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『 □喪失の声□ 』
オーマ・シュヴァルツ1953


「竜頭の、あの残骸はどうする。実験室からもう置いておけないと苦情が来ているぞ」

 真紅の腕をした青年に問いかけられ、モニターを眺めていた竜の頭をした男は、ふむ、と唸る。
 首から上にびっしりと生えた黒い鱗が薄緑色をしたモニターの光へと反射する様を、悪い夢のようだと笑って評した将校がいた。その時、竜頭は微笑んでその言葉を受け取ったのだった。公国アセシナートの騎士においては、そう評される事こそが何よりの誉め言葉だからだ。
 大きく裂けた口をがぱりと開き、竜頭の男は見た目からは想像もつかない若い声で、モニターから目を離さないまま青年に告げる。

「中央へとまとめて出しておいてくれ。実験材料が向かっている最中だからちょうどいい、そこを最終地点にしよう。中央区画以外の通路は全封鎖で頼む。飛行船の発進時刻は……この分だと数分の遅れがあるな。通信班は本国にその旨を伝達するように。遅れると何かとうるさい輩がいるからな」
「しかし竜頭殿。封鎖を行えば、実験材料Sの排出が困難になりますが……」

 モニターの前に座り、コンソールを叩いていた男が操作を続けながら意義を申し立てるが、竜頭はゆっくり瞬きをしてそれに返す。

「ああ、Sについては心配はいらないだろう。どうせ彼は自分で勝手に脱出する、排出の必要はない」
「了解しました。ではこれから全封鎖までのカウントダウンに入ります」
「さて――――」
 
 前かがみになり、モニターの端を掴むようにして竜頭はその中で繰り広げられている光景を覗き込んだ。
 薄緑色の画面の向こうでは、男が走っている。狭いビル街、上空から襲来した生物兵器へと巨大な銃を向け、弾を撃ち込んでいた。いずれも致命傷になるものではなく、動きを封じるだけのものだったが、しかし男はその度に苦しげな顔をした。
 竜頭の男はその光景を淡々とした目でとらえ、

「苦しいでしょうか、そうでしょうね、オーマ・シュヴァルツ。貴方はいらぬ事で何かを傷つけるのを嫌う人ですから。でもまあこれも我が公国を栄えさせる為の手段ですから、いましばらくは我慢していただきますよ」

 竜頭は公国の新たな実験の詳細が綴られた紙を手にし、眺めた。
 大きな口は、笑っている。


「絶対不可侵の領域を具現する実験は、既に成功した。これで公国の目的にまた一歩近づいたというわけだ。だがSよ、私は面倒くさがりでしてね。できるのならいちどきに他の実験もやってしまいたい、そんな怠惰な男なのです――――」

 



 ――――数時間前、正午間近。


 オーマ・シュヴァルツはひたすら待ち続けていた。今日はもう診療所の看板も下ろし、玄関そばの椅子に座り込んで腕組みをしながら虚空を眺めている。
 彼の脳裏をよぎるのは、いつぞやの国での出来事。黒い鱗を持つ、竜頭の男の姿が炎に浮かび上がる様を、今でもオーマは目を閉じればまざまざと思い浮かべることができた。
 それだけならば、特に珍しくもない不気味な敵の記憶として頭の中で処理される筈だったが、アセシナート公国の騎士とだけ名乗ったかの竜頭の男の事を、オーマは記憶の奥にしまい込めずにいた。竜頭はオーマの名を知っていた。それだけでも気に留める材料にはなるが、しかしオーマはそれ以外の何かが喉元に引っかかり、あの黒い竜の影を忘れられないでいる。

「……何だってんだ、一体」

 愚痴りながら懐中時計を開けば、約束の時間が押し迫っている。オーマはエルザードに帰って来てからというもの、持てるつて全てを使って裏情報屋にある話を依頼していた。アセシナート関連の話だけあって話にのる情報屋はごく少数だったが、しかしそれでも昔馴染みの為なら。と動いてくれた情報屋の一人から、今日オーマの元へと約束の情報が寄せられる手はずになっている。
 その時間まであと少しだというのに、五分前になっても相手が現れない事にオーマは眉をひそめる。情報屋という職業は信用と時間厳守、そして情報の正確さで成り立っているものであり、誰が何と言わずとも最低十分前までに相手の元へと現れるのは、もはや鉄則とも言うべき事であるはずだった。
 今回オーマが依頼した裏情報屋はそういった事にひどくうるさく、だからこそオーマも信頼して依頼をしたのだが。

「嗅ぎつかれたか……?」

 だが、オーマは自身のその予想が甘かった事を直後に知らされる事となる。
 悲鳴という、彼にとっては最悪の形で。

「――――――――!!」

 獣のような雄叫びは、けれど間違いなく人間のそれだった。
 かなり近くで響いた悲鳴を聞きつけ、外へと駆け出したオーマの前には。

「あ……あ、あ………………あ……」

 髪を掴まれ、宙にぶら下げられている男は、うわごとのようにそれだけを繰り返していた。男の右腕はなく、そこからは下水のように勢い良く血液が吹き出している。
 やがて髪が千切れ引き抜かれるぶちぶちという音の後に、男はまるで砂袋のような音を立てて地面へと倒れた。
 男の黒髪がはらはらと舞い落ちる向こうでは、歌劇で使われる白い仮面が作り物の薄い笑いを浮かべている。全身が黒色の布のようなもので覆われており、そして手足がひどく長かった。

 白い仮面は、オーマが男を抱え、治療を施すのを黙って見つめている。命の水を注ぎ込み、いつも持ち歩いている包帯を巻きながら、オーマは視線はやらずにじっと眼前の得体の知れない者の気配を探っていた。
 生命のあるものならば、たとえそれが作られたものであろうと、気配というものは必ず存在するものだ。それもこんな風に対峙している時ならば、殺気もしくは怒気などの気配が多少なりとも噴出しているのが常だが、しかし立ちすくんで全く動こうとしないこの仮面の者は、何の気配も発してはいなかった。
 穏やかにこちらを見ているのでもなく、また殺す気を発しているわけでもない。ただ仮面は口角を上げた作り物の微笑を浮かべたまま、じっとオーマを見ているだけだった。

 オーマは男を抱き上げ、わざと背中を見せた。さすがに無防備なものを見せれば食いつくだろうと狙っての事だったが、しかし背後からは駆ける気配も何もない。オーマがちらりと背後を振り返っても、仮面は男の髪を引きちぎった体勢のまま一歩も動いてはいなかった。血だまりに足をひたしてちぎれた黒髪を握り締めながら立ち尽くすその様は、趣味の悪い芸術家が作り上げた彫刻のようで、オーマは盛大に顔をしかめる。
 寝台に男を寝かせ、たまたま遊びに来ていた仲間たちに外に出ない事と男の世話を頼むと、オーマは再び外へと向かおうと足を踏み出した。だが、それは何かに引っ張られる感覚によって止められる。
 コートの裾を掴まれたオーマが振り向いた先には、残った一本の腕を必死に伸ばしている苦しげな男の姿があった。
 男はオーマに何かを告げようと何度も大きく深呼吸をするが、傷口は塞いだとはいえ血や肉がすぐに復元するわけではない。痛みの奔流に飲み込まれ、男はとうとうコートの裾を手放した。

「……悪ぃな。俺が無理言っちまったばっかりに、こんな傷まで作らせちまって。待ってろ、戻ったらすぐにでき得る限りの最高の治療を施す」

 軽く目を伏せて踵を返そうとしたオーマの背に、しかし声がかけられる。改めて振り向いたオーマは一瞬息を呑んだ。情報屋の男が荒い息をこぼしながら、それでも意思のある目でしっかとオーマを見据えていたからだ。そこに浮かぶただ切実な色に気付き、黙って待つオーマへと、男は口を開く。

「あの男のこと、で……分かったの、は……こ、れだけだっ、た……。奴は……竜頭の、奴は……」

 大きな息と共に、男が言葉を吐き出す。まるで抱えていた重すぎる荷を降ろした時のように。


「……奴は、ヴァンサー……だった――――」





 白い仮面は、昼の光を浴びてもなお夜の狭間にいるかのようにひっそりと佇んでいた。
 後ろ手にきっちりと扉を閉めたオーマは、男を中に運び込んだ時に見た体勢と全く変わらない姿で佇んでいる仮面を見て、苦々しげに唇を引き結ぶ。黒い足元に溜まっていた血は、既に黒ずみ始めていた。

「情報料は腕一本、ってか。随分とアセシナートも血生臭い報酬を欲しがるようになったもんだな」
『ご冗談を。本来は腕一本どころの話ではないので、せっかくだからこの新型に全て食わせようと思ったのですが……ネズミの始末をしようと思ったら、まさか貴方の手の者だったとは驚きですよ。オーマ・シュヴァルツ』

 虫の羽のような音が響くと、仮面の黒い眼窩から緑色の光が飛び出た。それは瞬く間に宙に歪な映像を映し出す。
 緑色をしたモニターの向こうに映る者は、首から上に黒い鱗を光らせながら、ふう、と溜め息をついた。

『しかしこれも良い偶然だったと思う事に致しましょう。私は貴方に用があったのですよ。ほら、空を御覧なさい』
「空だと……? てめぇ、また何をたくらんでやがる」
『それは見てからのお楽しみ、というやつですか。ああ、今から阻止しようとしても無理ですので、どうぞ慌てないで下さい。もう準備はすっかり整い、後は実験を始めるだけですから。では、開始します』
 
 竜頭の男の言葉と共に、オーマの耳の奥を凄まじい衝撃が襲った。それはごく一瞬の出来事だったが、脳を直に掴まれ揺さぶられたかのような感覚に視界がぼやける。

『一時的にエルザードに住む民の生命力を少しずつ頂きましたよ。ここの空はそうした方が開きやすいようだ。おかしな話ですよ、空など、どこでも同じようなものだというのに――――』

 楽しげな声が響く間にも、空では変化が始まっていた。集っていた雲が分かれ、透明な青に黒い染みのようなものが一滴落ちたかと思えば、それは瞬く間にエルザードの上空を覆う。
 そして黒ずんだ空は、一気にその表情を変えた。落ち窪んだ穴のようになった空の向こうには、幾つもの建物のようなものが立ち並ぶ光景がのぞいている。
 オーマが息を呑む音を聞いたのか、竜頭の男は緑色のモニター越しに軽く笑った。

『見覚えがあるとは思いますがね、果てに見えるは亜空間都市ゼノス……ちょうどあそこで我々は実験をしている真っ最中なのですよ。先日の事を覚えているでしょうか、オーマ・シュヴァルツ? あの国での実験以降、随分我々の製作したウォズたちも丈夫になりましてね。本日いよいよその実験の成果が試される時なのですよ。ですが、その為には『敵』をまた見繕わなければならない……そこで私は、貴方の事を思い出した』
「……何だと」
『滅亡しかけた国を救ったその手腕、そしてその力。新たな具現ウォズの相手として、貴方こそが相応しい。さて、多少乱暴なご招待になりましたが、お受け頂けると幸いです。本当ならもっと違う形でご招待しようと思っていたのですが、手間がはぶけたのでよしとしましょう。ネズミを始末できなかったのが残念といえば残念ですがね』

 上空に広がる黒い穴、その向こうにあるものだけを視界に入れながら、オーマは低い声で言う。

「もし、嫌だと言ったら?」
『その時はまあ、この街で実験をする事にしますよ。情報が分散する分、収集が多少面倒にはなりますが、逆にとれば情報班の技量を上げるいい機会ですし。別に私はどちらでも構いません。ああ、でも断られた場合、今貴方の目の前に立っているような生物兵器をエルザード中にばらまかせて頂きますが。それでもよろしければ――――』

 声は破裂音によって遮られ、仮面をつけた生物兵器は土ぼこりをたてて仰向けに倒れた。痙攣も、そして赤い血を流すこともせずに、生物兵器は仮面ごと砂となり消えていく。
 オーマの右手からは長大な銃が伸び、その銃口はたった今モニターがあった場所、仮面の目があった場所へと向けられていた。硝煙がたなびく銃の具現化を解いた後に現れたのは、白い影。
 翼持つ獅子へと瞬く間に変貌を遂げたオーマは、風をきって空へと舞い上がった。

 異変を知り、外へと出てきていた人々は、後日口々に囁いたという。
 黒い空を断ち割るように白の獣は飛んでいったのだ、と。





 ぶつん、と音がして、後に残ったのは砂嵐だけになった。
 傍らで会話を聞いていた男が、忙しく外部と連絡を取り合いながら竜頭に言う。
 
「実験材料Sが提案を拒否したようですが、計画の変更を行いエルザードにて実験を開始しますか?」

 耳障りなモニターのスイッチを切ると、竜頭の男は静かにかぶりを振って立ち上がる。

「いいや、このままゼノスにて実験を開始するよう進めてくれ。彼は必ず来る。そういう男だ」

 そう、昔から。
 部屋を出る際に密かに呟かれたその言葉は、誰の耳にも届く事はなかった。
 






 ――――そして、現在に至る。


 ビル影に走りこんだオーマは、ずるずると腰を降ろした。いくら常人離れした持久力があろうと、数時間戦い走り続けるというのは容易な事ではない。
 彼は溜め息をついて愛用の銃の具合を確かめ、大量の銃弾を込めた。今日でもう何度この動作をしただろうか、考えるだに無駄なことをそれでもつらつらと考えながら、オーマは銃を抱えて空をあおぐ。しかし広がるのは変わらず黒ばかりで、余計に気分は暗鬱なものへと移行せざるを得なかった。

「それにしても生物兵器たぁ、アセシナートも自分らが楽する事ばっかり考えてやがるな。そんなに土地が欲しいんなら、自分らの力だけで戦いを挑めばいいじゃねえかよ」

 しかしすぐに自分の口にしたそれが子供のような台詞だと気付き、オーマは自嘲する。正々堂々と、自分たちの力だけで。それをする戦争屋など一体この世界のどこに存在するというのだろうか。
 
「だが、いつの時代でも子供はそう言い続ける。……誰だって最初はそうやって、信じていた筈なのになぁ」

 人は、どうして歪んでしまうのだろう。
 長い月日の中、何度も己に向けた問いかけを再び口にしながら立ち上がろうとしたオーマの鼻孔を、不意に慣れた匂いがくすぐった。ウォズの、匂いだった。
 すぐさま立ち上がり、匂いの元へと駆ける。石畳とも土とも違う硬質な道路の上を走り抜けて匂いを辿りながら、オーマはそこに混じっている別の匂いを感じて、目を鋭く細めた。

「こいつは……!!」

 走って走って、そして感じた疑問が氷解する時がやってくる。
 オーマが辿り着いたのは、都市の中心部。ビルが立ち並んでいた周囲の区画とは違い、ぽっかりと開いたその空間は公園のようになっているらしく、幾つもの木々が暗い空を仰ぎながら寂しげに立っていた。
 その更に中央を見て、オーマは手にしていた銃をだらりと下げた。

 腕が足が指が顔が腿が爪が牙が羽が胸が腹が。
 おびただしい量の身体の残骸が、天をつかんばかりにうず高く積まれている。いずれも首の付け根から股までを真っ直ぐに断ち割られており、内臓は空だった。空っ風が空洞になった腹の間を抜け、ビルの狭間へと消えていく。先程オーマが嗅ぎ付けた匂いも、こうやって寂しい風が運んできたものなのだろう。
 瞳は白く濁り、もうどこを見てもいない。幾つもの瞳が何かに向けられ、また何も見てはいなかった。
 むせるような腐臭の中、オーマはただ立ち尽くしていた。ここにある死体は全てウォズそのものだった。人によって創られたものではなく、純粋で強いそれらが臓腑を抜かれて積まれている様は、それこそ悪い夢のようだった。

 以前、彼は聖都以外のウォズ流出を防ぐ為に、『母なる腕』と呼ばれる不可侵の防護膜を完成させた事があった。かなり前、アセシナート公国の不穏な噂が人々の口にのぼり始めた頃だった。
 そんな場所へウォズが入り込んだ場合、破壊と殺戮が何割か増すのは目に見えていたので、オーマは彼らのアセシナート流入を防ぐ為に膜を完成させたのだが、血の匂いを嗅ぎ取る術に長けているウォズたちの行動は素早かった。その時、もう既に公国へ渡ったウォズは数知れなく、だからこそオーマもいつか何かが起こるのではないかと、いつも危惧していたのだ。
 しかし今オーマの眼前にあるのは、彼らの無残な死体の山だけで。

 その危惧がこんな形となって現れるなど、誰が予想しただろうか。

『――――以前、お話したと思いますが――――』 

 音の割れかけたスピーカーを通して、どこからか声が響く。それは竜頭の男のものだった。

『私たちが以前開発した人工ウォズがありましたでしょう。その製作法を簡単にご説明したのを覚えていますか? ウォズを構成するもので人をくるみ、人工的にウォズを生産する。確かこんな具合だったと思いますが、その中で貴方は疑問を抱かなかったのですかね。「何故、我々がウォズを構成する成分を知っているのか」と』
「…………!」
『答えは簡単です、我々は彼らを実験材料として日常的に利用していただけ。ウォズは手懐ける事こそ難しいものの、拘束して臓腑を引きずり出すぐらいならうちの研究者でも可能なのですよ。臓腑の方はありがたく、ここゼノスを模擬具現する為の材料に使わせて頂きました。そして貴方の前にあるのはその成れの果てとでも言うか、まあ産業廃棄物ですね。捨て場所に困っていたところなので、ちょうどいいからここに捨てさせてもらった次第です。さて――――』
  
 一拍置いて、今度は暗い空へと高らかに笛の音が響いた。続いて振動がオーマの足元を揺らす。遠くで何かが動いているような機械音と共に。

『はい、ご苦労様でした!! 実験終了の時間ですよ、オーマ・シュヴァルツ。……しかし不殺の信念ですか、そういう思想は厄介なものだ。おかげで部分的破損による制御不能になった場合の情報は得られましたが、それだけです。やれやれ、これでは私が国に怒られてしまう。もっと生物兵器に対して様々な壊し方をして下されば、こちらとしてもありがたかったのですが……まあ、しょうがありませんね。貴方がそういうお人である事は、もう誰にも変えようがないことだ』

 何かが軋む音が、オーマの手の中から発せられる。握り締められた銃が強烈な握力に悲鳴をあげていた。
 
「……ふざけんじゃねえぞ、おい」
『私は至って真面目ですが。それにこれは仕事でもありますから、ふざけるなどとは滅相もない』
「それがふざけてるっつってんだ!! それじゃあなにか? てめぇはただここを模擬具現するっていう目的の為だけに、生きたままこいつらの腹をかっさばいたっていうのか!!」
『そういう事になりますね、でもそれで貴方が激昂する必要はないように思えますが。どうせウォズなど、我々に対して害をなす生命体でしかないというのに』
「ウォズは確かに人様に迷惑かける事もあるだろうさ。だがな、それでも罪を犯したら生きて償いへの道を歩ませればいい。ここまでの事をされる罪人なんざ、この世界のどこを探したっていやしねぇんだよっ……!!」

 搾り出すような声に、けれどスピーカーの向こうからは冷静な声が返る。

『ならばもし私が今、のこのこと貴方の前へと出て行ったとしましょう。そうすれば貴方は私の事を許せますか? 殺したいとは思いませんか?』
「…………思わねぇよ、思わない。だって竜頭よ、前に言ってたじゃねえか。「好きでこんな風に生まれたわけじゃない」って。お前さんだって何かしらあったんだろうし、それを裁く資格は俺にはねぇ。ただ俺ができるのは、こうやって言い続け、動く事だけだ」
『いつか誰かの気持ちが変わる事を信じて、ですか。やれやれ、そんな調子ではいずれまた相対した時に私を殺せませんよ』
「いずれとは言わず、今話そうじゃねえか。そんで俺が決してお前を殺さないっていうのを、確かめさせてやるよ。……多少の怪我は覚悟してもらうがな」
『くくく』
 
 楽しげに笑う声が死体の山へと降り注いだ後、

『……お誘いは大変ありがたいのですが、まだ怪我をして動けなくなるわけにはいきませんのでね。早く情報をまとめて、本国へと帰還しなければならない。先日の人工ウォズ及び生物兵器開発が上に認められましたので、これでも忙しい身なのです。ああ、忙しい、忙しい。それでは、またお会いする事もあるでしょう』
「待て!!」

 轟いた真剣な声に、竜頭はスピーカーのスイッチに伸ばしかけていた手を止めた。モニターにはオーマの横顔が写っている。

「情報屋から聞いた。お前、ヴァンサーだったっていうじゃねえか。俺は仲間のヴァンサーの姿かたちをほぼ把握しているが、お前のような奴は見たことがねぇ。答えろ、竜頭!! お前は『本当に』ヴァンサーだったのか? それとも――――」
『……だったら、どうだというのです? 貴方とて人だ、覚えていないヴァンサーの一人や二人いたところで、何の不思議もない。……忘れられたヴァンサーの事など、オーマ・シュヴァルツ。貴方が気にかける必要など、どこにもありはしないでしょうに』

 そのどこか寂しげな口調に、オーマは怒りだけが滲んでいた表情をはっ、と変えた。どこかで聞いた事のある台詞に、息を呑む。


 『貴方が気にかける必要など』


 しかしオーマがその言葉の記憶を掘り返す前に、竜頭は元の冷静な口調へと戻って言う。

『ではまたお会いしましょう、オーマ・シュヴァルツ。薄皮一枚隔てた場所に、慈悲に満ちた顔を隠すヴァンサーよ』
「待ちやがれ!! まだ話は……」
『私からはこれ以上何もありませんよ。ああ、でも、ただひとつ。貴方に言葉を残すとするならば――――』

 乾いた声が、静かに木々を揺らした。



『私は貴方がとても、嫌いです』







 橙色の光を感じ、オーマは獅子の姿のまま顔を上げた。空の穴は塞がれ、いつしか遠くに見えるエルザードは元の美しい光景を取り戻している。騒いでいた民たちも既にいつもの生活を続け、何もなかったかのように水平線には夕陽が沈もうとしていた。
 街から離れた、人のあまり来ないくぼ地は、土と死体を埋められ平らな場所になっていた。獅子の白い全身は土にまみれ、まだら模様を作り出している。
 けれどそんな獣の姿を誰かが見たとしても、笑う者はいなかっただろう。夕陽の先を見つめる獅子の姿は、どこか悲しげな影に彩られていたからだ。

 オーマは死体をここに放り投げ、去っていった飛行船の群れを思い出す。そして、きっとその中にいただろう竜頭の男の事を。
 『貴方が気にかける必要など』、寂しげに紡がれた言葉をいつか聞いたことがあっただろうか。そう思いながらオーマは記憶を辿った。竜頭、そしてどこかで聞いた事があるようなあの台詞。だがいくら記憶を辿っても、彼の記憶の中にはそれらは存在しなかった。
 
「だが――――」

 あの言葉を、聞いたことがある。




 暮れる水平線を見つめながら、オーマはいつまでも心の中で反芻していた。
 耳だけが覚えていた、寂しげな言葉を。







 END.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
ドール クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年03月14日

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