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『look like spring 』
梅田・メイカ2165


 鍋の中のアイリッシュシチューがことことと煮立っている。メイカはライ麦パンを袋から取り出した。温めたナイフでパンをスライスする。
「どんな味なのかしら」
友人のお薦めのパン屋で購入した時、パンはまだ焼きたてだった。味見させてもらうととても美味しくて、帰る時間が少し勿体無いと思った位だ。お店の人がいうには軽く焼くと焼きたての味に近くなると言うので、早速温めたトースターに入れる。
テーブルに色々とセッティングするついでに、テレビのスイッチを入れる。確かこの時間ならば、ニュースバラエティが放映されている筈だ。
『ご覧下さい! この一面の菜の花を!』
 緑の地平線の上で鮮やかな黄色が泳ぐ。メイカはその光景を食い入るように見つめた。
「なんてきれいなんでしょう……!」
一体これはどこの光景だろう。そう思ってよく見れば画面の右下にとある自然公園の名前が書いてあった。足を伸ばすには少し遠い場所だったが、それは気にならなかった。
「電車を利用した方がいいのかしら。行き方を調べなければいけませんね」
 にっこりと微笑んだ時、チーンとトースターの音がした。メイカはぱんと手を打ち鳴らした。
「そうだ。ライ麦パンのサンドウィッチを作っていきましょう」
 きっと素敵なハイキングになります。
 楽しげにそういうとメイカは夕食の仕上げに立ち上がった。


 最寄の駅まで始発から乗り継いで二時間近くかかった。駅からさらにバスに乗り継いでようやく自然公園に辿り着いた。案内板を確認して歩き始めるとすぐに芝生の広場があった。メイカは大きく息を吸い込む。草の爽やかな香りを感じながらメイカは微笑む。
「ああ、やっぱり自然の中は空気が美味しいのですね」
普段いる東京と言う街の中ではそれは無縁の物に近い。上野公園や皇居辺りまで足を伸ばせば緑はあるが、それはやはり少し歩けば都会に出る場所で、こことは根本的に空気の質が違った。
「街は街で素敵ですし、そこにしかないものもあるのですけど……」
 でもここにしかないものもあるのですね。
心なしか太陽さえも違う暖かさを持っているような気さえしてくる。そう思いながらのんびりと歩き始めたメイカは小さな違和感を感じて下を見る。
 芝がほんのりとしけっているように感じられた。昨日は晴れていたのに何故、そう思いかけてひとつの単語を思いついた。
「朝露……?」
 もっと葉の大きな草をと探してみれば、そこに予想通りの雫があった。
「空も綺麗ですけれど、下もきちんと見なければいけませんね」
足元にある小さなスミレの花を見つけてメイカは微笑みを深くした。同じスミレでもパンジーとは随分違う、可憐で清楚な花。ともすれば見落としがちになるそれは芝の途中にぽつねんと淋しげに咲いていた。
思わずと手を伸ばしかけてメイカは思い直してバッグから携帯電話を取り出した。
メタリックシルバーにシンプルなデザインがマッチするその携帯電話は最近売り出し中の機種だった。デザインと色も勿論だが、何よりその充実した機能に惹かれ購入したのはこの前の休日だった。勿論写メールの機能だって勿論付いている。
「これで……と」
 カシャっ
 携帯電話がシャッターの音を出す。携帯電話のディスプレイに小さなスミレが写っている。
「摘んでしまうと枯れてしまいますものね」
 一生懸命咲いたこの花の命を散すのは止めておこう。そう微笑むメイカは奥に白い花が揺れているのに気が付いた。
「マーガレット? でもそれにしては低いですね」
 何のお花かしら、そう思いながらメイカは奥に向かう。
 芝の広場を抜けると、濃い緑が広がった。きちんと調えられた緑の中に彼女が先程見つけた白い花がある。こぼれるように咲き誇るその小さな花に近付いて見ていると、小さな札に気が付いた。
「カモミール? ああ、ハーブティにそう言えば小さな花びらが入っていましたね」
 そうか、これがその花びらなのかとメイカは納得した。花を近づけるとなじみのある、でも少し違った香りを感じる。よく見れば他の草花にもそれぞれ名札がついていた。
 スペアミント、アップルミント、ローズマリーにレモングラス。それぞれに明るい緑の元気な葉が覗いている顔を近づければほのかな香りを感じる事も出来た。
「……あら?」
 小さなパンジーといった感じの花がある。カラーリングも馴染みの色だった。ビオラ、そう書かれた札がある。
「これもハーブなんですね……ふふ、パンジーとそっくり」
メイカはそう言いながら、小さなビオラをそっと撫ぜる。思い出して携帯電話を取り出して一枚。
 立ち上がって辺りを見回すと案内板があった。見るとれんげ畑があるらしい。その向こうに梅園と桜園、それからニュースで見た菜の花畑があると書かれていた。メイカは思い出したように時計を見た。
「そういえば、もうこんな時間なんですね」
 11時半を回っていた。道理でお腹がすく訳だと納得して、れんげ畑で作ってきたお弁当を食べようとメイカは歩き出した。


 一口に梅と言っても様々な種類がある。1月から花をつけ始めるものもあれば、桜と同じ頃に漸く花期を迎えるものもあり、またその色や形も様々だ。
 メイカは改めてその種類の多さを知って目を丸くしていた。今彼女が目にしているのはバラを思わせる沢山の花びらをつけた花だ、驚いた事に同じ枝に咲いているというのに、花の色が違う。とても薄い桃色の花に桃色に白が浮いた花。その華やかな姿にメイカはそっと手を伸ばした。
「なんて綺麗。私、梅って五枚の花びらの物ばかりかと思っていました」
 見渡せばメイカの思う花よりも、むしろそう言った花びらを重ねた花の方が多いような気がする。花のサイズも大きめの物が多い事にもだが、一番メイカが驚いたのは。
「枝垂れるのって桜だけじゃなかったんですね」
 まるで花の重さに耐え切れないと言う風情で枝垂れたその枝先には小さめの八重咲きの花がある。濃い桃色の花びらは尖っていて花の形は少し独特だ。メイカは花を受け取るようにそっと手を伸ばした。わずかに触れながらそっと声をかける。
「ごめんなさい、もう少し近くでみたいの」
折らないように細心の注意を払ってメイカは枝を引き寄せた。ふわりと花の匂いがメイカを包んだ。メイカは花の香りに包まれながら、その小さな花を飽かずに眺めた。
しばらくして今度はそぅっと手を離すとメイカはにこりと微笑みをこぼす。
「桜も綺麗ですけど、梅も決して負けてはいませんね」
 勿論どちらが勝ちという訳ではないのだけれど――。
 メイカに応えるように梅が風に揺れた。


 茜色の空に全てのものが染まる。その中でも自分の色を失わずに明るい色を振り撒く菜の花を眺めたメイカは背中を木に預けた。この木もいずれ綺麗な花を咲かせるのだろうか。
「菜の花畑に入日薄れ」
自然と口からメロディがこぼれる。そんなメイカはこの光景の中で一番夕陽に染まっていた。銀色の髪は夕陽を柔らかく反射し、着ている白いワンピースは茜色に染まっている。その中で唯一色彩を失っていないのはその瞳の青だろう。澄んだ空の色なのか、或いはこれから来る夜の色なのか。どちらにせよ空の色をした瞳を彼女は夕焼け空に向けた。
「朧月は出るのでしょうか?」
 先程口づさんだ歌を思い出してメイカはそっと笑う。やがて夜が来れば東の空の月が輝くだろう。その時を待ち少女は空を眺める。
 少女の髪をそっと春風が揺らした。


fin.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月22日

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