありがたい。これぞ天の助け!)

 少々放心し、固まっているモーリスに、正面席のセレスティが首をかしげる。
「食わず嫌いは良くないですよ? パティシエの苦労を無にしてはいけません」
「……はい」
 不承不承、細いスプーンを手にして、モーリスはふと、あるじの顔を見る。
「あのう、セレスティ様」
「何でしょう?」
 異世界の魔王さえひれ伏しそうな、極上の笑みが返ってきた。
「……なんでもありません。いただきます」

 ――とても聞けない。
 もしかして、わざと私をいじめて楽しんでますか――とは。

 意を決して、ひとさじを口に含む。
 最高級のカカオを使用したフォンダン・ショコラはとろりと甘く、そしてほろ苦かった。


 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年03月28日

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