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『お留守番日記:3.14 』
藤井・蘭2163

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 ■□3月14日(晴れ時々くもり)□■

 もちぬしさんは、朝からおでかけなの。
 どこへ行くの? って聞いたら、
「ちょっとね」って、てれくさそうだったの。

 もちぬしさんの髪は、いつもさらさらしててきれいだけど、
 なんだか今日は、とくべつな感じ。
 春のそよかぜみたいな、やさしい花のかおりがしたの。

 3月14日は、「ほわいとでー」っていうんだって。
 ばれんたいんでーにチョコレートをあげたひとが、
 お返しをくれる日みたいなの。

 だれといっしょかな?
 ぼくも知ってるひとかな?

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「いってらっしゃいなのー!」
 玄関先で元気に言う蘭を、「持ち主」たる彼女は心配そうに見た。
「……ひとりで、平気か?」
「だいじょうぶなの。お留守番、大好きなの!」
 そう答えてから、蘭はきょとんと首を傾げる。
「だって、もちぬしさんが大学院のこうぎに行くときも、図書館でしらべものをするときも、お留守番なの」
「それは、そうなんだけど」
 つと目を伏せた彼女に、とことこ近づいて顔を見上げる。
 今日の彼女は、少し雰囲気が違う。普段のラフで活動的な服装とはうって変わった、すみれの花のように柔らかな青紫のワンピースを着ているところも、困ったふうに頬を上気させているところも。
 じぃーっと見つめてから、蘭は納得してこっくりと頷いた。
「わかった、なの! もちぬしさん、今日は帰ってこないの?」
「そっ」
 いきなり彼女は、持っていたバッグをぱたっと落とした。
「そんなんじゃないから! 違うからっ。ちがうんだからっ!!」
「……?」
 蘭は、単純に、帰りが明日になってしまうかも知れないから心配なのかな、と思っただけなのだ。何も含むところなどありはしない。
 だが彼女の顔は、一瞬にして真っ赤なチューリップのようになった。
「朝帰りなんかするもんかっ! 何がなんでも今日の12時前には帰ってみせる。起きて待ってろ!」
 素早い動きでさっとバッグを拾い上げると、折れそうなピンヒールもなんのその、脱兎の勢いで走り去ってしまった。
「はーいなのー! お帰り待ってますなのー。気をつけてなのー!」
 みるみるうちに小さくなる後ろ姿に、蘭はひらひらと手を振るのだった。

 持ち主が出かけたあとは、蘭のいつものお留守番タイムが始まる。
 まずはテーブルに向かい、日記を広げて。
 蘭専用の緑色のサインペンを握りしめ、しばし黙考。
 少し書いては考え、考えては書き。
 あまり上手な字じゃないけど。むしろ、後でながめても、自分が何を書いたんだか読めないことだってあるけど。
 部屋の主を待ちながらのひとときは、ひとりでも楽しい。テレビを見たり、お掃除をしたり。こうして日記を書いたり。
(だってもちぬしさんは、必ず帰ってくるなの)
 窓を見る。日射しは、ぽかぽかと春めいている。寒かった冬も、ようやく終わりを告げたようだ。

 つけたテレビでは、「いまからでも間に合う! ホワイトデー特集」なるものを放映していた。
 昨日見た情報番組では、アクセサリー売り場での人気商品を紹介していたが、今日の特集の目玉商品は、
【日帰りで癒されるひと時。大人のくつろぎを感じさせるリゾートホテルで、特別な日の演出を】
 ――であるようだ。
 目のくりっとした女性リポーターが、「番組名を仰っていただければ、ホテル内フレンチレストランのフルコースが半額になります!」と、カメラ目線で歯切れの良い声を放っている。
「もちぬしさんも今ごろは、ほてるでふれんちでとくべつでくつろぎなの……?」
 リゾートホテルが如何なるもので、そこで人はどのように過ごすものなのか、いまひとつイメージが掴めない。
 小さなオリヅルランは、「持ち主」が聞いたら「ちがーう!!」と絶叫しそうなことを無邪気に呟いてから、テーブルに視線を落とした。
 開きっぱなしの日記には、今日の日付と書きかけの文章が踊っている。

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 もちぬしさんが帰ってきたら、渡したいものがあるの。
 ぼくも、チョコレートをもらったから、
 だからやっぱり、「ほわいとでー」なの。

 今日が終わるまえに、帰ってくるといいな。

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 キッチンの一番下の引き出しにそっと丸めて隠した、一枚のクレヨン画。
 持ち主の彼女の似顔絵を、蘭が描いたのだ。
 気づかれないように作成した、入魂のプレゼント。突然渡したら、彼女はどんなに驚くだろう?

「ふあぁぁ〜。あったかくて眠いの〜」
 大きく、欠伸をひとつ。ついで、上瞼と下瞼が仲良しになった。
 いろんなことを想像するうちに、どうにも睡魔に勝てなくなり、蘭は窓辺に移動する。
 白い窓枠が格子模様を落とす位置に、土の入った植木鉢がひとつ。
 そこは、本来の姿に戻った蘭が、日光浴するための場所だった。
(つぎの日曜日には、パパさんのお店に行こうかな。そろそろ、菜の花さんやれんげ草さんに逢えるかも知れないの)
 班入りの葉を広げ、オリヅルランはうとうとと微睡む。窓の外を、シジュウカラがぴぃと鳴いて横ぎった。

「蘭ー! 蘭はどこだぁー!」
 オリヅルランののどかな午睡を、豪快な声が破った。
「ん……? あれ……パパさん?」
 ドアをばばーんと勢いよく開け、室内に入ってきた男は「持ち主」の父親だった。蘭を人化させ、この部屋に送り込んだ張本人である。
「ここなのー。どうしましたか、なの……むにゃ」
 オリヅルランはいちばん幅の広い葉をひらんと振ってから、また昼寝に戻ろうとした。
「どうもこうもあるかー! 呑気に光合成しとる場合かっ! 起きろっ!」
「……ふに……」
 剣幕に押されて少年の姿になった蘭は、ごしごしと目をこする。
「留守番する時はちゃんと鍵をかけろっ! 不用心だぞ。……いや、それよりもだ、俺の可愛い娘はどこだぁー!」
 肩に手を掛けて揺すられ、蘭の小さな首がかくかくと前後に揺れる。
「もち、ぬし、さん、は、おで、かけ、なの」
「どこへっ? 誰と?」
「きい、て、ない、の」
「今日はホワイトデーだっ。ホワイトデーにおけるお返し希望ランキングのナンバー1は、『一緒にお食事orどこかへ旅行』だそうじゃないか(注:本命の場合です)。まさか、男と出かけたんじゃないだろうな?」
「さ、あ、なの」
「蘭ー!」
 父親に詰め寄られ、さすがの蘭も、事態が少々錯綜しつつあることに気づいた。
(これって……。もしかして、まずいかもなの?)
 そう、父親の勘は正しい。
 持ち主の彼女は、とある男に逢うために出かけたのだと、蘭も思っている。
 去年のクリスマスに、蘭を含めて3人で過ごした、黒いスーツの男だ。おそらく彼女は、バレンタインデーも彼と一緒だったはずである。
 しかしその詳細を、娘を溺愛している父親に言うわけにはいかない。なぜならば蘭は、彼らを「おうえん」したいと思っているからだ。
 ーーとはいえ。
「……何か隠してるな? 言えっ! 蘭! いったい何のために、おまえをここに置いたと思ってる!」
 そうなのだ。父親が蘭をこの部屋に居候させている理由は、ひとえに、愛する娘に妙な虫がついたりしないか、見張らせるため……。
(ううっ。つらい立場なの)
 情と使命の板ばさみ。幼い蘭には過酷な状況である。
(どうしようなの……)
 何とか打開を図ろうと頭を絞った結果、取りあえず浮かんだのはーー
(とにかく、話をそらすのっ!)
 実にささやかな、抵抗であった。
「あ、あの、パパさん。そのクッキー、おいしそうなの! お土産なの?」
 父親は、その大きな手には似つかわしくない、可愛らしくラッピングされたクッキーの袋を持っていた。細いピンクのリボンが幾重にも結ばれている。
 袋を持ち上げた彼は、威勢良く胸を張った。
「あ? これか? ホワイトデーのプレゼントに決まってるだろう!」
「そうなの? パパさん、もちぬしさんからバレンタインデーにチョコもらったなの?」
「……それは……」
 いきなり父親はしゅんとした。頭上に、どよーんという書き文字と、黒雲状のカケアミが現れる。
「……そういうわけじゃ……ないが。前もって今年お返しを渡しておけば……来年の2月には、もらえるかも知れない……し…………」
 言いながら父親は、自分の言葉でますます落ち込んでしまった。
 蘭から離れ、壁のすみで膝を抱える。
 そのまま黙り込んでしまったので、絶体絶命だった蘭は、幸運にも危機を脱することができた。
 
 壁時計の短針が、11の文字盤に重なった。
 とっぷりと夜は更け、窓からはオリオン座が見える。
「遅い!」
「遅くないの。まだ11時なのー」
 オリヅルランと持ち主の父親は、結局、ふたり揃って彼女の帰りを待っている。
 いてもたってもいられずに、部屋をうろうろし始めた父親をよそに、蘭は腕まくりをした。
「そうだ。お風呂のおそうじ! これからしなくちゃなのー!」
 張り切る蘭に、父親はふと目を細める。
「ほう。成長したな。風呂掃除なんか出来るようになったのか」
「とうぜんなのー。部屋のもちぬしの女の子に尽くすのが、いそうろうのつとめなの」
「……蘭。おまえちょっと、テレビの見過ぎじゃないか?」

 かちかち。かちかち。
 秒針の音が響く。
 なおも落ち着かない父親を、蘭がなだめる。
「もうすぐなの。もちぬしさん、12時前には帰ってくるっていってたの」
「どうだかね。とんだシンデレラだ」
 肩をすくめて、時計を見上げたとき。

 聞こえてきた。

 駆けてくるピンヒールの音が、玄関扉の向こうから。


 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月14日

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