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『鼻輪物語〜二つの思惑〜 』
楓・兵衛3940


 楓・兵衛(かえで ひょうえ)は知っている。自分の求めるものが、敵の手中にある事を。
「何故……何故こうなってしまったのでござろうか」
 兵衛は黒の目でじっと自らの手を見つめ、苦悩しつつ呟いた。今や、敵の手に大事なものが落ちてしまっている。
「取り返さねば、ならぬ」
 きっぱりと、兵衛は呟く。強い決意に満ちた瞳をし、ぎゅっと手を握り締める。まだ6歳とは思えぬその立派な振る舞い。小学生ながらも、その心は侍に通じるものがある。
「兵衛くぅん、まだぁ?」
「は、はいでござる!すぐにできるでござる!」
 通じるものが……ある筈だ。
 何が所以か、兵衛は串焼き屋台を引く事となった。労働基準法だとかは置いておいて、新鮮な魚介類や肉、野菜などを炭火で焼く屋台は、結構人気が高い。毎日こうして通ってくる常連もいれば、いい匂いに誘われて暖簾をくぐる者もあり、または口コミを聞いて訪れる者もいるのだ。
 兵衛という、小さな子どもが仕切っている屋台、というのも噂が早く流れていった原因の一つでもあるのだが。
 かくして、小さな屋台は今日も満員御礼であった。沢山の人が暖簾の下で串焼きに舌を打つ。一日の疲れを食べる事によって癒す。小さな兵衛を見て和む……のは一部の客だけだが。
「美味しかった。また来るよ」
「ありがとうでござる」
 最後の客を見送り、兵衛はぺこりと頭を下げた。今日も串焼きのネタはゼロ。一つも残ってはいない。完売すると、何とも心地よい。
「なかなかいいものでござるな……達成感、というか」
 片付けをしながら呟き、兵衛は微笑む。
「これも皆、瑠璃殿の……」
 ぴたり。呟きも動きも、そこでぴたりと止まった。まるで動きを止める呪文のように。
「瑠璃殿……?」
 兵衛は思い返す。瑠璃を頭に浮かべるだけで、様々な思い出が蘇ってきたのだ。思い出す度に、浮かんでいた微笑が少しずつ消えていく。
(折角手に入れたリング)
 リングといえば聞こえのいい、単なる鼻輪なのだが。
(あれは、世界を変える力があるかもしれないリングでござる)
 尤もそれは、兵衛を取り巻く小さな世界だけなのだが。
(リングを……リングを再びこの手に……!)
 兵衛は力強く手を握り締める。取り返そうと決意している鼻輪は、今は瑠璃の手中にあった。姿を消すことのできるその鼻輪を手に入れた兵衛は、それを使って日頃何枚も上手をいかれてしまい、悔しい思いを強いられているそのお返しをしたのだ。その相手とは勿論、瑠璃。
「拙者の白星を手に入れるためには、あれが必要なのでござる」
 兵衛は再び呟く。上手を取られて、当然と言えば当然だ。兵衛はたかだか6年しか生きてはいないが、瑠璃はと言えばその何倍も、何十倍も生きてきているのだから。経験と知識の差が、兵衛とのやりとりで存分に生かされている。
 勝てなくて当然。だがしかし、勝ちたい。
「そのためのリングでござる」
 兵衛の決意は固い。姿を消す事のできる鼻輪を用いた復讐は、果たして勝利と言えるかどうかは怪しい。しかし、前回それを用いたと言うのにも関わらず勝利を得る事は出来なかったのだ。
 それでも、最終的な勝利は逃したがその間で行われた数々の復讐は、兵衛の日頃の積もり積もった恨みを多少軽減した。それは間違いようの無い事実である。
(あの心地よさを、再び)
 兵衛は強く強く決意し、片付けの終わった屋台を引っ張り始めるのであった。


 あやかし荘は、いつものように管理人室からテレビの音が響いてきていた。座布団の上にちょこんと座った瑠璃の隣には、お茶と饅頭が置いてある。
「なんぢゃ、この芸人は。まだまだツッコミがなっとらんぢゃおらんか」
 もぐもぐと饅頭を食べながら、瑠璃は芸人の駄目出しをしている。なかなか評価が厳しい。
「あのボケを生かすためには、もっと鋭いツッコミぢゃないといかんな」
 ずずず、と茶を啜りながらさらに評価を続けている。その様子を物陰から見つめる、小さな人影。
 勿論、兵衛である。
(瑠璃殿め……一体どこにリングを隠したというのでござるか?)
 兵衛はこっそりと覗き込み、室内を満遍なく見回す。テレビ台の上か、それとも饅頭の入っている箱の中か、はたまた箪笥の中か。
(箪笥の中だと、探しにくいでござるな)
 そこにあるかどうかも分からないうちから、兵衛は真剣に悩む。瑠璃は座敷わらしであると同時にまた、女でもある。女の箪笥にみだりに手を突っ込んで探すなどと、兵衛には出来そうも無い。
(いやいや、もしかすると箪笥ではないかもしれないでござるな)
 兵衛は再び室内を見回す。そうしていると、瑠璃がちらりとこちらを見たような気がした。兵衛ぎくりと身体を震わせるが、瑠璃は何事も無かったかのように伸びをした。
「……気のせいぢゃな」
 ほっと息をつく兵衛。瑠璃は「やれやれ」と言うように溜息をつく。
「それにしても、兵衛の奴。どこでこんなものを手に入れたのかのう」
 瑠璃は懐に手を突っ込み、何かを取り出した。
(あ、あれは……!)
 キラキラと光る、リング。それは正に兵衛が捜し求めていた鼻輪であった。瑠璃は眉間に皺を寄せながら、その鼻輪を見つめた。
「全く……こんなものを鼻につけようと思う、あ奴の気が知れんわ」
 瑠璃はそう言うと、けらけらと笑った。兵衛の中で、何かが囁く。
 今だ、と。
(拙者の脚力を持てば、出来るでござる……!)
 兵衛はぎゅっと手を握り締め、地を蹴った。日頃から鍛えていた上に、最近では屋台を引いてさらに脚力は強くなっている。
 駆け抜ける事、風の如し……!
「ぬっ!」
 瑠璃が小さくそう呟いた瞬間、手の中にあったはずの鼻輪はなくなってしまっていた。
「何奴?」
「……残念でござるな、既にリングは拙者の手の中でござるよ」
 瑠璃の問いに、そっと物陰から出てきた兵衛。それを見て、瑠璃は一瞬呆気に取られる。
「ふふふ、びっくりしているでござるな。無理もないでござる」
「……いや、兵衛よ。そのまま黙ってその鼻輪をつけておれば、おぬしだと分からなかったぢゃろうに」
「……へ?」
 しばし、二人の間に無言が出来る。
 先に沈黙を破ったのは瑠璃だった。プッと吹き出しながら「阿呆ぢゃな」と。
「だだだ、誰が阿呆でござるか!」
「おぬし以外の誰が居るというのぢゃ?」
「るるる、瑠璃殿!」
「さっきから、どもって煩いのぅ。ん?何か持病でもあるのか?」
「そんな訳が、な、ないでござろうが!」
「怪しいのぅ。かっかっかっ」
 兵衛はキッと口を一文字に結び、鼻輪を握りしめながらその場を去って行った。良く見ると、目に涙が溜まっていたとかいないとか。
「あの鼻輪は厄介ぢゃのう。……何か対策を考えねばな」
 兵衛がいなくなった後、ぽつりと瑠璃は呟いた。くすくすと笑いながら、心から楽しそうに。
 兵衛と瑠璃の戦いは、まだ始まったばかりであった。

<二人の思惑は増長を続け・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月07日

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