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『月に桜を 』
叶・月人4800


 ふつり、ふつり、ふつり。
 月の下、彼岸桜がほころんでいく。
その花の下には、鬼ではなく、女が一人、立っている。


 その日も叶月人は教会付属の保育園で子供達の相手をしていた。
三月も半ばを過ぎて、大分寒さも和らいできた時期だ。
園の子供達も厚い上着を脱いで(靴と靴下も脱ぎ、裸足になっている子供もいる)、気持ち良さそうに走りまわっている。
 月人はひとしきり子供達の相手をした後に、ふと一息いれて園庭を見渡した。
――どうも、ヒトではない存在の匂いを感じるのだ。

 それはゆらゆらと漂う残り香のようなもので、少なくとも、子供達に悪意を持ったものではない。
園内に”なにか”が潜んでいるというわけでもない。それに関しては、月人自身、定期的に見まわって確認しているから、間違いはない。
さらに言えば、それは園児の内、ごく限られた子供達から発せられてもいるように思える。
……いや、厳密に言えば、その子供達にかすかに染みついている、といったところだろうか。

 月人はふと口許を引き締めて、金色の双眸をついと細めて足を進めた。
見据えているのは、砂場で遊ぶ三人の子供達だ。

「何を作っているんですか?」
 砂場にしゃがんで話しかけると、子供達は上気した顔で月人を見やり、答えた。
「おっきなお山を作ってるんだよ」
「トンネルも作るんだ」
 子供達は口々に言葉を返す。
月人は柔らかな笑みを浮かべて頷き、おもちゃのシャベルを持って砂を掘り始めた。
「……いいお天気ですねぇ」
「つきひと、知ってるか? はるうららっていうんだぜ」
「おや、難しい言葉を知ってるんですねぇ」
「はるいちばんがふいたんだよ」
「ちょっと風が強い日でしたもんね」
 子供達の言葉に笑みを向けながら、月人はふと笑って前髪をかきあげる。
――――残り香は、やはりこの子供達から漂っている。
「ところで皆さん、お花見とかは行くんですか? お母さんやお父さん達と」
 訊ねると、三人は互いに顔を見合わせた後に、晴れやかな笑顔で大きく頷いた。
「おとといの日曜日に、お花を見にいったんだ」
「きれいだったよねー」
 女の子がうっとりと首を傾げる。
「せんせい、桜好き?」
 月人はその問いに、少し躊躇してから口を開けた。
「……嫌いではないですよ」
 ふわりと笑んでみせる月人の腕を、違う子供が引っ張った。 
「おれ、ママから聞いたぜ。あれ、ひがんざくらっていうんだ」
「彼岸桜、ですか?」
 鼻のてっぺんに小さな怪我をしている男の子の顔を見やる月人の表情が、ふと一瞬強張った。
子供達は交互に頷く。
「おれたちの家、近所で仲いいから、よく遊びに行くんだ。おとといも弁当もって桜見にいってきたんだ」
「一昨日は暖かい日でしたしね」
「ぽかぽかしてた。ママがこんなにおっきいオニギリ作ったの」
 小さな手で大きな丸を作って見せる女の子の言葉に微笑する。
「桜は綺麗でしたか?」
 訊ねると、子供達は一瞬だけ顔をほころばせた後に、うーんと小さく唸って首を捻った。
「遊んで弁当食べたのは覚えてんだけど、おれたち、寝ちゃったんだ」
「ママやパパもみぃんな眠くなったって言って、お昼寝しちゃったの」
「……皆、ですか?」
 月人の目が、一瞬笑みを消した。
「うん。なんかすごく疲れた、って、パパもママも言ってて、夜ごはんはピザをとったんだよ」
「……そうですか」
 穏やかな笑みを浮かべ、月人はそれきり桜について訊ねるのをやめた。


 夜。
 教会の鍵をしっかりと閉めた後、月人は薄手のコートを羽織り、指の腹で眼鏡を押し上げた。
 春めいてきたとはいえ、夜はそれなりに肌寒い。
コートの裾をはためかせ、月人は靴のかかとを鳴らした。
「彼岸桜に、何かがいるのかもしれませんしね……」
 呟き、天に架かる満月を仰ぐ。

 満月に照り出された桜は、どれほどに美しく咲き誇っていることだろうか。

 想像して、かすかに身を震わせる。
睫毛を伏せて、桜の花びらを思う。
「……嫌いでは、ないんですけれどもね」
 ふと困ったような笑みを浮かべたのは、脳裏をかすめた記憶のゆえだが――――月人は大きくかぶりを振り、前を見据えて足を進めた。



 トウキョウの都心からさほど離れていない区のとある場所に、その樹は堂々と根を張っていた。
 齢400年は数えているであろうその幹は、しっかりと、力強く、大地から天へと伸びている。
例えば場所が場所であれば、間違いなく神木とされていただろう。それほどに、その樹は見る者を圧倒していたのだ。
 見事な枝振りに、満開の桜が揺れている。
吉野桜に比べて赤みが強いというのが彼岸桜の特長ではあるが、心なしかこの桜は、赤みが一層強いものにも思える。
 吹きぬけた一陣の風に、桜がざわりと揺らいで、花びらが舞い散る。
月人は風に踊るように舞う花びらに目を細め、その向こうに視線を送った。
「――――こんばんは。……良い夜ですね」
 笑みをのせて口を開く。
視線の先には、一人の女の姿があった。
「……これは、愉快な客人のようじゃのぅ」
 女はころころと鈴のような笑みを響かせて、月人の顔を真っ直ぐに捉えた。

 女がヒトではない事は明白だ。
 艶然と笑う女のいでたちは、花魁のそれを思わせる。
美しく結い上げた黒髪は艶やかで、ゆったりと羽織る着物の襟からは白い肌が覗いている。
唇には紅がさされ、黒い瞳は理知的で洞察深そうな光を宿している。
 女はひとしきりくつくつと笑っていたが、やがてすぅと袖で口許を隠し、瞳だけで笑みを見せた。
「そなたは月の下の獣じゃのぅ。美しい獣じゃ」
 女はそう呟いて、ついと片手を持ち上げる。
「あなたは、桜の化生でしょうか」
 返す月人を、女はゆっくりと手招いた。
「化生であろうが精であろうが、そのようなことはさほど要なものではない。……そなたもそう思うておろう? 月の」
 艶然と笑う女の言葉に、月人は首を傾げて微笑する。
確かに、そのような類別など、さほどに意味をなすものではない。
「先日、私の教え子達がこちらにお邪魔したというので、ご挨拶にあがったのですよ」
「教え子、とな」
 ゆっくりと歩む月人を見つめ、女ははたと思案した。
「二日か三日ばかり前、童を連れた者達が花見と称して参ったが……はて、あの一行の事であろうか」
「おそらくはその集団であろうと思います」
 女のすぐ前で足を止め、女を見下ろした。
長躯の月人の首下あたりにある女の顔を確かめて、月人は穏やかに微笑む。
女は上目に月人の顔を見据え、化粧を施した目許をついと細めてくすりと笑う。
「……あまりにも生気に満ちていたゆえ、皆から僅かづつ分けてもろうたのじゃ。殺めるほどには取らぬ。……少ぅしばかり、疲弊したかもしれぬがの」
 着物の袖で口許を隠しつつ答える女の言葉に、月人はなるほどと頷いた。
「そのような事を、子供達も証言していましたよ。……生気を受け取り、あなたは何をしているのですか?」
 静かに微笑する。
だがその金色の目には、微かに懸念の色が浮かんでもいる。
その懸念を見て取ったのか、女は袖をおろして月人を見つめ、
「妾が在り続けるためじゃ。美しく在り続けるためじゃ。妾はとこしえの若さと美しさを得るため、器を捨ててこの樹に宿ったのじゃからのぅ」
黒く、吸いこまれそうな深淵。
その目を見つめ返して、月人は再び笑みを浮かべた。
「これまで、人を殺めたりはしていませんか?」
「妾は殺めておらぬ。人間が人間を殺め、その屍を妾の根元に埋めていった事ならば、数度記憶しておるが」
「ではあなたは、花見に足を運んできた人間から、生気を少しづつ分けてもらっているだけなんですね」
「花見料じゃ。高くはなかろう」
「……なるほど」
 眼鏡を指で押し上げつつ、月人は睫毛を伏せて笑った。
月人の心が打ち解けたのを見て取ったのか、女もころころと笑う。
「月の。そなたも花見に参ったのであれば、妾に気を分けていくがよい」
「花見料ですからね。構いませんよ」
 女がころころと笑った。

「しかし、月の。そなた、花見に参ったというに、酒の一つも持参しておらぬとは」
 不届き者めと目を細める女に、月人は肩をすくめて返す。
「次は手土産をお持ちしますよ」
「南蛮の酒は好かぬぞえ」
「……お薦めの酒をお持ちします」
 月人が笑うと、女もまた鈴のようにころころと笑った。


 それは満月が桜をほんのりと照りつける、弥生の夜の事だった。
月の下、彼岸桜がほころんでいく。
その花の下には、鬼ではなく、女が一人、立っている。


 

―― 了 ―― 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月10日

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