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『春の足音〜早咲きのタンポポ〜 』
江戸崎・満1300)&弓槻・冬子(3769)


 数日作成のために篭りきりになっていたがなかなか納得のいく物が作れないでいた江戸崎満(えどざき・みつる)気分転換もかねて近くの公園へと出かけて行った。
 スランプという程深刻ではないが、作陶していてもどこか気分がいまいち乗らないのか集中力が持続しないのは確かだった。
 そんな状態でどれだけ作ったところでいい作品が出来るはずもない。
 そんなことを考えながらボーっと公園のベンチに腰掛けると、いつのまにか桃の花ももう盛りを過ぎ近くの桜の蕾がようやく少し膨らみだしたのに気が付いた。
「もう冬も終わりか」
 そういえば……と秋の終わりに会った女性の事を思い出した。そして、その人とした約束を。


『今度来る時は景色以外に楽しめるような何かを持ってきますよ』


 約束を思い出して満は顎に手を立ててすこし考えるような仕草をした。


■■■■■


 久しぶりに来た山間の道にはまだ少し雪が残っていた。
 バスを降りると空気が冷たくてまだここには冬が残っているのだなと、満は首元に巻いたマフラーを軽く顎の辺りまで引っ張る。
 バスの終点から暫く歩いてようやく弓槻冬子(ゆづき・ふゆこ)のいる『白樺療養所』に着いた。
 相変わらず開いたままの門扉をくぐり前庭を通って前回は入る事のなかった療養所の中へ足を踏み入れた。
 玄関口で靴を脱いでいた満に通りがかった看護士の女性が、
「こんにちは。どなたのお見舞いですか?」
と声を掛けてきた。
「弓槻冬子さんの知人です」
「そうですか」
 ついでにとその看護士に彼女の病室を確認して、静かな廊下を歩き満は彼女の名前が書かれたプレートのかかったドアの前に立ち一つ大きく深呼吸するとゆっくりと数回ノックした。
「はい」
 返事を聞いてからゆっくりとドアを開けて室内に入ってきた満の顔を見て冬子は一瞬目を見開く。
「以前の約束を果たしに来たんだが」
 満がそう言うと、冬子は次の瞬間、
「いらっしゃい。嬉しいです」
と微笑んだ。


 どうぞと促されるまま満はベッドの脇の椅子に腰掛けた満は、そう話しの上手い方ではないが、季節の話し、最近身の回りで聞いた都会ならではの話しと身振りや手振りを交えて冬子に聞かせた。
 その都度冬子は驚いたり感嘆したり、コロコロと鈴を転がすような声で笑い声をたてる。
 そして、話が一区切りついたところで、
「あぁ、そういえばすっかり忘れていた」
と、お見舞い品を取り出した。
 見舞いに行くと決めてから散々、『入院患者に良い物なのか』と散々悩んだ。
 そして、悩んだ結果、
「俺が作ったんだが」
と、満は手作りの青磁の湯飲みを取り出した。
「ありがとうございます。綺麗な色ですね」
 表面を覆う艶やかな釉薬は青味を抑えたミントグリーンをしている。
 それをくるくると回して眺めていた冬子の手が不意に止まった。
「あぁ、それは俺の家の庭に早咲きのタンポポが咲いていたんで」
 冬子が手と目を止めたのはただの青磁の湯飲みでは味気ないと思い庭に咲いていたタンポポを映した湯飲みの絵柄だった。
「そうなんですか」
 相槌をうつ冬子の声の微妙な変化に気付いた。満はそのどこか寂しげな目をする冬子を気遣いあえて何も気付いていないふりをして、
「冬子さん。少し外に出ませんか?」
と、外へと誘った。
 病室には春の日差しが柔らかく差し込んできている。
「そうですね」
 冬子は満の誘いにのって小さく笑みを浮かべた。


■■■■■


「まだ少し寒いですね」
 満はパジャマの上に厚手のカーディガンを着て車椅子に座った冬子の膝に自分が首に巻いてきた大判のショールのようなマフラーを
かけてやった。
 車椅子なんて大げさな物に乗るのを躊躇った冬子だったが、まだ足元は雪解け水で少しぬかるんでいる所も多いからと言って満は車椅子をゆっくりと押して診療所内の庭を散策していた。
 花壇の水仙にチューリップの蕾。
「ほら、あそこにフキノトウが」
 庭の向こう側、山道の脇に見えるフキノトウとツクシの頭を指差して満は足を止める。
 春を感じさせるどんな草花を見ても、先ほどのタンポポを見て以来、冬子の表情が晴れる事はなかった。
 そんな冬子を見て、満は初めて彼女の表面的な穏やかさやたおやかさだけではない何かに気が付いた。
 きっと、彼女の奥には何かの事情があるのだろう。
 人よりも長い長い月日を生きている満にはそれが判った。半ば本能的に。
 それでも、彼女の悲しい顔を見たくなくてこうして少しでも気が晴れるようにと願わずにはいれない。
 長い月日を生きていく間にどこか他の人間との間に見えない壁を作って、距離を置いていた。しかし、たった2度しか会っていないのに冬子はいつの間にかその壁を軽々と乗り越えてしまったようだ。
「まだ少し雪は残っていてもやっぱり春はすぐ近くまで来ているんだな」
「そうですね」
 少し物悲しげな彼女に満は『何か』を感じた。
 特別な何かを。
 だが、その何かの名前が満には思い出せなかった。
 2人の間に束の間沈黙が落ちた。
 まだ葉を付けていない枝が風に揺れる微かな音だけが2人を包んだ。
「そろそろ風が出てきたようだし中に戻りろう」
 冬子が頷くのを確認して、満はゆっくりと車椅子をターンさせて今度は建物に向かって歩き始める。
 その足取りはゆっくりとそして確かに進む。
 2人の間を流れる『何か』のように。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
遠野藍子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月14日

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