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『『地平線に落ちる夕陽』 』
藤井・蘭2163

 スピーカーからダンシングな音楽が流れ出す。低音が床を震わす、強いビート。シュガートーストを小さな口で咀嚼していた藤井・蘭(ふじい・らん)は、「わあ!」と椅子から立ち上がり、テレビのライオンらしき着ぐるみと一緒に体操を始めた。トレーナーの皺に留まっていたパンの食べカスがパラパラと床に落ちる。
「こらこら!踊るか食べるかどちらかにしろ」
 この部屋の主、これから大学へ出かけるところである保護者が、慌てて男児を制止した。丸衿のカットソー、小さなダイヤ粒のペンダントが、喉の動きに舞う。
「蘭、お行儀が悪いぞ」
 そして当然叱られた。
「持ち主さん、ごめんなさいなの・・・」
 蘭は、しゅんとして元の席に座り直す。
「ま、ああいう音楽は、子供に踊るなという方が無理か。今は子供番組の体操にも、アフリカ音楽のリズムなんて取り入れられてるんだなあ」
『持ち主さん』は今朝は割合ゆっくりでよいらしい。テーブルに肘をついて二杯目のコーヒーをすすりながら、幼児番組を蘭と一緒に見てくれていた。口調はぶっきらぼうな女性だが、蘭にはとても優しい。
 蘭は口に残ったトーストをココアで飲み下し、「ノリノリなの!」と笑う。保護者はその笑顔につられて微笑んだ。
「蘭のふるさとだもんな、アフリカ」
「え?僕のふるさとは、おとうさんのお花屋さんなの。アフリカって、シマウマさんやゾウさんがいる、あのアフリカのことなの〜?」
「オリヅルランは、アフリカ原産なんだよ。南アフリカのナタールあたりらしい。
 日本には、今から百年位前・・・明治の最初の頃にやってきたようだよ」
「僕・・・アフリカから来たなの?」
「うーん、直接じゃなくて欧米からってことだろうけど。でも、オリヅルランは株分けで増えるから、蘭の体の一部はまだアフリカに居るのかもしれない。蘭の記憶の中にも、アフリカが残っているかもな。
・・・おっと、俺はもうそろそろ行かないと。留守番、よろしく」
「まかせてなの〜」
 スカートの裾を翻して部屋を出て行く保護者を、蘭はドアまで見送った。彼女は黒絹の髪も美しい女子大学院生だ。東京での一人暮らしで変な男が付く事を心配した父親が、見張り役を送り込んで来た。店にあったオリヅルランの鉢植えに術をかけ、10歳位の男の子にして。
 小さい子供と接したことの無い彼女は最初は戸惑ったが、今はすっかりいい姉貴ぶりである。
 蘭は、人間になってまだ一年ちょっとなので、外見年齢のわりに幼い。精神年齢4、5歳というところか。だが、保護者が大学で学ぶ間の留守番ぐらいはできた。

 蘭の朝食はまだ途中だった。静か過ぎる気がして、思わずリモコンでテレビのボリュームを上げる。でも、大丈夫。留守番は慣れている。寂しくなんかない。
 ぬるくなったココアの甘さをゆっくりと味わう。さっき幼児向けを放送していたテレビ局は、今は動物のドキュメンタリー番組を流していた。
 風になびく低い草の波。土けむりを上げて、シマウマの群れが走る。
「うわ・・・なの。これ、アフリカなの?」
『ナンアノシゼンカンキョウホゴダンタイニヨリマスト、ゲンザイコクリツノエンデホゴサレテイルドウブツノナカデ・・・』
 ナレーションは硬く難解な言葉を並べ立てる。意味不明なカタカナが、蘭の頭の中を素通りして行く。
「でも、アフリカなの。きっと、僕のふるさとなの!」
 蘭はサバンナを走る動物たちを食い入るように見つめた。懐かしいような心踊る気持ちと、すうっと静かになっていく寂しい気持ち。不思議な、二つの心が同居した。
『蘭の記憶の中にも、アフリカが残っているかもな』
 持ち主の言った言葉が蘇る。『記憶』の意味はわかる。『覚えている』ということだ。
「アフリカ・・・僕、覚えているのなの?」
 だが、何も思い出せなかった。絵本や図鑑で見た動物達が、四角い箱の中で走りまわる。ゾウの鼻先はフレームで切られ、ヒョウの尾の先も枠の外でカットされる。鳥の群れの羽ばたきが聞こえていたが、画面では鳥の影は見えない。たぶんヒョウが躍り出たことに驚いて、飛び立ったのだろうけれど。

 朝食の食器を流し台へと片付け、テレビを消す。床に散らばった食べカスを掃除するのに、掃除機を引っ張り出した。小学4、5年の体格なら、掃除機はかけられる。特に、保護者はごてごてと物を置くタイプでは無く、子供でも掃除がしやすかった。
 掃除をする為に、窓を開け放した。外はいい天気だった。ふわりとした光が部屋の中へ入って来る。
「蘭くん、おはよう」
 窓から見えるご近所の庭。早々とピンクの花を付けた梅が、蘭に声をかけた。
「あ、おはようございますなの〜」
 掃除機の先が見えたのか、「お掃除?偉いね」と梅が褒めてくれた。梅は今の時期、機嫌がいい。道行く人が指さして、「わあ、もう春が近いね」と笑顔になってくれるのが嬉しいのだそうだ。
「はいなの。お掃除、頑張るなの」

 ダイニングのテーブルの下を丁寧に吸い取り、次はリビングの方も掃除機をかける。
「掃除機って、ゾウさんに似てるなの。ぱおぉぉぉん。ぱお〜ん」
 轟音に合わせて愛らしい声が象の啼き真似をした。
 長い鼻は蘭には持て余し気味だ。二度ほど家具に『鼻』をぶつけた。だが、そう広い部屋では無いので、掃除はあっという間に終わった。きちんとコンセントを握って抜き取る。コードを引っ張って抜いてはいけないのだ。蘭は律儀に言い付けを守る。

 後は蘭の自由な時間だった。持ち主が帰るまで、時間はたっぷりある。蘭は、元の姿に戻って日向ぼっこをすることにした。『人に見られたら大騒ぎになる』そうなので、蘭は窓を閉めた。そして、そのガラスに肩を寄せて、手足をリラックスさせる。
 磨ガラスから洩れて来る冬の光は、ぼんやりと霞んで優しい。蘭の体が全体に小さく小さく縮んで、緑の髪がするすると伸びて背中に触れる。髪は房に別れ、それが細長くて先端の尖ったオリヅルランの葉の形に変貌を遂げる。ふっくらとした指が、長く伸びて先から緑に色が変わって行く。葉のエッジ部分の緑が濃くなり、中央は白っぽくなる。この色が反対のものも居るが、同じ種類、どちらも蘭の兄弟だ。
 半ズボンからのぞく足もするりと伸び、緑の蔓へと姿を変えた。蔓の先にちょこんと下がる子株の形が折り鶴に似ている。線状被針形・・・細く尖った葉先がランダムに広がる様子が、翼と尾と嘴が鋭く四方に伸びる折り鶴に酷似していた。レンガ色のトレーナーはプランターに、濃紺のズボンは水受けトレーへと変わる。花屋の店長がどんな術をかけたのか謎だ。
 蘭は本来の姿に戻ると深く息を吸い込んだ。子供の蘭には元々高い天井だが、鉢植えの姿だとさらに部屋が広く思える。
人間のような目は無いけれど、植物は360度の風景を感知することができる。人間は正面しか見えないので不便かもしれない。耳が無くても聞こえるし、口が無くても植物同士なら喋ることができる。
 以前は土を媒体として想いを通い合わせているのだと思っていたが、こうして鉢植えに植えられても前と能力は変わらない。大気を使って想いを伝えているのだろうか。
「あれ?ちょっと待つなの。・・・『以前は』って・・・なに?」
 土に根付いていた頃の記憶?
 それとも、ぽかぽかと気持ちよくて・・・うたた寝しかけてたなの?

 近所の小学校のチャイムで我に返る。人間に戻り、冷蔵庫のハンバーグをレンジで温めて昼ごはんを食べた。その後は、ドリルで勉強だ。蘭は既にひらがなの読み書きはできるが、カタカナと漢字、それから時計の見方等を学ぶ幼児用ドリルを、保護者が買って与えてくれた。指を折って林檎やキャンディの数を数え、掛け時計を見上げる頃には、南東の窓に注ぐ光は移動して去っていた。

 保護者は、夕方に食材を抱えて帰って来た。
「今夜はシチューにしよう。暖まるしな」
「わあいなの!」
 保護者は、オリヅルランに肉や野菜を食べさせることに疑問を感じることもある。だが、動物も植物も地に倒れ、やがて土にもどる。それを養分とするのだろうし、何より蘭が嬉しそうに「おいしいなの〜」と食べるのだから、「まあいいか」と思う。
「あのね、なの。今日、テレビでたぶんアフリカ・・・見たなの。『ナンア』ってアフリカ?」
 保護者は、必要な食材だけを残し、買ってきたものを冷蔵庫に詰め込んだ。
「そうだよ。南アフリカ。まさに、蘭の故郷だ」
「そうだったなの・・・。でも、見ても、全然、何も思い出さなかったなの。僕、記憶力、悪いのなの?」
 苦笑して「そんなことないだろう」と保護者は蘭の頭を撫でる。
「ドリルで学んだことも、俺に教わったことも、きちんと覚えているんだし」
 身なりの立派な白人たちが、船を降りてやって来る。銃を抱え、草原の草を軍靴で踏み荒らし・・・。そんな記憶なら、残っていない方がいい。
「あれ?持ち主さん。今朝行く時にしていたペンダントは?大変なの!落としたなの?」
 蘭が胸元を見て騒いだ。
「いや。外しただけだから、大丈夫だよ」
 今朝、蘭に南アフリカの話をして。ふとその歴史を思い出して。ダイヤのペンダントなどで身を飾っていることが恥ずかしくなって、外したのだった。インド航路の中継地点として。それから金鉱、そしてダイヤ鉱脈。連れて行かれる奴隷達と、連れて来られた奴隷達。過酷な人種差別。大地に広がる背の低い草達は、一部始終を見ていたのだろう。人間のすることすべてを。

「持ち主さん。夕焼けなの!」
 キッチンの窓は西向きだ。磨ガラスに朱色が広がっていた。
「ああ。随分陽が長くなったな」
 滅多に開けることのないキッチンの小窓を、余興で開けてみる。たくさんのアパートや住宅、ビルの屋根に切り取られた空。電線の網がジクソーパズルのように風景を区切る。
「真っ赤で、綺麗なの!」
 蘭ははしゃいだが、保護者は口許だけで微笑んだ。夕陽の照り返しが、二人の顔にも紅く映り込む。蘭の白い頬も、銀色の目も緑の髪も、夕焼け色に染まっていた。

< END >
PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月21日

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