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『『春のレクイエム』 』
オーマ・シュヴァルツ1953)&サモン・シュヴァルツ(2079)


< 1 >
 風を切って歩くと、まだ頬も耳も寒さで痛くなる。
 13歳の少女が『散歩好き』と言うと、桜の蕾に目を細めたり、よちよち歩きの子供に微笑みかけたりという愛らしい様子を想像しがちだが、サモン・シュヴァルツの場合は当てはまらなかった。サモンは黙々と歩く。回りを見ない。サモンが散歩するのは、独りになりたいからだ。
 髪もショートで、きつい表情と潔さのせいか美少年にも見えるサモン。背筋を伸ばして足早に歩く彼女に、顔見知りの者がすれ違ったとしても、声をかける隙は無い。知人はちらりと振り返ることもあるが、わざわざ背に声をかけることまではせず、そのまま反対方向へ歩き出す。サモン本人は、知人とすれ違ったことさえ気づいていない。
 大通りより一つ外れた裏道を選ぶのも、人が多くないからだ。靴音が賑やかな石畳の路よりも、砂利混じりの路の、黄色い土ぼこりの舞う荒れた感じが好きだった。切り立った建物の壁は染みだらけで、塗りもまだらだ。しかも、所々剥げている。安っぽい布の洗濯物が、旗のように通りの上で風に吹かれていた。
 チチチ・・・という愛らしい声に、サモンは初めて足を止めて、上を振り仰いだ。洗濯物の重みでたるんだロープの上に、一羽の茶色い小さな鳥が停まっていた。
 サモンの厳しい表情がゆるんだ。サモンの動物好きは、人間嫌いと背中合わせなのかもしれない。

 エルザードは都会なので自然の動物は少なく、裏通りを徘徊する猫や犬の殆どは、飼い主に捨てられ増えたものだった。彼らに悲壮さは全く感じられず、たくましく走りまわっている。春になると、仔猫や仔犬も多くなる。世辞にも綺麗とは言えない毛並みだが、小さいというだけでただただ愛らしく、動きの拙さも笑みを誘う。ガラクタの中にでも隠れているのか、か細い鳴き声だけ聞こえる時もある。
 だが、街に慣れていない。だから、こういうこともある。
 茶と白の縞模様の仔猫だった。まるでボロ雑巾のように、路の端に倒れていた。
 サモンは、再び立ち止まった。土には馬車の轍がはっきりと残っている。轢かれたというより跳ね飛ばされたようだ。蹄や車輪に踏まれたら、もう仔猫の丸みは残していなかっただろうから。
 そっと、両手で抱えてみる。まだ暖かい。少女の両手にすっぽり収まるほど小さな猫だった。右の前脚が無くなって、茶トラの毛並みを血で染めていた。

< 2 >
 オーマ・シュヴァルツは、極彩色の着物の上に白衣をまとって、そろそろ一人くらい来るかと患者を待ちながら、診療室の窓を開けて表通りを眺めていた。
『医者が暇だってぇのは、病人怪我人がいないってことで、いいことに違いない』
 オーマは自分にそう言い聞かせる。
 彼は腕のいい医者なのだが、外見の派手さとファンキーな言動が街でも有名な人物で、初診の患者はなかなか診療所の敷居を跨ぎづらい。おまけに、処置が的確で患者はすぐによくなるので、再診患者が少ない。
 病院の前の道は、天使の広場へ通じる大きな道路だ。もの売り、商品を運搬する荷車、仕事を中断して食堂へ向かう売り子や、市場帰りの主婦など、多くの人が行き交う。
 その中を、娘のサモンが突っ切って来るのが見えた。一直線にここへ向かっている。もともと歩くのが早い娘だが、小走りになるほど急ぐのは珍しいことだった。
 実子ではあるが一緒に暮らし始めて日が浅いせいか、オーマにはあまり馴染んでくれていない。外見は思春期の少女だが、実際はもっと長い時を生き、複雑な事情のある娘で、明朗快活というわけにはいかないのだろう。自分の怪我や病気なら、よその医者にかかりかねない娘だ。

「オーマ。・・・この猫の治療を」
 診療所のドアを開け、サモンは何の説明も無しに掌を差し出した。オーマは、娘が走って来た理由をやっと合点した。
 オーマはちらりと仔猫を見て、眉を寄せる。
「オーマが獣医で無いのはわかってるけど・・・」
 サモンは、ものを頼むというより、ほとんど睨むような視線でオーマを見つめる。
 医者をやっていて、こういう瞬間が一番つらい。形だけ、仔猫の首に指を触れる。オーマの太い指がやっと入るような首筋だった。まだ鼠くらいの大きさの仔猫だった。
 片方の瞼を上げて瞳を確認する。確認、だ・・・。
 オーマは、大きな手をサモンの細い肩に置き、首を横に降った。
「もう、死んでる」
「・・・ウソだ・・・」
 だって、まだ体は温かかったじゃないか。だって、まだこんなに小さいじゃないか。だって・・・春はまだ始まったばかりじゃないか!
 まるでオーマのせいであるかのように、サモンはオーマを強い視線で見上げる。涙ぐむような娘ではない。怒りに燃えた紅蓮の瞳がオーマを睨み付けた。
 抱えて走る間に息を引き取ったというのか?自分が心から祈り続けたあの時間の間に?祈りは通じなかったというのか?
もっと強く強く強く念じれば、叶ったのだろうか。それとも、もっと早く走れば間に合ったのか。それとも、見つけた時、既に死んでいたのか?サモンがしたことは全て無駄だった?
 どこに怒りをぶつけていいかわからず、サモンの腕は震えた。
「サモン・・・」
 父の声に慰めの色が見えて、それが余計、癇に触った。
 サモンは、仔猫の死骸を、診療室の床に叩きつけた。粘土を板でならす時のような鈍い音がした。そして部屋を飛び出した。
 死んでしまうなんて、ひどい。これは裏切りだ。生きて欲しいとあんなに願ったのに。

「サモン、待て!」
 オーマの身体は大きく、腕も長かった。サモンの腕は、待合室で父親に掴まれた。
 謝らない。死骸を投げたこと、いくら叱られても謝るつもりは無い。サモンは唇を噛みしめると、きっと視線を上げた。
 見下ろすオーマの瞳には、サモンの行為を非難する様子も、謝罪を要求する様子も見えなかった。
「埋めるのを手伝ってくれないか?裏庭に墓を作ってやろうと思う」

< 3 >
 診療所の裏口には、小さな庭がある。花壇や枝の整えられた樹があるわけでもない、ただの『敷地』という感じの土地だ。申し訳程度に、芝と雑草と二本の樹が生えていた。大柄なオーマが両手を伸ばせば、隣の門に手が触れそうな狭さだ。
「おいおい。牛や熊を埋めるんじゃないんだから」
 オーマの声に我に返ると、足元には大きな穴が出来ていた。頭を空っぽにしたくて、黙々と掘っていたらこんなになってしまった。
「オーマもついでに埋めようと思って」
 サモンはにこりともせずに、スコップを芝生の上に投げ捨てた。
 オーマは、『こいつが言うと冗談に聞こえないよなあ』と苦笑する。
「これ、おまえさんが巻いてやりな」とオーマが差し出したのは、青いリボンに通された銀の鈴だった。オーマが抱きかかえて来た仔猫はガーゼに包まれていた。こびりついていた血糊が綺麗に拭き取られている。
 オーマも仔猫の死を悲しんだ。サモンにもそれは伝わっていた。オーマはその悲しみの中で、淡々と、床から死骸を拾い上げ、血を拭き取り、毛並みを整える作業を行ったのだろう。そんなつらいことは、サモンには出来そうにない。
「オスだったんだ」
 サモンはリボンの色を見て、初めて仔猫の性別を知った。オーマは大人なんだと思った。

 リボンを巻いてやるのには難儀した。仔猫が小さいせいだ。触った時にはびっくりした。ここへ運んだ時に感じたぬくもりは全て消え去り、コップや皿のように冷たかったからだ。猫のぬいぐるみだってもう少し温かいだろうに。
 ガーゼでもう一度丁寧に包んで、そっと穴の中に置いた。掘り出した土を、スコップで静かに乗せていく。スコップは一つしかなかったので、オーマは両手で土を掬ってかけた。
 そして、オーマは、細い板切れを紐で結んで小さな十字架を作った。庭には既に二つ似たような十字架が並んでいて、新しいものを仔猫の墓に差すつもりらしい。
「こっちの墓はなに?」
「ああ。うちには、子供がよく、道で拾った瀕死の雀だとかカエルだとかを連れて来るんだよ。手は尽くすが、助けられないこともあるからな」
 オーマは白衣のポケットに手を突っ込み、怒ったようにぶっきらぼうに答えた。オーマも感じるのだろう。目の前で命が消えてしまったことの憤りを。
 ここにあるのはカエルだか雀だかの墓だが、人の死を見取ったのも一度や二度では無いはずだ。

「名前を入れてやりたいんだが・・・。十字架に、“サモンの墓”みたいにな」
 墓の例に自分の娘を出すな、と思うサモンだ。オーマは、付けペンを手に、『どんな名前がいいか』と十字架を握ったまま頭を悩ませているようだった。
「うーむ、どうするかな。タイガー・ヘラクレス2世。ブラック・アイアン・ハリケーン。ミラクル・ノヴァ・ゴールド・・・」
「なに、その変な名前の数々」
 さっきまでは桃色変態ぶりは控えていたようだが、結局こうなるのかとサモンはため息をつく。
「いや、弱っちそうな奴だったから、せめて名前だけでも筋肉マッスルにしてやろうかと」
「・・・。」
 サモンの名前は母が付けたのだろうか。オーマに任せていたら、リングネームみたいな名前にされていたかもしれない。
「“こねこ・シュヴァルツ”は?」
 サモンはファーストネームに関してはどうでもよかった。ただ、『うちの子』として、シュヴァルツ姓を名乗らせてやりたい気がしたのだ。
 仔猫が助かったとしても、サモンは飼う気は無かった。元気になったら元の裏通りへ帰してやるつもりだった。だが、今は、『うちの子』として葬ってやりたい。
「よっし、それ、それにしよう」と、オーマはあっさりサモン案を承諾し、細かい文字で十字架の板に名前を書き入れた。サモンが覗き込むと・・・。
『こねこ・シュヴァルツ・ミラクル・ハリケーン、ここに眠る』
「・・・結局、リングネームか」
 天国では、馬車もはじき飛ばし、ライオンや象に噛みつき、ドラゴンやグリフォンとも対等に渡り合う。そんな小さなトラ猫の姿を想像してみる。それは少し爽快で、心がちょっとだけ救われる気がした。

 一週間もたった頃だろうか。サモンは再びあの裏道を通った。日差しはさらに春らしく、ほわりと暖かくなっていた。風もゆるい。
 みゃあという細い声に、はっと立ち止まり、あたりを見渡す。そして自虐的に唇を上げる。もう居るはずはないのだ、あの仔猫は。別の猫の声なのだ。
 見ると、声の主は、成猫のトラジマだった。茶色の濃さ加減が、あの仔猫に似ている。親猫なのだろうか?
 猫は、砂利混じりの通りを見回し、剥げた壁に顔を擦りつけ、そしてまた通りを見る。そろりそろりと足を運ぶのが、サモンには探しものをしているようにも見えた。
 居なくなった仔猫を、こうしてずっと探し続けるのか。こうして想い続けるのか。

 髪が頬に触れた。風が出て来たようだ。
 この通りの風は、まだサモンの頬に痛い。

< END >

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2005年03月15日

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