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『<> 』
来生・一義3179


『貴方の事が、好きでした。』
その手紙は、・・・バレンタインデーのその雪の日に、届いた。
封筒には宛名が無かった。差出人の名前も。いぶかしいと思いながら、丁寧にその封を切ってみる。
白にレース柄の美しい便箋に、刻まれるのは青い文字。
ただ繊細で、ただ柔らかく、そうしてたった一言だけ。
『好きです』ではなく『好きでした』・・・だ。
・・・見覚えがあるような気もした。まるで見知らぬような気も。
それと。
「・・・・・」
掌に乗る、小さなリング。
ホワイトゴールドの華奢な台座に、粉雪の結晶のような小さなダイヤモンド。
そう、値の張るものではあるまい。だが上品で優しげで。
このサイズにあう細い指ならば、きっとこのリングが映えるだろう。
ふと、そう思った。


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少しだけ、躊躇うように。
弟は、その手紙を彼に手渡した。彼…、来生・一義 (きすぎ・かずよし)に。
出所は草間武彦の所らしかった。武彦に届いたその手紙が、弟の手を渡って彼の元に来たのだ。
…いや、戻ってきた。
小さく息を吐くと、一義は手紙に手をかける。
封蝋を丁寧に切ると、彼はその手紙を開いてみた。
「あなたの、事が、好きでした。」
模様の細かい品の良い便せん、それに書き込まれた柔らかな文字。
ほんの短い言葉なのに、彼には確かに見覚えがあった。眼鏡越しの視線を少し和らげると、それから一義は手紙の中に隠された、…それを、取り出す。
そうだ、こんなに細かったのだと。
そのリングの小ささに、彼は溜息をついた。
指輪とともに流れ込んできたのは、あの頃の記憶だった。



彼女に最初に会ったのは、…確か会社のドリンクベンダーだったと思う。
小銭が見つからずにいた自分に、彼女は笑いながら五百円玉を差し出した。すぐに、同じ課の人間だと知った。借りた小銭を返しに行くと、さっきと同じように優しく微笑みを返してくれた。
彼女は、自分より2ヶ月先にこの会社に入社したらしかった。もともと契約社員だったのを、当時の課長が引き抜いたらしい。同時に入社した訳ではなかったが、同期と言って良かった。年は、自分より少し上だった。めったに話しかける事も無かったが、一義の事務的な質問に、彼女は常に微笑みを絶やさずに答えてくれた。そして、その答えは話の要点をとてもよく押さえていた。それに、内心彼は驚いた。
だから、自然と彼女に興味がわいた。
口数は多くない。だが、経理畑の人間には丁度良いと、一義はそう思う。
興味がわけば、視線が向く。性格上、仕事中に他の事に気を取られる事など無かったが、例えばふっと気を抜いてコーヒーを口にする瞬間、気がつけば視線が彼女の方に向いていた。
彼女は。
万事につけて、でしゃばる事が無かった。
彼女の仕事に対する能力は他の者に対してずば抜けていたが、その凄さを決して人に悟らせなかった。それ程控えめで、目立たない存在だった。
だが。
自らも突出して有能であったが為に、一義はその彼女の能力に、気付いてしまった。
彼女の作る資料の正確さ、仕事を取り回すやり方、それは些細な事であっても実に配慮が行き届いていた。必要なものを必要な時に提示できる能力、そんなものは誰彼かまわず持ち合わせている訳ではない。
彼は決して朴念仁では無かった。見た目も中身も堅いイメージは拭えなかったが、その仕事ぶり…彼は、たとえ上司であっても仕事のためには追求する手を緩めない男だった…は、意外にも周囲に好評だった。思いを寄せる女子社員も、全くなかった訳ではない。だが、一義はその女性達には無関心だったのだ。
しかし。
ある日、ぽつりと。
一義は、彼女の話を弟に向けた。
実にさりげなかったと思う。どう思うなんて事は、口にしていない。
彼女の名を、口にしてみただけだ。同僚の話として。
その時、…確か弟は、ひどく驚いたのでは無かっただろうか。その口から女の人の名が出るとは思わなかったと、そう言われた覚えがある。そうして問われた。どんな女性だと。
問われるままに、思いつく言葉を並べる。有能で、控えめで、すばらしい同僚だと。
そうしたら、弟が言ったのだ。自分にそんなふうに評される女性が居るとは驚きだと。
「…悪いことは言わないから、その人を捕まえとけ。」
…彼女に交際を申し込んだのは、そのすぐ後だったように思う。



交際とは言っても。
彼は仕事場にプライベートを持ち込むことを嫌う一義は、職場では少しもそんなそぶりを見せなかった。同僚の中にも何人かは二人のつきあいを知る者がいた。しかし一見して、この二人がつきあっていると見抜ける者は皆無だった。彼女の方も、仕事はきっちりする性格だったから、見た目上、二人は普通の同僚としか見えなかった。
まあ、…そんな事で仕事に手を抜くような女性だったら、交際を申し込んだりはしていない。
たまに二人でデートをすることになっても、映画館でゆっくりと洋画を見たり、会社近くのレストランで食事をしたり、…人によっては『同僚に毛が生えたくらいの関係』と陰口をたたく程の、つきあい方だった。軽率な事はしない主義の一義と、ごく控えめな彼女であったから、燃え上がるような激情的な恋愛は、やはりしてなどいなかった。
それでも。
つきあいが、一年を越えた頃だったろうか。
「彼女のような女性なら、…一生共に過ごしても良いかもしれない。」
漠然と、そう思ったとき。
一義は、彼自身の言葉の意味を悟った。
そうして、その自分の思いを少しだけ意外に思った。彼女に対して、強い恋情と呼ばれるようなものを抱いている自覚はなかったからだ。少なくとも激しい激情だとか、そういうのとは縁遠い感情だ。もちろん『愛情』はあったが、その言葉も少し自分の感覚とは離れていた。
どちらかというと、『信頼』という言葉に近い。強い信頼。
しかし。
一義は考える。今後、彼女以上に信頼できる者が現れるだろうか。自分と時間を共有し、新しい時間と命と関係を生み出し、老いてもなおお互いを支え合って行く…それを可能だと思えるそんな相手が、果たして見つかるだろうか。今まで他に現れなかったのだ。次にそんな人間に出会えるのは、…もしや、今の年齢分年を取った頃に、なりはしないか。
だから、彼は、決めたのだ。
それは、ひどく雪の降る日だったと思う。
空は濃く重い灰色で、空気は酷く冷たかった。人通りはまばらだった。雪が酷いから、出歩く者も少なかった。次の休みにしようかと思ったが、彼はそれでも部屋を出た。寒さにコートの襟を立てた覚えがある。
向かうつもりだったのは、…宝石店。
弟にせっつかれ、自身もさんざん迷った挙げ句、とうとう彼女のための一品を選ぶ気になったのだ。
元来方向音痴の彼は、その店までの下調べを怠らなかった。それでも小一時間ほど迷って、…やっと、高級そうなその店の前に立つ。一つ息を吐いた。
それにしても、…宝石店など足を踏み入れた事が無い。
大量の経理書類に囲まれてもびくともしない彼が、たとえ社長に会議室へ呼び出されても平然としていられる彼が、…その店の前で二の足を踏んでいた。
三十分程そこら辺をうろうろして、…扉に手をかけた時、体はすっかり冷え切っていて。
ぐい、と扉を押す。対して堅くない筈のそれが、手に酷く重い気がした。
「いらっしゃいませ。」
ゆっくりと、店員の女性が頭を下げた。
長い髪をまとめた、薄いピンク色のスーツ。その女性がにっこりと会釈する。
自分が場違いだという気分、それを顔の端にも見せないで、彼はショーケースの中を見遣る。大ぶりの金地に並ぶダイヤや、爪先のサイズの赤や青や緑色の宝石。それはどれも美しく、同時に高価だった。それをじっと見つめる彼に、店員が声をかける。
「贈り物ですか?」
「…そうです。」
「…婚約指輪でしたら、こちらなどいかがでしょう。女性に人気がございますよ。」
指し示されたのは、大きなダイヤモンドがはまったリング。
それは確かに豪奢で美しかった。強く石が自分を主張していて、確かにこれなら大抵の女性の気をひけそうに思えた。
でも。
彼女のイメージではない。彼女は、こんな大きな石を見せびらかすような性格では決して無いのだ。
もっと、…そう、こういうのではなく。彼は無言でショーケースを睨みやる。その間も、店員は色々な指輪を彼の前に並べてみせる。そのどれも彼の意にそぐわなかった。店員が少し途方に暮れた顔で、一義を見遣っていた。
その時だった。
不意に激しくクラクションが鳴った。
思わず彼は店の外を見遣った。車の姿は既に無く、目に映るのは降り続ける雪だけだった。
そうだ、この雪。この雪のような。
呟くと彼はショーケースに目を移す。そうして探す。あの雪のような。
「……それ、」
「はい?」
そうして、見つけた。
プロポーズに渡すには少し小さすぎるかも知れない。値段も、他の指輪より安い部類に入る。
だけど。
値段が問題ではないのだ。そういうものに惑わされる女性では無いだから。
「こちらで、よろしいのですか?」
少し怪訝そうに店員が言った。どうせなら、もっと値の張るものにすればいいのにと。
「ええ、これを。」
きっぱりと言い切る。ビジネスケースから札入れを取り出す。思っていたのより少なめの札を取り出すと、静かに店員の前に差し出す。
「…かしこまりました。」
そういうと、店員は指輪をショーケースから取り出した。
薄いブルーの指輪ケースにそれを収めると、白地に金の文字が書かれた紙箱に収める。贈り物ですか、とは問わなかった。そうとしか考えられなかったからだろう。最後に、店員の制服と同じ色の紙袋に収まって、その指輪は彼の手に渡った。
「ありがとうございました。」
店員が、ゆっくりとお辞儀する。その姿をちらりと見て、それから彼は店を出た。
側にいて欲しいと、いう積もりだった。そうして、…返事を聞かせて欲しいと。
雪は止んでいなかった、だが、何故か暖かいような気がした。




それなのに。
その返事えお聞く日は、…永遠に、来なかった。
彼女の返事を受け取る前に、…自分が、この世から消えたからだ。
彼女がどう答える積もりだったのか、それは今も謎のままだった。
だからといって、今更彼女に会う事など考えてなかった。何しろこの姿は彼女に見えないし、何よりもうあれから十年以上経っているのだ。彼女が自分の事を覚えているかどうかなど、分からなかった。覚えていなくても良いとすら、彼は思っていた。その方が彼女にとって幸せなら、その方が良いと。
その、彼女から。
返された、指輪。
『好きでした』、と、彼女は、そう言ってくれた。
少し、微笑む。それから一義は弟に言った。草間武彦に、連絡するようにと。




「…また、なんでこんな朝早くなんだ。」
溜息混じりに、武彦は愚痴をこぼした。
まだ日の出前だというのに、武彦は事務所近くの公園で、不愉快そうに息を吐く。事務所では昨日仕事の手伝いをさせられた零が眠りこけていたから、起こすのは忍びなかったのだ。だから公園まで出てきたのだが、…やはり、寒い。
「…弟の仕事の手伝いがあるので、昼間は忙しいのです。」
「…だからって、」
こんな早くでなくても良いだろう。呟く武彦を尻目に、…彼は、封筒を取り出した。ぶつぶつと呟く武彦の声が、ぴたりと止んだ。
「…それは、」
「ええ、先日あなたに返していただいたものだ。」
封筒から女性ものの指輪を取り出す。掌に乗せると、武彦が息をつく。
「…渡したのは、あんたなのか。」
「…ええ、まあ、そうです。」
もうずいぶん昔に。口にしなかった言葉は、武彦に伝わったようだった。
だから、彼はこう答えただけだった。
「…そうか。」
そうして、武彦が一義を見遣る。その顔を見て、何故だか武彦はふっと笑う。
「…何故、笑っているんです。」
「何故って、そりゃあ、」
煙草を取り出し、…目の前の相手が煙草嫌いだと気付いて、それをもう一度懐にしまうと。
「…あんたが、…なんだか嬉しそうだからさ。」
そうかもしれない、と、一義はそう思った。




目を覚まし、化粧をして、朝食を取って。
バッグを手に持つと、彼女は立ち上がった。
仕事に向かう為、一人の部屋を出る。引き継ぎがあとちょっとだけ残っている。それももう、もう少しの事。
思いながら、ちらりと左手を見遣る。もうまもなく、左の薬指は真新しいリングで飾られる。…あの指輪の、代わりに。
懐かしい名前を、小さく口に乗せてみる。
響きの良いその名前を胸に、彼女は静かに思う。
私が、私を、生き始めたこと。
彼は、…祝福してくれるだろうか。
そう考え、彼女は少しだけ微笑んだ。実直きわまりない彼の顔を思い出し、この指輪を受け取って、どんな顔をするだろうかと。
彼は、…あまり、笑わない人だったけれど。
笑ってくれている、気がした。良かったと言ってくれている気も。
そういう優しさをもった人だったと、それを自分が知っている事を、今も忘れていない事を、彼女は誇らしく思った。
じりり、と携帯に仕掛けた目覚まし機能が音を立てた。そろそろ部屋を出て、会社に向かう時間だ。
思考することを止めて、彼女はバッグをかけ直した。さあ、最後の仕事を片付けてしまおう。
靴を履き、扉を開けて。
「………」
外を見遣る。粉雪が、静かに朝焼けの空を舞っている。
やがて雪は止むだろう。そうして、このまま晴れ渡ってくれればいい。
そう思いながら、彼女はぱたんと扉を閉じた。



少しだけ。
少しだけ、…おそらく彼の弟あたりでなければ、その表情の変化に気付かないだろう、僅かなほほえみで。
一義は、その小さな指輪を、掌にかざす。
寂しくないかといえば嘘かも知れない。昔とはいえ、生涯をともにしても良いと思った女性の、それは確かな決別であったからだ。だが。
 「…幸せに、なれると良い。」
 彼は、そう口にした。嘘偽りのない言葉だった。その言葉を素直に口に出来たこと、それが少しだけ嬉しかった。幸せに、なってくれればいい。心からそう思う。その声がもはや彼女に届かないとしても、なお強く願う。
もしかすると、彼女の横に立つのは自分だったかもしれなかった。
だが、来なかったその『いつか』に、彼女を縛る事など少しも望んでいなかった。そうして、…そういう『いつか』にすがる未来を、彼女が選ばなかった事を喜んだ。それでこそ、自分が伴侶にと思った女性だと。
 黙り込んだ一義を、武彦が見遣る。
 その顔に視線を合わせると、彼は武彦にこう告げた。
 「…捨てて、いただけますか?」
 それは、とても静かな言葉だった。
 突き返されて、腹を立てているだとか、自暴自棄だとか、そういう理由での捨ててくれ、ではなかった。一切を飲み込み、理解し、だからこそ役目を失った指輪の、行く末を頼まれたのだと武彦は察する。
それでもなお、武彦は念押しする。心がこもったものだからこそ、問わずにいられなかった。
 「…失くして、いいのか?」
 『捨てて』と口にしなかったのは、武彦の心遣いだろう。
 ゆっくりと一つ頷くと、一義は指輪を手紙に戻した。かさりと小さな音だけが、封筒の中で存在を示した。
 「それは、…もう私には必要ないものです。」
 そうして、持ち主である彼女にも。
 彼女は彼女の人生を、その生が尽きるまでまっとうするだろう。思い出である自分とではなく、新しく彼女の手をとって歩いてゆける誰かと。
 空を見上げる。雪が降る。朝焼けの空でそれは光り輝く。時に赤く時に青く、だが本来の透明を失わずに。
 それは小さな宝石のように。
 同じように天を仰ぎ、ふと武彦が彼の顔を見遣った。
 「…じゃあ、どこかの水辺にでも流そうか。」
 ぽつりと口にしたのは、そんな言葉だった。
 「水辺?…何故です?」
 小さく問うてみる。降りしきる雪に視線を乗せ、武彦がゆっくりと笑った。
 「…水はやがて、天に帰る。そうして雪となって降りしきる。」
 ああ、と、納得したように彼は小さく声をあげた。
 小さな指輪、その日の雪に似た小さな宝石。
 その指輪が帰る場所なら、それは相応しいかもしれない。いつか水とともに、空に帰って行けばいい。
 思いながら、彼は武彦に手紙を託す。懐かしさと愛おしさを、静かにその中に込めて。
 さようなら、と心で呟いた言葉は、そのまま心の底に沈んで、美しい雪のように、ずっと光を放つ気がした。

 …雪は、まだ止みそうになかった。
 
 

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
3179/来生・一義 (きすぎ・かずよし)/男性/23歳/色々な意味でうるさい幽霊
NPC/草間・武彦 (くさま・たけひこ)/男性/30歳/草間興信所所長、探偵


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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初めまして、ライターのKCOです。
大変納品が遅くなり、まことに申し訳ございませんでした。
本当に申し訳ないです・・。

元恋人にあてた手紙、ということで、
今回は割とシリアスな内容でした。
とはいえ、門出の物語でもありますので、
全体的に優しく、物静かな仕上がりになったかと思います。
来生様の、表に出ない優しさを、うまく表現できていましたら幸いです。

それでは、この作品を喜んでいただける事を願っております。
バレンタイン・恋人達の物語2005 -
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東京怪談
2005年03月07日

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