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『『衣干したり 春の腹黒』 』
オーマ・シュヴァルツ1953


 顔の半分が隠れる白いマスク。そんな5、6歳の息子の手を引いて、母親はここを訪れた。だが、建物の前で立ちすくみ、入ろうかどうか、まだ迷っている。
『腹黒同盟総本部(エルザード公認)』。
 シュヴァルツ診療所の看板の横に、こう書かれた大きな板切れが張り付けられていた。ペンキが乾かぬうちに立てたのか、黒い血が文字から流れ出たような雫が垂れ下がって、さらにおどろおどろしさを増していた。ただしそれは演出の為にされたことでは無いだろう。院長がせっかちで、作った看板を早く立てたかっただけだ。乾くまで待ちきれなかったのに違いない。
 母親はため息をつく。風邪とインフルエンザと花粉症が蔓延する今の季節。かかりつけの、当たりの柔らかい女医さんのところは、彼女自身が風邪で倒れて休診になっていた。そこが締まっている分、他の医院に患者が回り、どこも満員だった。ちらりとのぞいても、ソファに空席も無い待合室で何時間も待たされるような様子だった。
「どこへ行ってもこんな感じかしら・・・」
 母親の独り言を耳にした老人が、「あそこなら空いとると思うぞ。ほれ、ええと、『シュヴァルツ診療所』と言ったか」と、杖を握り直した。
 その時は、『なぜこの老人は、その空いている方へ行かないのだろう?』という疑問は浮かばなかった。
 母親は、診療所の看板より大きな、副業用看板を凝視する。
『腹黒って何、腹黒って・・・。』
 くるりと踵を返して、薬草店で解熱と喉の薬を買って済まそうか。

 診療室の窓からは、暖かい春の日ざしが差し込んでいた。オーマ・シュヴァルツ医師は、巨体をさらに大きく広げて思いきり伸びをする。
 今日も相変わらず暇だ。
 と、窓から、母子連れが玄関の前に立っているのが見えた。子供はマスクをしている。
 やった!病人だ!
 オーマは急いで診療室のドアを開け、無人の待合室を三歩で駆け抜け、玄関の扉を院長自ら開けた。

「いらっしゃい!シュヴァルツ診療所へようこそ!」
 玄関の扉から出て来た男を見て瞳孔を開かせた母親は、しゃがんで息子を抱き寄せた。危険に対処する母親全般の『構え』であった。
 極道かと思えるような錦のキモノを羽織り、はだけた胸にはじゃらじゃらと大振りのアクセサリー類が揺れる。裸の左胸には刺青まである。
 極道医師、略して『ごくいし』(略すな)。そんな語句が母親の脳裏に浮かんだ。

 *  *  * 
 母親が、オーマの顔と胸のタトゥを交互に見つめ、怯えているのがわかる。傭兵や不良の中には、脅しをかける為に肌に絵をまとう者も多い。誤解されても仕方ないだろう。
 国際防衛特務機関ヴァンサーソサエティ。異世界に存在するその機関で、ヴァンサーとして認められた際に刻まれる『印』だった。

「なんだよ、この模様!どうせ彫るなら、エキサイティングなタランチェラとか、ラブリーエロティックな薔薇とかにしてくれよな」
 ベッドのような作業台から起き上がり、渡された手鏡を見つつ、ソサエティの外科医に軽口を叩いた。
「ばっかもーーーーん!」と一喝された思い出がある。
「わ、悪かったよ、ちっと冗談を言っただけだよ」
 任命されたばかりの新米が、ふざけすぎたかと少し弱腰になったオーマだったが、医師は真顔で、「絵描きでも無いのに、そんな複雑なモノを彫れるか」と言い返した。

 ただ、この記憶も今のオーマには曖昧だった。本当にあったやりとりなのか、夢で見たことなのか、それとも想像したことを現実だと思い込んでいるのか・・・。

 風邪息子は、2メートルを越える巨大な男に圧倒され、瞳に涙をにじませている。大人の母親だってこんなに怯えているのだから、子供が怖がって当然だ。
「あ・・・あ・・・」
 マスクの内側の口がガチガチと歯を噛み鳴らす。
「うわーーーーーん!」
 恐怖をこらえきれず、ついに少年は天に向かって号泣した。
「なんだ、坊主、まだ医者が怖いのか。ようし、俺がその精神を鍛え直して、体も心もマッスルに変えてやるぜ」
 オーマは、母親がこの病院にかかるともかからぬとも言わぬ間に、強引に二人の手を引っ張って中へ引き入れた。

 診療室の丸椅子に座っても、少年はまだ泣き続けた。泣きやまなければ、診察もできない。シュヴァルツ医師はニヤニヤ笑いながら、辛抱強く待っている。
 少年の涙が止まり、しゃくりあげだけになった頃を見計らい、オーマは掌にタオルを具現化させた。その『手品』に少年は目を見張り、いきなり泣き止む。
 オーマがタオルを差し出す。ぶっきらぼうな仕種だが、荒々しさは無い。子供はそれを受け取ると、涙を拭き、マスクを外して鼻もかんだ。そして、そのタオルの柄が、オーマの顔柄であることに気づき、「うぎゃ!」と悲鳴をあげてタオルを床に投げ捨てた。小さなオーマの顔が、タオル地一面にプリントされていたのだ。
「ちっ、ひでえな、“オーマ様タオル”を」
「す、すみません!」
 息子が謝る前に、母親が悲鳴のような謝罪を告げ、タオルを拾おうとした。先にオーマが手を伸ばし、苦笑しながらタオルを洗濯物籠に放り込む。
「おじちゃん、今の、魔法なの?」
 子供は、オーマをすでに『面白いおじさん』として受け入れてくれたようだ。期待に満ちた瞳がきらきらとオーマを見上げている。
「いんや。『具現化』と言ってな。精神を集中して思ったモノを掌の上に出す事ができるのさ。俺は医者の他にもイロイロやっていて、それの一つがヴァンサーってやつだ。ウォズを狩る仕事だな。具現は、ヴァンサーの特殊能力の一つかな。
 ほれ、『あーん』と、大きく口を開けてみろや。もっと大きく」
「喉が痛くて、あんまり開かないや」
「泣いてる時はもっと開いてたぞ?マスクからはみ出すくらいになあ?」
 少年は照れくさそうに頭を掻き、もう少し頑張って開ける。
「だいぶ喉の奥が腫れてるな。
 お母さん、喉の痛みと発熱はどちらが先だ?」
「ええと、初めは咳だけでした。三日くらいして、少し熱っぽくなって」
「インフルエンザでは無く、風邪か。
 風邪には、オーマ特製スペシャルらぶらぶ薬草ジュースだ」
 オーマは、背後の作業台に置かれた鍋から、グラスにどろりとした緑の液体を注いで戻り、「さあ飲んでみろ」と少年に差し出す。
 風邪の少年は指に力が入らなかったのか、「あ!」と取り落とした。オーマが咄嗟にグラスを掴み、割れて破片が散らばる面倒は避けられたが、ジュースはすべてオーマの極彩色の服へとかかった。何の布で出来ているのか、その服は妙に吸い込みがよく、見る見る緑の染みを作る。
「す、すみません!」
 また母親の方が慌てて詫びた。バッグから自分のハンカチーフを取り出す。少年は、大変なコトをしたと茫然としている。再び瞳を水分が覆った。
 オーマは母親のハンカチを押し戻し、「失礼・・・」と後ろを向くと、極彩色の布を脱いだ。そして、壁にかけてあった白衣を素肌にまとう。極彩色の服は、水で薬草のついた部分を軽く洗い流され、さきほどのタオルと同じ籠へと丸めて放り込まれた。
『白衣もちゃんと持っていたのね』と母親は改めて思った。
「気にすんな、坊主。特製ジュースはまだまだあるぞ」
 オーマは少年の髪をぐちゃぐちゃとかき回す。ちゃんと力は加減されていて、乱暴に見えても痛くは無い。医師の手は大きくて暖かかった。
「先生・・・。ジュースの色、見えない方がいい。グラスよりカップがいいな」
 オーマに心を許した少年は、遠慮無くわがままを言う。
「えー、そうかー?この色がナイスでらぶらぶな所以だと思うんだがなあ。
 陶器のカップってことだよなあ。ええと・・・」
 オーマは、薬や医療器具の並んだ戸棚を探すが、家庭の食器棚であるまいし、陶器のカップなどはあるはずもなかった。
「うーん、無いなあ。坊主、我慢してグラスで飲めや」
「『ぐげん』というので、出せないの?」
「具現か・・・」
 オーマは渋い表情になった。
「す、すみません!
 図々しいこと言うんじゃないの」
 少年はぽかりと母親に頭を叩かれた。
「いや、いいさ。洗濯物の籠に入れた服をもう一度着るのは、あまり気持ちいいものじゃないがな」
 オーマは、籠の中に突っ込んださっきの極彩色の着物を引っ張り出し、再び「失礼」と断って白衣を脱いで、その濡れた着物を羽織った。洗った前衣だけでなく、背中にまで水分は行き渡っていた。錦はべたりと冷たく肌に張り付く。オーマは思わず顔を顰めた。
「もしかして、『ぐげん』するのに、その服がいるの?」
 まあなと軽く笑い、オーマは白いマグカップを掌に出現させた。

 正確には、コレが無くても具現化はできる。コレは、力を制御し、術者を護るだけだ。
『ヴァレル』というコレは、ヴァンサー用の戦闘服だった。異世界では、ヴァンサーが具現化を行う際、タトゥを媒介として具現召喚着用した。着用せずに具現を実行した場合、パワーは本人の想像を越える。こちらの世界では異世界より消耗も衝撃も大きい。オーマは常にウォズの襲来を想定し、なるべくいつもヴァレルをまとうようにしていた。
 ただ、こういう派手なヴァレルなのは、オーマのせいではない。
 これを精神で織ったのは、ヴァレル・マイスターである姉であった。ヴァレルを具現できるのは、ヴァレル・マイスターだけなのだ。
『いつも身につけるには、ちょっと派手じゃねえか?』と抗議する勇気は、オーマには無かった。口を開きかけ、新品のヴァレルを握ったまま、言葉をごっくんと全部飲み込んだ。『汚れが目立たなくて、こりゃあいいや』と自分に言い聞かせた。
 今、自分がまとって、確かにそう思った。薬草の染みは、あまりわからない。

 少年は何度か振り返り、玄関で送るオーマに手を振り、母親もその度に立ち止まって会釈をした。蜂蜜入りの特製ジュースは、見た目は悪かったが少年の口に合ったようだ。風邪を追い出すには、体と心を元気にすることだ。薬草店に渡す処方箋と、『特製蜂蜜入り』のレシピを母親に持たせてやった。薬が美味いとわかれば、子供も嫌がらずに飲むだろう。
「はっくしょーい!」
 濡れた服が、オーマの体を冷やした。
 天気は上々。どうせ患者も来ない。こんないい天気の日には、たぶんウォズだって、まったりと日向ぼっこでもしているだろう。・・・と、思うことにして。
 診療室のシンクは器具を洗う場所なので、衣類の洗濯には向かなかったが、とりあえずヴァレルの染みを落とし、裏庭の木にロープを張って干した。
「派手だ下品だと言うヤツもいるが、青空に映えて、なかなかキレイじゃねえか」
 素肌に白衣のオーマは、診療室の窓から顔を出し、風にはためくヴァレルに見ほれた。まだ早い春の空に、七色の布が華やかに踊っていた。

< END >

PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年03月01日

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