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『金色の太陽が昇る前に 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)&マリオン・バーガンディ(4164)


【2005年、セレスティ本邸書斎】

 その日は冬のアイルランドによくある、厚い雲の立ち込める雪の夜だった。
 ただ、リンスター財閥総帥が生活する場では、常に光と気温は低く抑えられている。それは快晴であろうと嵐の夜であろうと、常に変わらぬ気温が保たれていた。
 総帥――――セレスティ・カーニンガムが1日の多くを過ごす本邸の書斎の窓は、常に厚手のカーテンで隠されている。そして其処に通される人物は書斎の蔵書に反比例するかのように、数多くない。
 だが今日は珍しく、書斎には三人の青年の姿があった。
 ひとりは書斎の主、セレスティ・カーニンガム。数百年の昔に創設した財閥を類い稀な占いの技を用いてこの時代まで成り立たせた、初代総帥にして現総帥。
「この辺りの時代で宜しいですか、マリオン。ロンドンが霧の都と呼ばれていた美しき時代……20になりますね」
 古ぼけた1冊の日記帳を手に、マリオンと呼んだ青年に視線を向ける。ほぼ見えぬ目を向けたのはあくまで儀礼であり、彼の存在は驚異的な感覚で知覚しているのだが。
「ええ、セレスティ様。金色の太陽を世界に輝かせねばなりません。その日記に書かれている時代は、正に夜明けとも言えるのです」
 ふたり目は、マリオン・バーガンディ。リンスター財閥総帥の所有する美術品の管理を一手に任せられた、元キュレーター。
 古風な黒の背広を着込んだ彼の佇まいは大人しげな雰囲気を漂わせていたが、自信たっぷりに答える表情は悪戯好きな猫のような印象を抱かせた。
「……しかしマリオン。時の流れに介入しないのがあなたの流儀ではありませんでしたか?」
 セレスティの背後にて、忠実な執事の如く沈黙を守っていた最後の一人が口を開く。
 3人目は、モーリス・ラジアル。リンスター財閥が所有する庭園の全面管理者である。しかし今日は庭園の管理者としてではなく、セレスティの世話役としてこの場に立っていた。
 モーリスとマリオンはその職務と数百年の長きを生きてきた関係上、互いの性格は存分に知り尽くしている。普段の流儀とは真逆の行動を起こそうとする青年の行動に疑問を差し挟むのは、ある意味当然とも言えた。
 だがその質問は想定内だと言わんばかりに、マリオンは楽しげな笑みを浮かべ、緩やかに指を立てた。
「ええ、いつもなら。ですが今回のこの件に関しては、やらなければならない事なんですよ。世界をあるべき姿に調律する為に――――ハルモニアマイスターの業務を奪ってしまうようで非常に心苦しいのですけど」
 悪戯っぽく笑うマリオンに、モーリスは僅かばかりの苦笑を浮かべる。
 様々な騒動を持ち込んでくるのがマリオンの第二の仕事と言わんばかりだが、今のマリオンは正に騒動を持ち込んでくる準備態勢。そしてどのような騒動かは、それが起こるまでは決して明かさない。例え全ての顛末を知っているとしても。
 聞いても無駄だ、といち早く判断をつけると、緩く首を振ってセレスティの座している車椅子のハンドルを握った。
「いいでしょう、私めの本日の業務はセレスティ様のお世話です。与えられた業務を粛々と遂行させていただくとしましょう」
 その言葉を了承の返事となる。セレスティは背後に立つモーリスへと振り返ると労いのように至高の微笑みを見せ。そしてマリオンに微笑みを見せると、緩やかな動作で整った手を差し伸べた。
 マリオンは恭しくセレスティに歩み寄ると、セレスティの前に跪いて差し伸べられた手を取る。
 そして――――三人のいる空間がマリオンの能力により、別の空間へと接続させられた。

 80年前の、霧の都・ロンドンに。

【1925年、ロンドン】

 THE LANGHAM HOTEL。
 1865年にロンドン初の大型高級ホテルとして創業した由緒正しいホテルであり、1920年代のそこはヨーロッパでも有数の伝統あるホテルとして名を馳せている頃でもある。
 最上階のスィートを一室ずつ借り上げてはいたが、英国特有の不味いディナーを程々に切り上げてセレスティの居室に全員集まる。
 テーブルの上には従業員に取り寄せさせた、クリスティーズのオークションカタログが3冊置かれていた。マリオンはカタログを手に取ると、手ずから目当てのページを開いてセレスティとモーリスに手渡す。
 そのページに記されていたオークション品目は、フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホの『ひまわり』。12枚の『ひまわり』が存在する中の、正にその1枚が出品されていた。
「今回は、これを出来る限りの高値で落札させて頂きます。相手はおりますので、自然に高く吊り上る結果になるかと思います」
「これが欲しいのですか、マリオン。『ひまわり』なら1枚、リンスターの博物館に展示されているでしょうに」
 椅子にも座らず、セレスティの背後に立っているモーリス。子供の買い物に付き合わされた落胆の色を隠さない彼の言葉に、マリオンは小さく鼻を鳴らした。
「バカにしてもらっては困りますよ、ミスタ・ラジアス。これは金色の太陽を世界に昇らせる為に必要な儀礼なんですから」
「金色の太陽?」
「『ひまわり』のことですよ。今でこそゴッホは二十世紀最高の画家という認識がありますけれど、彼の生存中には一枚も絵は売れなかったという逸話を御存知でしょう?」
 セレスティとモーリスは当然の知識と、軽く頷きを返す。
「それが彼の死後、遺された絵と晩年の悲劇的なエピソードによって彼の絵にスポットライトが当てられた。そして71年後には、このクリスティーズで日本の保険会社が約5500ドルで『ひまわり』を落札することになるのです」
 目の前のふたりがこの程度の知識を持っていないなど有り得ないとは知っていても、それでも前口上は必要である。今回の種明かしをする為の、必要な通過儀礼。
「ゴッホ自身が作り上げた伝説は、彼の死後から30年が経とうとしている現在、好事家の間では周知の物となっています。後は、この世界に生きている人間が伝説を作り上げて人々に彼の存在を知らしめる必要があるのです」
「今回の伝説を作るのは、我々と言う事ですね」
 既に結果を知っているにも拘わらず、良き生徒役を立派に務めたセレスティが悠然と微笑む。
「金色の太陽は私に似つかわしくありません。ですが、倉庫の闇の中に沈ませるには――――あまりに惜しい」
 総帥の言葉が全てだった。

 翌日のクリスティーズでは、過去に例を見ない高額での落札劇が起こる。

 そのニュースが第二次世界大戦も始まっていない世界を駆け巡るには、やや時間を必要とした。
 しかしロンドンのオークションで起こった事実は、着実に世界へと染み渡っていく。
 彼の遺した絵達が織り成す数々の伝説のうちの一つと、して。

【1925年、アイルランド】

「実はこの時代に来たのは、この当時に起こった幾つかのミステリーを解決したかったからでもあるんですよ」
 80年後より遥かに厳しい寒さの中、当時はまだ隆盛だった6頭立ての馬車に3人は揺られていた。毛皮のコートに身を包んだマリオンの手には、80年後の書斎にてセレスティが手にしていた古ぼけた日記帳があった。
「ミステリー? 謎の富豪が金に糸目をかけず、悲劇の天才画家の絵を買ったというだけでは終わらないのかい?」
 ええ、と楽しげな笑みを浮かべてマリオンが頷く。
「実はですね、僕達が落札した『ひまわり』は……何故か時を置かずして、リンスター財閥に寄贈されたんですよ。それも、住所も名前も全てがデタラメの何者か、から」
 スーツの隠しの中から、古ぼけた宅配伝票を取り出して二人に見せる。
 それは一目見ただけで、住所も差出人も出鱈目だと判る伝票(少なくとも英語では発音出来ない単語も隠されることなく混ざっている)。しかしてその筆跡は、二人とも見覚えがある。
「……これ、は……マリオンの筆跡、ですね」
 年月を重ねた茶に染まった伝票に走っているアルファベットの羅列は、確かにマリオン・バーガンディその人の筆跡だった。全てを理解するセレスティはただ微笑むだけで、質問役と相槌はモーリスの担当になっていた。
「それと、これからリンスター財閥に寄贈され、80年間人々の心を打ち続ける『ひまわり』はこれなんです」
 そう言いながら座席の下から取り出した、丁寧に梱包された大きな長方形の小包には、茶の伝票と寸分違わない文字の羅列が為された、真新しい伝票が貼られていた。
「……つまり、この時代に『ひまわり』を寄贈した足長おじさんはマリオン、君だったということですか」
 しかし何故、と当然の疑問に、マリオンはベルベット張りの座席に凭れ掛かり。窓の外の雪景色を眺めながら、苦笑混じりに呟いた。
「まぁ……何と言うか、80年越しの自分への宿題だったんですよ」
 そう言いながら、指で摘んだ茶色の伝票をひらひらと振る。
「この前、中国僻地の言語を纏めてたんですが――――辞典の見直しをしてたらピンと来たんです。そう言えばこの発音は何処かで見たか、口にしたことがある。しばらく喉に小骨が刺さったような生活をした後で、気付いたんです。そう言えばあの謎の『ひまわり』の伝票ではないか、と」
 そして両手で伝票の端を摘むと、二人の聴衆へ実に楽しげに種明かしをしていく。
「伝票を見直してみると、意味不明な文字の羅列がしっかりと意味を持っていたんです。2005年の3月になるその時、『ひまわり』の前で待て、とこれには書いてありました」
「……なるほど。それで、『ひまわり』の前に?」
「はい。2月が終わり、3月になった瞬間……未来の私から、この日記と、もうひとつ預かり物を受け取りました。『ひまわり』の前払い金代わりに、失敬されていたらしいですよ」
 と苦笑しながら、コートの中からシルクに包まれた拳大の物体を取り出す。
 シルクをゆっくりとめくると、そこには青白い光を放つダイヤモンドが姿を現した。
 それはかつて、リンスター財閥の美術館に存在していたものの、80年前に何者かに盗まれたダイヤモンドそのものであった。
「――――! これは80年前、何者かに盗まれた『人魚の月』ですか!?」
「はい。種明かしをしてしまえば――――『ひまわり』を送り届けた後、セレスティ様が氷でダイヤを作り、モーリスが再調整をし……そして僕が博物館に忍び込んで『人魚の月』とすり替えてから、元ある歴史に戻ることになっています。この一件であの前任者が責任を取って解雇され……僕がリンスターの美術品全てを管理することになったんですよ」
 困ったような、それでいて愉快げな笑みを浮かべるマリオンに、セレスティがたおやかな微笑みを見せる。
「つまり、私達が今回の件で動くということは即ち、歴史を正しく動かす為に必要なプロセスだったということなのです。こうして我々3人が一堂に会する機会を作る、ために」
 全てを聞いたモーリスはただ苦笑を隠そうともせず、緩やかに腕を組んだ。
「……そう言えば80年前と言えば、何かと騒ぎが多かった年でしたね。まあ――――何かと走り回るのはかつての我々に任せて、古き良きアイルランドを堪能してから帰還することにしましょう、か」
 半ば諦めたかのように紡がれる休暇の提案に、3人はただ静かに笑いながら頷き合うのだった。

(了)

■□■今までのご愛顧、本当にありがとうございました。 森田桃子■□■
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東京怪談
2005年03月18日

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