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『心、交差 』
柳月・流4780)&柳月・瑠羽(4728)

「願わくば――少しでも……少しでも幸せである、ように……」


「ありがとうございましたー」
 目に痛いほどの光を放つコンビニの店内に別れを告げ、柳月・流は中華饅を片手に都会の夜の世界へと舞い戻る。
 仕事の後にはエネルギーの充填が必要だ、寒いシーズンは特に。
 春の気配を濃厚に漂わせつつも、繰り返し訪れる寒波。日没の後の肌を刺す冷たさに悴んだ指先を、温かな湯気が立ち昇る中華饅で慰めながら、出入り口付近に屯する集団の小脇をするりと抜ける。
「濃厚ってもなぁ……」
 ふっと自分の思考に、声を出して疑問を投じる。
 芽吹く春――弛み出す大気、地中に眠る息吹に柔らかさを増す地面、綻び出す白や薄紅を予感させる緑達。
 流が生まれた頃は当然だったそれら。しかし彼が生きる今の場所では、そのどれほどを身近に感じる事が出来るだろう? 周囲にある全てのものと、春の到来に喜びを分かち合う事こそ、冬の終焉だったような気がするのに。
「時代は100年やそこらで激変するもん、だよな」
 口をついて零れたのは、またしても独り言。いや、誰かに向けて発していたとしても、きっと大差はなかっただろう。
 今の世は、往々にして『他人』には酷く無関心だ。
 だから『誰かの迷惑』なんてことを全く考えず、人の通行の妨げになるような場所に平然と腰を下ろしていたりする。
 先ほど自分が接触すれすれで躱してきた一団の姿を思い出しながら、流は中華饅の最後の一欠けらを口の中へと放り込む。思えばこういう行動も、一昔前までなら『行儀悪い』と道往く他人に叱咤されて然るべきものだったかもしれない。
「まぁ、食べ物が美味くなったっつーのは歓迎されることだよな」
 何だかんだで時代に乗って生きているらしい自分に納得しながら、些細な幸せの塊を喉を鳴らして飲み込んだ。
 それぞれの目的へと向けて、昼間はオフィスビルの中に閉じ篭っていた人間達が、忙しない流れを築く夜の街。
 ともすれば肩が触れ合いそうな絶妙な距離を保ちつつ、人々は器用にその中を泳ぎ続ける――異質なものには目もくれず。
 いや、今の時代、それはもう異質ですらないのかもしれない。
 生粋の日本人ではありえない、陶磁器のようにまろやかな白い肌。ネオンの光を浴びて七色に煌くのは銀糸の髪、そして瞳は自然発生では在り得ぬはずの鮮やかな赤。
 下手をすれば空想上の存在に例えられ、恐怖の対象にまでなりかねない『異質』だった流の容貌。けれど、それさえ今は過去の概念。
 エネルギーの補充で軽くなったフットワークを活かし、重い足取りで一定の速度を作り上げている人々の間をすり抜けながら、流はちらりちらりと周囲に視線を馳せる。
 茶や金の髪なんて当たり前。
 青や緑、そんな瞳の色なんて珍しくなんかあるはずもなく。
 当然、それら全ては造り物だが、イミテーションが精巧になればなるほど、本物さえその中に紛れ込んでいく。人の目が追いつく前に。
「生き易い世の中にはなったよな」
 人の河から脱出し、近場のガードレールに体重を預ける。隣では進むに進めない車の列が、澱んだガスを大気中に放出している。
 両手を突っ込み、ふらりと星の少ない夜空を見上げた。
 広がるのは、随分と近い天。地上の光を受けて、例えようのない色に染まっている――決して、美しいとは言い難いほどに。
 けれど、今ならそれに手が届きそうな気がして。
 ガードレールの中段を左足で軽く蹴りつけ弾みをつける。そのまま流は人ごみを一気につき抜けた。


「うへー、真っ赤だー」
 眼下に広がるのは、先ほどまで自分が紛れ込んでいた場所。
 小さくなってしまい、個別認識は不可能になってしまった人間達。その代わり拓けた視界に、車のテールランプが作り出した流の瞳と同じ色の河が姿を現す。
 思い付きで飛び込んだ雑居ビル。セキュリティを潜り抜けて屋上にたどり着くのは、流にとっては朝飯前――既に夜だが――の事だった。
 流の背丈よりやや高いフェンスによじ登り、吹き上がってくるビル風に銀の髪を踊らせる。
 金網で出来た細胞組織のような模様の中に爪先を固定し、背を反り返らせて宙を仰ぐ。しかし高々と掲げられた手が、相変わらず奇妙な色に染まる夜空に届く事はない。
「結局、遠いものは遠いってかー」
 風に煽られ曝け出された耳が、寒さに千切れんばかりの痛みを訴える。けれど流はそれに構う素振りさえ見せず、ひらりとフェンスの上に立ち上がった。
 一歩間違えば、人が蠢く奈落の底。
 誰かが気付けば、大気を引き裂かんばかりの悲鳴を口にするだろう行為。だが、流の足元には一片の迷いもない。
 本性が獣にあるからこその絶技、人の身であっては決して持ちえぬ身体能力。
「……なんだかなー」
 呟いた言葉に意味はない。
 ただ漠然とそう思ったのだ。
 様々な事が様々に。なぜ、自分が今、ここにいるかも含めて。
 と、不意に。
「――!」
 気配が変わる。
 視界の端に映ったのは、一瞬の薄い紫。そしてゆらりと揺れて何処かへ還る緑の炎。
「っち」
 短い舌打ちは、自分の居場所のせい。飛び降りられない高さではないかもしれないが、落下地点が上手くなさすぎる。己の身体が衝撃に耐えたとしても、下敷きにした脆い人間の器は簡単に壊れてしまうだろう。
 迷っている暇はない。
 音もなく、踵を返す。
 高みから飛び降りる一歩で、屋上と室内を隔てる扉までを跳ぶ。そのまま、目星をつけていた非常階段へと走った。
 舞う一陣の風――否、疾風。
 エレベーターなどという文明の力に頼るより、自分の足で駆け下りた方が断然早い。それは確固たる事実。
「……瑠羽……やっぱり、いるんだな――此処に」
 その名を口に出した瞬間、想いが込み上げてきた。痞えそうになる呼吸に、わずかに咽る。
 けれど足を止めるわけにはいかない。
 薄暗い螺旋階段から、光と人の溢れる雑踏に身を躍らせた。
 邪魔なもの全てを掻い潜りながら走る、人間の目には捉えきれない速度で。まさに放たれた矢のごとく。
「瑠羽っ!」
 名を、呼ぶ。
 辿りついたのは、人気の途絶えた小さな公園。
 都心の緑化運動のために作られたのだろうそれは、眠らぬ街の中にぽかりと虚ろな闇を作り出す。
 昼間であれば、足を止める人々で賑わいもしようが、陽が落ちた後は不気味な沈黙が辺りを支配するのみ。しじまに微かに蠢くのは、大河の流れから邪に染まり堕ちし飛沫。
「……瑠羽」
 再び、声にする。
 繰り返しながら、流は知っていた。
 その名の主が既にこの場にいない事を。
 仄かに香る、只人にあらざる者の放つ――いや、ただ純粋に懐かしい匂い。見上げた空には、既に炎の残影すら浮かんでいなかった。
「――っはー」
 息が上がったわけではないが、どっと襲ってきた疲れに、盛大に溜息をつきながらその場に座り込む。
 立てた膝に、自分の額を擦り付け、煉瓦の敷き詰められた冷たい大地にそっと指を這わす。まるでそこに誰かの温もりを探すように。
『お前はまだ、生きなさい。死に急ぐことだけは、駄目』
 瞳を閉ざせば未だ鮮やかに蘇る彼女――瑠羽の声。
 急速に熱を失い始めた手を、暫くしてからそっと引き戻す。凍て付きかけた心を溶かすように、指先に温かな息を吹きかける。
 じんわりと襲い来る痺れ。それは流が彼女の言葉に従い、今なお生きている確かな証。止まることなく、全身に生命力を運び続ける赤き血の流れを実感させるもの。
「まー……しゃーないか」
 何が仕方のないことなのか、自分でも分からない。
 けれど、ただ立ち止まっているだけでは、辿り付けるかもしれない答えに近づけない事だけは間違いない。
 そう自分自身に言い聞かせ、流は体を起こして衣服についた細かな埃を振り払う。
 もしも、もしも彼女に逢えたのなら。たった一つ、尋ねたい事がある。彼女が自分の問いに、何と答えてくれるか全く分からないから、尚のこと。
 再び低く明るい夜空を見上げた流の顔には、苦い笑みが浮かんでいた。


「………?」
 誰かに名前を呼ばれたような気がして、その女性はゆらりと首を巡らせる。
 金の光を纏っていた瞳が、元の赤へと変貌するまでの僅かの間。
 けれど、向けた視線の先には何もなく。
 あるのは――ただの、闇。底を知らない永劫まで続く、果て無き漆黒。
 彼女――柳月・瑠羽は、中空に円を描くようにゆらゆらと舞わせていた指先を、そっと何処かへ向けて真っ直ぐに伸ばした。
 すると、彼女を陽炎のように覆っていた緑色の炎が、ふわりと示された方向へと流れ始める。
「逝きなさい――迷わぬように。貴方の定めの輪は、そこへと繋がっているのです」
 ふわふわ、ふわり。
 ゆら、ゆらと。
 彼女の言葉に従い、かつて人の魂であったそれは、迷図から解き放たれて泳ぎ出す。
 永きに渡り繰り返し見守り続けた光景の最後の一瞬までを、ただ静かに瞳に映し終え、瑠羽は再び周囲に視線を馳せた。
 彼女を覆うのは闇の帳。薄い膜を一枚隔てたように、人々が行き交う雑多な都会の夜とは明らかに質を異にした世界。
 そっと忍び込むことを許された生気を孕んだ風が、彼女の美しい黒髪を微かに撫でた。
「………」
 零れたのは無言の呟き。
 そう、彼女の周りには誰もいない。いるはずが、ない。
 未だ一点を指差し続けていた、美しい赤に染められた爪先を、掌の中へと収める。そのまま腕を下ろすと、時代めいた装束が僅かばかり衣擦れの音を立てた。
 彼女が一瞬感じたのは、どこか懐かしい気配。それに名を呼ばれたような錯覚。
 今で言う鎌倉の世に生を受け、これまで彼女が歩んできた道のりは、筆舌に尽くし難いほど永い。天の盟約に縛られしその身は、朽ちる事は愚か、老いる事さえ許されないまま、現代へと命を繋いでいた。
「人の魂を導くが、私の務めなれど――」
 先の言葉は紡がれることなく、ただ白い息となって虚空に溶ける。
 求めても与えられぬものならば、求めなければ良い。そうすれば、悲しさや寂しさ、切なさや苦しさなど感じることはない。
 しゃらり、と軽やかな鈴の音に似た衣の歌声。
 するりと翻された彼女の身に、せめてもの慰めにと届けられた旋律。けれど、彼女が欲するのは美しい一瞬の奇跡ではなく。
「―――」
 今度は、喉さえ震わせることなく、紅の引かれた唇をただ動かす。
 光。
 数多の人々に、時に無情に、時に優しく降り注ぐそれ。
 どれほど望もうと、瑠羽の許にだけは決して届かぬそれ。
 永劫の生と闇。それを宿命と知りつつ――知っているからこそ、時折燻る胸の内。されど、それに気付かぬふりをするのも、当たり前のように慣れてしまった。
 けれど、一刺し。彼女の胸に穿たれたままの棘がある。
『永遠に生きるのって、辛いだけじゃねぇか?』
 自分と同じ色の瞳をした少年が、真っ直ぐに突きつけて来た言葉。共に過ごした時間は、彼女の生きた時間から考えれば、ほんの短い間だったのだけれども。
 名を与え、傍らに置き。
『終わりがないっつーことは、結局何も始まらないってことじゃないのか?』
 彼もまた、幼いながらも永久を生きる運命を持ちし者。
 己の身を呪い発せられた悲痛な叫び。その時の、彼の瞳を瑠羽は忘れる事ができなかった。
 静かに瞼を落せば、今もなお鮮明に。
「せめて……せめて自害などはせぬように――そして」
 彷徨う彼の少年の魂を、自分が導く事での再会など望んではいないから。だから、せめてそれだけは、と心の中で人知れず手を合わせる。
 最後にもう一つ、これだけは彼に届きますようにと祈りながら、想いを言葉に乗せた。
 そして彼女は、するりと闇の中へと姿を消す。
 微かに残ったのは――彼女の香りだけ。


「瑠羽――俺は……俺はいつまで生きれば、いい?」
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
観空ハツキ クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月07日

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