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『 □太陽の腕の中□ 』
C・ユーリ2467)&ユンナ(2083)


 まだ夜も明けきらないうちから沖へ出ていた船が港へと戻り、いきのいい魚介類が市場の籠の上で跳ねる、海の早朝。
 港の隅、漁師たちの邪魔にならない場所に停泊しているスリーピング・ドラゴンII世号の船長は、愛用のハットをかぶり、甲板へと出て空と海の機嫌を計っていたが、やがて彼は満足そうに首を縦に振る。

「よーし、空は快晴、海は凪ぎ……ってね。空と海、青の女神たちは今日も機嫌がいいようだ。なあ、たまきち」

 たまきちと呼ばれた赤い鱗を持つ小さなドラゴンは、同意、とでも言うかのようにきゅいと鳴いた。
 そんな相棒の頭を人差し指で撫でると、長身の船長は海風に吹かれながら正面に輝く朝日を見て、眩しそうに目を細める。

「それにしても晴れてくれて良かったよ。何せ今日は彼女がここに来る日だし」

 緑色の髪を黄金の朝日に透かし、青年は穏やかな表情で街の方へと目を移した。
 その先できっと今はまだ眠りについているであろう娘の姿を思い浮かべ、船長はくすりと笑い、そして天を仰ぎ見る。勢いのよいその仕草に緑色の髪が跳ね、黄金の朝日に透けた。それは輝ける南の海の色をしていた。

「――――さあ、雲ひとつない青よ。今日ばかりは長いこと続いてくれよ!! さもなくば僕の大事なたくらみが台無しになってしまうからな!!」

 キャプテン・ユーリ。
 南国の海の色の髪を持ち、空と海に愛された瞳を持つ青年はひどく楽しげな顔をして、そう高らかに言い放ったのだった。





 ユンナは港の隅に立ち、手にした地図と照らし合わせるかのように辺りを見回した。

 幾つもの船が立ち並ぶ港では判別が難しいだろうから。と、青年が持たせた紙の切れ端には、港の端に赤い丸印がついている。紙自体が古びているせいもあってか、まるでそれは小さな宝の地図のようだった。
 実際彼女がそう評した時、青い目の船長が「宝探しみたいで、ちょっとした海賊気分だろ?」と、まるで悪戯をしかける少年のように笑っていたのを思い出し、ユンナは軽く唇をほころばせる。
 そんな時、風に乗って何かが鳴くような声が聞こえ、ユンナは地図から顔を上げた。風にあおられ視界を隠す赤い髪を手で避けながら探せば、視界の端、港の端の端にひっそりと、けれど隠しきれない威圧感を漂わせる船が一隻碇を下ろしている。声はそこの近くからしているようだった。幼獣独特の可愛らしい鳴き声に、納得したようにユンナは歩き出す。もう地図は必要ないようだった。

「……さすが、と言うべきかしらね、これは。悪くない船じゃないの」

 間近にその船を目にしたユンナは、ぐん、と首を上向かせて感嘆の溜め息をつく。ユンナは今までに幾つもの船を見てきていたが、その中でもこの船はかなり上等なものだった。
 装飾が豪奢だというのではなく、海賊という職業に相応しいひどく実戦的な姿かたちをしている。しかし所々に船の主人や船員の遊び心が垣間見え、子供ならば、この船に乗れば冒険の毎日が約束されていると無条件に信じてしまうだろう。そんな魅力が、このスリーピング・ドラゴンII世号にはあった。

「お褒めにあずかり光栄だね、歌姫よ」

 ふと、降り注いでいた陽光が遮られたが、ユンナは特に慌てもせずに背後を顧みる。
 強くなりつつある日差しから彼女を守るように、羽織った大きな上着を広げて、ユーリはそっとユンナの側に立っていた。肩にはたまきちが乗っており、大きな目を人懐っこく細めている。

「ようこそ、我が船へ。迷わずに来れたかい?」
「初めて使いに出された娘でもあるまいし、この私が迷うわけないでしょ。……ていうかユーリ、あんたさっきから何やってんの。図体デカイんだからちょっとは離れてくれないと、暑苦しいんだけど」
「それはひどいなぁ、ユンナ。日傘代わりになったつもりだったんだけど。ほら、女性の白い肌を守るのも男としてのつとめだろ?」
「おあいにくさま。私の華麗なる美肌は、そんじょそこらの太陽なんかじゃシミひとつつけらんないわよ」
「うーん、それは凄い」

 ユーリはユンナの言葉にさほどこたえた様子も見せず、けらけらと笑いながら上着を戻すと、ユンナを船の中へと案内する。

「ところでユーリ、どこ行ってたのよ。まさか私との約束忘れてたんじゃないでしょうね」
「それこそ『まさか』さ。僕が出てたのは、ほら、これ」

 通り道である船底を歩きながら、ユーリは傍らに抱えていた紙袋を指差した。ユンナがそこにひょいと首を伸ばせば、なんともいえない磯の香りが漂ってくる。

「海を肴にお酒って言っても、さすがに本物の肴がないんじゃ寂しいだろ? だからちょっと行って買ってきた」
「あんたが、自分で? 船員に買いに行かせればいいじゃないの」
「キミと一緒に食べるものだし、何より約束したのは僕だから、僕が買いに行かなけりゃ意味がないさ。それにこれを売ってる干物屋は、僕だけが知ってる店だから尚更ね。……さぁて、到着っと」

 第一甲板に続く扉を開け、ユーリはユンナに道を譲る。相変わらずこういうところはマメだ、と思いながらユンナは扉を潜った。
 吹き込んでくる潮風に髪が全て後ろへともっていかれ、ユンナはその白い額をあらわにしながら前へと足を進める。海の果てから来た風は幾つもの想いを内包しているようだった。そんな潮風を好んでいるユンナは、すう、と大きく息を吸い、吐きながら、甲板の上を一歩一歩進んでいく。
 いつのまにか少女の唇からは、歌が零れていた。ユーリは後ろ手に扉を閉めながらその旋律の記憶を辿り、そういえば遠い昔に小さな漁村で聴いたな、とひとりごちる。海の水は何故青いのか、と子供が母親に問いかける歌詞を口ずさみながらユンナは歩き、水平線をじっと眺めていた。

 その後ろ姿をじっと見ていたユーリは、見慣れている筈の甲板に赤い絨毯が敷かれているような錯覚に囚われる。船首に立ったユンナは花道を通り、今こそ海に棲む生きるもの全ての為に歌いそうな気さえしていた。
 ユンナの歌は続く。歌の中の子供は母親から聞いた答えを確かめようと、海へと走り出していた。海が青い理由、それを自分の目で確かめたくて。
 朗々と響くユンナの歌声はもうすぐ最高潮。子供がその目に回答を映し出そうとした、まさにその時だった。

「!!」

 ユーリが駆け出すのとユンナが口を閉ざしたのは同時だった。長い脚を生かしたユーリは、ほぼ一足飛びでユンナのもとへと走り、ユンナもまたすぐに船首から飛び退っていた。
 空はあくまで晴れている。人が騒ぎ出す声もない。
 だが。

「…………こりゃまた、ずいぶんな」

 感嘆したような声をあげ、ユーリは海を見た。たまきちも警戒しているのか、その肩で小さな炎を吐く。
 たった今まで青く凪いでいた海は、今やその様相を一変させていた。

「全く、せっかく人が気持ちよく歌ってたってのに……。どこのどいつよ、私の歌を邪魔する品のない馬鹿は!!」 

 ユーリの隣に立ったユンナは、忌々しげに腕を組んである一点を睨んでいる。
 彼女の視線の先、船首からちょうど帆船一隻分ほど離れた海上では、水が有り得ない盛り上がりを見せつつあった。まるで粘土のように水が固まり、そしてその下から何か巨大なものがせり上がってくるかのようだった。こんな状況でも特に騒ぎの声が上がらないのは、ここが港の端も端だからだろう。ちょうど市場に集っている人々からは死角に位置しているのが、幸いといえば幸いだった。
 そして、ぐん、とまた水が盛り上がりをみせた時。

 不意にユンナの視界が、揺れた。

「……!!」

 ユーリに気付かれないようにこらえるが、しかし水が上へ上へと昇っていく度に頭の中が揺れる。ユンナはばらつく思考を持ち前の気力で強引にまとめあげると、その一瞬で答えを把握した。これは――――
 その数秒の間に、事態は更に展開していた。青の海がまるで夜を映したかのような群青色に染まり、市場の方からも叫び声があがる。市民にも異常が目に見える状態になってしまった事に、ユンナは軽く唇を噛んだ。このような大規模な具現事象は、完全に発現する前にその大元をどうにかしてしまえば話は早いのだが、しかしユンナにはそれができない理由があった。
 だが、これ以上放っておけば海中からせり上がってくる何者かが災いを降らすのは見えている。

 ユンナは再び船首へと駆けると、だん、とその脚を船のへりへと叩きつけた。
 海からの盛り上がりがその音に気付いたかのように鎌首を向けるのを見て、ユーリが前へと走る。すう、とユンナは息を吸った。出てきなさいよ、そんな台詞を放つつもりだったのだ。相手を自分の戦いやすい領域へと誘い込む為に。
 けれど息を吸い込んだユンナは、そのまま固まった。
 凍りついたように動かない彼女へと駆け寄るユーリだったが、唐突に視界が群青に遮られる。

「うわっ、と?!」

 水とは違う冷たさが降り注ぐのを感じ、ユーリは上着の下にたまきちをかばいながら冷たさを払いのける。それは群青色に染まった水だったが、けれど温度は水のそれではなく、けれど氷のようでもなく、例えるならその色が示す夜のように凍み入る冷たさをしていた。

「ユンナ?!」

 群青色の水の向こう、夜色の雨が降り注ぐ船首でユンナはただ立ち尽くしていた。髪が、服が、夜色に濡れていくのも構わずに。
 いつもの彼女らしくない。そう心の中で呟きながらユーリは走る。本当にすぐの距離だった。手を伸ばして、あの白い腕を引き寄せるに必要なのはあと一歩。いや、跳べばもっと近い――――!!
 けれどユーリの大きな手は、ユンナの腕をとらえることはなかった。


 ふわり、と。
 まるで風が吹き抜けるかのように、ユンナの細い身体が、
 前へと。


「ユ――――」

 彼女の眼前には、いつのまに近づいてきていたのか、群青色の巨大な物体が大きく口を開けていた。赤い髪だけが鮮やかな軌跡を残して、ユンナの身体は群青の中へと落ちていく。
 何か、何か掴めはしないかとユーリは手を伸ばしたが、その大きな手のひらにようやく掴んだのは何もない空気だけだった。

「……………………」

 大きく船が揺れた後にユーリが顔を上げると、夜色の何者かはもう影も形もなかった。ユーリの青い一対が映し出すのは、その瞳と同じ色をした凪いだ海。それだけを見れば何事もなかったかのようだった。甲板に落ちた群青色の雫と、たった今までここにいた少女の存在がないのを除けば。
 心配げに鼻を摺り寄せてくるたまきちを頬であやしながら、ユーリはそっと手のひらを握り締める。瞳の奥から発せられているのは今や穏やかな光ではなく、苛烈な夏の太陽の輝きだ。
 その目のまま背後を見やればいつのまにかいつもの顔ぶれが揃い、動き出していた。彼らは船長の意思を、とっくの昔に汲んでいる。

 手近な伝声管を開き、船長は早口に告げた。

「これより我がスリーピング・ドラゴンII世号は出航準備に入る!! 出航目的、美女奪還!! 半時間後に出航するから、遅れた奴は置いてくよ!!」

 誰も遅れたりしねーよ!! というヤジ混じりの声が響き、ユーリは唇に笑みを浮かべる。一通り深海用の装備や物資の搬入を指示すると、青年は軽快に伝声管の蓋を閉じた。
 そして水平線へと向かって、宣言する。

「さあて、夕陽が沈む前に取り戻させてもらうよ? 怪物くん」

 今日じゃなけりゃ、意味がないんだ。
 小さな呟きは強い潮風に運ばれ、傍らの小さな竜でさえも耳にすることはなかった。





 頬に当たる冷たい感触に、ユンナは目を開いた。
 が、すぐに閉じた。

「おおう、わたくしの愛のキッスで目を覚ましたのですねセニョリーィイイタ。さあさあそんな風に寝たふりなどしなくてもいいのですよ、恥ずかしがりやさんなのもまた非常に可愛らしいですが、わたくしとしては少々勝気な方がたのし……ぶべっ!!」
「起き抜けに耳元でグダグダグダグダうっさいわよ気色悪い!!」

 目を閉じたままユンナが思わず裏拳をかませば、ものの見事にヒットしたらしく、目を開けたユンナの側では群青色の何かがひくひくと痙攣していた。何者かが判別できなかったのは、ユンナがいる場所の全てが群青色をしていたからだった。その何者かも同じ色をしているので、輪郭さえもが部屋に溶け込んでしまっている。
 やがて裏拳の衝撃から立ち直った『何か』は、ぶよぶよとした身体をよっこらしょ、とユンナが横たわっていた場所へと持ち上げてきた。目らしき横長の緑色の塊が、うっとりとしたようにユンナを見上げる。
 
「う、うーんナイスでコクのあるパンチ……この味わい深い打撃はやはりマイ・花嫁にふさわしいじゃーあーりませんか。そうでしょうそうでしょうそうだろうとも!! やっぱりわたくしの目は確か!! ビバわたくし!!」
「自画自賛大会してるとまた殴るわよ、この不定形っぽい生物!」
「ああっセニョリータ、ナマモノなんてそんな下品な言葉を使わないで下さいませ!! わたくしにはちゃーんと名前があるのでございますですよっ」
「ならちゃんと名乗りなさい。じゃないとずっとナマモノって呼ぶわよ」
「ほほぉう? そんなにわたくしの名を知りたいと申されますかセニョリーィィタ。ならばご希望にお応えしてまずはライトアーップ!!」

 『何か』が緑色の目を輝かせると、一斉に具現化された小さく青白い火が点った。
 唐突な光に何度か瞬きをして目を慣れさせ、改めてユンナが周りを見ると、そこは岩を掘って作られた巨大な洞窟のような場所だった。岩盤と、ついでのように炎が時々ゆらりと揺らめくのは、水が隅々にまで満ちているからだろう。

 ユンナはその事実を目にして血の気が引いた。ユンナは屋外でならば具現能力を駆使していくらでも自分の身は自分で守れるが、こと海中となれば話は別だった。彼女の具現化能力というものはかなり特殊である為に、純粋な世界の中ではその能力を駆使できない。海中という自然の水に満ちたこの世界では尚更だった。
 いや、能力の制限があったとしても、ユンナは大抵の局面は自身の力で乗り越えてきた。
 ただひとつだけ、どうにもならない場所が存在するだけで。

「………………うそ」

 呆然とした表情で、ユンナは呟く。もう不定形生物など視界にすら入ってはいなかった。  
 生物は自己陶酔したままいつのまにか自己紹介を終えていたようで、くるりとユンナに向き直る。

「さてはて、わたくしのお名前覚えていただけたでしょうかセニョリーィィイタ? この名前は曾祖母からいただいたものでして非常に由緒正しく」

 その声に我に返ったユンナはぼんやりと『何か』へと視線をやり、そして派手に顔を歪めた。

「た…………タコ?! 群青色のタコ?! ありえないわよ何そのまずそうな色はっ!! 食べる気にもならないじゃないの!」
「失敬な!! 普通のタコなど我らに比べれば愚鈍な生き物もいいとこでありますよっ。……ふふん、まあいいでしょう。普段ならばそのような暴言は見過ごせませぬが、花嫁のマリッジブルーという事で特別に許して差し上げます。ああなんて心の広いわたくし……!!」
「ちょっと待ちなさい、花嫁って何よ。冗談じゃないわよ!! 誰があんたみたいな得体の知れない青ダコに嫁ぐって――――」
「な・ら・ば、ご自分の足で逃げ出してみればよろしいかと。ああけれどムリでしょうねぇ、だってここは海の底。かつ、貴方を包んでいる空気の膜を作っているのはこのわ・た・く・し! この空気の膜をパーンっとやってしまえば、どうなるかお分かりかと思いますが? ぬっふっふっ」

 そこでユンナは自分を包み込むように空気の膜が張られているのに気付き、思わず口をつぐんだ。
 大人しくなったユンナへと、タコが青色の口をにゅっと伸ばす。

「んんーん、そんなに怖がらないで下さいませんかセニョリーイィィタ。貴女が黙ってしまわれるのはひっじょーに辛いでございますです、だってわたくしはその愛らしくも艶やかなお声にもう骨抜きなのですからっ。さあわたくしの熱いキッスでその沈黙を解いてさしあげぶぼばっ!!」

 黙ったまま放たれたユンナの蹴りに、青ダコは空気の膜を突き抜けて吹き飛ばされるが、そこはやはり海中生物。すぐに復活した青ダコはくるくると舞い泳ぎながら、楽しげにユンナへと告げる。

「ま、まあ元気であればあるほど色々と楽しみがわくものですよっ。それではわたくしは式の準備がありますので、これにて失礼。ぐふーふふふふー」

 青ダコの楽しげな声が過ぎ去っていくと、ユンナは怒りで震えていた肩を一気に落とし、ぼんやりと上を見た。
 灯りに照らされて揺れる波を見つめながら、ふと少女は青い瞳の海賊を思い出す。

 彼とは今日約束をしていたが、今頃はどうしているだろうか。
 
「すっぽかしちゃったわね……」

 はぁ、という小さくか細い溜め息が、ゆらゆらと響いて消える。





 その数時間後。
 ユンナが侍女らしいタコに連れられて行った先は、天井が吹き抜けになっている巨大な岩の広場だった。しかし吹き抜けと言っても、海の底と言うだけあって太陽の光が射し込んでくる気配はほとんどなく、結婚式場というよりはむしろ葬式の場のようだった。奥には海草で作られた祭壇らしきものがあり、ユンナはその前へと立たされる。
 頭には群青色のベール。どうやら青ダコたちの棲むこの領域では赤色というのは不吉な色らしく、だからユンナの見事な赤い髪を隠す為だけにベールを作らせたのだと、青ダコはない胸を張って自慢げに話していた。
 そんなタコに突っ込みたくなる衝動を抑え続けながら、ユンナはひたすら黙り続けていた。逃げることも叶わないユンナのささやかな抵抗に、けれど隣に立つ青ダコは不敵に口を捻じ曲げて笑う。

「ぐふーふふふふ。そうやって抵抗する様もひっじょーにそそられますが、まあそれもはぢめての夜を過ごすまでの話っ。きっと貴女はわたくしの麗しい吸盤にもうメロメロになること間違いございません!! さあさあさあ誓いの吸い付くようなキッスをぶぼべっ!!」

 ムフーと墨を吐いて近づいてくる青ダコに鉄拳制裁で応えたユンナだったが、さすがにこれには青ダコも切れたらしく、ゆらりと八本の足を展開させる。ユンナは高い祭壇の上へと登り逃げるが、その細い背中が岩の壁に触れたのを知り、青ダコは断続的に墨を吐きながら高らかに笑う。それは獲物を追い詰めた喜びに満ちていた。
 
「んふふふふ無駄無駄っ!! そうやって逃げても貴女の行き着く先はこのわたくしの触手の中と、もう決められているのです!! さあさあさあさあ観念なさいぃっ!!」
「……………………!!」

 青い触手がぐるりとユンナの脚へと巻きつく。ここが海でなければ。ユンナは心の中で何度も叫ぶが事態は変わらず、無常にも触手は次々に身体へと巻きついていく。そうして最後に、ユンナの目の前に青ダコの顔がにゅっと現れた。
 間近で見るタコの顔というものは非常にグロテスクであり、また果てしなく磯臭い。

「さあさあ、誓いのキッスの時間でございますですよーっ」

 真正面から近づいてくる形容しがたいタコを目にして、ユンナの顔からいよいよ血の気が引いた。
 あと少しでタコの長い口が、唇に。

「じ…………」

 ユンナはあらん限りの力でいやいやをしながらきつく目を閉じ、



「じょーだんじゃないわよ――――――――――――――――っっっっっっっ!!!!!!!」
「うん、僕もそれには同意」



 目を閉じたまま固まるユンナの頭がふと軽くなる。どこか遠くでぐげっ、という声が響いた。
 そして。


「女の子に強引な真似しちゃいけないっていうのは、世の男の口には出さないお約束ってやつだろう? 青ダコさん」


 ユンナは信じられない思いで、閉じた目をゆるゆると開いていく。その間にも身体の拘束は解け、ぬるついた吸盤の代わりに温かな腕が少女の身体を楽々とすくい上げていた。
 そうして開かれたユンナの視界には鮮やかな緑と、輝ける青の瞳。

 海の中に、海がいた。

「――――お待たせしたね、歌姫よ」





 群青のベールを投げ捨て、朗らかな笑顔を見せるユーリを、少女はあらん限りに目を見開いて見つめた。

 なんで、呆然とユンナは呟く。眼前の男は女性に優しくあくまで陽気で、けれど内面は必ずしも見た目通りではないという事をユンナは知っている。
 ユーリにとって、ただの飲み友達であるユンナを助けに来る理由などなく、またユンナも最初から頭の中で『ユーリが助けに来てくれるかもしれない』という選択肢を放棄していた。彼はどんなに優しくとも、自分たちはそんな関係ではないとユンナは考えていたからだ。
 そんな少女の視線の意味を汲み取ったのか、青い瞳の船長はほんの少しだけ残念そうに微笑む。

「そんなに意外だったかな? 僕がキミを助けにくることが。僕にとっては結構当たり前のことだったんだけど、ね」

 抱き上げる両腕の力を強くして、ユーリは前を向いた。精悍な横顔には迷いも、そしてここへ来た事の後悔も微塵も見当たらない。あまりにもあっさりとそう言い放った横顔に、ユンナは一瞬目を奪われた。
 しかしすぐにユーリはへらりとした笑い顔になると、ユンナの身体を片手で持ち上げる。
 
「……さあて、おしゃべりはとりあえずここまでだ。僕はちょっとあの青ダコさんに色々と用があるしね。ああユンナ、悪いけどちょっとごめんよ」
「え? って……ちょ、ちょっと何よこの体勢!! 下ろしなさいよ!!」
「少しの間だけだから、我慢我慢。いい子にしてないと落っこちるよ」
 
 腕から肩の上へと移動させられたユンナは軽く眩暈をおぼえるが、ユーリはそんな少女の頭をぽんぽんと優しく撫でながら、祭壇の下でヒクヒク蠢いている、先程吹き飛ばした青ダコを静かに見下ろす。そこにはたった今まで少女に向けられていた穏やかな光はなかった。

「きっ、きさまぁああ、神聖な結婚式を邪魔した上にわたくしに肘鉄で不意打ちなど!! あってはならないことをいたしましたねぇええ!!」
「じゃあ、海中からいきなり現れて女の子をかっさらうのは『あっていいこと』なんだ。ふぅん、それだけ外道ならこっちも仕事がやりやすい」

 ユンナを肩に抱えたまま祭壇の下に飛び降りるユーリを、兵隊らしき青ダコが何匹も岩の床の上を這いながら包囲するが、しかしユーリは慌てずにふむ、と思案気に首を傾ける。

「五、六、七……全部で十三匹か」
「ふふふふん、わたくしの兵隊に恐れをなしましたかっ? 聞いて驚きなさい、このタコたちは全員海底で特殊な訓練を受けたエリートでして……」
「それなら身もしまって美味しそうだよね」
「そうですとも!! ほどよく身もしまって…………って、何ですってぇぇええ?!」
「うん。六匹は市場で売って、六匹は燻製にして保存食にでもしようか。知っているよ? 青ダコっていうのは珍味としてこの海域では有名だって話。僕らもここまでの費用をもらわなくちゃならないし、さばいて売り払えばちょうどいいお金になるだろうね。ああ、忘れてた。それから残りの一匹は――――」

 あくまで普通の顔をして言い放つユーリに、タコの兵隊たちはじりじりと後退する。
 青ダコは後ろから金切り声で発破をかけるが、しかし兵隊は下がり続け、いつのまにか青ダコの目の前には味方の姿はなく、ユーリが鍵爪を光らせ立っているのみとなる。

「残りの一匹はさすがに食う気にはなれないなぁ、何せ僕の大事なお客さんを強引に連れ去ってくれたんだ。腹の中で消化するよりは、鍵爪の錆にでもしてしまった方がましだね」

 八本の足がぐにゃりと揺らぎ、青ダコは力なく岩の上へと崩れ落ちる。

「わ、わわわわわたくしをこ、こここ殺すのですか…………っ」
「うーん」

 青ダコの前にしゃがみ込み、さも迷っている風に唸るユーリの頭に、軽い衝撃が加わった。

「あてっ。……うそうそ、嘘だからユンナ。だからそんなに怖い気配を出さない出さない、せっかくの美人が台無しになってしまうよ?」
「ふん、台無しになる程度の美形じゃないのよ、私は。そんな事よりさっさと交渉なりなんなりしてここから逃げるわよ」
「それもそうだ。――――さて、青ダコくん」
「はぃいっ?!」
「そんなにビクビクしなくていいよ、別にとって食いやしないから。そのかわり、ここにあるお宝の一部はもらっていくけどね。ほら、海賊がタダで動いたんじゃ商売あがったりだし」
「は、はいそれはもうおおせの通りで……!! おっ、おい何をしているのです役立たずの兵隊ども!! さっさと深海のお宝を持ってきなさい!!」

 あたふたと去っていくタコたちの姿を見送り、たまきちに「宝の回収と、監視頼むよ」と告げて放つと、ユーリは再び青ダコへとかがみこんだ。その体躯と体勢のせいでより威圧感が強まり、青ダコは柔らかな身体をまるで音がしそうなほどに固まらせる。

「で、ここからちょっと個人的な質問。どうにも不思議でしょうがないんだけど、何でまた彼女を花嫁になんてしようと思ったんだい? ねえユンナ、キミってこのタコくんと面識とか……ないよねぇ、やっぱり」

 あるわけないでしょ!! という言葉を拳骨と共にもらったユーリは、痛む後頭部をさすりながら再び問いかけた。
 すると青ダコはうっとりと目を細め、

「いやいや、わたくしは彼女と面識などありませんでした。が、しかーし!! わたくしがエルザードの付近を回遊している時、不意に天使のごとき歌声が響いてきたのです。そう、それこそがセニョリーイィィタの歌声っ!!」
「…………はあ」
「わたくしの心は打ち震えました。ああ、天使が歌っている……これはきっとわたくしがいる事を知った美姫がわたくしを呼び寄せる為に歌っているのだと、そう確信致しましたのですよ。わたくしが幼い頃、祖母からお聞きした話の中にもありました。『海に堕とされ、魔物と化してしまった王子を救う為に、美しい姫はその歌声を朗々と響かせるのだ』と!! そう、きっとその王子こそがわたくし!! だからわたくしは天使の歌声のもとへと、馳せ参じたのであります。少々みっともない姿になってしまいましたが」

 その言葉に、ユンナの脳裏に自分と同調した巨大な具現事象の塊がよぎる。

「ってことはもしかして、海から出てきた群青色のアレって、あんただったの?!」
「そうでございますですよ。我が姫をお出迎えにあがる為に、わたくしは祖父より受け継ぎました力を使いまして、外界へと躍り出たのでございます。わたくしたちは深海に生きるものなので、何重もの防護膜を張らなければならないのです。ひっじょーに面倒臭い術式だったのですが、そこはやはりふってわいた愛の力で――――」
「あーはいはい、そこまででいいから。うん、よく分かったよ」

 ユーリはやんわりと青ダコの演説を遮ると、軽やかに立ち上がった。額にうっすらと汗がにじんでいる。 

「それじゃお宝も集まったようだし、僕らは帰ろう。ユンナ」
「え、ええ」

 早口になったユーリの様子を訝しく思いながらも頷くユンナだったが、しかし青ダコはそれを見て長い口をにやりと歪ませた。

「いえいえ、まだまだお宝はたーっくさんございますんで、どうぞもう少しゆっくりしていかれたらいかがですかな?」
「残念だけど、それはまた今度にするよ。抱えきれないほどのお宝は、魅力だけどね」
「まあまあまあ、そうおっしゃらず――――にっ!!」 

 とっさに身体を引いたユーリの前髪を青い触手が鋭く掠めた。
 ユンナが目を見開く。それは唐突な攻撃に対する驚きでもあったが、しかし耳元で聞こえる不規則な呼吸音の方がより強く彼女の鼓動を速まらせていた。

「ちょっとユーリ、どうしたのよ?!」
「うん? ああ、大丈夫だよ。女の子を心配させるような事じゃない」
「でも……!!」
「ぬぅっふふふお熱いことお熱いこと!! しかぁし、このわたくしには全て分かっているのですよ、どこぞの海賊くん? 貴方を包んでいるその魔術、このような深海ではあまり長くはもたないようですねぇえ」
「何ですって?!」

 ユンナは無理に体勢を変え、ユーリの顔を覗き込む。冷や汗がにじんでいる中で、けれどユーリはユンナへと微笑んでみせた。青白さをたたえた顔で。

「うーん、さすがにここまでの深さに挑戦した事はなかったからなぁ。今度からもう一段強いやつにしないと」
「残念な・が・ら、今度という機会はございませんよ。だって貴方はこのふっかーい海の底で圧縮され、ぺらんぺらんになってしまう運命なのですからねぇえっ!! そうすればセニョリーィイイタは改めてわたくしのモノに!! おひょーひょっひょっひょっひょっ!!」
「それはどうかな。さすがにこの若さでまだ海に返ろうとは思わないんでね」

 会話の合間に触手が左右からユーリを襲うが、彼はひょいと身体を仰け反らせながら腰の鞘に手をやる。そして。

「時間がないんだ。悪いがすぐに決めさせてもらうよ」

 ユーリの身体が鋭く動いた衝撃で、波が大きく揺らいだ。青ダコはその波に押され一瞬だけぐにゃりと体勢を崩し、無防備な足が一本、海中にさらされる。
 深海の群青を、真一文字に銀色が裂く。長い腕から真っ直ぐに伸びたそれはユーリ愛用のレイピアだった。青年は浮いた一本の足を見逃すような愚鈍な目をしていない。彼は波を割るように、一息に腕を伸ばす。
 レイピアが柔らかな感触を手のひらに伝えるまで、僅か数秒。
 足を貫かれた青ダコはレイピアがその足から抜けても呆然としているばかりで、ユーリはその様子を見てほっと息をついた。これ以上の抵抗があった場合、息が続かないだろう事を彼は知っていた。そうでなくとも、戦闘という行為は普通より呼吸を必要とするのだ。

「ユーリ……?」

 心配げに覗き込んでくるユンナに向かって軽く頷き、ユーリは口笛を吹く。たまきちが重たそうな袋を抱えてふよふよと飛んでくるのをそっと抱きとめると、しっかりと自分の胸へとしがみつかせた。

「これから海上へ出るけど、かなりの速度だからしっかり僕に掴まっていて、ユンナ」
「戻るっていっても、どうやって? ま、まさか泳いでとかじゃ」
「それこそまさか、さ。……そろそろ息がやばいから説明してる暇はないけど、大丈夫。僕を信じて」

 青年の苦しげに紡がれた言葉に、ユンナはそれ以上の追求をやめ、決心したように逞しい肩にすがりついた。けれど心臓まではすぐに落ち着くというわけにはいかず、これから海の中を戻るのだという事実に、ユンナは指が白くなるほどにユーリの上着を掴む。
 船と自身とを結ぶ細く長い紐を引っ張り合図を送っていたユーリは、肩の違和感に気付いて、そっと手のひらをユンナの身体へと滑らせた。ぐん、と視界が動き、少女は一瞬息を詰める。
 何が起きたのかとつい閉じていた目を開けば、すぐ近くにはたまきちとユーリの顔があった。
 そして細い背中には、逞しい腕の感触が。


「――――大丈夫。絶対に、守るから」


 竜と人とが同じ笑顔を、歌姫に向ける。

 
 


 波が。
 波がユンナの髪を服をあまつさえ身体すらも、どんどんと上へと引き上げていく。いや、押し上げられているのだろうか。それすらも分からなくなってしまいそうなほどに、海中を急激に引き上げられる衝撃はすさまじい。
 けれど少女の身体は木の葉のように翻弄される事はなく、ひとつの腕と小さな身体によってしっかりと支えられていた。移動する視界、魚、海草。幾つもの海に棲むものにぶつかっただろうか。それでも少女は、全てから守られていた。

 圧倒的な水流音の向こうで、苦しげな呻きがユンナの耳にだけ届く。助けたい、そう思っても少女の身体は動かなかった。水は全てを包みこむが、同時に呑み込んでしまうかもしれないという危険さを抱えている。
 ユンナはそんな海への恐ろしさと自身の情けなさとで、震えが止まらなかった。助けたい、助けたい、助けたい。何度も繰り返し思っているというのに、身体が全く動こうとはしない。今自分を守ってくれている青年が、こんなに苦しい顔をしているというのに。
 
 どうして。

 そんなユンナを更に強く抱きしめる腕があった。引き上げられる力にも、そして周りで蠢く水流にも負けない腕は、震えを増したユンナの身体をきつく抱き締める。
 少女もまた、どうにもならない心を持て余して大きな胸にしがみついた。

 早く、早くとそれだけを祈るように心の中で繰り返しながら。





 遠いどこかで、呼び声がする。

「……ナ、………………ユンナ……?!」

 泥のような意識の底から、急激にユンナは現実へと浮上した。
 額にべたついた髪がへばりつく感触に、不快そうに眉をひそめた様を見て、覗き込むようにしていた青年が嬉しそうに笑いながら、塩のふいたハットの飾りを跳ね上げる。しかしユンナはその色を見てぼんやりと疑問を抱いた。確か、彼のハットの飾りは白ではなかっただろうか?
 今、その飾りは鮮やかな橙色に染まっている。そしてユーリの鮮やかな緑の髪も、青の瞳も、何もかもが橙色をしていた。

「……ねえ、ユーリ。私、目がおかしくなったみたい。何だか全部が全部、橙色に見えるんだけど」

 溜め息と共に吐かれた台詞にユーリは一瞬きょとん、と瞬きをしたが、すぐに気付いたように腹を抱えて笑い出す。肩のたまきちもまた小さな炎を吐きながら、相棒の真似をしてころころと笑っていた。

「ちょっ、ちょっと二人して笑うことないでしょう?! こっちは真剣に――――」
「ぶ、ぶははははは、いや、ご、ごめん。安心したのと面白かったので、ついツボに入っちゃったみたいだ。あー、笑った笑った。それはそうと、多分キミの目はおかしくも何ともなっていないと思うよ。おいで、歌姫さん。きっと今この世界にいる全ての生き物が、みんな橙色に染まっている筈さ」

 まるでダンスを踊るように立ち上がったユーリにそっと手を引かれるまま、ユンナは立ち上がる。どうやら船の甲板に寝かされていたらしく、足元で懐かしい床板が弾むような音をたてた。

「ほら、ごらん」

 ユーリの真っ直ぐな指先が指し示す先には、おびただしい光があった。
 水平線の向こうに消えていこうとしている太陽からは、黄色、橙色、そして赤色と、暖かな輝きが幾重にも混じり合い、水に濡れたユンナの身体を優しく包んでいく。
 
「本当ね。……私も、同じ色をしている」

 ユンナは自分の身体をしげしげと見下ろした。高級な布で織られた衣服は塩をふいて散々なありさまだったが、塩の結晶が日没の光に照らされて輝く様を見てしまえば、服が台無しになった事に怒る気力など、どこかへ飛んでいってしまったらしい。ユンナはそんな自分に少し戸惑いを覚えながらも、暖かな気持ちで微笑んだ。

「あ、笑った」

 声に振り向けば、側に立っていたユーリが手すりに肘をつきながらユンナを見て、微笑んでいた。

「何よ、そのニヤケ顔。私が笑っちゃおかしいとでもいうの?」
「とんでもない。僕が笑っているとするならば、それはただ目的が達成されて嬉しくってたまらないだけさ」
「目的?」
「そう、目的。僕がキミを誘ったのは理由が二つあったんだ。まず、キミにこの夕陽を見せたかったのがひとつ。エルザード付近はこれからしばらく雨期に入るだろ? その前に晴れの日が七日間続いた後は、格別夕陽が綺麗なんだ。まさに今日がその日だったから、昼間からキミを誘っておいて最後に夕陽を見せたかったんだけど……まさかこういう展開になるとはね。まぁでも結果的に見せられたから、これは個人的には成功かな」
「……夕陽を見せようと思ってくれたのはありがたいけど、どうして私だったのよ。ユーリなら他にも」
「そうだね、他にも誘おうと思えば女性の知り合いはいっぱいいる。だけど僕はキミを選んだ。それは何故かっていうと」

 橙色の輝きを瞳に受け、子供のように笑いながら、ユーリは言った。


「――――こんなに綺麗な夕陽だったなら、キミの無防備な笑顔を引き出してくれるかなって、そう思ったんだ」


 そう、僕のまだ見たことのなかった、子供のような笑顔をね。 
 
 ユンナは青年のその言葉に、夕陽のせいにはできないほど顔に血を上らせ、すぐに爆発した。

「あっ……あんた、よくそんなこっぱずかしい事言えるわね!! 信じられないわよ、このタラシ!!」
「今の僕は何を言われても怒りませんよー、目的が全部達成されて、加えてお宝も手に入れたしね。更にキミの秘密も一個、知っちゃったし」
「え?」
「泳げないんだろ?」
 
 ひた隠しにしていた秘密をあっさりと口にされ、ユンナの思考が止まった。
 
「なっ……なっ、なっ……」
「何でって? えーっとね、僕たちが引き上げられている時、もうすぐ海上!! ってところでどうもキミの身体にかけられていた術が解けたみたいなんだよね。そしたらキミ怖い怖いって一気に暴れだして……いやいや、あの時はびっくりしたなぁ」
「――――――――っ!!」

 引き上げられた記憶が全くないのはそういうわけか。とユンナは自らの見事すぎる脳内記憶処理能力を呪った。
 頭を抱えて唸るユンナに声をかけそっと近づくと、ユーリはあやすようにもつれた赤い髪をすくい取り、口付ける。

「大丈夫、他の誰にも言いやしない。だってこれは僕たちだけの秘密だからね」
「……勝手にしなさいよ!!」

 耳まで赤く染まったまま顔をそむければ、視界には自然と夕陽が入る。
 横目で隣をうかがうと、ユーリは少年のように楽しそうな顔をして手すりに片肘をつき、ユンナと同じ方角を見ていた。
 視線の先には沈む太陽。美しく、それでいて決して弱々しくはない、暖かなそれ。


 あの時の腕に似ている。


 ユンナは唇の中で小さく呟いた。
 その力強さと温もりが、自分の存在すら不確かにさせる海中でどれだけ支えだったかなどとは、決して口にはしなかったが。




 ひとりは子供のような笑顔で。
 そしてもうひとりの方は、少しだけむくれた子供のような顔で。

 青年と少女は隣り合ったまま、日が沈むまでずっと橙色の輝きの中に立ち尽くしていた。
 







 END.
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聖獣界ソーン
2005年03月14日

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