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『校舎に花降るそんな日には 』
八雲・純華1660

□オープニング

 学生の姿がまばらになった放課後。どこかもの悲しい雰囲気が漂う。
 空の色、風の匂い――遠い過去と、まだ見ぬ未来。
 点滅し、呼応し合う二人。

 探し求める片翼。
 それは今、胸に抱いている貴方だろうか?
 学園内に眠るたくさんの伝説。
 鐘の鳴らない時計塔。逆さ歩きの階段。校舎裏の楡――。
 そのどこかひとつに運命が流れ始める「きっかけ」が潜んでいるのかもしれない。
 長く続く廊下の先に、見える人影は誰?
 きっと見つかる。
 この広く狭い世界の中で。


□学園を巡る光――ユーリ・フォレスト+シュウ・ホウメイ+飛鷹いずみ

 春。光と暖かな空気に満ちた季節。
 桜降る校舎に不思議は眠る。同時に、幻想的な風景も眠っている。それは揺り動かすものを待って、ただじっと目の前を通り過ぎていくたくさんの学生を見続けていた。
 ユーリ・フォレストはこの学園にきてまだ間もない。当然だろう、植物の学者としての知識をもっと人のために生かせるよう、この学園に入学したばかりなのだ。短期間ではあるけれど、有意義な時間が過ごせればと考えていた。
 柔らかな長い髪と緑の瞳。森を連想させる瞳の色は彼女自身を表すのにふさわしい。なぜなら、フォレストの名はすでに廃園となった緑の都フォースフォレストに由来しているからだった。ユーリとは今は亡き両親が好んで呼んでくれた愛称。本名は別にあるのだが、それを明かしたことは誰にもない。ただ、ひとりを除いて。
 ぼんやりと降り注ぐ花びらを眺めていると、校舎の向こう側から背の高い青年が近寄ってきた。ユーリの胸がドキンと鳴る。涼しげな目元を隠すように眼鏡をかけ、銀髪をかきあげつつ彼は少々眉をひそめて声をかけてきた。
「ユーリ。なんだ、まだこんなところにいたのか? もうひとりの参加者ももう集合場所にきているぞ」
「え…あ、シュウさん……ご、ごめんなさい。あんまりにも、桜の花びらが綺麗だったものですから」
「花びら? ああ、そう言えば……桜という名か」
 シュウが口の端を上げ、手の平に降り注ぐ淡桃色の花びらを受けとめた。ユーリはその優雅な指の動きに思わず、見惚れてしまった。そう、唯一ユーリの本名を知り、事もなげに彼女の心を奪ってしまう人物こそ、このシュウ・ホウメイその人だった。
「…ん? どうかしたのか? そろそろ行こう、ユーリを含めて今日の入学見学は2名だけだ」
「は、はい! 他の方はどうされたんですか?」
「早い段階ですませている。今回の見学は学園の不思議を紐解くツアーという名目だからな」
 シュウはユーリより一年早く、この学園で学んでいる。リレン師という樹医なのだが、入学した理由はユーリと同じだ。職業柄、樹木とそれに巣食うレンという病に片寄った知識ばかりが増えやすい。しかし、実際に依頼を解決するのには、それ以外の知識を必要とすることが多いことに気づいたからだった。
「……ユーリ」
 シュウが手のひらから視線を外して、ユーリを見た。すごく、優しい声。ユーリの胸が再び鳴った。
「来てくれてよかった。また、一緒に学べるな…お手柔らかに願うよ、姫君」
 これでも互いに想いを通じ合った恋人同士のふたり。でも、ユーリは自分の想いばかりが大きな気がして戸惑っていた。そう感じてしまうからこそ、ここに来る前にひとつの決心をしたのに。シュウ・ホウメイという人が、誰にでも優しいわけじゃないことくらい知っているけれど。

 ――わたしのことを、本当はどう想っているのかしら……。

 心通わせた相手。そのはずなのに逢うごとに募っていく想い。時に不安を呼び寄せる。
 さりげなく、シュウの腕が伸びてユーリの背を軽く押した。ただそれだけなのに、ユーリの体に電気が走って心臓の鼓動が早まってしまうのだった。

                    +

 鐘が鳴らなくなって久しいという時計台。その前で待っていたのは、小柄だがスラリとした女の子だった。茶色の短めの髪に黒い瞳が理知的な印象を受ける。
「こんにちは。飛鷹いずみです。ご同行頂きありがとうございます」
 16、7歳だろうか? 少女がぺこりと頭を下げた。ユーリも慌てて頭をさげた。
「ユーリ・フォレストです…あの、あなたはお1人なの?」
 尋ねると、いずみは視線を地面に落して小さくため息をつく。軽く肩をすくめて言った。
「一緒に参加する予定だった人に、仕事が入ったんですよ……まったくお人良しなんだから、あの人は」
「あら? どなた? 同じ学年の子?」
「いいえ」
「じゃあ……」
「ここの図書館で司書をしてる男の人です。もうすぐ、24歳になるんだから少しくらい融通が効くようにならないと。どうせ、無理を言う教授の言い付けを守って、書棚の整理をしたり資料を探したりしてるんです。……優しさにつけ込む人もいるから、他人を甘やかしたらダメだって、あれほど言ってるのに」
 ユーリは思わず、吹き出してしまった。彼女の相手は24歳。というからにはれっきとした大人であるはず。なのに、いずみの言葉遣いはまるで小さな子供を叱るみたいな口調なのだ。
「くすくす…その人、あなたの恋人?」
「え? ……あ、の、そう…思いますか?」
「ええ。だって、とても大切そうに話しているもの」
 先ほどのクールさが一変。いずみは真っ赤になって下を向いてしまった。ユーリは微笑ましく目を細めた。
「挨拶はそれぐらいにして、私がこの場所の説明させてもらってもいいか?」
 シュウがいつまでも会話し続けるふたりに口を挟んだ。いずみとユーリが頷くのを確認して、シュウは集合場所となった時計台について語り始めた。
 
 【鐘の鳴らない時計塔】
  南棟の端にある古びた時計塔。鐘を何度修理しても鳴ることがなかったため、
  そのまま放置してある。ただ、鐘が鳴っているのを聞く者が出ることがある。
  人数は大概ふたり。その音は耳に残り必ず時計塔へと足を運んでしまう。
  逃れられない音。ずっと聴いていたいと思う音。
  数年に1度しかその現象は起きず、時計塔に集う者は恋に落ちると言われている。

「――ということで、ここの鐘の音が聞こえたら、恋に落ちることになっているらしい」
「じゃあ、実際にカップルになった人がいるんですか?」
 いずみのごく自然な問いに、シュウが答えた。
「ああ。いるからこそ、こうやって伝説になっている」
「ふーん、聞こえた人に好きな人がいたらどうするんでしょうか? 私なら、鐘の音を聞いた人がどんなに強い運命の相手だろうとも、今好きな人を選びます」
 凛とした声。まっすぐにシュウを見詰めるいずみの瞳は、シュウを通り越してきっと先ほど言っていた彼を見詰めているのだろう。それほどまでに、恋焦がれてもらえるその人をユーリは羨ましく思った。
 自分もそんな風に、言葉にしてもらいたい――それはなかなか難しいことのように思えた。
「じゃあ、次に行こう」
 シュウが促す。と、ユーリが思いついたように尋ねた。
「あの、シュウさん…。他にはどんな場所を見学するんですか? 先に廻られた方も同じ場所を見学されたの?」
「いや違う。厳密に言うと時間帯が違うな……」
「と、いうと夜――ですか? ユーリさんと私しかいないなんて、余程そちらの方が人気だったんですね」
 いずみが会話に加わる。シュウは緩く笑って続けた。
「ああ、不思議な場所に赴く場合、夜の方が楽しいからな。それに、夜にしか体験することのできないものもあるし」
「どうして、わたしには教えて下さらなかったんですか?」
 ユーリは少し口を尖らせた。自分も夜の学園を探索してみたかった。学者としての探求心がむくむくと湧きあがる。けれど、シュウの長い指が唇に下りて、問う声を止められてしまった。
「ユーリ、それは後で……。飛鷹さんも夜に探索してみたかったかな?」
「いいえ。私は他に行きたいところがありましたから。……でも、一緒に見る予定だった人がいないなら、わざわざ昼に参加した意味がなかったかもしれませんけど」
「おや? それは恋人かな?」
「…ふふ。ユーリさんと同じことを聞くんですね」
 
 ――このふたり、想い合っているのが見え見えだわ。
    まるで分かってないみたいだけど……。

 いずみは、先ほどのシーンを思い出した。シュウの指先がユーリの唇に触れた瞬間、彼女の白い頬が淡く色づいた。それを見て青年の頬が緩んでいき、名残惜しそうに指先を離していく場面を。
 きょとんとした顔でこちらを見ているユーリ。いずみは溜息をついた。

 ――完全にあてられたわ。
    ユーリさん、幸せそう……。
    大人の女性が魅力的に見えるはずよね。

 その後、運命の相手の名が分かると噂の校舎裏の楡を見学し、昼には見られない『机渡り』が起こる教室を覗いた。それから、中央棟の教職員専用の螺旋階段へ向かった。ここは『逆さ歩きの階段』と称され、28段ある階段を逆さに上り切ると、運命をも巻戻せるという伝説がある。しかし、それを成すには『誰にも見られてはいけない』と言われていて、しかも太陽が昇っている間にしか効果がない。通行料の多い階段。願いが成就するのは難しいだろう。
 学校という場所には七不思議が存在することが多い。
「この学園も一般論通りという訳ね…」
 いずみはひとり納得した。恋に関する不思議や伝説が多いのが、どうにも淋しい。シュウとユーリの並んで歩く姿を後ろから見れば、溜息も再び口をついて出てしまう。だから、いずみは思わず訊いてしまった。
「ホウメイさん、他にも廻るんですか?」
 これ以上このふたりと一緒に行動していたら、ひとりで参加したことを後悔してしまいそうだったのだ。それは絶対に避けたい。
「次で最後だ。そこに着いたら解散にしよう。時間はまだ早いが、どうせ個人的趣味の見学だからな。学園で規定されてるものじゃない」
「分かりました。じゃ、行きましょう」
 先頭切っていずみが足を早めた。
 少し歩いて、樹木の間から見えてきたのは眩しい光だった。余りの美しさに、ユーリといずみが息を飲む。鳥篭を思わせる円柱型のドーム。それは銀色の鉄骨とガラスで作られ、中には植物ではない透明な輝きが閉じ込められていた。
「硝子植物園。この学園の一番有名な場所だ。名前くらい知ってるだろう?」
「はい。でも、こんなにも光輝いてるものだとは知りませんでした」
 少女が美しい光から目を離すことなく答えた。
「あんたの恋人は連れて来てくれなかったのか?」
「そんな気の回る人じゃありませんから……」
 残念そうにいずみは肩をすくめた。


□贈り物は遅れて届く ――シュウ・ホウメイ+ユーリ・フォレスト

 一通り見て回って、いずみと別行動を取ることになった。もちろん、シュウとユーリは同じ順路を歩いている。
 眩い光が降り注ぎ、植えられた緑の植物と硝子細工の植物とが織り成す光景の中、ユーリは決心していたことを実行に移すことにした。
「あ、あの…シュウさん?」
「どうかしたのか?」
「ええと、あの…少しここで待っていて下さいませんか?」
 歩むすぐ先に木製のベンチが見える。それを指差して、ユーリは更に続けた。
「座っていて下さい。すぐに戻りますから」
「……何かあるのか? どうせなら、一緒に行けばいい」
 素直に優しい言葉。一瞬頷きそうになった。ユーリは慌てて断り、踵を返して自分の教室へと走った。

 シュウはしばらくの間、美しい硝子細工に目をやっていた。最近の忙しさから視界が段々とぼやけ、居眠りをし始めた。あまり人に見せることのない寝顔。それをこんな場所で見せてしまうのは、ユーリとの時間に心を許している証拠といえる。シュウが探索好きのユーリに夜の見学を知らせなかった理由はごく単純なこと。この美しい光景を彼女に見せたかった、ただそれだけだったのだから。
 うつらうつらと揺らぐ感覚。ふと、光が遮られたのに気づいた。耳に小さな吐息が聞こえた。
「…さん。あの、起きて。シュウさん」
「――ん? ユーリ…か?」
 ぼやけた眼。自分が彼女に無防備な笑顔を向けていることにも、その珍しい表情にユーリがつま先から溶けてしまいそうな感覚に陥っていることにも気づかなかった。シュウは知らないだろうが、彼女はこの笑顔に弱いのだ。日頃シュウがクールであるだけに。
「こ、これを受けとって下さい」
 ユーリが動悸と戦いながら、まだ意識がしっかりと覚醒していないシュウに箱を手渡した。綺麗にラッピングされている。
「開けてみて下さい。あの…喜んでもらえるといいんですけれど」
「分かった」
 シュウの長い指先が紐解く。中には木箱。更にその中には木の葉の形をしたチョコレートが入っていた。
「――これは? もしかして」
「ええ。時期は過ぎてしまったんですけど、バレンタインのチョコレートです…本当は渡したかったのに、なかなか勇気がでなくて。あの、昨日作ったばかりですから!」
「ありがとう。ユーリがこんなものを用意しているとは……しまったな。何も用意していない」
 ユーリが慌てて恐縮する。
「い、いえ。いいんです。ただ、あのプレゼントしたかったから…」
 困ったような笑顔を向けるユーリ。シュウは脆く美しい光を背にした彼女を見上げて、心の中で呟いた。
 
 ――ああ、どうしてそんなに…お前は私の心を惑わせるんだ。
    学園内だから、抑えていたのに。
    もう、止まらない。

 シュウはベンチに座ったまま左手を差し上げた。ユーリは立ち上がる手助けをしようと、その手に向かって手を伸ばした。すかさずシュウが腕を取って引き寄せた。どこから用意したのか、白い大きな花。
 それをユーリの髪にさしてやりながら、耳元に囁く。
「今宵のご予定は? お姫様」
「え……あ、あの…シュウさん?」
「夜も、昼も一緒にいてくれないか。叶うなら永遠に。もちろん、キミが嫌でなかったら……なんだが」
 抱きしめられて、ユーリは答える言葉を失う。ただ、ひたすらに頷き返すだけ。

 答えは得られた。
 ユーリの問いに対する答え。
 それは不変のモノ。永続なる約束の言葉だった。


□退屈のご褒美 ――飛鷹いずみ

 ふたりと別れ、いずみはベンチに腰掛けた。美しい園内を回る気にもならず、ただぼんやりとアーチ状になった天井を見上げていた。透明なガラス越しに雲が流れる。途方もなく高い空。

 ――こんな良い天気なのにね。ほんと、私のことどうでもいいのかしら?

 言ってみて。そうではないはずだと、自分で肯定し直す。もっと気にかけて欲しい。優先順位がなかなか上にならない現状が淋しかった。もちろん、そんなこと一言だって彼には言っていない。何時だって、凛としている自分を見ていて欲しいからだ。
 仕事についたばかりで、無理を言えないのだと頭では分かっていても、こう暇になると色々と考えてしまう。
「退屈です……。何もすることがないなんて」
 やらなきゃいけない事ははたくさんあるし、やりたいことだってちゃんとある。けど、今は彼と一緒に居たかった。叶わないと分かっていているからこそ、求めてしまう自分。
「私って、こんなに弱かったかな……」
 呟いて溜息。

 ふいに、目の前をカップルが通り過ぎた。視線だけで後ろ姿を追う。パンプスが似合うスーツ姿の女性。そう言えば、一度遊びに行った彼の職場にも、同じ司書の女性がいた。とても綺麗な人だったと記憶している。
 
 ――たまたま、今日はふたりっきりだったりして。
    まさかね……。でも、彼は母性本能くすぐるタイプだから。
    それでもって、ぜんぜん女の気持ちに気づかない鈍感男。

 つまりは迫られても気づかずに優しくしてそう……ということ。いずみは頭を両手で抱えて唸った。変な妄想ばかりが浮かぶのも、一緒に来たかった植物園の中で1人きりだからだ。
「もう、知らない! 帰ろう……ここにいても仕方ないです」
 独り言にしては大きな声で、いずみが呟いた。瞬間、ベンチ越しの背後から抱きすくめられた。柔らかな黒髪が頬に当る。ちょうどよい重さの頭が肩に乗っかっている。
「!!! うそっ! どうしてここに居るんですかっ!?」
 確かめなくても分かる。匂いとか感触とか――それ以前にこんなことをしてくる人物をひとりしか知らない。
 慌てて、振り向こうとするができなかった。彼の腕が解放してくれなかった。
 耳に囁かれる謝罪の言葉と共に、いずみの頬に軽く唇の感触。
「! ――――――あぅ、許……してあげ…ます」
 言えたのはそれだけ。
 いつもはクールないずみも、この手には対抗する術はない。天然で、恋愛にうとくて、仕事を優先するクセに、いずみを骨抜きにする方法だけは、彼の中に本能的に眠っているんだから。
 本当に、手の打ちようがない。この恋心には。

 いずみは赤面したまま、小さく気づかれないように熱い溜息をついた。


□机を渡るのは誰?――八雲・純華+セレスティ・カーニンガム

 シュウとユーリ、いずみが学園を見学するずっと以前。バレンタインに近い日。
 夜の部とも言える見学に、八雲純華とセレスティ・カーニンガムのふたりが参加していた。ふたりとも恋人がいるのだが、やはり夜ということもあって都合がつかなかった。純華の彼はバンドをしているので、ちょうどライブの時間と重なってしまったのだ。セレスティにとっては、学園に通う者しか、夜の学校に残ることを許可されないのがもうひとつの理由だった。
 この学園散策は、実際に学園にある不思議を体験できる時刻――ということもあって、説明役の上級生を含め18名の参加者があった。
「この人数は少ない方なのですか?」
 セレスティが青年のひとりに尋ねた。
「いいえ、大体見学に参加する人が少ないんですから、その中で今年は18人もいるのは多い方ですよ」
「それだけ不思議なものに興味がある者が多いということでしょうね」
「そうですね。あたしもこの学園の謎には興味深々ですもん」
 純華が心から楽しそうに言った。
「おや、気が合いますね。私はセレスティ・カーニンガムと申します。この学園には縁あって、入学することになりました」
「わわ…丁寧なご挨拶ありがとうございます。ええと、八雲純華といいます。私もこの春入学予定なんですよ。今夜はよろしくお願いしますね」
「可愛い人と一緒に回れるなんて、嬉しいですね。おや、遅れてしまいます」
「あっほんとだ! もうあんなところ……」
 ふたりは慌てて一行を追いかけた。

                       +

 ぞろぞろと列を成し、やってきたのは北棟だった。学園の一番北側に位置し、周辺を高い樹木が覆っているので少し他より闇が濃い。
「さすがに雰囲気がありますね。他の不思議は昼でも発生するのに、どうして『机渡り』だけ夜なんでしょうか?」
 純華が興味深げに首を傾げた。今、一行が向かっているのは『机渡り』と呼ばれる怪現象が発生する教室だった。ひとつではなく北棟のどの部屋でも見られるため、移動可能な幽霊のしわざなのではとも言われている。その現象はこうだ。

 【机渡り】
 夜になると教室内に「机渡り」と呼ばれる幽霊が現れることがある。
 姿は見る人によって違い、統一性がない。それは過去の自分であったり、
 恋人であったり、見知らぬ誰かだったりするようだ。これを見ると吉報が
 舞い込むとされるが、気持ち悪がる人も多い。机を渡る音がしても、
 振り向かないでやり過ごすと悪夢にうなされるので、勇気を持って振り向こう。

「やはり幽霊…が原因だからではないですか? 八雲さんはどう思ってるんです?」
「そうですね……。うーん、やっぱり夜だからこそ見えるんだと思うんです。きっと意味があるんですよ」
「ふふ。確かに陽が高いうちから、机の上を歩かれたら困りますよね。それに、七不思議として語り継ぐには、大人数が一度に見ても伝説としては価値が低くなりますから。夜だと出会う人の方が少ないはずですし」
「じゃあ、誰かが作った噂話に過ぎないんでしょうか?」
 セレスティは純華の言葉に小さく唸った。
「そうとも限りませんよ。実際私の友人は見たと言ってましたからね。だからこそ、私はここにいるんですから」
「カーニンガムさんも見たかったですね♪」
「セレスティでいいですよ。ええ、ぜひ見たいですね。いったいどんな影なのか――」
 長い銀髪が闇でも光る。雲間から出てきた月を見上げながら純華は自分が見るかもしれない影を思った。
「私はどうなのかな? ……セレスティさんは、机渡りが出たらどうするつもりなんですか?」
「ふふふ、追いかけます!」
 ものすごく知的で落ち付いた雰囲気の青年の目が、一際大きくなって輝いた。きっと楽しみにしてるのだろう。

 ――私はどんな影を見るのかな?
    恐くないといいけど……。

 楽しげなセレスティに反して、純華はちょっぴり不安の気持ちを抱えていた。やはり無理を言ってでも、恋人について来てもらえばよかった。後からお迎えにきてくれることにはなっているけれど、最初の勢いはどこへやら、実際に目の前までくると緊張してしまうのだった。

 そのままの足取りで、一行は『机渡り』の発生が多いとされる教室の前までやってきた。
 廊下には月が作る光の窓が並んでいる。
 18人すべてが同じ教室にいると、騒がしくて現われない可能性があるため、5つに別れて待つことになった。見た事のある案内役の先輩は廊下で、事の成り行きを見守る態勢だ。
 セレスティと純華は同じ教室にいた。他には誰もいない。出現と同時に影を追いかけるというセレスティの邪魔にならないように、純華は彼から離れた場所に陣取っていた。
 腕時計を見ると、日付けが変わるまではまだしばらく時間がある。月が雲に隠れた。
 その瞬間だった。

 カタン!

 小さくもはっきりした音で、机を渡る人影が発生した。
 セレスティが走るのを目の端に捕らえ、純華は自分の後ろをおそるおそる振り向いた。


□それはきっと貴方の魂 ――セレスティ・カーニンガム

 耳に音が届いた瞬間、影を追ってセレスティは走った。途端、追いついてしまう。何故なら、影の正体は小さな少女だったからだ。
「……私に見えるのが、どうして少女なんでしょうか?」
 予想もしていなかった。おそらくは自分の過去の姿――などが見えるのか、出会いたいと願う偉人などが現われるものとばかり思っていたのだ。なのに、腕を捕まえた影は女の子らしいフワフワのワンピースをきた少女の姿をしていた。
 あたしじゃ不満なのかと、言いたげな顔で少女が上目遣いにコチラを見た。だいたい、触れることのできる幽霊なんているものなのだろうか?
「座敷わらし? 触れるということは妖怪の類ですかね……」
 呟くと、ますます憮然とした表情になった少女が、セレスティが掴んでいる腕を振り払った。
「…………」
「貴方は、何か言いたいのですか?」
 スカートの裾をしっかりと握り締めて、セレスティをじっと見詰める大きな瞳。どこかで見たことがある気がした。

 ――誰の瞳でしょうか?
    顔はともかく、この目はどこかで見たような気がしますね……。

 首を傾げる。
 と、少女も同じように首を傾げた。その素振りがあまりにも可愛く、セレスティは思わず噴き出した。
 途端、少女はぷいと後ろを向いてしまった。
「す、すみません。笑ってしまって。あまりにも愛らしいものですから……」
 その言葉を聞くと、少女は顔だけ振り向いて嬉しそうにニッコリと笑った。
「どうして貴方が私の前に現れたのですか?」
「セレスティは分からないの?」
「なんだ、話せるんですね! ……もしかして、私が知っている人の姿なんでしょうか?」
「知らない。気づかないなんて、最低」
 セレスティは唸ってしまった。こんな可愛い子一度会っていれば覚えているはず。拗ねた表情の少女。

 それを見た時、セレスティの脳裏に恋人の顔が浮かんだ。
「あっ!! なるほど……確かに私は彼女をここに連れてきてあげたかったと思っていましたからね」
 軽快な足音を立てて、少女が机から飛び下りた。柔らかい衝撃とともに、少女の体がセレスティの胸の中に納まった。彼女の方もセレスティに逢いたかったのだろう。恋する想いが形になり、小さな少女の姿を取った。もしかしたら、彼女の幼い日の姿なのかもしれない。
「セレスティ…好き」
「おやおや、求愛されてしまいましたね…くす」
 セレスティに抱かれたまま、しきりに彼の胸辺りに頬ずりをしている少女。微笑ましく見詰めた後、セレスティはそっと少女を抱えあげた。
 不思議そうに彼の瞳を覗き込む少女。その鼻先にそっとキスしてやる。
「!!!」
 少女は真っ赤になって、セレスティの腕から跳び下りた。そして、現われた時と同じく唐突に机の上を走って消えた。
「くすくす…驚かせてしまいましたか」
 確信犯。
 セレスティは少女が消えた壁の辺りをいつまでも見詰めていた。少女の背中に愛しい恋人の姿が重なる。
「さて、『机渡り』も見ることができましたし、このお土産話を持って彼女に逢いに行きましょうか」
 すでに逢う約束はできている。少女の話をしたら、きっと同じように真っ赤になるに違いない。その表情を想像して、セレスティの顔に笑みがほころんでいく。もしかしたら、彼女の夢がここに現れたのかもしれないと思った。
「ふふふ、可愛い人ですね…本当に」

 セレスティの足取りは、更に軽やかになったのだった。


□遠い未来じゃないかもしれない ――八雲純華

 両手をギュっと握り締める。背後に人の気配。純華はゆっくりと振り向いた。
「……あなたは? …誰?」
 誰だか分からない女性が佇んでいた。机の上からふんわりと降りてくる様を見れば、確かに幽霊なのかもしれない。けれど、はっきりとした現実感のある姿だった。緩くウェーブのかかった栗色の髪。目はくりくりしていて、見た事がある気がする。何歳くらいだろう、ちょうど大学を卒業してしばらく経ったOL風の容貌と服装だった。紺色のタイトスカートにストライプのシャツ。襟は可愛くフリルがついているが、上品で甘過ぎない。
 純華の問いには答えず、女性はそっと人差し指を唇に当て目を細めた。その仕草がなんともいえず好感が持て、純華は幽霊かもしれない彼女を好きになった。
「バレンタインの贈りモノを彼はきっと気に入ってくれるわ。もう準備は完了してるんでしょ?」
「ええっ! ど、どうして私に恋人がいるってわかったんですか!?」
「ふふふ。そりゃあ、貴方のことだもの」
 女性が嬉しそうに言った。純華は混乱した。やはり幽霊なのかもしれない。顔を見ただけで、恋人がいることは分からないはず。指輪をしてるわけじゃないし、それにバレンタインの贈りモノを今カバンの中に持っていることは、誰にも言ってないのだから。まだ13日。お迎えにきてくれる彼に、14日になった途端渡そうと思っているのだ。
「あの…もしかして、私のことならなんでも分かる――とか。へへへ、そんなはずない…」
「分かるわよ。知りたいことがあるの?」
「えっ!? ほ、本当にわかるんですか!」
 純華はびっくりすると同時に、この『机渡り』という現象が個人に対して発生することを確信した。だから、目の前に現われる影は人によって違うのだ。こうして、私が知りたいことを知ってる幽霊に出会えるなんて、本当に貴重でこの先あるかどうか分からない奇跡。
 思い切って、今一番不安に思っていることを尋ねてみることにした。
「あ、…あの実は彼とのことなんですけど……こんな質問でもいいんですか?」
「もちろんよ♪ 貴方に恋の相談をしてもらえるなんて光栄だわ」
「ええと、私は彼のことをすごくすごく好きなんです……でも、未来は分からないから。彼のことは本当に信じてるんです。ずっと傍にいたいと願っています……けど」
 純華は胸に秘めていたことをゆっくりと言葉にした。口にすると不安が増してしまいそうで、今までずっと誰にも相談できなかったことだった。幸せであるからこそ、不安は胸を過るものなのだ。
 女性は柔らかく微笑んで、純華の頭をそっと撫ぜた。
「大丈夫。彼を好きだって気持ちを持ち続ければ、きっと本当の幸せがやってくるわ」
「本当に」
「本当に♪ 貴方が心配するほど、ふたりの気持ちは揺らいだりしないわ。だから、安心して。 ――ほら、彼の足音が聞こえるわ」
「え……? もう?」
 純華は慌てて、ドアへ視線を走らせた。引き戸が開かれ、月明かりを背負って入ってきたのは今大好きだと言ったはがりの彼だった。
「早いんだね!? びっくりしたよ」
「純華が恐がってるんじゃないかと思って、急いで終わらせてきたんだ。片付け、みんなに頼んできてしまったよ」
 突然の彼の登場。純華は嬉しくも、胸がドキドキと音を立て緊張し始めてしまった。それを隠すために、机渡りの女性を振り向いた。
「あれ? いない……」
「誰か他にいたのか? 一緒に回った人なら、もう廊下に出てたけど」
「ん…びっくりすることがあったんだよ! 詳しいことは帰りながら話そうか♪」
 彼の腕を取って、純華は教室を後にした。嬉しい言葉をもらったから、もう大丈夫。不安が和らいだのはあの女性のおかげだと、強く思った。

 ――行ってしまったわね?
 ――ああ、そうだね。
 ――ふふふ、私あんなに若かったかしら。不安がいっぱいだったのよ。
    貴方は気づいていた?
 ――いや、でも。純華のことを一生大事にするってことは、もう決めていたけどね。

 女性は未来の純華だった。彼女は未来の自分の姿を見ていたのだ。大人の純華が淡く光始める。その光が消えた時、白く広がるウェンディングドレス姿に変化していた。そっと傍らに現われた青年は黒のタキシード。
 青年が膝をついた。胸に手を当て、丁寧に頭を下げた。

 ――純華。さぁ、行こう。
 ――ええ。永遠を誓いに……。

 ふたりはゆっくりと腕を取り合い、現われた光のドアの向こうへと消えていく。
 最後に美しく着飾った純華が振り向く。優しく優しく微笑んで。

 ――頑張ってね。
    恋をしている私。



□すべての朝に
 
 こうして、見学は終了した。
 出会った不思議。どんな風に参加者の心の中に残ったのでしょう?
 この先、思い出してもらえるなら、きっと喜びます。
 何が?
 それはもちろん、学園に住むすべての不思議が。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

+1925/ユーリ・フォレスト     /女/21/植物学者
+1792/シュウ・ホウメイ     /男/23/リレン師
+1271/飛鷹・いずみ       /女/10/小学生
+1660/八雲・純華        /女/17/高校生
+1883/セレスティ・カーニンガム/男/725/財閥総帥・占い師・水霊使い

ラ┃イ┃ タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛ ━┛━┛━┛━┛

 微妙に遅れてしまい申し訳ありません。ライターの杜野天音です。 
 訪れる場所によって物語が分割してしまい、個別納品すると何の話か分からなくなりそうだったので、全員に全部納品してしまいました。すみません。うむむむ。

■ユーリ・フォレスト
 恋する大人の女性って素敵です〜♪ 説明に文字数をさいてしまいました。前半部分でユーリの心配する気持ちとかを表現したので、恋人のシュウは後半で、独白してもらいました。
 クールなシュウもユーリにはメロメロなんですね。これからも素敵な恋をしてもらいたいなぁと思います。気に入ってもらえれば幸いです♪

■シュウ・ホウメイ
 好きに書かせてもらいました!! ああ〜ユーリにぞっこんなシュウっていいなぁ(>v<)””
 個人的に眼鏡青年大好きなので嬉し過ぎる〜。頑張って、ユーリをどきどきさせてほしいものです♪

■飛鷹いずみ
 お相手が参加できず残念です……。が、ちょこっと登場してもらいました。やっぱり一緒にいたいですもんね。シュウとユーリに当てられた分、かなりラストを甘くさせて頂きました(*^-^*)
 ラブラブだなぁ……。いずみちゃんのクールさをドキドキに簡単に変えてしまう彼はすごいです。これからも甘い生活を送ってもらいたいです。喜んでもらえれば嬉しいです♪

■八雲純華
 全体のラストになってしまいました。ウェンディング姿の幸せそうな純華ちゃんを書けてうれしかったです♪
 14日になった途端に、きっとチョコレートを渡したんでしょうね。このまま彼とずっと幸せに暮らしていくんだろうなぁ…と、容易に想像できるふたり。何か困難があっても、お互いを大事にしているから大丈夫♪ 結婚式には呼んで下さい(笑)

■セレスティ・カーニンガム
 恋人さんと参加したかっただろうなぁと思いまして、姿を変えて登場させてあげることにしました。どんなものが見えるか想像していたのと、違っていましたか? 良い意味で外れたなら嬉しいです(笑)
 悪戯っぽく鼻先にキスするのが、セレスティらしい気がして。イメージとあっていましたか? 気に入ってもらえたら嬉しいです♪
バレンタイン・恋人達の物語2005 -
杜野天音 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月14日

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