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『『朝のシンデレラ』 』
シキョウ2082


 シキョウは朝が好きだ。
 お日様の光が窓から差し込むと、ジャンプしたいような、駈け出したいような、むずむずした気持ちになる。舞い込んで来る風も、若い緑のにおいがする。
 診療室の机を雑巾で拭いたり、待合室の床をモップで拭いたりして、体を動かすのも好きだ。
「♪つくえさ〜ん、ラララ、キレイになりました〜〜、シキョウもラララだよ〜♪」
 その場で適当に作った歌を歌いながら、掃除を楽しんでいるシキョウだった。肩には小さな鳥が停まり、時々チチッと合いの手を入れた。現在の彼女の保護者であるここの医師が、器具などを整える作業をしつつ、それを見守っていた。
 シキョウは『肉体は』14歳くらいなので、雑巾を絞る腕力もある。モップを扱う身長もある。ただ、テーブルを移動して下を拭く工夫はできず、机の上のものを誤って割った場合も事態の収拾はできないだろう。知能と精神は3歳児程度だからだ。だから、「おてつだい」をしてもらう場合、大人が付いている必要があった。

 シキョウは脇目も振らずに働くので、言われた仕事はすぐに終わってしまった。
「おう、ご苦労。裏庭の井戸でよく手を洗ったら、好きにしていいぞ」
「は〜〜い」
 シキョウは、一人での外出は許されていない。どんなに外へ行きたくても、普段はきちんと守っている。医師は当然『“部屋に戻って”自由にしていていい』という意味で言った。だが、3歳には略された言葉を憶測することはできない。『好きにしていい』というのは、『好きにしていい』のだ。お許しが出たと思っても当然だった。
 パタン!と表玄関のドアが閉まった音がして、医師は「おや?」と首を傾げる。

 朝の陽ざしは、昼や昼下がりより、白っぽくて強い。目に入るとパキパキ音をたてるような気がする。天使の広場の噴水のキラキラも、他の時間帯より眩しい気がした。
「“あさ”って、キレイだ〜〜〜」
 水の反射に見とれているシキョウの肩に、どん!と人がぶつかった。「あ、失敬」。広場は、これから仕事に出かける人たちがたくさん交差する。みんな、急ぎ足で、噴水がこんなに綺麗なのにちらりと見ることもせず、行き過ぎていく。すれ違う人同士、顔を見ないように下を向いて。挨拶も交わさない。
「おはようございます〜〜!」
 シキョウは、目の前を通る男に声をかける。男は面食らって立ち止まる。「おはよう」と返事は返してくれたが、にこりともせず行ってしまった。シキョウは、首に下げたペンダントのトップを、そっと握りしめた。その石は、ルベリアという花を精製した輝石だ。シキョウにとって大切な石だった。嬉しい時、そして哀しい時、大好きなひとにぎゅっと抱きつくのと似た想いで、シキョウはこの石を握りしめるのだ。
「おはようございま〜〜す!」
「・・・。」
 次の人には無視された。肩の小鳥だけが高い声で鳴いて、返事をくれた。
「あったヒトには、あさは“おはよう”っていうんだよ・・・。あいさつされたら、ちゃんとおへんじしなきゃダメだよう」
 小声で抗議するシキョウだが、その相手の背中はもう遠い。
「ほんとにそうだよね」
 後ろで女性の声がした。若い声だが少し嗄れていた。振り向くと、薄いワンピース姿の女性が、噴水の縁に腰掛けているのが見えた。ハイヒールが似合いそうな服だが、足は裸足だ。組んだ足の爪先の紅がゆらゆらと揺れている。
「でもまあ、あたしは、みんなが見ないで行き過ぎてくれるからこそ、ここに居るんだけどね。・・・おはよう、坊や」
「おはよう、おねえさん。でもシキョウはぼうやじゃないよ」
「おやごめん、女の子だったんだね」
 女は、荒れたカールの髪を掻き上げた。目の化粧が溶けて、下睫毛の下に青黒い汚れを作っていた。服も、よく見るとあちこち汚れているようだ。
「おねえさん、なんでハダシなの?シンデレラなの?」
 唐突な質問に女の瞳は丸くなり、そして吹き出した。
「あははは、嬉しいことを言ってくれるね。残念ながら違うよ。昨日、酔っぱらって歩いて、どこかで無くしたみたいだ。気がついたら裸足だった」
「うわぎも?だって、そのおようふくじゃ、さむそうだよ?」
「いや、初めから着て出なかった。喧嘩して男の部屋を飛び出したからね」
「けんかしたの?けんかは、りょうほうがいけないんだよ」
 その言葉にはっと顔色を変えた女は、視線を爪先に落とす。ダマになったマスカラで乱れた睫毛が、素早く伏せられた。
「・・・そうだね。あたしもいけないのさ。いろんなことを、見て見ない振りをしていた。もう、とっくに終わっていたのに」
 シキョウは自分の言ったことを後悔した。きっと、前に大人が教えてくれた『喧嘩は両方が悪い。両方で一緒に謝るんだよ』という理論は正しい。だけれど、まだ寒い早春の晩に部屋を出され、薄着で夜を徘徊し、靴まで無くしたこの人に、言うべきことじゃなかったのだ。悲しんでいる人には、本当のことでも、言ってはいけないことがあるのだ。
「・・・ごめんなさい」
「お嬢ちゃんが涙ぐむこたぁないよ。振られたのはあたしなんだから」
「そのヒトはきっと、おねえさんの、『ルベリアのひと』じゃなかったんだよ」
「ルベリア?
 ああ、伝説の、永遠の恋の象徴だという異世界の花だろう?『ルベリアのひと』か。
 お伽噺を持ち出すなんて、若い子はロマンチックだね」
 女は、信じていない口ぶりだった。どれを信じていないのかはわからない。ルベリアの花の伝承か、『永遠の恋』のことか、『恋』自体を信用していないのか。
「おとぎばなしじゃないよ〜〜!ほんとうのことだよ!」
「ごめん、ごめん。夢見る年頃だもんねえ」
「だから、ゆめじゃないよ〜、ほんとうだよ」
 シキョウは頬を膨らませ、ムキになる。このペンダントも、おとぎばなしなの?ゆめなの?ほんものじゃないっていうの?
「ほら、これがルベリアのはなのイシなんだよ。ほんものだよ?ほんとうにあるんだよ?」
 首に下がった鎖を引っ張り、女に向けて見せる。その勢いに小鳥が驚き、宙に浮いて羽ばたいた。
 女は目を細めた。化粧で汚れた瞼、疲れの隠せない目尻があらわになる。口許は寂しげにゆるく弓の形を作る。
「本当だ、とても綺麗だね」
「うん!」
 シキョウは、涙目になっていた大きな瞳を嬉しそうにキラキラと輝かせ、頷いた。

 女は、自分の過去に想いを馳せる。この少女くらいの頃には、永遠の恋があると思っていた。運命の人というのがいることを、疑ったこともなかった。『永遠の恋人』と出会った時のことを想像すると、ふわふわと優しくて、スキップしたいほどワクワクした気持ちになったっけ。
 初めてのデートの前夜、震える手で塗ったピンクのマニキュア。
 女は、裸足の、割れた爪に目をやる。所々剥がれたペディキュアの紅が、くすんで艶を失っていた。『永遠』という儚さは、おとなになれば自然に気づくことだ。今、声高に、この少女に言うべきことでは無い。
「このイシ、おねえさんもにぎってみて〜〜。『ルベリアのひとにあえますように』っていのってみて〜〜。きっと、あえるよ!」
 少女は、首からチェーンを外し、その貴重な石のペンダントを、女に差し出した。
『あたしが、それを掠め取って逃げたらどうすんだよ』と、その無防備さに女の方が苦笑した。ルベリアは花自体も珍しい。それを精製し、輝石にするのも高い技術がいるのだそうだ。だから法外な値段で売り買いされると聞いたことがある。
 ただ、こんな子供が持っているのが本物かどうかは怪しかった。おませな恋人同士が永遠を誓って、そのへんのアクセサリー店で買い求めたものかもしれない。でもそれは十分微笑ましかった。
「ありがとう。じゃあ、やってみるね?」
 女は、話を合わせて、その輝石をそっと握る。

 目に白く刺さっていた朝の光が、透明でふんわりした陽ざしに変わっていた。風も暖かく二人の頬を撫でる。
「さて、と」
 女は、素足のままで立ち上がった。いつまでもここに座り続けていても、しょうがない。
「歩き出さないとね」
 広場をよぎる朝の通勤ラッシュは完了し、そろそろ小さな子供達が遊びに出回る時間だった。
 女は、永遠を信じない。だが、だからこそ、今の傷が癒えたら、次の恋がきっと訪れる。そう思うことができた。
「くつ、シキョウのをかすよ?」
 女の隣、噴水のへりに座るシキョウの、平たく丸い靴が石だたみの路にぽとっ、ぽとっと落ちた。女が履くには少しきつそうだ。女は笑って首を横に振る。
「大丈夫。帰れば、部屋には何足かあるから。
 喧嘩のままはいけないよね。きちんと別れ話をして、荷物をまとめて出て行くことにするよ。
 だらしなく終わらせたら、次の恋もだらしなく始まっちまう気がする」
 シキョウには、女の話の内容は殆ど理解できなかった。ただ、喧嘩をした相手と、喧嘩のままにはしないらしいということだけわかって、それはいいことだとにっこり笑い返した。
「慰めてくれて、ありがとうよ。お嬢ちゃんと話をして、とても気持ちが楽になったよ」
 シキョウはそんなつもりなどなかったので、びっくりして目を丸くした。
「べつになぐさめたわけじゃないよ〜〜。シキョウは、ほんとうのオハナシをしただけだよ?」
「うん。ありがとう」
 女は微笑む。シキョウは、何故礼を言われるのかわからなかった。この人は、シキョウの話の内容を信じていない。シキョウにも直感的にそれは感じ取れた。でも、なぜか寂しそうな笑顔で礼を告げる。
「じゃあね」と、女は、裾がほつれたドレスをひるがえし、背筋を伸ばして石だだみを歩き始めた。
「ほんとうだよ?このイシはね、えいえんのキズナのアカシなんだよ?」
 シキョウは、その背中に語り続ける。
「ほんとうだよ!」
 女の姿はストリートの人込みに消え、もう裸足の足は見えない。
 シキョウは、ルベリアのペンダントを再び握りしめた。『ほんとうだよ、ほんとうだよ』と何度も心で繰り返しながら。
 
 陽はそろそろ高みを差し、シキョウの影を黒く短く路に照らし出していた。
 髪を踊らせる風は暖かく、でも石を握る指先は凍えて、少し冷たかった。

< END >

PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年03月07日

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