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『ひとかけらの想い。 』
橘・沙羅2489)&相沢・久遠(2648)



 沙羅の心臓は、今にも破裂しそうなほどにまで高鳴っていた。
 受話器を持つ手が自然と震えだし、慌ててもう片方の手で押さえる。
(落ち着いて、落ち着いて、沙羅…)
『――――はい』
「!!」
 長いコールの後に響いてきたのは、沙羅の大切な想い人、久遠のものだった。
 彼の携帯へと電話を掛けているのだから、彼が出て当たり前なのだが、それでも沙羅には大変なことで。受話器を落としそうになりながらも、必死で言葉を作ろうと小さな口を開く。
『……橘? どうした?』
「…は、はいっ…あの…、その…ッ」
 相変わらずの、良い声だ、と。沙羅にはそこまで考えが行き着いているのだろうか。頬を赤らめ、今にも泣きそうになっているところを見る限りはとてもではないが、久遠の声がどうこうという所までは辿り着けてもいないらしい。
「あ、あの…っ 二週間後の今日なんですけど…その、スケジュールは、空いていますか?」
『…二週間後? …仕事は午前中には終わるだろうから…午後からで良いなら空いてるよ』
 沙羅の上擦った声に、久遠はすんなりと言葉を返す。
 その言葉に、沙羅は一瞬だけ驚いた。久遠は有名なモデル。すでに予約がいっぱいだろうと、諦め半分の誘いだったからだ。
「…あの…じゃあ、ニ週間後…沙羅と会ってくれますか…?」
 そういう自分の声が、頭の中で響いているような感覚だった。それは極度の緊張からくるもの。
『橘、学校があるだろう? …18時くらいでいいか?』
「は、はい…っ」
 沙羅の心の中は、喜びでいっぱいになっていた。
 それから、待ち合わせの場を沙羅が指定し、彼女はゆっくりと受話器を降ろす。
「…………はぁ…」
 胸に手を置き、深いため息を吐く。そこでようやく、緊張しっぱなしの硬直が解れた感じがした。
「…よしっ 頑張ろう」
 一呼吸置いてから、沙羅は両手を胸の辺りで握りしめ、再び力を入れる。…勝負は、これからだから。
 彼女の部屋には、数冊のお菓子の本があった。どれも『バレンタイン特集』と書いてある。一冊だけ開きっぱなしのページがあり、そこには付箋がつけられていた。彼女はトリュフを作るらしい。
 二週間後と言えば、世の中の女の子たちにとっては一年で一番大切な日。それは沙羅にとっても例外ではないこと。心の奥底で大切に想ってきた淡い恋心を、好きな人へと手渡すために、彼女も頑張るのだ。
 さっそくフリルのエプロンをした沙羅は、二週間後までに最高のトリュフを作れるようになるまでの特訓を始めるのだった。


「…あっ…」
 カシャーンと、軽い金属音がした瞬間、台所は茶色い粉埃が舞い上がった。
 浅めのボールに開けてあったココアパウダーが、ひっくり返ってしまったのだ。
「……せっかくの新しいココアだったのにぃ…」
 やっと、美味しいガナッシュが作れるようになったというのに。
 沙羅は至極残念そうな表情をしながら、床に落ちたボールを拾い上げる。その独り言には、深いため息が混じっていた。
 彼女にはもう僅かしか時間がない。
 二週間、と多めに時間を作ったつもりだったのに、その時間は沙羅の予想を超えるスピードで、通り過ぎていく。壁に掛けてあるカレンダーに目を移せばもう、印を付けられるスペースはニつしか残っていない。つまりは約束の日まで、後二日しかないということだ。
「頑張らなくちゃ…」
 沙羅はそこで気持ちを入れ替えた。
 散らばってしまったココアを片付けた後、新たな気持ちで作業を再開する。

 ――――少しでも、あの人に想いが届きますように…。

 沙羅は心の中で、何度も何度もそう呟く。『あの人』――久遠の顔を思い浮かべながら。
 ボールの中には、沙羅の淡い想いが沢山詰まっている。無駄には出来ない。
 夢見る心の裏側には、不安もいっぱいだ。久遠を想っている人は、自分だけじゃない。だからといって、自分の想いを諦めてしまう事は出来ない。
 本当に、大好きだから。
「……………」
 まじめにそんなことを考えていると、沙羅は自分の頬をぽっ、と仄かなピンク色に染め上げた。脳裏に横切らせた言葉に、照れてしまったのだ。
 こんな調子では、まだまだ口から、その言葉を音にすることには程遠いだろう。 
 それでも、彼女は確実に前へと進んでいる。ほんの少しずつであるが。
 だから今こんなにも、頑張っているのだ。
 沙羅はそれから、時間が許す限り台所に立ち、トリュフ作りに励み続けた。



 姿鏡の前で、くるりと一回転をしてみせるとプリーツのミニスカートが可愛らしく揺れた。そして髪に飾っている白いリボンが負けじとその後を追う。
 耳を飾るのは、数日前にアクセサリーショップで見つけた可愛らしいピンクゴールドのイヤリング。控え目のハート型のトップが、彼女らしい。
 オフホワイトのニットも、彼女のお気に入りだ。普段進んで付けることのない色つきのリップクリームも、今日は充分に役立っている。
「……そろそろ出かけなくちゃ」
 腕時計に目をやりながら、沙羅は小さくそう呟いた。
 コートの隣には、小さな紙袋。その中身は言わずと知れた、久遠へのプレゼントが隠れている。
 逸る気持ちを抑えながら、沙羅はコートを羽織り、部屋を出た。

 久遠との待ち合わせに選んだのは、お洒落なカフェだった。白を基調にした店内に、オレンジ色の椅子が良く映え、とても可愛らしい。
 アイスティーを頼んだ沙羅は、だんだんと自分の心臓の音が大きくなっていくのを感じ始めていた。約束の時間まで、後数十分。その間に、久遠が現れたらどんな言葉を書けたら良いのか、そして最大の目的である手作りのトリュフをどのタイミングで手渡せば良いのかという事を、頭の中でシミュレーションし始める。
 視線を移せば、隣の椅子には可愛らしくラッピングした箱が顔を出している。それがまるで、『頑張れ』と応援してくれているような気がして、沙羅は一度深く深呼吸をした。
 カラン、と目の前のアイスティーから、氷の音が響く。
(…いつもの少しだけでも…勇気が出せますように)
 心の中で呟いた言葉は、祈りのようで。沙羅は手を組むイメージを頭の中で描きながら何度も自分を励まし続けた。
「……待たせたか?」
 軽く伏せた瞳でいた沙羅に、優しい声音が降り注いだのはそれから数分後の事だった。
 慌てて顔を上げれば、そこには夢にまで見た久遠の姿が。ピッタリ、約束の時間通りの到着。
 久遠の顔を認めた途端に、沙羅は再び湧き上がる緊張感に、頬を紅潮させた。
「あ、いいえっ…沙羅も、さっき着いたばかりで…」
 沙羅は舌を噛みそうになりながらも、必死で言葉を生み出す。
 久遠はそんな沙羅を見つつ、彼女の目の前の席へと腰掛けた。
「………………」
 見惚れてしまう姿なのに、沙羅には落ち着いて彼を見ることさえ出来ない。いつもの倍以上に緊張してしまい、がちがちになってしまっていたのだ。
「…橘」
「は、はいっ」
 久遠がそんな彼女の極度なまでの緊張に気がつき、解してやろうと声を掛ければ。
 ぴょこん、と反応する、沙羅の体。自然と声も、上擦ったものになってしまっていた。
 久遠は口元を手で隠し、沙羅の反応にくすりと笑った。
「……肩の力を抜いて。僕とこうして会うのは、初めてのことじゃないだろう?」
 沙羅の潤んだ瞳を見つめながら、久遠は静かにそう言葉を届けてやった。
「…はい」
 すると不思議に、沙羅の肩の力が僅かであるか抜けたように思える。
 そこで沙羅は、徐にアイスティーへと手を伸ばし、鼓動を落ち着かせるために一口だけ、それを喉に通した。
「あ、あの…」
「…うん?」
 俯きがちに、スカートを握り締めながら。
 沙羅は勇気を振り絞って、口を開く。
 久遠は優しい笑顔で、彼女の次の行動を待ってくれている。
(頑張れ、沙羅…っ)
 心の中で、最大に自分を励ましながら。
 沙羅は隣においてあった白い紙袋を、久遠へと差し出した。
「あの…っ 特別な意味はないんです…っ」
 瞳を硬く閉じながら、震える両手で沙羅は必死に言葉を紡いだ。口にした後で、後悔は後を追ってやってくる。
 もっと、気のきいた言葉を、作り出せたらよかったのに、と。
「…わかってるよ。でも、有難う」
「…………」
 久遠がそう、沙羅に言葉を投げかけてくれるまでの時間が、物凄く長いものに感じた。実際は数分も経っていないのだが。
 ゆっくりと顔を上げると、軽くなった両手の先には優しく微笑み、沙羅の手作りであるトリュフを手にした久遠の姿があった。
 そこで、『無事に手渡せた』と言う現実感を得たのか、安心感が広がる。その分、新たに生まれたものは、少しだけ濁った色の感情。
 もっと、勇気を出せたなら…違う現実も訪れていたのかもしれないのに。
 少しだけ泣きたい気分になりつつも、今の雰囲気を壊したくないと思う自分。そして、目の前の久遠が自分の手作りのトリュフを受け取ってくれたという事。それだけでも良しとしなくては、今までの努力が無駄になってしまう。
 沙羅は気持ちを入れ替えるように努力し、久遠に微笑みかけた。
「…その、今日は…有難うございました。来てくださって、嬉しかったです」
 頬を染めながらそんなことを言う沙羅を見つめたまま、久遠はゆっくりと頷きを返してやった。
 まだ、自分の中では特別な感情は生まれない。気に掛けているというのは確かであるが、様子見といった所だ。
 それでも……。
(いや…それは、まだ…)
 久遠の心の中の声は、誰にも響かない。
 自分の元へ運ばれてきたコーヒーが生み出す湯気を、不思議そうに見つめながら、久遠は小さく笑った。

 二人の思いは…まだ絡まない。
 沙羅の想いはまだ、久遠の心の奥には届かない。
 それでも沙羅は、今のこの時間を大切に…自分の心の中の宝箱に仕舞いこむ。この先の、勇気へとつながるように。




-了-

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橘・沙羅さま&相沢・久遠さま

ライターの桐岬です。
今回もお二人のお話を書かせて頂けて、とても嬉しかったです。
沙羅ちゃんの可愛らしい気持ち、上手く表現出来ているでしょうか…。
久遠さんの複雑な心理も、少しだけ描写させていただきました。
今後のお二人がとても気になるところですが、今回はこの辺で筆止めとさせて頂きます。

少しでも楽しんでいただければ、幸いに思います。

今回は本当に有難うございました。


桐岬 美沖。

※誤字脱字がありました場合は、申し訳ありません。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
朱園ハルヒ クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年03月03日

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