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『春待ちの雪。 』
御母衣・今朝美1662)&相沢・久遠(2648)


 季節は春を告げる頃なのだが。
 今この道を進む限りでは、この辺一帯の春はまだ少し先になるだろうと予測できる。
 雪解けが、まだ訪れていないのだ。
「………………」
 さくさく、と足元から聞こえる雪の音を遠くで聞き取りながら目的地へと歩みを進めているのは、相沢・久遠だった。
 向かい先はこの森の中にひっそりと佇む、一件のアトリエ。その場に、古き友人が住んでいるのだ。
 片手には、酒が入った袋が提げられている。
 はぁ、と息を吐くと、空気が白く舞い上がる。それを見ながら歩いていると、目の前に目的地のアトリエが見えてきた。
「……、…」
 久遠は扉の前に辿り着くと、そこで動きを止める。
 すると、数分を待つこともなく、目の前の扉が開いた。
「…そろそろ来る頃だと思っていましたよ」
 そう言いながら扉の向こうから顔を見せたのは、御母衣・今朝美。久遠の友人本人だ。彼は嬉しそうに微笑みを作り久遠を出迎え、アトリエの中へと招き入れた。
「……相変わらず、なんだな」
「そう言う貴方こそ」
 久遠は手土産である酒を今朝美へと差し出し、辺りを見渡す。その言葉には、沢山の意味合いを含めながら。
 今朝美はくす…と笑いを漏らし、久遠を見つめた。アトリエの中をゆっくりと見渡す彼に、創作意欲を掻き立てられているのだ。
「…なんだ?」
 今朝美の視線に気がつき、彼へと瞳をめぐらせた頃には、袖から絵筆を取り出した後。久遠は内心『やられた』と思いつつも、それを口にすることはなく、その場から逃げることもしなかった。
 『モデル』と言う名の職業病がなせる業なのかもしれない。『創る側』の存在に目を向けられると、否定を出来なくなるから、不思議なものだ。
 今朝美は言葉を発することなく、久遠をモデルにし筆を進め始めた。
 自然界に存在する全ての物を味方につけることが出来る、今朝美の絵筆。それを一言で説明するのは、少しの時間が必要だ。
 それから暫くの間、久遠はモデルを勤め、今朝美は彼を描くために筆を動かし続けていた。


 小一時間ほどが、過ぎた頃。
 アトリエを取り巻く禍々しい気配にいち早く気がついたのは、久遠だった。
 今朝美もその気配に気がついているのだろうが、筆を止めることはない。先ほどから描き続けていた絵が、完成間近なのだ。
「……………」
 久遠が眉根を寄せ始める。場合によっては、その姿を変化させねばと思いながら…。
「…美男子が、台無しですよ」
「余裕たっぷり、と言う状況でもないだろう?」
 今朝美がゆっくりと、口を動かした。それに久遠はすぐさま言葉を返し、身構える。
 ヒトの気配ではない。間違いなく人外のモノだ。
 神経を巡らせ、気配を追っていた次の瞬間、アトリエの窓が勢いよく割れ、弾け飛んだ。
「妖狐、久遠!! アタシのモノになりな!!」
 窓が破られ、そこから飛び込んできた存在があった。それは獣の耳を生やした妖艶な美女だった。見る限りでは、代表的な妖狐――久遠の本来の姿と、同じ眷属のもの。
 だが、女には決定的な違いがあった。
 久遠は千年以上を生きる仙狐(せんこ)の部類に入る、神獣そのもの。しかし女にはその気高い空気を少しも感じ取ることが出来ない。つまりは低俗な野狐(やこ)程度の者なのだろう。
「やっと会えた! お前はアタシのモノだ!!」
「………………」
「………………」
 息巻く女狐に対し、今朝美も久遠も静かなものだった。
 冷静に対応している、と言えば聞こえはいいのだろうが、二人とも気分を害されたことには間違いない。しかも今朝美は描き掛けの絵を台無しにされた上に、窓周辺を破壊されているのだ。笑って許せというほうが無理な話である。
「さぁ久遠! アタシにアンタの魂をよこしな! アタシはもうずっと昔から、アンタの事だけを想ってきたんだ!!」
「――随分と勝手な話だな、お前」
 ざわ…と空気が音を立てて動いたような気がした。
 そして次の瞬間には久遠を取り巻くオーラが、風が吹き抜けるがごとく舞い上がる。
 舞い上がった空気を追うように、久遠の黒髪が色を失う。そしてそれは銀の糸へと移り変わっていく。
 サラサラと肩に落ちる糸は、光り輝いて美しい。
 閉じていた瞳をゆっくりと開くと、久遠は本来の姿である妖狐に変化していた。紅玉のような瞳が、また美しい。
「アタマの悪いヤツには容赦しない。お前、俺の何を解ってそう言う?」
 自然とヒトだった時の口調とは、微妙な違いが生まれる。仮の姿を持つ存在というものは、大抵がそう言うものだ。
 今朝美は変容した久遠の姿に見惚れるも、今は目の前いる女狐を排除すべく筆をとった。
「この辺一帯はアタシのシマだ! そこに入り込んできたのはアンタじゃないか!!」
「…ほぅ…この土地がいつからお前のものに? それを決めたのは誰だ? 神か? それとも…お前らのような愚民の頭か?」
「!!!」
 多少、怯みを見せた女に対しても、久遠は容赦ない。
 ニヤ…と不適な笑みを浮かべたまま、女を逆撫でするような言葉を平気で口にする。
「俺とお前を一緒にするな…吐き気がする。薄汚い女狐め」
「…っ、おのれぇ!! 久遠!!」
 久遠の言葉に、火を付けられた形になった女は、瞳を見開いて久遠と今朝美へ向かい飛び込んできた。鋭い牙と、研ぎ澄まされた爪をギラギラとさせながら。
 ぐん、と首を掴まれ、久遠はその場に押し倒される。女は彼の上に、馬乗りになった状態だった。
 その時、妖魔は自分が勝ったと確信した。女であるというのに、笑った表情が卑しく見える。指をそろえ、刃物のような爪は、久遠の美しい顔へと向けられていた。
「お前は、アタシのモノだ!!」
 それでも久遠は、少しも焦るような素振りを見せることもなく。
「……低俗なものは、いつ見ても美しくはないものですね…」
 その様子を間近で見ていた今朝美は、すぅ、とゆっくり絵筆を宙に掲げ、絵を描き始める。
 そこから生まれるものは、彼の使役となるもの。描かれたモノから命を吹き込まれた使役は、主に望みをかなえる為に女へと飛んでいった。
「!?」
 今朝美の使役が飛んでいった直後、女に異変が現れた。
 瞳を動かすことも出来ずに、女は体を硬直させる。彼の使役により、動きを封じ込まれてしまったのだ。
「…どうした? 俺を殺して、お前のモノにするんじゃなかったのか?」
 強張った表情になった女の下で、久遠は楽しそうに笑いながらそう言う。
「……、…っ…!!」
 最早、声音さえ発することが出来ない。
 女は徐々に余裕を失っていき、冷や汗を流し始める。
「身の程をわきまえるべきだったな。…下賎な野狐が」
 今度は逆に、久遠が女の首を掴みあげた。そして自分の上体を起こし女の心臓部へと、刃物と化した指先が突き刺さっていく。
 女の体に穴が開き、次の瞬間には断末魔の叫び声があがる。
「ギャァァァァ……!!!」
 返り血を浴びるかと思っていたが、それを阻止したのは今朝美の使役。『美しいもの』が穢れてしまうと言う現実を、許せないらしい。視線を移すと、今朝美が何かを企んだ瞳で微笑んでいた。
 女は命の灯火が消えると同時に、その体を粉砕させた。そして、跡形もなく存在もろとも、消されてしまうのだった。



「…どうしても、俺のこの姿じゃなきゃ駄目なのか?」
「ええ、是非」
 女が消えてから、今朝美の家を仮修復した久遠は、妖狐の姿のままでその場に留められていた。感情の表れか、綺麗な毛並みの尻尾が、ゆらりと揺れる。
 妖孤の姿をすっかり気に入ってしまった今朝美は、仕切り直しと言いながら再び絵筆をとり始めたのだ。
 今度こそ、最後まで邪魔の入ることの無いよう、周囲に使役を置いたままで。
「………………」
「ああ、動かないでくださいね」
「…ちっ……」
 性格が荒っぽいものになってしまう妖狐の久遠は、黙ってモデルをしなくてはいけないと言う現実に、舌打ちをする。
 それすらも、今朝美には新鮮で、ふふふ、と笑いが漏れてしまう。
「いつまで、こうしてりゃいいんだ…」
「そうですね…あと少し、でしょうか…?」
 今朝美の返事を聞く限り、まだ解放には程遠い。
 久遠は深く長いため息を吐き、半ば諦めの表情になる。すると今朝美が間髪いれずに『動かないでください』と言ってくる。
 かっくり、と肩を落としたい気分だが、それも出来ない現状。
 久遠はそれから数時間、今朝美のモデルになり続けていた。

 今のこの状態から脱したら、ヒトの姿へと戻り持参した酒を今朝美と飲み交わそう、などと思いながら。

 外では草木に積もった雪が、流れ込んできた春の空気に溶け込み、音を立ててその身を落としていた。




-了-


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御母衣・今朝美さま&相沢・久遠さま

ライターの桐岬です。
御母衣さんは初めましてになりますね。この度はお声掛けいただきありがとうございました。
常に穏やかで落ち着きのある方、とイメージしていましたのでこのような描写になってしまったのですが…
如何でしたでしょうか?
久遠さんに至っては多少の脚色も加えさせていただきましたが、もしイメージが違っていたら
申し訳ありません。
最後に、納品が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

少しでも楽しんでいただけましたら、幸いに思います。
今回は本当に有難うございました。


桐岬 美沖。

※誤字脱字がありましたら、申し訳ありません。
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東京怪談
2005年03月03日

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