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『□■□■ It's a Beautiful Day ■□■□ 』
セレスティ・カーニンガム1883)&綾和泉・汐耶(1449)


 腕を伸ばせば触れる書籍、右には既読、左に未読。なめらかな机の天板に指を滑らせ、触れたのは和紙独特の粗い感触だった。紐で閉じられたそれを引き寄せ、手を重ねる。感じ取れるのは、妖怪の絵だった。筆、墨で描かれたそれは、西洋の絵画とはどこか一線を隔したものであるように思える。同じ絵というカテゴリに置くのも躊躇われるような、個性。

『ほうほうお前さん、随分と変わった方法で読書をしなさるな』
「おや――そうでもありませんよ。私にとっては、これが普通ですから」
『見たところ本の上に手を重ねて、と繰り返すばかりだったんでな。どんなものかと思ったんだが、何やらこちらの情報はちゃんと読み取られているらしい。妙な心地だが、慣れんでちぃとばかし面白うてな――』

 くつくつと響くのは老人の声である。本の裏には永承六年という文字が記されてあった。十一世紀半ば頃に記された書物ならば、彼――セレスティ・カーニンガムよりは年上である。もっとも年齢で人や妖物を判断することはないのだが。
 声は聞こえるが、室内に響いている気配は無い。それなりの声量を持って耳元に響いている感覚はあるのだが、辺りに反響しないのはそれが現実に『音』として発せられているものではない所為だろう。普通の人間ならばあまり気付かないところだが、欠損している視覚情報を補うために聴覚が発達している彼には、その奇妙な感覚が少々面白い。本から手を退かせ、読書を一端止める。しわがれた老人の声が、喉を鳴らした笑った。

■□■□■

「あら、セレスティさん?」

 始業から一時間も経たない時間、時計の時針がまだ十時にも到達しない朝。カウンターに向かいながら本に視線を落としていた綾和泉汐耶は、視界の端を掠めた見覚えのある銀髪に顔をあげ、少しだけ瞠目してみせた。

 都立図書館でも彼女が勤めている一角に関しては、その存在を知っている人間自体さほど多くは無い。要申請閲覧図書と言われても、大概の人間にそれがどういった書物を指しているものか連想が出来ないのも、その所為だろう。知る人ぞ知る、だが、知らない人は全く知らない、そのスペース。
 呪遺物の類や憑喪神、記されている内容があまりにも危険である書物が、その一角には集められていた。要申請という名の通り、身分証の類とちょっとした審査が無ければ入ることも許されない。確かこの時間の来客は無かったはず、しかも知人だったなら覚えているはずなのに――管理用のPC画面を覗き込んだ汐耶は、丁度今更新された情報に溜息を漏らした。セレスティの名前と、時間は、今。

「突然になってしまいましたが、構いませんか? 一応話は通してあるのですが」
「書類が通っているのならば私は構いませんけれど、本当に突然ですね……どうかなさったのですか? 何か事件でもあったのなら、資料探しのお手伝いはしますが。今日は元々、書籍整理だけの予定でしたし」
「ああ、いえ、深刻な理由はないのですが――」

 閲覧用のテーブルの方へと脚を進めながら、汐耶はセレスティを振り向いた。自由人らしく多少気ままなきらいはあるものの、基本的には性急な行動を取らない。ゆったりと流れる大陸の河川のようなイメージの彼にしては、少し意外な行動だった。セレスティは苦笑を浮かべ、汐耶が引いた椅子に腰掛ける。

「前々から興味は持っていたのですが。先日の事件の際、高峰研究所でレポートを読んだのが切っ掛けかもしれませんね……少々読書欲が旺盛になったので、お邪魔させてもらおうかと」
「ああ、なるほど、ですね。あそこのレポートを読んでしまうと、暫く本の虫になりたい気分にさせられますから――ごゆっくりなさって下さいな、私は書架の整理で一日中ここに居ますから」
「それでは、お言葉に甘えましょう」

■□■□■

 古びた本が持つ独特の香りは心が妙に落ち着く。自分の生きて来た年月よりも遡った時間、時代に記されたのだろうそれらとの対話は、何と無い懐かしさを感じさせた。生きていた時代も、国も、何も重ならないだろう――時を経た書物達。

『しかしお前さん、一日中こんな所に篭っていて良いものかね。ここは本が傷まない為と機密保持とやらの所為で窓も無い。あまり良い環境ではなかろ?』
「そうでもありませんよ。読書は好きですし、こうした会話を嗜むことも同様です。最近は少し立て込んでいたので、こういう時間や環境は落ち着きますよ」
『良い若いもんが不健康なこと言うのー』
『そうじゃそうじゃ、もっと外に出てすぽーつだのなんだのと汗を流さんか!』
『ああ、この前汐耶が読んでた本にあったな。何でも妹と遊びたいとか』
『サイクリングなんかも健康的ね。この時期なら色々と選択肢もあるし、良いわよねーああ言うの。日光燦々よー、陰干しも良いけれどお天道様が恋しいわ』

 どうやら黙って読まれていたのは打ち解けていなかったからと言うだけの理由だったらしい。中々に世話焼きで陽気な言葉に苦笑しつつ、セレスティは小さく肩を竦めた。会話も確かに有意義だが、今日は少し書物に没頭したい所だし。あーだこーだと世間話を始めている本達には悪いのだが、今日はもう少しばかり――

「ああ、皆さん、セレスティさんが困ってしまっていますよ。もう少し静かに読まれていて下さいな……読まれてこその本、ですからね」

 不意に汐耶の声が響く。声が少し遠い様子から、どうやら本棚をいくつか挟んでいるものらしい。書架の整理をしているのか、時々耳に届くのは本の出し入れをする微かな音と、苦笑の気配だった。
 憑喪神と言うのは元々それほど波動の強い妖物ではない。本体が近くに無ければ声を聞くことも困難だろうが――汐耶は鼻歌混じりに、時々独り言のような言葉や笑いを漏らしながら、作業を続けている。書物と相性が良いのか、好かれているのか。

『良いじゃない、たまにはこうして好きに喋りたいものよ』
『そーだそーだ。美人の相手は楽しいんだ』
「じゃ、その美人さんを困らせないで下さいな。皆さんを勧めた私の面子があるんですからね?」
『むぅむぅ、しかたないのー。ほれ、読むが良いぞ、お前さん。骨の髄まで読むが良い!』
『どないせーちゅーねんやじーさん。ええから読みやー、別嬪さん』
「ふふ……では、お言葉に甘えまして」

 セレスティは本の上に手を重ねる。
 くすくすと小さな笑い声が幾つも響く。
 それを感じながら、彼は読書を続けた。

■□■□■

「結局、閉館時間まで粘ってしまいまして……」
「朝一番に近かったのに、すごい集中力でしたね。途中からみんなも気圧されて、黙ってしまっていましたから」
「すみません、でも、とても有意義な時間を過ごせましたよ」

 リンスター財閥の所有する系列ホテルのレストラン。それほど堅苦しくもなく、陽気な音楽の流れるテーブルで、二人はグラスを鳴らしていた。
 魚介類に合わせた白ワインの香りを楽しみながら、汐耶はナイフとフォークを取る。あまりアルコールのニオイを付けて帰るのも、待っているだろう妹に少し気が引けた。連絡はしておいたが、多分帰るまでは自室戻らず待っているだろう。少しだけ悪いが、明るい声で了承してくれた様子を思い出すと、この時間を楽しむのが礼儀なのかもしれない。

 読書に没頭していたセレスティに閉館時間を告げたのは一時間前だった。周りの状態に気付かないほど何かに集中することは汐耶にも多々あったが、今日の彼もその状態だったらしい。半日近くの時間を書物に向かっていることは確かに出来るが、集中力を途切れさせずにいるのは至難の業である。それほどまでに興味を満たせたのならば、本達も満足ではあるだろうが。

「このところは、あまりゆっくりしていられる時間もありませんでしたからね」
「事件はいつもの事ですが、少し大きめで物騒でしたからね……ともかく解決出来たのが救いと言うところです。心配の種が減ったことのは確かですし、ね」
「妹さんがいらっしゃると、若い女性が狙われる事件と言うのは心労も倍でしょうからね。彼女は元気にしていますか?」
「ええ、色々と頑張っているみたいで。兄と一緒に出掛けたりするのも楽しいようですし、ささやかながら平和に暮らせています」

 事件に興信所の調査員として関わることは多々あったし、命の危険を感じたことも何度かある。些細な事件のことは何かの折に話題として提示出来るが、流石に自分が狙われたり、人死にの過ぎたものに関しては軽々しく口には出来なかった。心配を掛けてしまうのは、心苦しい。家族だからこそ、秘密のままにしておきたい事もある。事件を通して知り合う人間もいる、全てがマイナスに働くわけではないながらも――。
 だからこそ、こうして同じ事件に関わったもの同士のちょっとした時間は、どこか明け透けな気安さがある。食事中の話題としてはあまり相応しくないのかもしれないが、今更そんなことを気にするほどの気遣いもそれほど必要ない。ボーイがワインを注ぎに来た時や、皿を下げて行く時は、流石に気を付けるが。

 デザートのケーキが運ばれてくる気配に、ああ、とセレスティが小さく声を漏らす。

「今夜は少しお姉さんを奪ってしまったことですし、お詫びの意味をこめて、ケーキなどお土産に如何ですか? 甘いものが苦手でなければ良いのですが」
「喜ぶとは思いますけれど、お気遣い頂かなくても結構ですよ。こうしている時間は私も楽しいのですし、あの子もちゃんと知っていますから」
「フェミニズムは嗜みですから」

 おどけた彼の言葉に、汐耶は口元を隠す。小さく肩を揺らせて笑えば、それは伝染した。
 微笑を合わせた一瞬後で、セレスティが軽く手を上げる。ボーイが静かに、だが素早くテーブルに寄った。時計を見れば、まだそれほど夜も深くはない。妹と一緒にケーキを食べながら、ちょっとしたお茶の時間ぐらいは取れるだろう。膝の上のナプキンを畳み、テーブルの上に戻す。セレスティが立ち上がり、手を差し出した。
 道化の続きらしい笑みに、彼女もまたそれをとる。空耳か、くすくすと笑い声が聞こえた気がした。本達がどこかで覗いてでもいるのだろうか、車の中に置いてきたはずだったのだが。

「またお邪魔させてもらいますよ。彼らとの会話ももう少し、楽しんでみたいので」
「顔パス制度は無いので、必ず身分証をお持ち下さい?」
「了解致しました」

 くすくす笑い合って。
 平和な一日、友との語らいに閉幕を――。



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2005年03月09日

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