▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『ハナノエニシ 』
高台寺・孔志2936)&橘・巳影(2842)&柏木・アトリ(2528)


 腕時計に視線を落とすと午後四時を過ぎたばかりだった。
 それだというのに周囲は暗く、寒い。
 吐き出した息が白く染まり、冷えた空気にふわりと舞っては消える。
 頭上を見上げれば重い灰色の雲が隙間なく空を覆い、いつ雪が降ってもおかしくない雲行きだった。
 通りを歩いていく人の歩みも心なしか足早だ。
(傘をもってくれば良かったわね)
 柏木アトリは淡い桜色のマフラーの中で小さく首をすくめ、濡れ鼠ばかりはご勘弁とばかりに、「Nouvelle Vague」を目指し歩みを速めた。


 店先で上がった小さな歓声に、橘巳影は手元の花から視線をあげた。
 軒先から空を見上げるとちらちらと白い花弁のようなものが曇天から降り始めている。
(どうりで寒いはずだわ)
 クリスマスも間近となり、暖かかった今年の冬も漸く本来の自分らしさを取り戻したらしい。
 今冬初めてみる雪らしい雪。風に舞うように、空から降り立つ白きもの。
 桜の散り様にも似たその雪の降りに、心の底に眠るものが刺激され、一瞬巳影は顔を曇らせる。
 けれども軽く首を横に振ることで、瞼の裏にちらつく薄紅色の欠片の記憶を再び心に閉じ込める。
「雪ってちょっと降ってくると嬉しくならない?」
「それは雪があまり降らない土地の人の言葉よ。私、実家は秋田だから」
 クリスマスパーティ用にと花束を注文してくださった常連のご婦人方が、楽しそうに喋りながら店のドアを潜(くぐ)る。
 入り口まで二人を見送りながら、その背に巳影は有難うございましたと頭を下げた。
「巳影ちゃん、寒くなってきたから、風邪ひかないようにね」
 傘を広げ、振り返りながら気遣いの言葉を下さるお客様に、巳影は気をつけますと微笑を浮かべて応えた。
 はしゃぐ子供のようなその姿が路地に隠れてしまうと、辺りは静けさに包まれる。
 その静寂を払うように、さて、と巳影は周囲を見回し、
「外に出ているお花さんたちを中に入れないと」
 誰に言うでもなく呟く。
 こういった重労働は店主である高台寺孔志と分担しているのだが、彼は配達からまだ帰ってこない。
「またどこかで寄り道してるんでしょうけれど」
 はあ、と吐き出した溜息が煙のように白く宙に舞い上がる。
 
 その時。
 
 コートを雪でぬらしながら小走りに此方にやってくる女性の姿が見えた。
 柔らかなベージュ色のコートに薄いピンクのマフラーが薄暗い夕闇の中に仄かに浮かび上がる。
 どこか見覚えのあるその姿に、巳影は目を眇(すが)める。
「巳影さん、こんにちは」
「……アトリさん?」
 巳影の声にその女性は柔らかく微笑んだ。
 
 
 二人が出会ったのは桜が咲くにはまだ早い弥生の初旬。梅の花が盛りの時期だった。
  
 「Nouvelle Vague」から歩いて十分程の場所に、「Nouvelle Vague」のお得意さまでもある甘味屋がある。
 以前、京都の和菓子屋に勤めていたという店主と自らを看板娘と公言して憚らない陽気な女将と数人のスタッフで運営されているその小さな店は、その上品な味と暖かな雰囲気から、巳影のお気に入りの場所でもあった。
「ごめんなさいね、巳影ちゃん」
 羊羹と抹茶を差し出しながら顔見知りの女性スタッフが苦笑を浮かべる。
 ざわめきに満ちた店内。
 この店は近所のご婦人方の社交場としても好まれていたが、それでも店内の席が平日の午前中に全て埋まるというのは珍しい。満員の店内を見回し、お盆で口元を隠しながら彼女は小さく溜息をついた。
「ちょろっと雑誌に紹介されたのよ。店長も女将さんも私達もよもやこんなに反響があるなんて思わなくて。でもまあ、こんな状況そんなに長くは続かないと思うんだけれど」
「こちらこそ、お忙しい時間にごめんなさい」
 小さく頭を下げた巳影に彼女は首を振る。
「巳影ちゃんはこちらがお願いした時間に花を届けてくれたんだもの、謝らないで。頂いた花、女将さん、多分今せっせと活けてると思うわ。巳影ちゃんの品評、女将さんいつも楽しみにしてるし。もうちょっと待っててもらえるかしら……とあら。ちょっと、ごめんなさい」
 店の入り口に立った人物に目を留めて、彼女は小走り気味にフロアを横断していく。
 何気なく視線をそちらにやると、巳影とそう年齢の変わらないであろう女性が微苦笑を浮かべながら、応対した彼女と喋っている。
 柔らかな雰囲気の女性(ひと)だった。
 まるで春の木漏れ日のような。
 ぼんやりとそんなことを思いながら眺めていると、女性スタッフがごめんなさい、と言いながら巳影の元に戻ってくる。
「巳影ちゃん、ごめんなさいばかりでごめんなさい。あのね、あちらの女性と相席してもらってもいいかしら」
「え、あ、はい、大丈夫ですわ。どうぞ」
 巳影が頷くと、彼女も女性に向って小さく手を振る。
 ゆったりとした動作で巳影の座る席まで歩み寄った黒い長髪の女性は、失礼します、と穏やかに微笑んで巳影の向かい側の席に腰を下ろした。
「ごめんなさい。二人とももう少し待っててね」
 向かいの女性にも巳影と同様のお菓子とお茶を用意しながら、スタッフの女性は席を離れていく。
 こちらももしかして女将さんを待ってらっしゃるのかしら、と何気なく顔を見つめると、その視線に気付いたのか向かいの女性がふわりと微笑む。つられて巳影も微笑み返した。
 
 その時。
 目の端に店奥から姿を現した女将の姿が映った。
 彼女の腕の中には巳影が配達した梅の花を飾った花器があり、女将は慎重な動作でそれを店の入り口に設える。
 凛とした風情の漂う利休梅。
 高潔な白は、人を寄せ付けない孤高ささえも匂わせるというのに。
(え……?)
 巳影は驚きに目を見開く。
 花が優しく笑っていた。場を和ませるように、優しさを周りに分け与えるように。
 何故、と疑問に思いつつ、巳影は視線を花器へと移す。
 一見普通の深鉢に見えるが、鋳物独特の冷たさや硬さがないそれは、淡い色彩の和紙で作られている。
 紙独特の柔らかな風合いと、滑らかな曲線が梅を包む空気を柔らかくしている。
「素敵」
 思わず賞賛の声が巳影の口から漏れる。
「「あのお花、なんて優しく笑っているのかしら」」
「「あ」」
 異口同音で告げられた台詞に目があい、お互い微苦笑し合う。
 どうやら目の前の彼女も巳影と同じものを見、同じように感じたらしかった。
「あの、私、橘巳影と申します。こちらのお店にお花を配達させて頂いているんです」
「柏木アトリと申します。私は和紙細工をしていて、こちらのお店でも使っていただいているんです」
「じゃあ、あちらの花器は……」
「ええ、私が作らせていただいたものなんです」
「とても素敵です」
「あ、巳影ちゃんにアトリちゃん、見てみて、どうよー」
 一仕事を終えたという顔で女将が二人に向って嬉しそうに寄ってくる。
 
 ──これが二人の交流の始まりだった。

 
 やがて。
 店長である孔志もアトリの生み出す花器類を気に入り、「Nouvelle Vague」でも取り扱うことになった。また孔志は花器と同様に柔らかな雰囲気のアトリに好意を持ち、今日に至っている。
 
「アトリさん、これで頭を拭いて」
 巳影は店の奥からタオルを取り出し、アトリに差し出す。
「有難う、巳影さん。ちょうど降られてしまって」
 濡れたコートを脱ぎ、顔や頭を拭きながらアトリは微笑む。
「どうしたんですか。……もしかしてお兄ちゃんがまた何か無理を云ったんじゃ……」
 こんな気候の時に姿を現したアトリを訝しく思い、よもや、と眉をつりあげる巳影にアトリは首を振る。
「違うの。今日はね、二人にお願いがあってきたの。……ところで、孔志さんは?」
 アトリの問いに巳影は苦笑を浮かべるしかない。
「鉄砲玉だから、なかなか」
 言い終わるや否や、店の入り口が開き、見慣れた長身の青年が姿を現す。
「あー寒い。巳影、タオル〜。濡れちゃったよ。あっ、姫、来てたんだね、いらっしゃい」
 その面に喜色を浮かべ歩み寄る孔志に、巳影がアトリに向って肩を竦めてみせる。
「どこかにアトリさん用センサーがついてるのかしら、ね」
 クスクス笑い声をたてる二人に、孔志は首を傾げる。
「なんだ?。何話してるんだ?」
「秘密です、孔志さん」
「そう、秘密」
 ね、と仲良さげに微笑みあう女性陣に、孔志は疎外感を感じ小さくその頬を膨らませる。
「なんだよ、二人して。姫、そんなペチャパイなんかと仲良くしないで俺と仲良くしようよ」
「お兄ちゃん! 誰が何ですって!?」
 目を吊り上げる巳影と、そんな二人の様子にくすくすと忍び笑いを洩らすアトリ。
「そんなひどいことを言う孔志さんとは仲良くしてあげません」
「ひどい、姫」
「じゃあ、そんなことをいっては駄目ですよ」
「はーい」
 子供のような態度を取る孔志に再度巳影は大きく肩を竦めてみせ、店の奥からタオルを取り出し水の滴に濡れた孔志へと差し出す。
 その姿に目を細めながら、今日は、とアトリが口を開く。
「私、これをお願いしようと思ってきたんです」
 そういって指差したのは、巳影手製のポスターだった。
  
 新しい年を花とともに過ごしてみませんか。
 年末年始、花の配達承ります。

「え、マジ。姫に正月に花の配達できるなんて幸せだなあ」
「もう、お兄ちゃんったら。お正月だからってご迷惑をおかけしては駄目よ」
 喜色満面の孔志の様子に、巳影は微苦笑を浮かべ釘を刺す。
「あの、今回お願いしたいのはお花ではないんです。花の種をお願いしたいの」
「種?」
 首を傾げる孔志にアトリは小さく頷いた。
「甥と姪へのお年玉に、いれてあげたくて」
 アトリの言葉に、ああ、と納得しながら孔志はゆっくりと視線を店内へと移す。
「どんな花の種がいいとか希望はあるの? 姫」
 孔志の視線につられるようにアトリも店内をぐるりと見回す。けれど彼女が特定の草花の名をあげることはなかった。
「二人にお任せしたいんです。どんな花の種を持ってきてくださるのか私自身も楽しみに待っていたくて」
 分かったと頷いて、孔志は胸を張ってみせる。
「新しい年の始まりに花の種を届けるってのも悪くない。よし、任せてよ。で、そのお子様たちってどんな子なのさ? 種選びの参考にするから聞かせてくれる?」
 笑んだ表情の中で真面目さの漂うその眼差しをまっすぐ見返しながら、アトリは言葉を選びつつ語り始めた。
 いたずらを仕出かしては怒られるやんちゃで、けれども曲がったことが嫌いな甥。朝顔が枯れてしまったと泣き、友達のために泣くことができる心優しい姪の話を。
 二人の話をするアトリの表情は宗教画の聖母のように慈愛に満ちている。
 その笑顔を眺めながら、孔志と巳影が顔を見合わせ、楽しげな笑い声をたてる。
「どうかしましたか?」
 目を瞬かせるアトリに孔志が気にしないで、と告げる。
「いや、姫、その子達のこと本当に好きなんだな、と思ってさ」
「本当に、すごく優しい顔してましたよ」
 自分に向けられた二人の温かな笑顔に、アトリも笑顔を返す。
「ええ、大好きなんです」
「よし、じゃあ、楽しみにしててな」
 満面の笑みを浮かべる孔志に、アトリは宜しくお願いしますと深く頭をさげた。



 そうして、雪が残る元日に、孔志がアトリに届けたのは。

  
END
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
津島ちひろ クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月28日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.