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『月の嗤う夜 』
威伏・神羅4790


 紙のように薄い月ばかりが、天の中央でひらひらと泳いでいる。
いくらか風が強く吹いているせいか、雲が忙しなくばたばたと流れ、ようやく照っている月光を無遠慮にさえぎっていた。

 灯火ほどに儚く地上を照らしている月光が、ばちを片手に持った妖美なる女の影を一筋、地表に描いている。
女は闇に溶けこむような黒髪を惜しげもなく風に舞わせ、眼を瞑り、三味線に張られた絹糸を軽妙に爪弾いている。

べいん べぃん べん べん べぉん

 三味線の音は風に乗り、闇に溶け、空にのぼる。
女はひとしきりばちを動かしていたが、やがて、ついとその動きを止めた。
研ぎ澄まされた刃のような眼光が、闇の向こうを真っ直ぐに捉えている。
「そこにおるは何方か」
 夜露を払い落とすように弾かれたその声音は、ひどく冷ややかだ。
女の赤い眼が闇を見据える。
やがて姿を見せたのは、複数の――4、5人程ではあるが、女はその数などに興味を向けなかった――若い男の群れであった。
男共は女の言葉をさげすむような笑いを浮かべると、一人が煙草の煙を大袈裟に吐き出した。
「こんな空き地でライブやってんですか? それ、三味線じゃん。しっぶい趣味してんねェ」
 ヒヤヒヤと笑いながら男が告げると、連れ立っている他の男共も、同じようにヒヤヒヤと笑う。
 女は立ち上がるでもなく男を見上げ、やがて何か言いたげに口の片端を吊り上げた。


   + +

 女は、名を威伏神羅という。
花鳥風月を愛し、美しい樂の音を愛し、舞踊を愛する彼女は、心のままに流浪しては、あちこちで奏している。
彼女が奏する樂や長唄はあらゆる者の心を射止め、時には喝采を浴び、また時には涙を招いている。
しかしだからといって、彼女は己の腕に慢心することもなく、暇を見ては樂の鍛錬を積んでいるのだ。
 今日も神羅は三味線を片手に、煌びやかなネオンを抜けて、彼女が見つけた絶好の場所へと足を向けたのだった。
そこはビルとビルとに囲まれた小さな空き地。
本来であれば何かしらの建設予定地であったのかもしれないが、今となっては人々から忘れ去られた土地に過ぎない。
遊ぶには手狭なためだろうか。あるいは彼女が訪れる時間帯も関係しているのかもしれないが、我が物顔で遊ぶ子供等の姿もない。
人が通ることさえも滅多にない場所とあっては、三味線を爪弾く場としてはかっこうの場なのだ。
 転がる瓦礫に腰をおろし、音の調整を施し、手ならしにと短い曲を一曲奏でる。
 暗い月夜に響く音色は満足に足るものであり、気分を良くしたところで、彼女はついと睫毛を伏せてばちを動かした。

   + +

 ばちを持ち替えながら、神羅は吊り上げた口を緩く歪めて問うた。
「これは……よもやぬし等の遊技場であったとは知らず。……邪魔してしもうたか」
 かすかに首を傾げてみせはするが、表情には露ほどの謝罪の念も浮かべない。
男共の群れの中心にあたるのであろう男が、下卑た笑みを満面にたたえ、ゆっくりと神羅に近付き、
「んんー、いやァ、俺らは商売でここを使ってるだけなんスけどね。こいつがアンタの事オバケだなんてほざくもんだからさァ」
 笑いが起こる。笑われた主は群れの一番後ろで、憮然とした顔をしている。
「……なるほど」
 神羅も笑う。ただし、それは男共への嘲笑だ。
それと気付かぬ男共は、神羅までが笑ったので、さらに笑う声を強める。
「三味線もさぁ、最近は結構出てっから、こんなトコで演ってないで、もっと表通りとかいってやんなよ。俺らはこれから大事な商談があるからさ」
 男が神羅に言葉を向けた。
「……商いか……これは邪魔したな」
 答え、神羅は静かに腰を持ち上げる。
すかさず、男の一人がその腰に手を伸べた。
「あれあれ、行っちゃうんですか? もっとお話しようよ。夜はまだ長いんですし」
 神羅の腰を掴んだ男が、馴れ馴れしい口ぶりで笑う。
「そうそう。ちょうどいい道具もあるしさ。天国とか見てみたくないスか? 俺らが見せてあげるッスよ、これで」
 別の男が神羅の腕を掴み、小さなビニール袋につめられた白い粉を振ってみせた。
神羅は男の挙動にふと目を下ろし、自分の腰を掴む男の手を確かめて、
「……夜はまだ長い、か。……いや、これはまさに」
 くつくつと喉を鳴らした。
――――途端、流れる風がぴたりと凪ぎ、草木が自身の意思でざわめいた。
 初めに悲鳴を発したのは、どの男であったか。
確かめようともせず、神羅はその赤い眼を三日月の形に歪める。
日本人形を思わせるその姿態が、墨を撒いたような漆黒に浮かびあがる。
その内で、眼がゆらりゆらりと揺らめいた。
「然り、然り。確かに言い得ておる。夜はまだ長い」
 草木がざわりと揺れる。
男共が誰ともなしに声を張り上げた。
「勘違いをするな、愚鈍共。ここから退くのはぬし等の方ぞ。――――生憎私はそんなモノに興味は無い。とっとと失せるが良い」
 ばちを持った手をひらりと揮う。
男共はどれもおののいていたが、ただ一人、中心格であるらしい男ばかりが、ポケットからナイフを取り出した。
「バ、バケモンがッ!」
 男が罵倒の言葉を口にすると、それまでおののいてばかりいた他の男共までが次々とナイフを神羅に向け出した。

 草木がざわざわと揺れる。
紙のように薄っぺらな月が雲間より姿を見せた。
青白い月光が神羅を照らし、影を浮かび出させる。
つうと伸びた影は、それは人のものではなかった。

「ちょうどよいわ。……今宵私はちぃとばかり腹が立っておる……暇潰しに戯れてやるわ」

 神羅の唇がひきつるように吊りあがる。
赤い眼やその唇が、今や闇を引き裂く鮮血のように歪んでいた。
合わせ、ふつりふつりと青白い鬼火が浮かぶ。
男共の中には逃げ出そうとする者もあったが、そのどれもが固まったようにその場を動かない。
「……阿呆共めが、ひとつも逃がさぬわ!」
 草木がざわりと揺れ、凪いでいた風が女の悲鳴のような唸り声をあげ、神羅の髪をさらう。
「か、か、か、かかッ」
 神羅の嬌声が闇を貫いた。

 ふつりふつりと浮かぶ鬼火が、二十も数えた頃だろうか。
神羅の姿は嬌声と共に闇に溶け、消え入るように失せていった。
同時、それまで微塵も動くことが出来ずにいた男共は再び身体の自由を得た。
中には失禁していた者もいたが、男共はどれも転がるようにその場を逃げだした。
それを追うように、女の声が遠く近く響く。

「二度と此処には近寄らぬ事じゃな。瓦礫が墓標、では悲しかろう?」

 カ、カ、カカッ
湿った笑い声が、逃げ出す男共を送り出した。
 やがて場には初めのような静寂が取り戻され、ねっとりとからみつくような暗闇ばかりが、ただ安穏とそこにある。


――――月が再び雲間に姿を隠すと、どこからともなく三味線の音色が流れだしてきた。

 べん べん べぃん べぉん べぉん

 それは男共の愚鈍をせせら笑うような、
しかしそれでいて子守歌のような。
物悲しく、時に激情的であり、妖しく優しく、闇夜の向こうにまぎれていくのだった。


―― 了 ――
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月15日

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