『stake a claim 』

久我・高季（3880）＆曲・闇虎（3884）

「久我、高季先生ですよね」
白い息の呼び掛けに、珍しく定時で仕事が引け、帰路につこうと勤務していた高季は足を止めた。
　病院の裏手、職員用の通用口から出た所でかけられるには相応しい尊称だ。
「そうだが……君は」
戸外の階段の端に腰掛け……髪や肩に薄く雪を乗せ、呼び掛けた青年は、ほっと息をついて立ち上がった。
「よかった、白衣と印象が違ったもので。人違いだったらどうしようかと」
人懐っこいような微笑みに、以前診療した事があったろうかと記憶を探るが該当する顔立ちの者はなく、内心に首を傾げる高季に、青年は寒さに赤い鼻を小さく鳴らしてまた白い息を吐く。
「以前、父がお世話になりまして」
当然、高季が覚えるだろう疑念に配慮してか、青年はごく簡単に身上を説明する。患者の家族なら記憶に薄いのも当然かと、納得しつつ青年の黒いコートの肩に積もる雪の量に呆れた。
「こんな所で待たなくても、中に入って事務員に声をかければよかったろう」
段上、庇の下に雪の注がない位置を、半身を除けて場所を空けてやれば軽い会釈で階段を上って来る。
「お仕事の邪魔になったらマズいと思って」
同じ段に足を置いけば、高季の目線に雪を纏い付かせた髪が揺れた。
「お父さんのお名前は何とおっしゃったかな」
用向きを訪ねようと水を向ける高季に、青年はコートのポケットに手を入れたまま、残った足を最上段に置いて更に奥、通用口に進む速度で高季の脇を抜け、雪を落とす為、ポケットに入れたままの手がバサバサと音を立てて揺らしたコートが触れると同時、腹に熱が弾けた。
「……ご存じないと思いますよ」
声の調子も、笑った顔も変えずに、青年は事も無げに……ポケットの中から突き込んだ、刃を引き抜いた。
　高季は階段を短い跳躍で飛び降り、青年と距離を取る。
　溢れる赤に、砕けそうになる膝を意思の力で堪え、押さえた傷口を掌で強く圧迫しながら段上を睨め付ければ、青年はコートの内側、暗い裏地を裂いて際立つ金属の刃を片手で抓むようにして大事そうに持ち直した。
「髪が頂けたらと思ったんですけど。先生、強いって聞いてるから」
付着した血の赤に満足そうに、青年は油紙で小刀をくるんで笑いかける。
「貴方は覚えてない……その前に知らないでしょう。僕の父は何処にでも居るような呪師でして。一つ、二つ、呪いとも言えない些細な術を成就させた事はありますがそれ以上の力は決してない……でもどんな小さな呪いでも、『久我』に返しを喰らったらそれは非道い死に様なんですね」
確かに、これまでに関わった呪詛の全て、関わった人物を覚えているか問われれば否である。
「……恨みか」
絞るように声を吐き出しながら、高季は地に踞る体勢を取ったまま、その能力で以て急ぎ傷を塞ぎにかかっていた。
「とんでもない」
心からそう思っていると言う風に、青年は目を見開いた。
「僕は返しを貰うとしても、父と同じ死に様だけは得ないと、そう思っているだけですよ」
奇妙な自信を持って青年は告げる。
「こんな若造が呪いをすると言っても、信じて金を出す人間は稀です。だから『久我』を殺したという実績が欲しい」
自分に高季を殺させて欲しいと。
「応じると思っているのか」
突拍子のない申し出に怒りが萎えて呆れすらした高季の声に、青年は続けた。
「ねぇ、実は簡単だと思いませんか。先生が応じて下さらないのなら、僕は貴方を呪った後に命を断つ。先生が返した呪いは僕を見失ってまた先生の所へ戻る……返しの返しを、先生はどうされます？」
「……馬鹿か」
心底呆れて高季は己の命をかけた……脅しとしても稚拙なそれだが、呆れた事に有効だ。
　元より、呪いなど命を厭いさえしなければ。墓穴を二つ、掘っておく覚悟があれば間違いなく成就する。
「幸い僕も父に似て、そんな強い力は持っていないんですよ。先生の命を奪う程の呪詛は放てないかも知れない」
青年はそう笑って通用口の扉を軽く押し開く。
　裏手の駐車場へ出入りする為、外来患者の待合室とも繋がる通路を抜けていく彼を、誰も見咎める事はしないだろう。
「よろしくお願いしますね、久我先生」
気易く請け負えない事柄を気軽に頼んで、青年の姿は屋内に消える。
　……自分は、おかしな者になめられる嫌いでもあるのだろうか。
　高季は深く息を吐き出そうとして、押さえた掌の下に凝る痛みに自重した。


「……高季？　何して来た」
開口一番、そう問うのは高季周辺でおかしな者の筆頭である。
　曲闇虎の姿が玄関の扉を開けた其処に在り、高季は相手の勘の良さに内心舌を巻きつつも平静を装う。
「何も？　それより其処を通してくれないか。上がれない」
上がり口が狭いのではなく、成人男子の平均より身長のある高季、それより更に上背のある闇虎が道を塞いでいれば横を擦り抜けられるのは仔猫位しかいない。
「……何も？」
闇虎が足を踏み出す。身長差……だけではない圧迫感に怖じる足を踏み止めるにようした意志の集中に、彼の手への警戒が遅れた。
「……ッ！」
右の脇腹に添えられた手、刺された箇所を親指が強く押して、走る痛みに声だけは堪える。
　高季は確かに心霊治療を得意とするが、それは如何に組織に傷を付けずに患部のみを除去するかを得手とする内的な治療であり、外傷を塞ぐのは得意でない……それを補う為もあって外科の道へと進み、今の職を得ているのだが。
　重要な血管と内臓組織、表面に見える傷こそは塞いだが、一時凌ぎの措置でしかない。
「へぇ、何も、ねぇ？」
指に込めた力を引かぬまま、堪える息すらつけぬ高季の耳元で闇虎が囁く。
「最近は、帰宅途中に陰腹切るのが流行り？」
傷を上から押さえる手を除けようとしても力が入らず、身を引いて逃れようとすれば阻む扉に背をぶつけた。
「結構深いな……契約してんのに」
闇虎の言う、契約とは互いに交わした眼球を礎に、命を繋ぐ……正確に言えば鵺たる闇虎が秘めた甚大な妖力と生命力とを高季が奪い、不老なる肉体と尋常ならざる治癒能力を得て死を遠ざける、それを言う。
　半ば以上に人為らざる者と化す、邪術とも言えるそれが高季と闇虎を繋ぐ絆である。
「なんで、使わねぇんだよ」
闇虎の、命を。
　契約に繋がる力は低きへ流れる水のように……畢竟、命を湛える器として小さな、人間の身である高季へと注がれる形となる。
　本能に近い意識の下で繋がりを意図的に閉じて、傷を得た経過すら悟らせない高季を責める強さで、闇虎の眼差しが自分を見据える……朱と蒼灰、色は異なりながら確かに同じ怒りを湛える瞳に、口元は知らず笑みを刻む。
「自分の身くらい自分で守る」
けれど吐き出す言葉に感情はなく、闇虎はその冷たさにあからさまな反応を見せた。
「今、守れてねぇだろうが！」
ダン！と打ち付けられた拳に、扉が重い響きと振動を背に伝えるが、意外……とも言える鵺の激昂にも、高季は仄かに笑んだ表情を崩さない。
「……お前は、俺のだ。高季」
闇虎は折に触れてそう、所有を主張する。
　闇虎の瞳を抉りだして我が物とし、空隙に自らの瞳を埋め込んで孤高の獣を縛した己を、守るのだと。

――酔狂にも程がある。

　高季はシャツの上から傷に触れる、闇虎の手を払い除けた。
　その命を与え、癒そうとしてか。触れた箇所に感じた確かな熱を断たれ、傷が痛みを訴える。
　けれどそれを無視して、高季は後ろ手にドアノブを回して扉を開き、後ろに傾けた体重に踏み出す一歩を任せて言い放った。
「俺は、お前の物にはならない」
契約を強いたのが、高季自身であるからこそ。

　向けられる眼差しも、注がれる熱も。
　所有する『物』に与えられて然るべきなら、その全てを高季は拒絶する……そうして受取る『者』のない想いは呪いのように。
　徒に膨らんで何れこの身を滅ぼすのか。

　宣言に対する闇虎の表情の変遷を見る事すらせず、高季は扉の閉まる音を背で聞いて戸外へと逃れた。


　高季はマンションのエントランスを抜け、雲の位置に低い空を背景に立つ長身の影に気付く。
「何拗ねてんだよ、高季」
時間と位置的にエレベーターを使用したのではない……窓から出入りしたと思しき闇虎の姿に、家に取って返そうかと思ったがそれはそれでまた窓から部屋に戻って待っているだろう、堂々巡りを容易に想定出来て諦めた。
　足を早める高季の右に並んだ闇虎の、視線が面に据えられるのを感じ取りつつも無言を貫く。
　あまりにた易く怒りを鎮めて、何事もなかったかのように。
「高季」
闇虎は、静かに名を呼ぶ。
　こういう時ばかりは妙に悟りを得て折れるのが早く、あしらい慣れた感触で宥めにかかるのが上手い……それが却って癪に障り、大股になる高季の足運びに、闇虎は色互いの瞳を半眼に眇めた。
「……ぇぃ」
ぼそりと呟いて肘で高季の脇……傷の位置を小突く。
　前言撤回、この男に悟りなど有り得ない。
　高季はその場に踞りこそしなかったが、痛みに足を止めた隙にひょいと膝裏を掬うようにして抱き上げられた。
「下ろせ、闇虎……ッ！」
「ここでヤるぞ？」
本気から発せられたとんでもない脅しに、咄嗟、黙ってしまった高季に一つ頷き、闇虎は来た道を戻る。
「痴情の縺れで刺されるのは構わねーけど、冬の雪山で遭難して記憶喪失とかは勘弁しろよな。面倒だから」
何の心配をしているのか、ずれた感覚を覗かせた闇虎は……それでも高季の身を案じて連れ戻しに来たらしい。
「……何故そうなる」
「昼のドラマで浮気した罪悪感にそーゆー自虐に走った旦那が出てたんだ、こないだ」
何を観ているのやら、と呆れる高季を余所に、闇虎は二人の姿を見てぎょっと身を引いているマンションの住人に朗らかに挨拶などしている。
「まぁ、どうなさったんですか先生?!」
「いや医者の不養生で。過労で貧血起こしたんですよ」
「あらあらまぁお大事になさって下さいねぇ」
「レバーたらふく食わせて養生させるんで、ご心配なく」
……本当にこの鵺は。
　下りようとしたが抱える腕は強固で、居たたまれなさに顔を伏せるしかない……それを不調の証と取ったか、相手が気を使って去って行くのを見送った闇虎に、高季は呆れの眼差しを向けた。
「なんだよ」
視線に気付いた闇虎が、目元で僅かに笑むのに、態と大きな息を吐く。
「なんでもない」
「ご近所付き合いにもそつのない、いい男っぷりに惚れ直したのかと思ったのに」
嘯いてエレベーターのボタンを押す動きに漸く腕の力が緩み、高季は床に足を付けて「誰が惚れ直すか」と口中に呟く。
　物として所有を主張され、人として対等ですらない存在に……惚れ直す、余地すら微塵も残っていないというのに。
「冷てぇの」
高季の心中を知る由もない筈だというのに、闇虎は言葉と裏腹に軽く眉を上げていつもの不敵な笑みを昇らせる。
「ま、いっか。怪我の顛末を聞かせて貰う時にでも、惚れ直させてやるから……ベッドの中で」
鈴の音と共に開いた自動ドアの中へと進むよう背を押して促され、高季は諦めの息を吐き出した。


　そして「馬鹿馬鹿しすぎる脅し」の顛末に、闇虎を笑いすぎの呼吸困難に陥れるのは数分後。
　テーブルの上に無造作に放られた……身を傷つけたナイフを高季が再び目にするのは、数刻の、後の事である。

PCシチュエーションノベル（ツイン）

北斗玻璃

東京怪談

2005年02月18日