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『『割烹着のヒーロー』 』
浅野・火星4749

 4年の夏休み迄に内定が取れなかった時点で、浅野・火星(あさの・かせい)は既に漠然と心に決めていた。

 大学からの帰りは、コンビニで弁当を買う。友達と茶でもして7時を過ぎれば母はもう帰宅し、自分で買ってきたコンビニ弁当を食べている。時々残業はあるものの、殆ど定時で退社できているようだ。
「お湯、沸いてる?」
 火星が尋ねると、「ううん。沸かそうか?」と、母は割箸を置いて腰を浮かす。
「あ、いいよ、自分でやるから」
 母は働いて帰っている。即席味噌汁ぐらい、自分で入れられる。火星は、フリーズドライの赤だしを戸棚から引っ張り出した。が・・・賞味期限が一週間も過ぎているのに気づき、袋ごとごみバケツに捨てた。
 二人の姉は9時前に帰る時は外食では無く、やはりコンビニ弁当だ。朝にはごみバケツが『容器包装プラスチック』で満杯になっている。

 母にも姉にも不満は無い。だが、この食卓は寂し過ぎると思った。時間に余裕がある学生の自分が、きちんと料理を作ろう。そう思って、初心者向けの料理の本を買い込み、家族の分も作るようになった。あの時は、他のことに没頭したかったのかもしれない。就職活動以外のことに。
 料理をするようになると、毎日の食材購入のついでに、トイレットペーパーや歯磨き粉やシャンプーや・・・日用品の買い出しも行うことになる。春になり、大学を卒業しても、当然のようにそれは続き、火星は浅野家の立派な専業主婦と化していった。
 
『今から15分間、4時から“四時の市”でございます。シールの付いている全商品、二割引きで・・・』
 スーパーの放送に、待ってましたとばかりに手を伸ばす。今夜はシチューだ。唐揚げ・シチュー用の鶏肉を2パックゲット。浅野家は各自の夕食の時間がバラバラなので、焼き肉や鍋物のようにみんなでせ〜の!で食べるものは向かない。
 肉売場で、手が交差しぶつかり、「すみません」と謝る。小麦色の手の甲に見覚えがあり、見上げたら、近所のカレー屋の印度娘だった。彼女も火星と同じ姉が二人いる末っ子で、しかも姉達が強力であるという共通点もあり、なんとなく仲が良かった。家の食事は彼女が作るのだそうだ。前に、「でも、姉さんはコックだろ?」と確認したことがある。
「でも、カレーしか作れないなの。どうしてこの食材で?って思うものでも、絶対カレーになるの」
 里芋カレーや鯖カレーは嫌なので、彼女が食事係を買って出たそうだ。ちなみに、二番目の姉さんは『何も』作れないとのこと。
「今夜はうちは水炊きなの」
「へえ、いいなあ」
 鍋を家族でつつくのは、少し羨ましい。

 買物を終えて帰宅、必要に応じて冷蔵庫にしまったら、今度は洗濯物を取り込む。これは、買物と違って難儀な仕事だった。なにせ女が三人、しかも二人は若い女性。彼女らの洗濯物を取り込むところを、あんまり人に目撃されたくはない。
 籐かごを抱えてベランダに出る。風は冷たいが、陽がだいぶ長くなり、まだ夕暮れには遠い。火星は、近所より少し遅く取り込むようにしている。そうすれば、他のベランダの主婦達と顔を合わさずに済む。
『これはいろがみなんだ。いろがみを細かく折ってハサミを入れて、びろーんって広げた、アレなんだ』
 そう自分に暗示をかけてみる。レースやら刺繍やら、てかてか光沢のある青や紫のそれらを、視線を微妙にそらせながらかごに突っ込んだ。火星だって、グラビアのオネエサンの派手な下着は好きだし、下着だけだって『おお!』と思うが、身内のものは別だ。
 それに、見るからに『勝負下着』と思われる上質レースのセクシー・スキャンティーなどがあると、「おおい、姉貴、昨夜は残業じゃなかったのかよ〜」などと、私生活の片鱗を覗き見してしまう。それは、あまりいい気分ではなかった。っていうか、若い女が、下着くらいは自分で洗えよと思うのだが・・・。だが、家族に面と向かってそれを言う勇気は無い。特に、ねーちゃん達は本当にコワイのだ。
 タレ目で気弱そうに見える火星は、子供の頃はよく苛められた。保育園は、時間外保育では年齢の垣根無しに一つの部屋に入れられることが多い。
「おまえ、何泣きそうな顔してんだよ」
「ご、ごめんなさい」
「うぜーんだよ」
「ごめんなさい」
 人と争うのが嫌いな火星は、ひたすら謝って切り抜けていたのだが、いじめっ子がおやつを奪おうとした瞬間、年長組の次女の鉄拳がいきなり頬に炸裂した。
「うちの子が貰った食べ物を取るなんて、許さない」
 別に火星が苛められたから怒ったわけでは無かった。そのいじめっ子は、あんまり泣いたので発熱したそうだ。保育園は、誰がぶったとか噛んだとかはいちいち親に報告しない。姉はその場で叱られただけだったが、自分は正しいと確信しているので、しょげもしなかった。
 小学校でも似たようなことがあった。全体遠足で、一年生の火星のおやつを脅して取って食べた六年がいたが、その男子と同学年だった上の姉が、授業の研究発表の時に散々鋭い質問を連発して泣かせてしまった。
 姉たちを怒らせてはいけないのだ。火星は、身近にいて肌でそれを感じていた。

 大鍋に適量の水を入れ、割烹着を被って沸騰を待つ。エプロンでは袖が濡れる。袖を折り込んでも、アームバンドをしても、作業中に落ちて来ることがとても多い。だったら、割烹着の方が機能的だ。他人に見せるわけでもないし、火星は白い割烹着で調理をすることが多かった。
 冷蔵庫から鶏肉と缶ビールを取り出し、プルトップを引いてアルコールを一口流し込み、鶏肉にフォークの先を突き刺して行く。これをやると肉に味がよく浸透するのだそうだ。夕食の支度は好きかもしれない。鼻唄を歌いながら、人参の皮むきにかかる。
 反対に、朝の支度は嫌いだ。今が冬だからでは無い。早起き自体はそう嫌ではないのだが。
 静まり返った朝のキッチン。自分のスリッパの音だけが響く。エアコンをオンにすると、モーターがうなり、天井を温風が撫でる。鍋に水を注ぐ音、ガスレンジを捻る音、ガスの炎が鍋底を叩く音。どんどん賑やかに音が増えて来る。湯が沸騰する頃、部屋はもう暖かい。フライパンで目玉焼きがジュージュー言う頃には、母と上の姉が起きて来る。おはようの挨拶。母がテレビをつける。姉が新聞を開く。「あ、今日、おかあさん、遅くなるよ」「夕飯は?」「食べる」「わかった」二人が珈琲を飲み終えて身支度を始める頃に下の姉が起きて来て、火星はフライパンに三回目の玉子を落とす。
 朝はせわしない。だが、賑やかで活気があった。
「行ってきまーす」「行ってくるね」「うわっ、やば。じゃあね!」
 矢継ぎ早に三人が部屋を出て行く。
 ・・・静寂。
 テレビが遠く、芸能人の噂を喋り続けている。テーブルクロスにこぼれたバン屑。飲みかけの珈琲。読み散らかされた新聞紙。
 みんなには、行く場所がある。眠気や毛布の誘惑と闘って起きて、急いで朝食をかっこみ、念入りに身繕いをして。そこまでして出かける場所がある。
 世界が歯車の一つとして三人を認め、彼女たちが来るのを待っている。
 火星は、毎朝、自分だけが取り残された感じを味わってしまう。最後の珈琲は、煮詰まっていてにがい。

 だから、みんなが帰って来て、たとえ時間差があるにしろ、この夕食を食べるのだと思うと、ほっとするような嬉しいような気持ちになる。人参は切ったらそのまま入れるが、じゃが芋は洗って半分に切った後、電子レンジでチンする。こうすると皮が剥きやすいのだ。ブロッコリーは別に塩ゆでしておいて、シチューを食べる前に入れる。
 ホワイトシチューのルーが溶け、コクのあるいい香りがしてきた頃。
「あーーー!フランスパン、買い忘れた!」
 シチューかけご飯も火星は個人的には嫌いでは無いが、浅野家ではあれは『幼児食』として完結している。食バンをトーストしてもいいが、ディナーっぽくない。
 店でフランスパンを焼いて出すタイプの店は、夕方には殆どの商品を売り切る。今残っているのは、ビニールに入れられて三個200円の値札を付けられた調理パンぐらいだろう。
「・・・。」
 パスタを入れて、クリームスープ・スパゲティ風にしてごまかす。
「ようし、我ながらよいアイデアだ!」
 火星は小さくガッツポーズをした。
 大鍋はシチューに使ったこれしかないので、ラーメン等を作る片手鍋に湯を沸かす。鍋が小さいからスパゲティを茹でるのは難しい。だが、マカロニのような短いパスタなら平気だろう。

「なにこれ?失敗したグラタンみたい」
 上の姉はそう言い放ち、「コンビニ弁当買って来て」とサイフを開いた。
「また変なもの作ったわね!・・・コンビニで何か買って来て」
 下の姉も、火星に千円札を差し出した。
「ごめんね、おかあさん、これはちょっと口に合わないみたいで・・・」
「わかったよ。弁当買って来るよ」
 火星はダウンをはおり、今夜三度目のコンビニに走る。
 
 夜道での深いため息は、白く大きく吐き出される。火星の憂鬱は、使いっパシリにされたことでも、料理の失敗への後悔でも無い。
 あのシチューを、明日も、たぶんあさっても、自分一人で平らげなくてはいけないことだ。
 凍った星達が、同情してクスリと笑ったようだった。

< END >
PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月21日

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