▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『春に吹く風 』
光月・羽澄1282)&葛城・伊織(1779)



「早く来過ぎたか?」
 伊織は空を仰いだ。
 青色の中に佇んでいる銀色の時計が示している時刻――約束の時間から三秒が過ぎたところだった。
 目の前には飛沫を高く上げている噴水がある。
 ――駅近くの、大きな公園。
 待ち合わせ場所は、間違っていない筈だ。
 多少嫌な予感を抱きながら公園をぐるりと見渡す。灰色の鳩、茶色い雀、同じように待ち合わせている人々、そして視界に入って来た青色。
「伊織」
 銀色の髪が揺れて、透明な声が聞こえる。
 青色の小袖を着た、羽澄だった。目が合った瞬間、自然になのか照れ隠しなのか、彼女は微笑する。緑色の瞳に小袖の色がよく似合った。十代の女性では飲まれてしまうことの多いこの色を、羽澄は着こなしていた。
「前に店長が選んでくれたのよ」
 軽く指で示したのは、銀色の半襟。よく見ると淡くだが、半透明の桜が散っていて、凝っているのが解った。
「和装で来るって先に言ってくれりゃあ、俺もそうしたんだが」
「今日の朝になって思いついたのよ。窓を開けてみたら、天気が良いみたいだし……そしたら何となく、ね」
「こっちはお前より早く着いちまったから、お前がまーた何かに巻き込まれてンじゃねェかと心配していたところだよ」
 冗談交じりに言った伊織に、羽澄は鈴の音のような笑い声を洩らした。
「今日は大丈夫。……この前のこと、ちゃんと反省しているから」
「何だ、気にしてンのか」
 ――それはバレンタインデーのお返しにと、伊織と羽澄が二人で出かけた時のこと。街はホワイトデー一色になっていて、恋人たちの柔らかな声が聞こえる日――だというのに、羽澄は寝てしまったのだ。
 伊織は気に留めなかったし――むしろ休んで欲しいと思っていたから、起こしはしなかった。
 けれど、まどろみから目を覚ました羽澄はそのことを気にして、後日改めてデートすることを提案した。
 ――それが今日という訳だ。
「何だかんだ言って、お人好しなところがあるからな、お前」
 羽澄は再び微笑する。
 それは伊織も同じことだと、判っているから。

 最初に向かうのは映画館。
 途中で伊織の手が、自分の掌を包み込んでいることに、羽澄は気がついた。
「コケたら危ねェからな」
「そんなにドジじゃないわ」
 軽く抗議してみるものの、手を離すことはない。反発するのは口だけ、言ってみれば挨拶のようなものだ。
 少し経ってから、「ありがと」と小さく返す。
 伊織の手が微かに震えた。からかいの混じった笑い声を押し殺しているのだろう。

 ――そう言えば、と二人は思い出す。
 何の問題もなく二人でいられるのは、珍しいことなのではないだろうか。

 映画は、中央付近の観やすい席でゆったりと観ることが出来た。
 時折ポップコーンを掴む音が聞こえる以外、話し声もない。新宿の映画館でのみ上映される、小さなものだったからだろう。お金を掛けていないところが逆に手作り感を生んで、周囲の好感を得ていた。
 中でもこの映画はちょっとした話題になっていた。丁寧な作りが映画好きに受け、優しいストーリーが恋人たちに受けたのだ。
 と言っても、観られるのは新宿のみだったから、人気が大きくなり過ぎることもなく――全国で上演しているような人気のある映画と違って、この映画には“少し早めに行けば良い席に座れる”という見易さがあった。
 ――……それは一台のグランドピアノと、その旋律を知っている人々の話だった。一台のグランドピアノが古くなって壊れるまでの間に、そのピアノに触れた人。
 バックにはピアノの旋律が流れ、穏やかな作りになっている。老人の思い出、青年の苦悩、少女の小さな恋愛がその音に乗って、静と動を繰り返しながら流れて行った。
 この映画を選んだのは伊織だった。バレンタインデーのお返しに、「観たい映画がある」と羽澄を誘ったのだ。濃い恋愛映画では気恥ずかしいし、かと言ってコメディー映画ではお返しにならないと考えてのことだったのだろう。
 最後、ピアノが壊れるシーンで初めて旋律が消え――代りに聞こえてきたのは、誰かの、涙を含んだ溜息だった。

 休憩は甘味処で取った。駅から多少離れた処にある、羽澄のお気に入りの店だ。
 今の時期なら、と選んだのは桜をイメージした和菓子。淡い桃色の練り餡が重なり合って、花を作っている。
 それと葛餅。横には飾りとして、桜の花びらが散らされている。隣にある抹茶は、二人を見た店主がサービスしてくれたものだ。
 若葉色の茶碗を見た羽澄が、店主に声を掛けた。
「新作ですか?」
「そうなの。ダンナにしては良く出来た方だと思うんだけど」
 不思議そうにしていた伊織に羽澄が説明した。「ここの旦那さんの趣味なのよ。ここで手作りしてるのは、和菓子だけじゃないってこと」
「すげェな」
「そこの彼氏さんは“和”に興味があるかい?」
「!!!」
 店主の唐突な言葉に、羽澄は動揺した。
 思わず否定の言葉を発しようとしたが、伊織の「大好きです」という声にかき消される。
 そうなると完全にタイミングを逸してしまって、今更否定することも肯定することも憚られる。羽澄は仕方なく黙った。
「それならこの近くに渓谷があるから、秋にでも行くといいわ。耳では水の音を、目では紅葉を楽しみながら、ゆっくり和菓子をつまめる、良い場所よ。ちょっと歩けば古墳も見られるし。付近に防空壕もあったかしら?」
「今度行ってみます」
 伊織は一礼し、二人は店を出た。
「これからどうする? 飯まではまだ時間があるしな……適当に店を見てまわるか?」
「そうね」
 ――さっきよりも自然に、手を繋いで。

 どれだけ時間があっても、足りないと思った。
 街の中で、店は葡萄のようにぎっしりと入り込んでいて、そのどれもが驚きや笑顔を生みだしている。
 その一粒の葡萄の前で、羽澄は足を止めた。
 横一列に並べられた商品の中で、黒いウサギと白いウサギがいた。掌の中に収まるのではないかと思われる程の、小さな縫いぐるみだ。
 黒いウサギは赤い目、白いウサギは青い目をしている。メーカー名は書いていない。
 店全体を見渡せば、それが手作りであることが良くわかった。手作りの絵本、手作りのカップ、手作りのオブジェ、手作りのポストカード……小さな店なりのこだわりなのだろう。
「欲しいのか?」
「違うわ、ただ……」
「目が合っただけか?」
「…………」
 声を聞きつけたのか、店員が話しかけてきた。
「その縫いぐるみは、特別なんですよ」
「?」
 首を傾げた二人に、店員はライトでウサギの目を照らし、覗き込むように言った。
 ――ぼんやりとだが、目の中に不恰好な印が見える。
「何だ、これ」
「星型にも見えるけど……」
 ふふっと店員は笑った。「これ、宝石なんですよ。黒い方がスタールビー、白い方がスターサファイア」
「え、でも……」
 二人は口ごもった。値段は、とてもではないが宝石が入っているものとは思えない。安すぎる。
「勿論、売り物になるような出来ではないですよ。元々は展示即売会で売られる予定だった宝石を、買い取って縫いぐるみに付けたんです。オーナーの趣味で、なんですけどね。でも気が変わったみたいで、『殺風景な家に置いていると、このコたちが不憫だ』って、里子に出すことにしたんですよ。だからこの値段なんです。――いかがですか?」
「買うか?」
「駄目よ。こんなことばかりしてたら、私の部屋はウサギで埋まるわ」
「でもこれ、宝石が入ってンだろ。いいのか?」
「私、別に宝石なんてどうでも――」
「いや、そうじゃねェって」
 伊織は縫いぐるみを覗き込んだ。
「値段が値段だし、物が物だろ。コレ目当てに買って、ウサギの目だけ取って、本体を捨てようと考える奴だって多いだろ」
「そんなの駄目よ、可哀想だわ」
「じゃあ俺がウサギを“救済”するから、お前は預かってくれ。俺の家じゃあ、ちゃんと助けたことにならねェからな」
「…………」
 羽澄が黙っている間に伊織は会計を済ませ、羽澄の手の中にウサギの入った袋を押し込んだ。

 バッグの中でウサギが眠っている間、二人は食事を済ませた。
「これからどうする?」
 訊ねた伊織に、羽澄は言ってみた。
 ――少し前から、気になっていたこと。
「ねぇ、葛餅の横に、桜の花びらが飾られていたじゃない? この辺でも咲いているかしら」
「桜か! いいな、見に行くか?」
「ええ」
 二人は桜の木がありそうな処を探して歩いた。
 夜の匂いを含んだ風が髪をくすぐる。だが冬のような寒さはなく、互いの指先も温かかった。
 ふわりと目の前を通り過ぎていった風の中に、強く春が香った。
 ――そこは人気のない場所。
 藍色の空の中で五分咲きの桜が、ひっそりと揺れていた。
「伊織、ほら、ここにたくさん咲いてる」
 木へと駆け寄って、羽澄が弾んだ声を上げる。桜色に青が混じって、溶けていくようだ。
 さっきまでとはまるで違う、子供のような表情――伊織は自然と口元に微笑を浮かべていた。
 ……ったく。
 からかいの言葉でも言おうとして、伊織は羽澄に近づいた。
 そこへ風が吹いた。枝を揺らし、羽澄の髪を揺らして、伊織の耳元を甘くくすぐって行く。
「ほら、髪が乱れてンぞ」
 ごく自然に、伊織は羽澄の髪に、指を絡めていた。
 髪はからまることなく、流れるように伊織の指に従う。
 羽澄の顔は間近にあった。凛とした目と、閉じている口元、細やかな白い肌――。
「………………」
 伊織はその手を止めた。
 再び風が吹いている。
 気付けば、羽澄を抱きしめていた。
「伊織?」
 身体に当たる風が強くなる。
「風から守ってくれてるの?」
「………………」
 風は関係なかった。
 羽澄を見ていたら、抱きしめたくなった。それだけだった。
「――…………伊織。風、止んだわよ」
 硬くなっていた腕を緩め――ふと、二人の視線が重なった。
 羽澄は伊織を覗き込んでいる。
 本人はきっと、自覚などないのだろう。
 だが夜の中で見るその瞳は、光の当たり方によっては潤んでいるようにも見えたし、僅かに開いた唇からは、今にも言葉が零れてきそうだった。
 ――だから。
 伊織は、目を逸らさずに、口を開いた。
「伊織?」
 どうしたのだろう、と羽澄は思う。
 伊織の視線はまっすぐに自分を見ているし、それに、震えている。
 そう、震えて――…………「伊織、携帯バイブしてない?」
 慌てて、伊織は携帯を確認した。碇麗香からの電話だ。
「良いタイミングで電話掛けてくるんだな」
『褒め言葉なら、もらっておくわ。二人でいたんでしょう?』
「何でわかったんだ?」
『勘よ。伝えておいて頂戴、『携帯の電源はなるべく入れておいて』――二人とも今から来て。依頼よ』
「オイ、ちょっと待てよ。俺たちは今用が……」
 断ろうとした伊織の傍で、羽澄が答える。
「今から行けばいいのね?」
「って、オイ羽澄!」
『頼んだわよ』
「待てよ、まだ行くと決まった訳じゃあ……」
『ツーツーツーツーツーツー』
「オイ!!!!」
 既に切られた電話の相手を恨みつつ、伊織は携帯を仕舞った。
 羽澄は既に歩き出している。
「伊織っ、早く来ないと置いて行っちゃうわよ」
「おーーーまーーーーえーーーーーなーーーー!!!」
 伊織の叫びも、羽澄には全く聞こえていないようだ。
「相変わらずだな、お前……」
 諦めたように、伊織は羽澄と並んで歩き始めた。

 ――そういえば、あの時。

 羽澄は思い出したように、
「ねぇ、あの時、何て言おうとしたの?」
「忘れた」
「ねー何て言おうとしたの」
「うっせェなッ! その言葉なら桜の木の処に置き忘れて来たんだよ、知りたかったらそこまで走って戻れ!」
「何怒ってるの?」
 羽澄は伊織を見上げた後、バッグからウサギの入っている袋を取り出した。
「せっかく、御礼を言う気分になってるのに」
「お前なあ……」
 伊織はがっくりと肩を落とした。
 ――そういう気分には、もっと前の段階でなれよ……。
「?」
 羽澄は袋からウサギを出して、伊織の顔の前で揺らしてみせた。
「ありがとう。本当は嬉しかったわ」
「……どういたしまして」
 羽澄の笑顔を前にしたら、文句が消えてしまった。何を言っても、仕方ない。
「桜の木で思い出したけど、あの辺には川が流れているのかしら。その……黙っていた時に、水の音が聞こえたのよ」
“黙っていた時”というのは、二人が抱き合っていた時のことだ。
“抱きしめられた時”と言わなかった辺りに、羽澄の性格が表れているのかもしれない。
「もしかして、甘味処の店主が言ってた渓谷じゃねェか?」
「そう言えば、そうね」
 数秒の沈黙の後、羽澄は明るく言った。
「じゃあ、いつかまた連れて来てね」

 二人を、風が包み込んでいる。
 羽澄は自分の指で乱れた髪を直すと、隣にいる伊織を見上げて――少しだけ悪戯っぽく笑った。
「あの木の処へ行ったら、あの時、伊織が何を言おうとしたのか、教えてくれるんでしょう?」




終。
 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月25日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.