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『バラ色の日々 』
藤野 羽月1989)&倉梯・葵(1882)


 ガラス製の燗から小さなグラスになみなみと冷酒を注ぎ、互いにそれを鳴りあわせた。
「運命的な再会に乾杯」
「変わらぬ友情と愛情に、乾杯」
 藤野はぐいっと中身を空け、倉梯はちびりちびりと舐めるように中身を味わう。寒々しい風が窓枠を鳴らしていたが、家屋の中に在りふたりの肌を冷やすものはない。
 とうに眠りについている、少女のシーツの隙間に猫はもぐりこんでいた。
 流れる雲は薄く、美麗な朧月の夜である。

「それにしても――――葵さんの探す少女というのが、彼女のことであったとは」
 藤野はグラスをテーブルにそっと置きながら、倉梯を見上げて云った。視線が高いのは、倉梯が月をもっと良く見ようと窓枠に腰を下ろしていたためである。
 先だって、倉梯は藤野の連れの少女と、念願の再会が叶ったばかりであった。ふたりは親子のような関係であったと藤野は聞いている。己と出会い、己と共に道を歩むようになる以前に、彼女は倉梯と共にあったのだ――――そう思うと、もとより気の置けぬ親友であった倉梯に対する藤野の思いも、ことさらに親密さを増していった。
「この世界も、広いようで狭いということなのかもしれないな――――とにかく、あれが無事でいてくれて良かった。ありがとう」
 出会った当初の、常に切迫しているようだったきつい倉梯の面立ちも、いまはずいぶんと穏やかなものになった藤野は思う。己が思うのと同じように、彼も彼女のことを大切に思っていることの何よりの証であるのだろう。
 慈しみの心は、伝播するものだ。
 倉梯のグラスが空になるのを見計らって、藤野はふたつのグラスにふたたび酒を注いだ。
「なんだか、妹の婿と酒を酌み交わしているような気分になってきた」
「……妹婿、ですか」
「こんな義兄は厭か?」
「いえ、そんなことは」
 苦笑の笑みを浮かべた口唇で、倉梯はグラスの中身を嚥下する。
「義理の息子、とでもいいたいところなんだが、生憎まだそれほど老け込んじゃいないだろうと自負している」
 窓枠に腰掛け、倉梯はうっすらと翳っている月を煽いだ。「……あれが泣いてなくて、本当に良かった」
「…………」
 彼女のことを、妹、そして子供と呼ぶ親友の横顔を、藤野は見上げる。
 穏やかで翳りのないその表情は、慈しむべきものを己の力で守ることのできる力と頭脳に恵まれた男の顔であると藤野は思う。
「……――――兄弟として育った間柄よりも、彼女と葵さんの間柄は強い絆で結ばれているように見受けられます」
「羽月にも兄弟がいるのか。それは初耳だ」
「はい。兄がひとり」
 ほう、と云うように倉梯が首を傾ぐ。話しの先を促しているように見えた。
「隠していたわけでは。――――何の面白味もない話しです」
 困ったように笑いながらそう曰う藤野に、倉梯はおどけたように肩を竦めて見せる。ちりん、と遠くで鈴が鳴った。猫の首に結わえていたものである。水のみにでも起きてきたものだろうか、しばらくしてからするりと藤野の足に身を擦り寄せてきた。
「何だっていいさ。話したければ話せばいいし、話したくなければ話さなければいい。……俺たちに残された時間はいくらでもある。焦ることはないさ」
 ――――俺たち。
 ごく些細なそんな言葉遣いが、なぜか己の心に優しく染み入ってくるのを藤野は感じている。
 並々ならぬ縁の果てに結ばれた、強い絆である。不器用ながらもふたり共にある彼女と、そして、彼女を庇護していた者――――己が親友と思う男。それに、猫。
 自分以外の誰かと共に在り、それを安らぎと感じることが、今までの己の半生にどれだけあったと云うだろう。
 藤野の思いを知ってか知らずか、倉梯は淡々とした口調で言葉を続けた。
 早くも、酩酊の境に佇んでいるのだろうか。
「あいつが、とても活き活きしていたことにびっくりしたんだ。……勝手な想像だったとは思うんだが、泣いたり、悲しんだり、寂しがったりしているんじゃないかと考えていた。たったひとり放りだされたこの世界で、右も左もわからないまま――――だから、とても、びっくりした」
「…………」
「良い女になった。本当に」
 グラスを片手に、藤野は倉梯を見上げる。倉梯はやはり窓の外に浮かぶ朧月を見上げたままで、酒を煽って咽喉を鳴らした。
「……葵さんのようなひとが兄であれば、もっと私も強くなれるかもしれません……ね」
「おだてても、そう簡単に妹との結婚は許さんぞ」
「許していただけるだけの男になれるよう、邁進します」
 おどけた会話、一頻り。
 互いに顔を見合わせくすくすと笑みあったあとで、それぞれのグラスに酒を注ぎ入れた。
「守らなければいけないものがあるなら、男は厭でも強くなるさ。俺にも羽月にも、それがある。……あとは俺たちの、バラ色の日々が始まる」
「……はい」
「バラ色の日々に乾杯」
「守るべき我々の姫に、乾杯」
 月を隠していた薄い雲が、ゆっくりと風に流れて行く。
 膝に上ってきた猫を藤野の手のひらがゆっくりと撫で、猫は心地よさげに咽喉を鳴らした。
 今宵、満月。
 ふたりの男たちは月を眺めながら、それぞれの思いを胸に酒を交している。

(了)

■□■今までのご愛顧、本当にありがとうございました。 森田桃子■□■
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聖獣界ソーン
2005年03月16日

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