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『 □変化拒否□ 』
オーマ・シュヴァルツ1953)&ジュダ(2086)


 危険だよ、止めておいた方がいい。いくらあんたでも、できることとできないことというものがある。


 隻腕の情報屋が真摯な目をして放った言葉を頭の中で反芻しながら、オーマ・シュヴァルツはフードをかぶり直した。
 特殊な染料で染められた真っ黒なローブで、身体をすっぽりと覆い隠しながら歩いているオーマを、不審な目で見る者は誰もいなかった。エルザードでは胡散臭さが漂うような格好でも、この国ではごく当たり前のものとして認識されているからだ。
 オーマが注意深く顔を上げれば、黒く四角い建造物で空が複雑に切り取られている様が見える。幾つもそびえ立つ建物からは煙突が生え、黒煙が吹き出ていた。何もかもが黒の街だった。道も建物も空さえも、そして、人までも。

「……こんな街にいて、よく住人たちは息苦しくねぇもんだな」

 言いながら周囲をうかがう。オーマが歩いているそこは下層の市だった。引きずり出したばかりの内臓が量り売りされ、切断された肉を買おうかどうしようかとやせ細った悪魔が迷っている。店屋の主人がそちらに気を取られている間に、別の小鬼が内臓をひと握り盗ってさっさと逃げていた。
 血と肉のあまりに生々しい匂いの中を通り抜けると、オーマはさて、と足を止めて適当な建物へと寄りかかった。こうすると中央にそびえる巨大な建物がよく見える。
 
「問題は、どうやってあいつの居場所を探るかだ」

 竜頭の男の事を思い出し、オーマは長い溜め息をつく。複雑な心境だった。
 大多数の人を殺し、そしてウォズを生きたまま解体するという非情な手段ばかりを取る相手だというのに、自分と繋がるものを感じてしまった瞬間からオーマは心が揺らいでいた。
 ヴァンサーであったという事実。そして、耳が覚えていた寂しげなあの言葉。もしかしたら同胞であったのかもしれないという思いがあるからこそ、オーマはもう一度話がしたいと願い、そして今ここにいる。

 潜入には当然周囲から反対の声が上がったが、その中でもより切実に響いたのが隻腕の情報屋の言葉だった。彼は以前、アセシナートの者の手により片腕を奪われていた。きっとその時に彼は身をもって公国の恐ろしさというものを感じたのだろう。だからこそ、その言葉は今でもオーマの鼓膜を揺さぶって離れない。
 できることと、できないこと。
 確かにこちらは一人であり、ここはいわゆる敵地の真っ只中だ。何かできるかと聞かれれば、できないと答えるしかないだろう。その上相手は笑いもせず、楽しみもせず、ただそれが必要だからという理由で非情な手段を問わない。誰もが諦め、また引き返すのはある意味当然の選択だった。

 だが、オーマはそれでも引き返しはせずにここに立っている。
 耳に残ったいつかの言葉のその奥を、確かめたい。ただそれだけの為に、彼はここにいた。

「……さあて、このまま突っ立っててもらちが明かねぇし、ここはやっぱり定番の手段でいくか。聞き込み聞き込みってな」

 屋台骨さえも黒い、血の香りが渦巻く市の中へと再び歩いていこうとしたその矢先に、それは起きた。
 寄りかかっていた壁一面に亀裂が走る。

「――――――――!!」

 身体をひねり飛びすさったオーマが見たものは、一瞬の後に瓦礫と化した黒い壁の向こうからのぞく、意思のない土色の巨大な瞳だった。





 いつも薄暗い闇に覆われている下層と違って、アセシナートの騎士たちが集う中央の司令部には遮るものがないからか、陽光が射し込んでくる。
 しかし多くの者は窓があってもカーテンを閉めているか、もしくは窓自体を塞いでいるかのどちらかだった。ここアセシナートに住む者たちにとって陽光というものはあまり必要ではなく、また種族の特性により陽光自体を毛嫌いする者が多い。
 円状の廊下にぐるりと配置されている騎士たちの部屋も同様だったが、その中に二つだけいつも陽光に照らされている部屋があった。

 その中の一つに、竜頭はいた。広々とした部屋の中にしつらえられた椅子に腰かけ、細かな彫り物が施された机に置かれた端末を眺めている。
 縦長の大きな窓から射し込む昼の光に黒い鱗を反射させながら、竜頭はとんとん、と指で机を鳴らした。端末には先程送信されてきた国境警備隊からの報告が映し出されていたが、その中の一文に彼の視線は集中している。

「――――ふむ」

 少し考えて竜頭はキーを叩き、端末を閉じた。そうして疲れたように椅子に背をもたれさせる。

「しつこい話だ、全く。あんな輩の為に私が出なければならないとは……。これでも忙しい身だというのに」

 どこか憔悴したかのような竜の頭が、磨きぬかれた窓ガラスに映っているのを見て、当の本人は苦笑した。

「この程度で疲れたなどと、いやはや私もまだまだといったところか。目的を果たすまでにはもっともっと疲れるだろう出来事が待ち受けている。まだ、まだ私は疲れ果ててしまうわけにはいかないのですよ、――――さん」

 竜頭は騎士の証である黒のコートを羽織ると、窓に背を向けて部屋を後にした。
 主人のいない机にはただ、穏やかで暖かい陽光が降り注いでいる。





『ローブデータ照合……死亡者0-56248477739、死亡者0-56248477739! 彼ノ者、先日墓地ニ埋葬サレタリ!! ヨッテソナタハ別人デアリ、システムニ意義ヲ唱エシ反逆者トミナシ、ココニ処刑ヲ宣言スル!!』

 豪腕が風を切り、市の端にあった屋台を紙くずのように吹き飛ばした。オーマは紙一重でそれをかわしたが風圧に首がもっていかれそうになり、慌てて距離をとる。その拍子に黒のローブが大きくはためいた。

「ローブデータだぁ?! この国はご丁寧にそんなもんまで管理してやがんのか!!」

 埃の舞う中を歩いてくる影を見て、市に集っていた者たちは口々に「ゴーレムだ」「処刑人が来た!!」と怯えたようにわめき立てると、蜘蛛の子を散らしたように建物の隙間へと逃げていった。解剖現場のような市の真っ只中で、オーマとゴーレムと呼ばれた巨大な石造りの魔物が対峙する。

『全テハ我ラガ頂点に立ツ者ノ意思!! 意見スル者、ソレスナワチ敵!!』

 その巨体に似合わない速度に、オーマでさえも反応するのが遅れた。一般的にゴーレムというものは動きが遅く、けれど力が強いという認識があるが、このゴーレムについてはそれは当てはまらないようだった。太い足の裏からは、車輪が急速に回転する音が絶えず響いている。
 また拳が唸る。指一本がオーマの身体ほどあるゴーレムの拳がどれほどのものであるかを、オーマは有無を言わさず体験させられる羽目になった。

「ぐっ……!!」

 直撃は免れた。
 が、全てを避けきれたわけではない。

 オーマの身体が高く高く宙を舞う。掠った頬の皮と肉が僅かにこそげ落ち、おびただしい血液がオーマの唇を濡らした。
 その鉄臭い味を吐き捨てながら、オーマはどうにかして体勢を立て直そうと身体を捻るが、その時彼は信じられない光景を目撃することになる。

『――――我ハ』

 轟音と共に同じ高さまで飛んできたのは、先程オーマを吹き飛ばしたのと寸分違わぬ巨体だった。
 

『我ハ、敵ヲ、処刑スル者ナリ――――!!』

 
 巨大な拳が眼前で組まれたと認識する間もなく、オーマの視界が反転する。身体に染み付いた回避行動で拳からは逃れたものの、風圧で吹き飛ばされたのだと気付いた時には、既に地面が眼前へと迫っていた。
 だが、オーマの頭は叩きつけられることはなかった。 

「…………?!」

 急激にすくい上げられる身体に、反動による嘔吐感がこみ上げる。ぐっ、と声を漏らしたオーマに、何かの布がかけられた。
 そして、彼の世界は暗転する。
 それ以上を知らずとも良いというように。
 




 細かな。
 細かな振動が身体を揺さぶり続けている。

「……………………?」

 オーマが目を開くと、鉄板の天井が見えた。それは振動に合わせてキイキイと鳴り続け、今にも壊れそうで、けれど壊れる様子といったものはない。
 意外と頑丈なつくりなのかもしれない。そう思いながら上半身を起こして、初めてオーマは自身が寝かされていたという事実に気付いた。

「気がつかれましたか」

 傍らに目をやれば、そこには作りつけらしい椅子と壁から引き出す方式の机があり、そこに向かいながら声の主は書き物をしていた。
 ひとしきり書き物をしていた少年は、やがて息をついて傍らのオーマへと顔を向ける。日焼けした精悍な顔に、つなぎがよく似合っていた。
 
「何だい、ここはアセシナートの牢か何かか? それにしちゃ随分待遇が良さそうだが」

 その言葉に、少年は驚いたように目を見開いた。

「違いますよ!! もしアセシナートにいるのだとしたら、こうやって貴方を寝かせておく筈がありません。あっという間に解剖室行きか、それか地下のボイラー室行きかのどちらかですよ」
「解剖室ってのはまだ分かるが、何だボイラー室って」
「そのままですよ。ボイラー室に連れて行かれて、生きたまま炉に放り込まれます。燃料のたしにするんでしょう」
「……なかなか怖い事を平気で言うなぁ、兄ちゃんよ」
「そりゃあ、ある程度の慣れもありますから。それに僕自身が危うく放り込まれそうになった事もありますし」
「ほう? そんでそんな兄ちゃんは一体何者だい」

 オーマの目が鋭い輝きを帯びる。しかし少年は平然とした顔で「ああ」と思い出したかのように両手を叩いた。

「そう言えば、自己紹介もまだでしたね。僕はこの移動要塞の治療班に所属している者です。申し訳ないんですが、名前は勘弁してやって下さい。名前から足がついてしまう事も過去にあったので、居住者でない方には名を名乗ってはいけない事になっているんです」
「移動要塞……?」

 呟いて、オーマは耳を澄ました。微かに響く駆動音、そして振動と、少年の言う『移動要塞』という場にいるだけの臨場感は確かにある。しかし。
 少年はそんなオーマの反応を見て、机の脇にあったボタンの一つを押した。ベッドの脇の壁の一部が、軽い音を立てて開かれる。
 それはごく小さな窓だった。オーマがそっと顔を近づければ、膨大な土ぼこりの向こうに移動していく景色が見える。その中にはオーマがいた筈の黒い国、アセシナートの姿もあった。
 
「これでここが本当に移動要塞なのだと、信用していただけましたか?」
「ああ。そりゃ分かったが、しかし何でまた俺ぁこんなとこにいるんだ? 確か俺はゴーレムだか何だかに吹っ飛ばされて――――」
「じゃあ城外まで飛ばされたって事ですね。それにしても、あのばかでかい壁を越えて吹き飛ばされた上に命もあるなんて、貴方は本当に運がいい人なんですね」
「……どういうこった」
「それだけの衝撃を受けたのなら覚えてないかもしれませんが、僕らの仲間が公国付近に偵察に行っていた際に見つけたのが貴方だったんですよ。あそこらへんだと死体が打ち捨てられているのは日常茶飯事なんですけど、どうも生きているらしいって事になって。それで、ここへ運んできたというわけです。怪我は頬だけでしたから、勝手に治療させてもらいましたよ」
「俺が、外にいただと……?」

 オーマは記憶を反芻した。確かにゴーレムによって空高く放り上げられたのは覚えている。だがその後は真っ直ぐ下に叩き落された筈だ。外壁を越えられる角度ではない。
 そこでオーマは記憶が途切れる直前の事を思い出した。腹に食い込んだ、あの細長い――――まるで誰かの腕のような感触を。

「おい、他に誰か……誰かが側にいなかったか?」
「誰か、とは?」
「そのままだ。俺の側に……いや、その場を立ち去っていったような奴を見たとか、そういう話は聞かなかったか?」

 少年は考えるような仕草をしたが、すぐに首を横に振った。

「いいえ、そうであったなら少なくとも仲間が見逃す筈はありません。少なくとも話ぐらいは聞いているでしょうし、報告がないという事は、そういった人も見かけなかったと思っていいでしょう。貴方はご友人か何かとここに?」
「なに、単に聞いてみただけさ。大体あんな場所に潜入するのに、誰かを連れて行く筈もねぇ。その上俺のはまあ、私用、だからな」
「私用……ですか」
「ああ。サシで話をしたい奴があの中にいる」

 オーマは再び小窓から外を眺めた。この移動要塞はアセシナートを中心に円を描くようにして走行しているらしく、小さいながらも小窓から公国の黒い姿が消えることはない。
 中央の建造物を見て、オーマは思う。その中に竜頭はいるのだろうか、と。
 少年はしばらくその横顔を見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「『殺したい』の間違いでは? アセシナートに住む者は我々が語りかけたところで話を聞くような連中でも、ましてや対等に話をしようとするような連中でもありませんよ」
「そんなの関係ねぇさ。俺が話したいから行く、それだけだ。一人で来たから人質を取られる心配もねぇし、それにもし相手が何かしかけてきたんなら、首根っこ引っ掴んで正面に座らせてやるまでさ」
「貴方一人で?」
「そう、一人でだ」

 気負いも悲壮感もなく、ただあっけらかんと言い放つオーマを、少年は黙って見つめた。
 沈黙が降りた小さな医務室に、要塞の駆動音だけが響く。
 先に口を開いたのは、少年の方だった。

「……成る程、確かに噂に聞いていた通りの変わり者だ」
「!!」

 オーマが振り向いた先には、もう少年の姿はなかった。
 ただ、同じ場所に一人の青年が座っている。先程までここにいた少年の年齢を急激に引き上げたかのような、異様な光景だった。日焼けした精悍な容貌はそのままだったが、瞳の奥に宿る鋭い輝きと耳と平行に生えた角は、少年には決してなかったものだった。

「――――騙すような真似をした事は謝罪しよう。しかし我々としても慎重にならざるを得なかった。二度も公国にたった一人で立ち向かった者が勇敢な戦士であるか、はたまた無謀なだけの男か。それを判別するだけの材料が欲しかった」
「……何者だ、テメェ」
「改めて自己紹介をしようか、名前を名乗れないのは同じだがね。……私はこの移動要塞の司令を任されている者だ」

 青年は、それからオーマにこの移動要塞の説明を始めた。
 とある国が秘密裏に作り上げたこの移動要塞は、アセシナート公国への反乱を起こす計画を進行中であり、今はそれに賛同する人材を集めている最中なのだという。

「しかし、まだ準備段階だってんなら何でこんなに接近してるんだ。危険過ぎるとは思わねぇのか?」
「危険は承知の上での行動だ。……ソーンはあまりに広大で、街を回って戦える者を探していたのではあまりに時間もかかりすぎる上に、我々の後ろ盾にはそこまでの資金はない。ならば最も戦いに優れた者が集う場所に網を張るのが、危険だけれども手っ取り早いやり方なんだ。それが公国アセシナート付近。良くも悪くも腕に覚えがある者が集うこの場所こそが、我々の勧誘の場というわけだ。しかし驚いたよ、まさか噂を聞きつけエルザードまで迎えに行こうとしていた相手が、地面の上に転がっていたのだから」
「迎えに、か。ってぇ事はお前さん、俺を勧誘しようと思っていたわけだ」
「ああ。先程も言ったが、一人で二度も公国に立ち向かい、そして生還した前例など私が知る限り無いに等しい。それほどまでの戦闘能力があるのならば、反乱部隊の一員として是非とも欲しいと思う」

 視線を真っ直ぐに合わせ、青年は言った。

「オーマ・シュヴァルツ。アセシナート公国の力を削ぐ為に、貴方の力を借りたい」
「殺し合いしろってんなら、答えは『いいえ』だぞ」
「貴方は殺しというものを極端に嫌う人物だというのは、紙の上だけだが知っている。だからこそあえて頼むのだ。これ以上、死によって何かを奪われる者たちを増やさないように。私たちとて、別に殺し合いがしたいわけではない。強要もしない。ただ、共に駆けて欲しい。『あの公国の手から生還した人物』が同じ陣営にいるとしたならば、それだけで皆の士気は上がるだろう」
「つまりだ。俺は戦闘員の士気を上げる為のお飾りってわけか?」
「端的に言ってしまえばそういう事になる。本当ならば貴方も前線に立ってくれれば頼もしいのだが」
「まぁ、後ろでピーチク言ってるよりは前線で士気を上げた方が向いているがな」

 そう軽く笑いながら言うと、オーマは立ち上がって伸びをした。幸い身体はどこも打ち付けてはいないらしく、この分ならばすぐにでも戦う事ができるだろう。

「いいぜ。その話、引き受けた。――――ただし、俺の目が届く場所では殺しは行わせたくねぇ。味方にも敵にも、絶対にだ。その考えを受け入れてくれるんなら、俺は一般戦闘員の先陣を切って駆け、道を作り、お前たちの力になる事を約束しよう。どうだい、兄ちゃん?」
「見返りは求めないのか? 報酬ならばよほど無理なものでない限り、用意できるが」
「別にんなもんいらねぇよ、こっちだって大体参加すんのは個人的な用事を満たす為なんだからよ。でも、そうだな……じゃあ、一つだけ頼まれてくれねぇか」
「何だ?」

 同じく立ち上がった青年を見下ろして、オーマは静かに言う。

「……黒い竜頭の男が騎士としてアセシナートにいる。そいつと遭遇した時は、全てを俺に任せてくれ。それが報酬だ」
 
 青年は頷き、やがて両者の間で互いの手が握り合わされる。
 約束が生まれた瞬間だった。
 




 ディスプレイからの光に照らされた黒い司令室の扉を開け、竜頭は席についた。傍らで小さな端末を眺めていた真紅の腕の男は竜頭の来訪に気付き、端末を閉じる。

「どうした」

 竜頭からの問いかけに、真紅の腕の男は首を左右に振って息をついて見せた。

「国境より『ハエがうるさいからさっさと追っ払ってこい』との事だ。こんな催促がさっきからずっと続いている」
「あちらにもいい加減せっかちな癖を直してもらいたいものだな。これでも急いだ方だというのに。急いてはことをなんとやら、という言葉を奴は知らないようだ」
「違いない」

 軽い笑い声が響いた後、竜頭の出発を告げる声が司令室に響いた。低いそれに、周囲に一気に緊張が走る。
 飛行船の稼動音と振動を全身で感じながら、竜頭は巨大なディスプレイに広がる青空を、どこか眩しげに見つめていた。





 作戦実行までにはまだかなり時間があるという事で、オーマは非戦闘員たちの居住区ともなっている中央へと案内された。
 案内をした戦闘員に礼を言い、オーマはぐるりと周囲を見回す。医務室にいた時はもっと脆弱なつくりをしているかと思っていたのだが、しかし目の前に広がる光景はかなり近代的で、オーマは感嘆の息をついた。

 五階建ての建物の高さに相当する中央には、緑の野が広がっていた。俗に空中庭園と呼ばれるその中では、少女たちが窓から入る光に目を細めながらはしゃぎ回っている。天井は開閉ができるようだが、敵対する国が飛行船を有している以上、危険なのであまり開けないらしい。なので中に住む者たちにとっては、術によって防弾処理を施したガラス越しから降り注ぐ太陽の光こそが全てだった。
 ふわり、と光がオーマの目を柔らかく覆う。その眩しさについ手をまぶたの上にかざしながら歩いていけば、やがて彼の目に一本の木が飛び込んできた。まだ若々しい木が一本きりでひっそりとたたずみ、ちょうどそこへと窓ガラスから射し込んできた光が降り注いでいた。
 偶然が作り出した美しい自然の光景に、オーマはふと足を止める。

「………………」

 だが、彼の胸の中を満たしているのは、美しいという感情だけではなかった。

 記憶がよぎる。それはオーマが時折夢に見る光景だ。
 それがどこなのかは分からない。戦艦、そう、戦艦のような内装と振動音。ヴヴヴ、という音がこの移動要塞とよく似ていた。その中にもこうやって空中庭園が存在していたのだ。もっとも、もう少し規模が大きかったような気もするが。
 中央の巨木を取り囲むようにして泉の水が巡り、緑の濃い草花が咲き乱れるその様は見ている者の目も心も癒すものだったが、しかしオーマにとってはその光景は決して心癒されるものではなかった。夢の巨木の根元には、小さな墓があったからだ。
 光から守られるように葉の影を落とされている灰色の石の前には、偏光色の花が一輪。こもれびに揺れて微かに輝くそれの名はルベリア。
 想いの残滓を残すかのように輝き続けるその光景を見つめ続け、そしてオーマは目覚めるのだ。

 草の上にどっかりと腰を降ろし、若木を見上げながら、オーマは光の中でぼんやりと呟く。

「……何なんだろうなぁ、あれは」

 どこかで見た事のあるようで、それでいて現実感というものが異様に希薄な――――そう、まるでよくできた一枚の絵のような光景。
 それを夢と片付けるには、あまりにも。

 しかしオーマの思考はそこで中断された。いや、せざるを得なかった。
 いつか感じた匂いを鼻孔がとらえ、オーマが立ち上がるのと同時に、要塞内にけたたましいベルの音が鳴り響く。

『敵襲、敵襲――――!! 非戦闘員は直ちに各自指定のシェルターへと避難せよ!! 繰り返す、非戦闘員は――――』

 だが放送は突然そこで途切れた。何かが潰れる耳障りな音と、変わらず鳴り続けるベルだけが後に残る。異常を感じたのか、非戦闘員の女子供たちは足早に出口へと駆けて行った。
 来た道を全速力で戻りながら、オーマは唇を血の味がするまで噛み締める。この匂いは嗅いだことがあった。
 そう、これは、あの時の――――


「来たか…………!!」


 遠くで何かが爆発する音が、響いた。





 腐食ガスで薄くした装甲へと、人工ウォズが小さな爆弾を投げ込む。
 続いて轟いた爆発音を飛行船の中で聞きながら、竜頭は呆れたように頬杖をついてみせた。

「どこの国かは知らないが、どうせならもう少しましな装甲を準備してあげればいいだろうに……この程度の相手ならば国境警備の輩だけで十分だ。わざわざ私の人工ウォズを出すまでもない」
「そう愚痴を言うな、竜頭。まだ人体全部を食した人工ウォズの進化については結論が出ていなかったのだろう? 今日がそのいい機会だとでも思っておけばいい。幸い、ここには健康そうな女子供が沢山いるようだ」
「女子供は肉が柔らかいだけで、進化の材料にはならないという結果がもう出ている。やれやれ、どうせならいきのいい男が出てきてくれた方がありがたい。そっちの方はまだデータが不十分だからな」
「男の方こそ、固いだけの生物だろう?」

 不思議そうに首を捻る真紅の腕の男へと、竜頭は顔を向ける。その目は分かっていないなとでも言いたげに、僅かに細められていた。

「……確かに肉は固くて筋張っていて食えたものではないが、男が持つ成分は全体的に人工ウォズに与える影響が強い。それがどういう理由によるものかはまだ調査中だが、しかし有益であるのだけは確かだ。少なくとも私にとっては、男は固いだけの生物ではない。――――特に、彼は」

 竜頭が顔を前へと戻すと、先頭のウォズに埋め込んだカメラがディスプレイを通じ、要塞内部の惨状を伝えていた。
 次々に引き裂かれ倒れていく男たちの映像は延々と続くように思われたが、向こうから強烈な光が発せられ、ディスプレイは砂嵐に彩られる。
 黒い鱗を持つ竜は、笑った。映像が途切れるその瞬間、廊下の向こうに見えた男の姿を、彼の目は確かにとらえていたからだ。

「くくく、つくづく縁があるようだ、オーマ・シュヴァルツ!! 運命というものはそんなに私と彼を引き合わせたいというのか。面白い、いや、ばかばかしいと言うべきか? まあそんな事はどうでもいい……取りあえず私は感謝しよう、私と彼をここまで引き合わせる雑然とした運命に!!」

 扉へ向かいながら、竜頭は高らかに叫ぶ。
 どこか狂気のような色を感じさせるその背中を真紅の腕の男はただ見送り、そしてひとり呟いた。


「――――気付いていない。ああ、気付いていない。何を無理しているのだか、我が同僚よ」






 オーマが弾幕を張り、戦闘員たちがその隙に負傷者を抱え、後方へと退避していく。
 もう何度こんな光景を繰り返しただろうか。オーマは致命傷にならない部分だけをひたすら撃ち抜きながら、汗の滲む額の裏でそんな事を考えた。

 狭い要塞内の戦闘では、内部構造をよく知っているこちら側の方が有利のように思えた。
 だが、改良され知性を奪われた人工ウォズには、多少内部に精通しているという事実など、紙切れ一枚程度の有利さでしかなかったらしい。力のみで全てを吹き飛ばしていく人工ウォズの戦い方に、戦いに慣れている筈の戦闘員が愕然とする。その隙を逃すような人工ウォズではない。大抵その直後に、戦闘員たちは愕然とした顔を凍らせて、永遠の眠りについていった。
 オーマは舌打ちをした。被害状況を伝える通信を聞けば、他の場所も似たようなものらしい。どの隊も応戦はしているが、どれも中央へと追い詰められている。幸い、非戦闘員たちにはまだ被害がないらしいが、中央に到達されたら最後だ。
 銃を撃つ振動で揺れる脳裏に、先程の光景がよみがえる。少女たちの笑いさざめく声。そして、穏やかな日の光に照らされた若木――――。

「……んの野郎…………っ!!」


 とある国の光景。
 ――――無数の屍が転がる道。人工ウォズとなっても腹の中の子供を守ろうとした、妊婦。

 とある広場の光景。
 ――――無数のウォズたち。臓腑を抜かれた、空洞の腹。

 この記憶に新たな血の香りを刻むのか。また、繰り返してしまうのか――――!!


「うぉああぁぁあああああああっ!!」

 血を吐くような叫びも、造られたウォズたちには届かない。
 オーマたちは徐々に、けれど確実に、中央へと後退していった。





 炎のはぜる音と共に煙がオーマの鼻孔を刺激するが、今のオーマにはそれすらも大した問題ではなかった。むせるようなウォズたちの匂いは、いまや身体全体を取り巻いている。
 中央に位置している、空中庭園。その出入り口はとうにウォズたちによって塞がれており、ぐるりと円を描くようにして人工ウォズたちはオーマたちを取り囲んでいた。若木の側では、女たちが子供の顔を自らの胸へと押し付けている。時折聞こえるすすり泣く声に、オーマは拳を握り締めた。
 隣で体液のついた二本の長剣を握っている司令の青年も、悔しげに前をにらみつけている。

「……まさか、ここまでの部隊を送り込んでくるとはな」
「ああ、全くだぜ。しかも相当タチが悪い。……おい、兄ちゃんよ。もしいよいよ危なくなったら俺が後ろの壁に大穴開けっから、そこから全員飛び降りて逃げろ。ちーと荒いデザインになっちまうかもしれねぇが、超特急で逃げる為の移動手段もそこに具現するからよ」
「具現? オーマ、貴方は一体……?」
「この期に及んでいちいち身元の詮索はなしだ。――――いいか、俺が壁に穴開けたら一斉にそっちへ走れって皆に伝えてくれ。それも今すぐにだ、時間がねぇ」
「……分かった」

 周囲の戦闘員たちと共に散らばっていく気配を確認すると、オーマはひとり前へと歩き出した。
 その動きにつられて人工ウォズの群れが飛び出そうとしたが、その向こうから響いた低く静かな声に遮られるようにして、彼らは踏みとどまる。

「お会いするのはこれで二度目、お話をするのはこれで三度目。でしたかな? オーマ・シュヴァルツ」

 ウォズの群れが割れ、その間をゆっくりと竜頭の男が歩いてくる。
 まがまがしい容貌の背後で炎の色が揺らめき、黒い鱗が甲虫のそれのようにてらてらと光る様を見た戦闘員たちは、揃って息を呑んだ。

「おかしなものですね。この世界には私より凄まじい顔をしている御仁がいるというのに、大抵はこうして怖がられてしまいます。もう遅すぎるやもしれませんが、貴方たちは戦闘員を名乗るのならば、ヒトだけではない異形の者と戦う訓練をした方が良い。何しろ、アセシナートの兵というものは大抵がこうした異形なのですから」
「あぁそうかよ。なら改めて訓練してから挑みに来るから、今はおいとましてくれねぇか。こいつらを殺したところで、テメェらに益はねぇだろ」
「そうですね、確かに私自身に直接の益はない……だがこれも仕事でしてね。私は騎士とは呼ばれておりますが、何のことはないただの雇われ者です。仕事をしても無駄だと思ったから帰ってきたなどと、どうして上司に言えましょうか。パン屋がパンを作るのと、私がヒトを殺すのも同じ仕事です。そこに個人的な益を探しはしない。何故なら仕事というのは、生きる為の手段であるのだから」

 竜頭が黒いコートに包まれた腕を、真っ直ぐに伸ばした。それにならうように、人工ウォズたちの体色が変わる。攻撃体勢に入った証だ。

「私めの生きる為の手段がこれです。貴方はそれを奪おうというのですか? オーマ・シュヴァルツ、優しきヴァンサーよ」
「違う!! 俺は……!!」
「違わない、貴方は私に生きる為の手段を放り投げてくれと言っているのと同じだ。それは私を殺してしまうのと同義。……そう、そんなところが嫌いなんですよ。とても、とても――――!!」

 振り絞るような叫びと共に、竜頭の手が振られた。それは始まりの合図。
 ウォズが動く。オーマは銃を瞬時に逆に持ち替え最大出力で壁を狙おうとして――――

 引き金を、引けなかった。


「な…………!」


 オーマも、ウォズも、戦闘員たちも、そして竜頭さえもが動きを止めた。
 いや、動けなかったのだ。


「……………………」


 その男は沈黙と共に、当然のように庭園の中央に存在していた。
 相対する二つの勢力を断ち割るかのように唐突に現れたその男は、やがて長めの前髪を揺らしながら、夜のような瞳をオーマへと向ける。
 責めるでもなく嘆くでもない、ただ静かにすぎる瞳に見据えられ、オーマはからからの喉に強引に唾を流し込んでたった一言呟くのが精一杯だった。 

「…………ジュダ……?!」

 名を呼ばれた男は、けれど何も言わずにオーマへと背を向け、竜頭へと向かい合う。

「……久しいな、黒の竜」

 竜頭は大きく長い溜め息をついて答えた。

「ええ、本当にお久しぶりです、ジュダさん。できれば貴方の顔など二度と見たくはなかったのですがね……」
「……そうか」
「そうですよ。だって、きっと、貴方は」
 
 ジュダの身体から柔らかな光が溢れ出し、ひとつの珠になる。
 珠はそのまま天井まで舞い上がり、誰もが息を詰める中、緊張感を弾くかのようにぱちん、と割れた。


「――――貴方はきっと、いつまでたってもこんな風に変わらないのですから」


 光の雨が、降り注ぐ。その場にいる全ての者へと、ただ平等に。
 淡く輝く光に触れた人工ウォズたちからは、いつしか攻撃色が消えていた。いや、それだけではなかった。彼らの身体から何かが、光のかけらとなって剥がれ落ちていく。
 ぱり、ぱり、とまるで雛が卵からかえる時のような音をたててその中から出てきたものに、オーマは驚愕する。
 それは純粋な、ウォズだった。人を傷つける事をまだ知らない、本当に、生まれたての――――

「……そこに生きている命のありようなど、誰とて変わらぬものだ。ただ、誰もが自分でそれを気付いてはいない……それだけだ」

 言いながら、ジュダと呼ばれた男は小さく手招きをする。殻を破ったウォズたちが次々にその足元へと集っていった。
 それはここ空中庭園にいたウォズたちだけにとどまらず、いつのまにか炎の消えていた廊下の向こう側や、出入り口の全てからも、光に包まれたウォズたちが飛んでくる。まるで幻想のような光景に、背後で少女たちが恐怖を忘れたかのように小さく歓声をあげた。
 
「今は還り、眠るがいい。……いつかまた、その時が来るまで」 

 天井が軋みをあげて開き始める。ゴン、ゴンと重々しい音をたてて開いていく隙間からのぞくのは青空。雲ひとつない、快晴だった。
 光に包まれたウォズたちは、ひとり、またひとりと空へと舞い上がっていく。春先の綿毛のように。

 いつしかオーマも銃の具現を解いてその光景を見つめていたが、やがて気付いて顔を前へと戻した時には、既に青年の姿はなかった。
 他の誰もが、ジュダという青年がいた場所を見て呆然としているが、その中でオーマと竜頭だけが、同時に息をつく。

「……相変わらず、神出鬼没な野郎だな」
「ええ、本当に。……本当にあのひとは、変わらない」

 懐かしさと寂しさが同居したかのような呟きが、吹き抜ける風にさらわれ消えていく。
 暖かな春の陽光だけが、青年が立っていた場所を薄く照らしていた。




 
 オーマはエルザードの門の前に立ち、空を見ていた。もうとうに飛行船も移動要塞も彼方に消えている。
 奇跡的に死人は出なかったが破損が著しいという事で、移動要塞は一度本国に帰るのだと司令の青年が言っていた。オーマはその時普通に頷いて見せたが、内心は古い知り合いに対して苦笑していた。いつもむっつりと黙っているジュダという男は、本当にわけの分からない男だ、と。

「……なあ、もしかして最初に俺を助けてくれたのもお前か?」
「…………さあな」

 背後に唐突に現われた気配に対しても、もうオーマは動じない。
 その代わりに相変わらずだな、と笑って、オーマは言った。

「ありがとよ。きっとそういうつもりじゃあなかったんだろうが、一応礼は言っとくぜ」

 声がどうやら風だけに届いたらしく、背後の気配は消えている。
 オーマはふわりと漂う風を思い切り吸い込みながら、また少しだけ笑った。





「珍しく任務失敗か」

 真紅の腕の男の言葉に、竜頭は疲れ果てたように椅子へと身体を沈ませた。

「ああ、そうだ。おまけに、この私としたことが手持ちの人工ウォズまで全て奪われて、だ。さあ始末書代わりの労働は何だろうな。今なら何でもしょうがないと言って受け入れられる自信がある」
「そうヤケになるな。どうした? いつもと随分様子が違うな」
「どこがだ」
「遊びに行って、疲れたような。そんな顔をしている」
「――――ふん。仕事が遊びだとでも? 冗談を言うな」

 竜頭はまぶたの裏に残る残像を振り払いながら、言う。 

「私はいつも本気だ。どんな任務だろうと何であろうと、それは変わらない」

 そう、どんな時代においてさえも、いつも私は私でしかないのだ。
 彼らが彼らのままであるように、それは変わらない。その必要もない――――

 ごく小さく囁かれた言葉は、飛行船の振動にかき消える。


 飛行船が国に到着するまで、あと数分。
 さあどんな言い訳を考えようかと考えを巡らせながら、竜頭はゆっくりと目を閉じるのだった。  







 END.
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聖獣界ソーン
2005年03月25日

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