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『杯を共に 』
高峯・燎4584



 魔都トウキョウには、人ならぬ者は無論の事、人としての器を亡くし、ただその想念のみに捕らわれている憐れな魂も潜んでいる。

職を失い自ら首をくくった男。
遊びに夢中になり、知らず車道に飛び出してしまった子供。
恋に破れて絶望に囚われ、線路に身を躍らせた女。
あるいは通り魔という不運に襲われた老女。
そういった魂達は、天に昇る術を見出せず、今も街をさまよっているのだ。
ぬらり、ぬらりと。一瞬ごとに汚泥に囚われていく己の心に気付くこともなく。


 
「……なあ、燎」
「あァ?」
「……やっぱり俺、帰るわ」

――ああ、またか。
 高峯燎は途端に不機嫌な表情をあらわにして、青い髪をわしわしと掻きまわした。
「ンだっつうんだよ。俺と呑むのがつまんねェっつうのか?」
「いや、そんなんじゃねえよ。……呑むんならいつもの店にしようぜ。この部屋じゃなくてよ」
 燎の友人はそう言って弱々しく笑い、グラスに残っていたウォッカを一気に飲み干すと、逃げるように部屋を後にしていった。

 しんと静まりかえった部屋の中、燎は小さな息を吐きだし、床に置かれた数個のグラスに目をやった。
燎が作った料理はそれほど手をつけられず、テーブルに並んでいる。
買いこんできた酒はそのほとんどが封も開けられないままに、床の上で無造作に転がっている。
そう、燎の部屋には初め数人の男達が集っていた。
どれも気の知れた友人であり、互いに遠慮を知らない付き合いをしているような、そんな男達だ。

「……せっかくいい酒、用意してたっつうのに」
 一人ぼやき、テーブルに置かれたままの日本酒の瓶を手に握る。
羅生門 秘蔵大古酒「悠寿」と書かれたラベルを愛しげに眺め、大きなため息を洩らす。
「もったいねえ」
 呟き、封を開ける。漂ってくる香りに頬を緩め、琥珀色の酒をグラスに注ぎ入れと、それを楽しむように目を細め、口に含む。
「もったいねえよなあ、こんなにいい酒なのによ」
 一杯目をぐいとあけて、手の甲で口を拭う。
それから目をベランダへと向けて、その挑戦的な銀色の眼をついと歪ませた。
「……なぁ、おまえもそう思うだろ?」

 ベランダには、ゆらゆらと形の定まらない黒い影のようなものが揺れていた。

 それは背丈からすればどうも子供のようだが、既に悪意の塊に変容していて、泥にも似た黒い影となっている。
顔にあたるだろう場所にぽっかりとあいた二つの空洞が、言葉もなく、ただ燎を見ていた。
 燎はその影を見据え、恐れなど微塵もない挙動で、影に向けて手招いた。
「おう、そんなところでボヤっとしてねぇで、ちょっとこっち来て座れや」
 手招くと、黒い影はつついと滑るように動き、ベランダから部屋の中へと立ち入って、床にあぐらで座っている燎の真ん前に立って動きを止める。
そうして燎の顔を確かめるように顔を近付けて、二つの空洞をぬうと歪めて糸のような形に変えた。
どこからか響くように、小さな笑い声さえも聞こえ出す。
 しかし燎はそれでも笑みを無くすことなく、酒をグラスに注ぎ入れた。
「おまえ、あれか。ガキみたいだから、酒は呑めねぇかな」
 告げて、琥珀色の液体がなみなみと注がれたグラスを影に差し出す。
影はそのグラスに空洞を向け、首を傾げるような仕草をみせた。
いつのまにか、響いていた小さな笑い声は消えている。
「こりゃあなぁ、なんとかっつうすげェ賞を取った、幻の酒でな。やっと手にいれたのはいいが、一緒に呑んでた連中、皆逃げちまってな」
 小さな舌打ちを一つ。
グラスを一息にあけると、燎は床から立ちあがり、冷蔵庫へと歩み寄って、中身を物色し始めた。
「おまえみてぇな連中がな、よく遊びに来んのよ。霊感の無い奴でも酒がはいれば見えるようになるっつうけどな。楽しくなってきた頃になると、みぃんな帰っちまうんだ」
 吐き出しながら、前に買ったままのオレンジジュースのパックを掴み取る。
「……あれ、これ、期限過ぎてら。……まぁ三日過ぎたくらいじゃ、腐りもしねぇだろ」
 笑ってそれを小さめのグラスに注ぎ、匂いを確かめる。
「酒は呑めなくても、これなら飲めるだろ? まぁおまえらみたいなのが飲み食いすんのかとか、知らねぇけどもな」
 グラスを影の前に置き、自分は再び日本酒をグラスに注ぎ入れる。
どっかりと床に腰をおろすと、影はゆらゆらと揺れて、ジュースのはいったグラスに顔を寄せた。
「――――で、おまえはなんつう名前だ? 男だろ、おまえ。年はいくつだよ」
 テーブルから料理の皿を一つ適当に掴み、床に置く。
生地から作ったピザの上には、シンプルにチーズだけがのっている。
 影はゆらゆらと揺らぎ、再び燎に顔を近付けると、聞き取りにくい小さな声で、何事かを呟いた。
「……9つか」
 返し、燎は前髪をかきあげた。

 影は数年前までは普通の小学生だったらしい。
だがある日、一人で留守番をしていた時に、彼の家は放火された。
春の、心地良い天気の日だったという。
眠っていた彼は、そのまま知らない間に、器を亡くしていたのだという。

「ははぁん、そりゃ災難だったなぁ」
 影の訴えにそう返し、燎はグラスを口にする。
「……で、母ちゃんのところに帰りたいっつって、さまよってるってわけか」
 影が頷くように揺らいだ。
小さなすすり泣きのような声が、部屋中に響く。
「……でも、母ちゃんじゃねぇ女をいくら引きずりこんだところで、気は済まねぇんだろう?」
 影が小さく揺れた。
「……しょうがねぇガキだなァ」
 燎はくつりと笑い、グラスを揺らす。
「なんでかなぁ。ここにはおまえみたいな連中が、入れ替わりやってきやがるんだがな。……まぁ、あれだ。とりあえず飯食って腹いっぱいにして、」
 ピザをひときれ皿にのせ、影の前に差し伸べる。
「そんで先にあっち逝って、あちこち面白ぇとこでも見つけてさ、いつか母ちゃんがおまえんとこに来た時に、案内してやりゃぁいいじゃねえか」
 笑い、グラスをあける。
影は燎の言葉を聞いているのか、二つの空洞でじっとピザを見つめていた。

ママが来てくれるのを、待ってろっていうこと?

 不意に、影が大きく揺らいだ。
 燎は返事をする様子もなく、ただ笑みをのせている。
 影は見る間に形を変えていき、色を取り戻し、一人の子供へと変容した。
(……ありがとう、おにいちゃん)
 子供はそう言ってふわりと笑い、首を傾げて燎を見やる。
燎は片手をひらひらと泳がせながら、日本酒をグラスに注ぎ入れる。
「おまえが大人だったらなぁ。いい酒なのに、ほんともったいねぇよ」
 まあ、俺一人で全部呑むっつうのも、それはそれでいいんだけどな。
ニヤリと笑んでみせる燎に、子供は楽しげな笑いを浮かべた。
「まぁ、ジュースでも飲んでいけよ。せっかくだしな」

 グラスを傾け、乾杯の恰好をとる。
ベランダの向こうでは、新聞屋のバイクがエンジンの音を響かせている。
――――朝が来るのだ。

「ああ、そうだ。どうせだから飯も食ってけよ。……体がねぇから食えねぇとか言うなよ。そんなのは気合いとか心意気でどうにかするモンだ」
 立ちあがってキッチンへと向かい、得意料理であるカレーを火にかける。
スパイスの効いたカレーの香ばしい匂いが部屋の中に満ちていく。
子供は少しの間弱ったような顔をしていたが、やがてジュースのはいったグラスに手を伸ばした。

 朝が来る。
 見れば、空は白々とあけはじめていた。
「……いっぱい食ったらとっとと逝きな。うろうろして、また妙なもんに捕まっても、しまんねぇだろう?」
 目を細めてみせる燎に、子供は小さく頷いた。
(ありがとう、おにいちゃん)
 
 ベランダを開けると、新しい空気が部屋の中を流れていく。
ひやりとした風をいっぱいに吸いこんでから、燎は横にいたはずの子供に目を向けた。
が、既に子供の姿はどこにも見当たらない。
テーブルには、ジュースのはいったグラスと、ピザののった皿。
それにカレーの皿が綺麗に並んだままになっていた。

 燎はおろしていた視線を空に向けなおし、月光にも似た銀色の目をゆったりと細くさせた。
手にしていたままのグラスを空に掲げ、笑みをこぼす。
「――――今度は迷わずに逝けよ、ボウズ」


―― 了 ―― 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月08日

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