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『night-cap 』
鵺・ー4832)&風間・総一郎(4838)

 人は、夢の中に居る時、今自分は夢を見ている真っ最中で、今起こっている出来事は、全て夢の中の出来事であると、大抵の場合は認識しているものだ。
 …だからと言って、悪夢が苦しくないと言う訳ではないが。

 【これはゆめ。ゆめなんだ】
 総一郎は心の中で叫び続ける。だが、だからと言って、総一郎に迫る黒い陰が、彼を侵食する速度を緩める事などありはしない。それも分かっていて尚、それでも夢だと繰り返し叫ばなければならない訳は、そうしていないと例え夢の中とは言え、正気が保てないような気がするからだ。

 夢の中で総一郎は、まだ顔の輪郭に丸みが残る、幼い頃の自分に戻っていた。自分の中で燻る何か、その正体がその当時は自分では分かっていなかった。あの頃から、その正体を認識し向き合おうとしていたのなら、あんな悲劇は起こらなかったかもしれない。
 【いや、なにがどっちにころぼうとも、けっかはいつもおなじことだ】
 あの時ああしていれば、こう言っていればと悔やむ事は腐る程ある。だが、それらをどうシミュレーションしてみれも、行き着く所はいつも同じだった。
 目の前が、真っ赤なフィルター一枚を被せられたように、視界が血の色に染まる。その状態を恐ろしいと思うと同時に、その血塗られたような光景に心躍らせる自分、その事自体が恐ろしかった。
 【ゆめならはやく、いちびょうでもはやく】
 覚めて、と声に出して願おうとするも、喉から搾り出された総一郎の声は、明らかに人間の声ではなかった。
 目の前を行く、見慣れた同年代の少年の後ろ姿。逃げて、と叫ぶ声もただの咆哮として他者の耳には届いた。振り返り、自分を見て恐怖に顔を歪める友人。何故、と苦悩する自分と同時に、少年の柔らかな肉を裂き、生々しく温かな血に塗れたいと言う凶暴な衝動が総一郎の奥底を揺さぶった。
 その衝動が、本来の総一郎を押さえつけ、上回る。そうして再び意識を取り戻した時、周囲とそして自分の両手は、ゆっくりと凝固を始め、べたつき出した鮮血で真っ赤に染まっていたのだ。
 その、文字通り血の海の中で、友人は半ば茫然自失して崩れ落ちている。胸元が僅かに上下している事から、まだ生きている事が分かる。総一郎が友人の元に歩み寄ろうとしたその時、死に掛けの魚のように血溜まりで濁っていた友人の目に、驚愕と明らかな恐怖の色が浮かんだ。
 友人の口が蠢き、総一郎に向けて言葉を投げ付けようとしている。総一郎には、友人がこの後、なんと言って自分を評するか知っている。聞きたくない。総一郎は両手で耳を塞ぎたかったが、血塗れた手の平ではそれも叶わない。
 思わず総一郎がぎゅっと目を硬く閉じた瞬間。友人の口から発せられた言葉が衝撃波になり、目に見えない拳の形で総一郎に襲い掛かろうとしたその時、その拳と総一郎の間に、何かが割って入った。
 ふわり。いつまで経っても拳が襲ってこないどころか、柔らかな何かに全身を包まれた総一郎は、恐る恐る目を開けてみる。が、視界には何も映らない。総一郎は、驚いて目を数回瞬いてみた。そうしてようやく、自分の周囲を乳白色の何かが取り巻き、外敵から護ってくれている事に気付いたのだ。
 それは何者かは分からない。ただただ柔らかく、そして暖かい。総一郎を拘束はしないが、身体全体を預けてもしっかりと支えて貰える程度には強く全身に纏わり付いている。体温と同じ温度の、呼吸の出来る水の中で、全身脱力した状態でぷかりと浮いているかのような心地良さだ。自分の手足がどうなっているかも分からないような曖昧な境界線の中、総一郎は静かな溜息をひとつ零すと、今度こそ本当の眠りへと落ちていったのである。


 次の朝、目覚めた時、総一郎は未だ夢現の中にあるかのよう、自分の身体がちゃんと二十二歳のものなのか、それとも夢の中の幼い頃のままなのか、それさえも認識できない程に気を許しきっていた。閉じたままの瞼を透かして、明るい朝の光を感じる。陽光は瞼の裏の毛細血管の筋を総一郎に示すけれども、その赤は夢の中のように禍々しくはなく、寧ろ生命の力強さを感じさせるものだ。ぽかぽかと春の日差しのように暖かなその場所を離れたくなくて、総一郎は、すぐ傍にある、その温度の源にすりりと身を摺り寄せる。それだけでは満足できず、総一郎は、そのぬくもりを己の方へと引き寄せようと手を伸ばした。

 ぷに。

 「………ぷに?」
 目を閉じたまま、総一郎の眉間に皺が寄る。ハテナマークを頭の上に幾つか飛ばしながら、総一郎は、たった今手の平に触れたその『もの』の感触を、再度確かめてみた。

 ぷにぷに。
 「あン♪」
 「………………」
 恐る恐る、総一郎が寝ぼけ眼を開いてみる。その見慣れた室内装飾は、紛れもなく自分の部屋。だが、横たわる己の目の前で、安らかな寝息を立てているのは……
 「ぅへげぁ=^^:;えぉ@あ〜☆ぇ◎\//v〜〜〜!!?」
 「ん〜〜?」
 珍妙な叫び声と共に飛び起き、壁際まですっ飛んで硬直している総一郎。その叫びで目覚めたか、隣で惰眠を貪っていた鵺が、長い睫毛を瞬かせて、目の前で顔面蒼白になっている男の姿をじっと見詰めた。
 「…。オハヨ」
 「……お、おはよう」
 思わず真っ当な挨拶を交わしてしまった総一郎だが、気を取り直してごくりと喉を鳴らす。欠伸交じりにベッドの上で起き上がった鵺の姿はと言うと、スリップ一枚のしどけない姿、しかもスリップのストラップが片方ずり落ちていてこれまた何とも色っぽい。が、それを鑑賞している余裕など、今の総一郎には全くなかった。何でこの女がここに居るのかと言う基本的な疑問から、いつから一緒に寝ていたのかとか、もしかして昨夜何か間違いがあったんじゃなかろうかとか、様々な疑問が物凄い勢いで総一郎の頭の中を駆け巡る。それとは対照的に、鵺は呑気に欠伸を噛み殺すと背伸びをひとつ。ふと、彼女の視線の動きが、総一郎の右手で止まった。
 「………」
 「………。!!??」
 鵺の視線に、釣られて自分の右手を見た総一郎が、声もなく驚く。硬直したままの総一郎の右手は、指が五本とも緩やかな弧を描いていた。そう、まるで、お椀型の何か丸みを帯びたものを鷲掴みしていたかのように。
 「ちっ、違ッ、これはだな……」
 「……ッ、いやぁあぁあぁ〜!!」
 わぁッと鵺がベッドの上で泣き崩れる。金色の長い髪がばさりとシーツの上に散らばった。
 「…お、おい……」
 「酷い、ヒドイわッ、寝込みを襲うなんてあんまりよ〜!このうら若きオトメの柔肌を、穢れたケダモノの手で蹂躙するなんて〜!」
 「………」
 誰がうら若きオトメだとかどこが柔肌だとか誰がケダモノかとか自分で蹂躙とか言うなとか、ツッコみどころはそりゃもう満載だったが、今の総一郎にはそんな余力は皆無だった。勿論、突っ伏して顔を隠し泣き続ける鵺の表情が、にやーり笑いを湛えていた事など、気付く訳もなく。総一郎は溜息をつくと、鵺のわざとらしい甲高い鳴き声の所為で、鼓膜が破れそうな耳の穴を指先で穿りながら片目を眇めた。
 「…分かった。分かったからいい加減泣き止め」
 「……責任、取ってくれる?」
 何のだ、と聞き返したかったが、ここで聞き返すとまたあの凶悪な泣き声を聞かされる羽目になるだろう事は火を見るより明らか。渋々頷くと、鵺の表情が一気にぱあっと一変する。満面の笑みになってベッドから飛び降りた。
 「よしッ、これで決まり!じゃ、行くわよ♪」
 「どこに」
 聞き返す総一郎だったが、振り返って見た背後の鵺が、いきなりその場で着替え始めていたので、慌てて前を向くと、溜息交じりに肩を落とした。


 「んじゃあ、次はね…」
 「…あと何回『次』が来れば終わりに辿り着けるんだ……?」
 総一郎にしては情けない声に、意気揚々と先を歩く鵺が振り返って男をねめつけた。
 「何言ってるの、女の欲望に果てなんか無いわよ?」
 「ちょっと待て。お前の欲に果ては無くとも、俺の財布には限界があるんだぞ」
 両手にも両肩にも、ブランド物のショッピングバッグを大量にぶら下げた総一郎が抗議する。鵺が言うところの責任とは、取り敢えず好きな物を好きなだけ買ってくれと言う事だったらしい。こちらを睨みつけてくる総一郎に、鵺は余裕の笑顔で、豊かな胸の谷間から何か薄っぺらいものを取り出した。
 「あ!それは俺のクレジットカード!!」
 何時の間に!と激昂する総一郎に、鵺はニコニコ笑顔で指先で挟んだカードをひらひらと見せびらかした。
 「んふふ、幾ら私が何百年だか封印されていたからって、コレの使い方ぐらいは知ってるわよ〜?」
 「そんなもの自慢になるか。返せ、それを使われたらシャレんならん」
 「あら、そんな事言っていいの?」
 にやり、口端を持ち上げて笑う鵺。不意に眉尻を下げて健気っぽい表情を作り、拳を口許に当てて小さく嗚咽した。
 「……あのー、もしもし?」
 「…ヒドイ……総一郎さんったら、もう忘れてしまったのね…昨夜、あんなに激しく、私にあーんな事やこーんな事を……」
 「わわわわ!!」
 「私がもう許してって泣いて頼んでいるのに、アナタったら、『泣いた顔がまたソソるんだ』とか何とかホザいて嫌がる私の手足を…」
 「待て待て待て!」
 「そのうえ、私の××を○○○して、△△△にたっぷり□□を…」(一部不適切な表現がありましたので伏字でお送り致しております)
 が、総一郎と鵺の周囲に居る人々の耳には、当然、修正ナシの音声が届いていた。総一郎は、己に注がれる痛い程の蔑みの視線とヒソヒソ声で囁かれる謂われ無き非難に、人知れず諦めの溜息を零すしかなかった。

 その後、何とかしてクレジットカードの使用は阻止したものの、財布の堤防決壊を防ぐ事はさすがに無理だったらしい。散々買い物に付き合わされた後、レストランでランチ、エステでマッサージ、カフェでお茶、などと振り回され、さすがの総一郎もグロッキーになっていた。
 日が暮れ、街の人通りも最高潮の賑わいを見せ始めた頃、鵺がまた何かに興味を惹かれたようだ。興味津々で彼女が入っていくのはゲームセンターだ。どうやら、入り口近くに置いてあったUFOキャッチャーのぬいぐるみに一目惚れをしたらしい。
 「…お前のモノの好みはイマイチ俺には分からんが」
 「いやぁね、これの可愛さが分からないなんて、総一郎もまだまだオコチャマねぇ」
 そう鵺に鼻で笑われたが、この、世にも奇妙なぬいぐるみの魅力が大人好みだと言うのなら俺は子供のままでいい、と総一郎は思った。
 「ねぇねぇ、あれ!カワイイわよねぇ〜、ムラサキイソベウミウシのぬいぐるみ!」
 「…そうか?」
 俺には、ただの毒々しい紫色のナメクジにしか見えんが。
 UFOキャッチャーのガラス面に張り付いていた鵺が、ぬっと総一郎に向けて手の平を差し出す。
 「…なんだよ」
 「何だよ、じゃないわよ。決まってるでしょ。百円!」
 「俺が出すのか!?」
 「当たり前でしょ。何なら五百円玉でもいいわよ。一回分お得だから」
 「……」
 渋々、総一郎はポケットから出した百円を鵺に手渡す。嬉々として鵺がコインを投入すると、UFOキャッチャーのアームが動き出す。クレーンはムラサキイソベウミウシのぬいぐるみを挟んで持ち上げるが、バネの力が弱いのか、途中でそれはぽとりと落ちてしまった。
 「あぁ〜〜…」
 「何やってんだ…って、まだやるのかよ!?」
 無言で手の平を差し出す鵺に、総一郎はまた百円を手渡した。それから何回か鵺は挑戦したが、ウミウシのぬいぐるみは獲れない。業を煮やした総一郎が、交代だ、と鵺を促した。が。
 「ああっ!?」
 「総一郎のヘタクソー」
 「…お前に言われる筋合いは無いぞ」
 傍らの鵺を睨みつけ、総一郎は神経を集中する。アームの角度やクレーンのハサミの位置、果てはウミウシの重心など、全ての要素を鑑みて作戦を練る。その真剣な横顔を鵺は、何故か見守るような笑みを浮かべて見詰めていた。
 「…よし、今度こそ……!」
 慎重にクレーンの位置を操作し、ゆっくりとクレーンがハサミを広げながら降下する。それはウミウシの背中のヒラヒラを器用に爪先で引っ掛け、持ち上げる。絶妙なバランスの元、ゆらゆらと揺れながらウミウシは動き始めた。
 「もう少しだ!」
 「頑張ってッ!」
 総一郎も鵺も、固唾を呑んで見守る。やじろべえのように一点で重さを支えたまま、クレーンは落下口のところまでウミウシを運び、そこでハサミが再び開いた。
 「やったッ!」
 「やったわ!」
 ガタン、と音を立てて落ちてきたぬいぐるみを、鵺はしゃがみ込んで取り出す。不気味な紫色のぬいぐるみを抱え、鵺は嬉しそうな笑顔を向けた。
 「ありがとう!やっぱり総一郎ってイイ男だわ〜♪」
 「……はは、…どうせならもっと違う事で褒めて欲しいもんだがな……」
 引き攣った笑顔で鵺に答える総一郎だったが、この時、今朝の夢の事など綺麗さっぱり忘れている事にさえ気付いていなかった。
 ちょっとトイレ、と総一郎がその場を離れている間に、同じUFOキャッチャーに興味を示す子供がいた。その少女は、トックリオオヒダイソギンチャクのぬいぐるみが欲しかったらしい。が、何回か挑戦しても、丸みを帯びた筒状のぬいぐるみは、クレーンの爪先にも引っ掛からない。
 「ね、私に百円投資しない?」
 泣き出しそうな少女に、鵺がそう微笑み掛ける。少女から受け取った百円を投入し、鵺はアームを操作する。どう考えても、さっきのムラサキイソベウミウシよりも難度が高く、しかも難しい位置にあるイソギンチャクのぬいぐるみを、鵺はさして悩みもせず、あっさりとゲットした。
 「ありがとう、お姉ちゃん!」
 「いえいえ、どういたしまして〜♪」
 「どうしたんだ?あの女の子」
 戻って来た総一郎が、手を振りながら駆けて行く少女を見て鵺に尋ねる。鵺はただ、にっこり笑って「別に〜?」と答えるだけだ。
 「…なんだ、その意味深な笑いは」
 「うふふ、女は、謎めいている方が魅力的でしょ?」
 マジックと一緒で、種明かしはご法度ですもの。そう言って笑う鵺に、総一郎は首を捻るばかりだった。


 すっかり夜の帳が下りた頃、ようやく二人は帰路についた。山のような荷物を抱え、俯き加減で歩いていた総一郎は、前を歩く鵺が不意に立ち止まった事に気付き、顔を上げる。
 「どうした、何か落ちてたか」
 「…ねぇ…ひとりぽっちで抱え込まなくっても、いいんじゃない…?」
 ひく、と総一郎の眉が僅かに怯んだ。
 「誰かを頼るってのも、それはそれでまたいいものよ。それは、恥ずかしい事でも何でもないし…、ね?」
 「………」
 ふふ、と口許に笑みを湛え、鵺はまた先頭に立って歩き出す。踊るようなその軽やかな歩調に釣られるよう、総一郎もまた口許に仄かな笑みを浮かべた。

 「さ、今日は思う存分遊んだし、今夜はゆっくり眠れそうだわ〜」
 「…って、やっぱりまたここで寝るのか……」
 溜息交じりで肩を落とす総一郎を、先にベッドに横になった鵺が、隣をぽむぽむ手で叩いてここへ来いと急かす。もうひとつ溜息を零し、総一郎は大人しく鵺の隣に身を横たえた。
 そんな総一郎の頭を鵺は胸元に抱え込む。当然、総一郎は鵺の豊かな胸元に鼻先を埋める事になるのだが、その感触とぬくもり、ほんのり漂う鵺の香りは、何故かとても心安らぐものだった。ここに居ても、ここに存在してもいいんだと言う赦し。自分が自分のままでいられる領域。普段、無意識で身構えて強張っていた身体の力が、すうっと自然に抜けていくようだ。その緩みは、涙腺にまで及んだらしい。ついぞ泣いた記憶など無かった総一郎だが、眦から流れる透明な雫はとても熱く、そして優しく、総一郎の内を潤していった。
 顔を見ずとも、声無くしゃくりあげる背中と僅かに濡れる胸元の感触で、鵺にはそうと知れる。鵺は薄暗がりに目を開いたまま、総一郎の銀色の髪を、いつまでもいつまでも優しい仕種で撫で続けていた。

 弱い人だから人前で泣くのではないのよ。そんな声が、聞こえた気がした。


おわり。


☆ライターより

 ちなみに、ムラサキイソベウミウシもトックリオオヒダイソギンチャクも架空の生き物です。それらしい(それってどれ)名前を、勝手につけただけなのでした(笑)
 と言う訳でこの度はシチュノベのご依頼、誠にありがとうございました!(遅)ライターの碧川桜でした。ではでは、またどこかでお会いできる事を、心からお祈りしています。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月25日

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